【遠野の怖い風習】実話の怪異の現地へ

今回も遠の物語から3話ピックアップして 現中に向かいました。まず悲しい人柱の話 。次は実際に会議があった家。最後には謎 のサムのババが現れた現場へ行きました。 今回もから興味深い3話の現場へ行きます 。人柱田尻家の会サムのバであります。 田尻家の会は幽霊が出る家です。 ここは行けましたが、今回行きたい場所 全ては回りきれませんでした。 いつか再縫し動画にしたいのですが、軽く 説明しますと、そこは簡易があるのも必然 の場所なのかもしれません。 その家があるのは共同埋装置の段の花と 上手山のデンデラノのすぐそばです。 さらに座敷やカパも伝わる場所です。両方 わべという字がつく妖怪です。この正体の 話を少しします。 まずカッパですが、東のカッパシはいくつ かありますが、55話が実に興味深いです 。 [音楽] 塔の物語55話には松崎村のある家では2 台まで続けてかの子を産んだ話があります 。生まれた子は そして一生だに入れ土の中に埋めたと書い てあります。 [音楽] かっぱの子を産んだ。これはので旅々言われました。の物語には 1 回だけですが、これは日常の言葉でした。ぱの子を産んだことは墓場まで持っくので言葉を聞いたという証言もあります。ぱのことは障害のあったこのことです。と違い昔は強の地でも濃くなったからだと思います。 [音楽] [音楽] 食料も少ない昔生産性が落ちるのは致名的 でした。ただでさえ口らしがあった時代 です。 ですのでかっぱの子は川に流しました。 座敷嵐しはそれの長者の家の子バージョン ということです。裕福な家なら障害のある 子も養う余裕があります。 ですので裕福な屋敷で人目を避けつつ育て られしか滅たに見れない妖怪座敷わしと 呼ばれました。 これらもの語り火が語っている交渉ですが 他の話もあるのでまた後半に話したいと 思います。 ですがこのかぱの話や口らしの話は最後の 話の背景として重要なので今話しておき ました。 さて、かぱの話をしていたら最初の目的地 に到着しました。 ここは妖怪ではなく、ただ救い用のない話 です。 あのうとした森にそれが伝わります。 この村で要水の取り入れ口が毎年必ず 崩れるので村人は困り、彩りから来ていた 巫女に相談したところ。明日夜明け白小族 の白い生まれ通るものがいる。その人を 捕まえて赤関口に沈め人柱にするしかない と巫女は言いました。そして村中の男女袖 でその白小族のものを村で待ち構えました 。 この巫女は自分の娘向こが気に食わず、実 はこれはその向こをはめるための策略でし た。巫女は向こうに白い着物を着せ、白で 隣村へ使えに出しました。 そして当然村人一郎はこの白小族の向こう を捕まえました。事情を聞いた息子は神の お告げなら仕方ないと心よく承知しました 。 [音楽] ですが瞳悟空は男女揃うべきものであるの で私の妻も一緒に沈もうと言って妻を呼ぶ と妻もそれでは私も夫と2人で川に かけ込んで水の底に沈んでしまいました。 これで様水の氾濫はなくなりましたが、 巫女は計画が狂い、自分の可愛い娘までも 失いました。それに悲しみ、親の巫女も 同じ場所に入り、亡くなってしまいました 。 [音楽] 本当に救いよのない話だと思いました。 知る限り聞いたことはありませんが、仏教 切訳でしょうか? 確かに仏教的には因法的な話ではあります 。 そしてこの山にその巫はまられています。 気がすいませんがここを登ります。もう 大体分かります。雲巣の歓迎を受けると 思います。 [笑い] そしてここはまた前回と同じくらいの 怪しい力がうまいてると思いました。 [音楽] お 雲の巣を払いながら登りました。氷河器 世代の私でも背筋が凍る不気味です。 [音楽] 着きました。これがその巫女が混ぜている ボナ妙人と言います。 [音楽] [笑い] これは1伝承として残っていますが、全国 には消えた伝承も天あるのだと思います。 [音楽] [音楽] のサイトによると、今でも旧暦4月の最日 に雨崎を作り、台豆を似て苦養している そうです。 [音楽] 次は田尻家の会です。これも現代の派手な 階段話のような落ちはありません。 そこがリアルでじわっと怖いです。埋装地 と奪手の間の場所に位置し、霊道的な場所 なのかもしれません。 日でもないし、妖怪や神秘的な話でもなく 、ただただ簡易なことがあった家の話と いう感じです。 その家の会はあります。 79割はこの家の主が玄関の壁に張り付い て自分を見下ろす首を低く垂れて目玉が 飛び出ている何かに遭遇しています。82 話では便所に行こうとして茶の間に入り 座敷との間で人に会っています。それは ぼんやりとしているが服やもはっきり見え 髪も見えたそうです。恐ろしく感じつつも それを触ろうとして手を伸ばしたところ、 それには触れずに後ろ側に手は突き当たり 殿さんに触れたというような簡易が書かれ ています。 [音楽] こんな塔の物語を読んでいると昔は本当に よく会があったのかと思えてきます。 [音楽] 前回の動画で昔はお知ら様を祭っていたと いう方から結構コメントをいただけました 。 ある方、その家が家事になってしまった時 、光の玉が空に飛ぶのを何人も目撃したと 書いてありました。 その人のお母様はお城が空に帰ったと言っ ていたそうです。まさに現代の塔の物語 です。 [音楽] また挑発に髭の霧したっぽいバージョンの お知ら様を祭っていたという方もいました 。 [音楽] 田汁家の近くまで到着しました。 近くには関当群もありました。これは何 やら座敷わしのいた家の矢主のものらしい です。 [音楽] H [音楽] [音楽] ボロボロですが、まだ誰か住んでるの でしょうか。これがじりけで間違いないと は思いますが、早めに撤退することにし ました。 [音楽] この田家の話は幽霊なのでしょうか?柳の 考えでは妖怪と幽霊は区別していました。 冒頭の妖怪かぱと座敷嵐しに話を戻します 。柳田のかぱの考察は水神の霊落した姿と 考えました。 座敷嵐しの考察もなかなかぶっ飛んでいて 、巫女が術で魂を分離させた霊隊と柳田は 考えました。 ですがカッぱの子を産んだと表現した場合 のかは間違いなく冒頭で話した障害の子を 例えたものです。 そして座敷わしの方の佐々木前の考察は 怖いです。昔に限らず口らしは日常的に ありました。 それは1690年と1767年に捨て後の 禁止例が発例されていることから間違い ないと思います。 非妊の問題、昔の弱えの風習とか理由は 色々ありますが1番の理由は食料がなく ま引きするしかありませんでした。 具体的な方法は残酷すぎますので割愛し ますが子供どま下に埋める風習がありまし た。 恐ろしい話ですがそういう子供の霊、それ が座敷わしと佐々木記前は考えたようです 。 そんな時代背景も想像しながら第8はサム のバ場の話です。 [音楽] 松崎村のサムというところの民家で若い娘 が木の下で雑りを脱ぎ捨てたまま行方を くらましました。 そしてそれから30年余り過ぎたある日、 その家の親戚一童が集まっているところへ その娘は大分姿で急に現れて帰ってきまし た。どうして帰ってきたのか聞いてみると みんなに会いたかったので故郷に帰ってき たと言いました ですがしばらくするとそろそろ行かなきゃ と言って再び山へ帰って行きました。その 日は風がものすごく強い日でした。それ から盗の人たちは今でも風の騒がしい日に は今日はサムのババが帰ってきそうな日だ なというそうです。 サムのバが現れた現地に到着しました。と もあります。物語で致名はサムですが、 本当は登というところです。 ですが、これは完全に実話で、ある家の何 台か前のサという娘の話ということが 分かっています。 この話は妙に悲しいというか切ないです。 普通なら30年ぶりに生きて帰れて ハッピーエンドです。 ですが、そうではありません。 よそよそしくそろ行かなきゃとまた消えて いきます。 ちなみに佐々木前のバージョンの話も ありそれだと一度なく毎年山から現れたと 言います。 ですが来ると必ず風が荒れるので来ない ように村は交いをかけそれ以来は来なく なったということです。 いずれにせよ真似かれざる客であり、行方 不明でせっかく戻ってきたのに居場所が ない話です。 [音楽] 柳はこれを広い意味で神隠しとしています が、私には当時のリアルが買いまみれる話 に感じました。 [音楽] これはサムドのババの日ではありませんが 、昔この辺りはちょっとした集落だったの でしょうか。 [音楽] 今水が広がりますが、向こうの一角にサム のババの火があります 。 この話の考察は様々な民族学者がしてい ますが、人説もあれば自らの意思で消えた 説もあります。 [音楽] また雑りを置いてあるところから本人の 意思、覚悟の現れという考察もあります。 分かりませんが30年間故郷を持っていた のだと思います。として勇気を出し故郷に 来たか、あるいは来れる状況になったか。 しかし残酷な時の流れは埋められない水を 彼女と故郷さの間に作っていました。 [音楽] 彼女はそれを察し山へ帰ったのでしょうか ?それとも追いさへ最後の家族への挨拶に 来たのでしょうか? [音楽] ま引きやは奪のデンデラの党のこの話は そう背景も想像すると奥行きが出ます。 の隣は花巻市です。あの宮沢健二の出身地 です。もちろん彼も物語を読んで育ったの だと思います。 彼の作品に物語の様子も多くます。有名な 注文の多い料理店は迷い顔を思わせます。 風と共に現れるサムのババは同じく風と 現れる少年の話風の三ブ郎を思わせます。 また三ブ郎は赤い髪のな天校生で風の神と 噂され2週間弱でまた風と共に去って消え てしまう話です。 派手な落ちも何もありませんが幻想的で塔 の物語と同じです。あとはあなたが考えて と言われているようで実に奥が深いです。 ありがとうございました。チャンネル登録 いただけると嬉しいです。

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#遠野物語 #柳田国男 #おしらさま

32 Comments

  1. サムトの婆は、中学の教科書に載っていました。若い娘だったのに『極めて老いさらぼいて』という表現は妙に心に残り、今でも覚えています。遠野物語は、不思議話の中に、人々の情念をかなり強く感じます。当方水木しげる御大やばけばけに縁ある地域に住んでおりますため、不思議や怪異は日本全国数多存在すると思っております。次回も楽しみにしております。

  2. 田尻家の79話は、首●り●体を連想してしまいました。
    サムトの婆女郎説からは、大正時代に吉原に売られた女性の手記にあった、「家族の葬儀に帰省したら、近所からは白い目で見られ、親族には迷惑がられた」話を思い出しました。

  3. 人によって物事の感じ方は違うだろうけれど、埼玉で生まれ育った十八年そのテの体験など皆無だった自分が、縁あって岩手で過ごした数年ばかりの間に幾度となく、視えないモノの存在を確信させられました。なにしろ無分別な若者だったので、後ろも振り返れないほど心底震え上がらせられたこともありましたが。実家に縛り付けられ面白みのかけらも無い毎日を一日も早い終わりを願いつつやり過ごすだけの今、その頃その地が、涙が出るほど懐かしく思い出されるのです。自分が本来あるべき場所は、あそこだったのだろうな…と。

  4. 看板に、母也明神は巫女の屋敷跡、と書かれているようでしたが、高台にあることからも、この集落全体の相談役のようにある程度の権力を持っていたように感じますね🤔
    民間信仰の巫女や水子、若者が行方知らずで出ていってある日突然帰って来るけれど、どこへ行っていたか教えてくれない話だのは、東北の身内から実話として聞いてきました😂
    私が西国に来て思うのは、とにかく人が堂々としていて、からっとして明るい。
    色々血なまぐさい歴史もあったようですが、人や土地の持つ空気感の違いがかなりあります。
    東北の陰鬱さはどこから来るのかと言ったら、他の動画でも言及されていたと思いますが、日照時間の差ですね。
    動画ではやはり曇り空が多かったと思いますが、日照時間が多くて暖かいほうが、やはり生き物は活発になる。
    日照りはあるけれど、作物も色々な種類がよく育つ。
    北国はその逆です。
    ましてや、以前紹介してくださったように敗者のDNAがある。
    蝦夷から始まり、堂々と生きていけない身の上です。
    遠野物語も、そんな土地の持つ空気を包括して存在しているということですね。
    しかし、普段明るみにならない、同じ日本人同士のルーツの違いを抉ってくれるなんて、最高に良いですね〜!このチャンネル👍✨️
    未来のことを考えるには、「終わった過去のことは気にしない」じゃなくて、よく私たち日本人が辿ってきた過去の道のりを分析して、再考する必要があると思います。

  5. 血が濃くなるだけでなく栄養不足も「そういう子」が生まれる要因ですな。
    山奥ゆえに取れるものは限られ、仏教の教えゆえに肉も限られる時代です。
    「ただの伝説」と片付けるのではなく紐解いていくと闇が見えてきますね。

  6. 巫女は胸糞だけど事情を知らない村人たちは丁重に祀るしかないんだよね
    妖怪というのは恐ろしいものとして扱われがちですが自分が障⚪︎者を産んだことを認められない認めるわけにはいかない事情の隠れ蓑にうってつけだったのでしょう

  7. 生類憐みの令の中には捨て子を禁ずる法律がありこれは大部分が消えた後も残ってました。
    それくらい問題とされつつも気づかないふりをしていたのでしょうね
    とおりゃんせも間引きの一種とされていますが昔から平野だったあそこで風習があるのですから恐ろしい

  8. 茨城県だったと思いますが、あるお寺に間引きをする母親と赤ん坊の絵馬があるはずです。母親はきっと口を結んで子どもから目をそらしていて、間引きがうれしい行為ではなかったことを物語っています。座敷童は、そういった生きている人間の罪悪感と、死んでからくらいは「幸福を呼ぶシンボル」「歓迎される存在」としてあげたいという思いが重なったものだと勝手に思っています。その絵馬では子どもの先に観音像が書かれ、障子に写った母親の影は鬼のように角が書かれています。母親が鬼、と解釈もできますが、間引きをしなければならないような「この世」が鬼の住む地獄同様、という解釈も成り立つかもしれません。

  9. 落語にも、廓から逃げて村に帰った娘が、親に迷惑掛けまいと世を儚み、幽霊になった演目がありますね

  10. 私は実家は「狢堂」で有名な曹源寺の隣で子供の頃から観光客がなぜこんな田舎にやって来るのか不思議でしょうがなかったですが、コメ欄で皆さんのコメを見て少しわかりましたw

  11. 母也明神に近づく時に左側の鳥居側の建物が歪みましたね
    デジタル的なものでしょうか?😮

  12. 楽しく拝見しました。
    座敷わらし ものすごく興味あります。自分は あまり霊感等無いのですが
    この間 秋田の 座敷わらしが出る旅館で はっきりと 障子越しに 童子の影を見てしまいました。
    そこの旅館は 何回も泊まっていて 泊まるたびに
    不思議な現象が起きていました。ピアノがなる 鈴の音等 序の口で 頭を触られたり 体の上に乗ってきたりと 凄くイタズラな童子です。人に言っても
    気が変になった?とか
    夢だとか 言われます。
    でも とうとう影だけど
    見てしまいました。自分にとって 座敷わらし 伝承ではなく 身近な存在です。宿の人 いわく
    童子の名前は 雅ちゃんと
    匠君です。

  13. とても興味深いですね。途中、安達ケ原の鬼婆を彷彿させられました。昔話は必ず原形の事件が存在します。座敷童が現れると金持ちになるという話も永遠に供養されることを願う親の気持ちだったのでしょうか。

  14. 小さい頃(50年ほど前)は「川(橋の下)で拾われた子」という、ちょっと蔑むニュアンスの言い回しが身近にあったことを思い出しました
    この動画を拝見して、実際にそんな子がいた時代の名残だったのかなと思いました

  15. 地元の物です。
    怪異とかでは無いですが、遠野ダム。遠野第2ダム。今はもう老朽化で無いですが恩徳屋敷付近は。異質な空気が漂っているので興味があれば是非行ってみて下さい。

  16. 差別や偏見は無いつもりだが、岩手に限らず北国の人ってなんか違う。飢えと寒さへの切実な忌避?が遺伝子に刻まれているかいないかの差?

  17. 小学生の時 平泳ぎが上手かったので あだ名がカッパ でした カッパ黄桜~のCMとかもあって(古い?)(すいません)ふつうにカッパ 居るんだーと思って生きて来たな ネコわらし 可愛い 色がとても良い

  18. 氷河期世代でも背筋が凍るは大草原です。ここは森ですけどね

  19. 岩手県の盛岡北部に両親のルーツがあるのですが昭和の初めまでは生まれてきたのに戸籍に載せられなかった子がいたそうです。死産だったことにするとか戸籍には載っているけど1ヶ月程度の命で終えた子、病気や栄養失調が当たり前だった時代にそういうことに紛れ込ませるしかなかったという寒村ゆえの悲しい歴史があったと思うといたたまれません。そういう子への鎮魂としての昔話、民話なのかもしれません。

  20. サムトの婆はどんな思いで村に戻り、そしてまた姿を消したのか…切ないですね。
    遠野物語を読んでみようと思います。小僧猫ちゃんのコスプレ可愛い😊

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