幻の「上川離宮」予定地、アイヌの聖地に鎮座する旭川市総鎮守:北海道・上川神社(Kamikawa Shrine | It is a shrine representing Asahikawa)

▼チャプターリスト(目次)
0:00 オープニング
0:22 社号碑、一之鳥居周辺
0:46 参道、手水舎
1:39 二之鳥居周辺
2:14 上川離宮予定地
2:54 末社・旭川天満宮
3:35 拝殿、本殿
4:41 神楽岡公園

どうも、管理人のヒロリンです。

今回は北海道第二の都市、旭川市に鎮座する上川神社(かみかわじんじゃ)の桜が満開の時の光景をご紹介したいと思います。

上川神社は、旭川駅から約2㎞離れた旭川市内を望む丘、「神楽岡」に鎮座。神社を含む神楽岡公園は、開拓以前の原初の森の姿を保ち、面積は約44.5ha。同規模の都市として市街中心部にこれだけの森林が残されているところはほとんどありません。

この「神楽岡」という鎮座地はかつては、天皇陛下のお住まいの皇居以外の宮殿である「離宮」の建設計画があった場所でした。

明治5年、開拓使判官の岩村通俊は、北海道の開発は内陸部より進めてそれを四方へ広げるべきと考え、北海道のほぼ中心にあたる上川(現在の旭川市)の開発こそ北海道開発の急務であるとし、部下に三ヶ月にわたる調査を命じます。その結果、上川は土地肥沃かつ平坦で耕作牧畜にも適し森林にも恵まれており、一刻も早く開発すべきと詳細な報告書が提出され、岩村は上川開発の思いを深めます。

明治15年に岩村は北海道を視察。さらに以前の考えを深め、時の太政大臣三條實美に「奠北京於北海道上川議」という建議書を提出しました。これは「北の京を上川に置き、開拓を勧め一大都府を開く」といういわば首都移転計画とも言うべき壮大なものでした(北京とは、西京=京都、南都=奈良、東都=東京に対する北のみやこの意)。更には、北の都(北京)を作る際には「離宮」も建設しようと計画したのです。

この壮大な計画は実現寸前まで進んでいたのですが、明治25年に札幌で大火があり、復興が進んでないうえ、札幌で地盤を築いた経済人たちが、開発の中心が旭川へ移るのを嫌ったことや、その後の日清、日露の両戦争もあり、北京計画は次第に雲散霧消していきます。

時は過ぎて大正4年、旭川駅の近くに鎮座していた旭川市総鎮守としての上川神社を、離宮建設予定地に遷座させる計画が持ち上がり、元々離宮を建てる予定だった予定地の一部を借りる形で上川神社は現在地に鎮座します。 「離宮計画」は有耶無耶の内に消えていき、いまその面影は「神楽岡碑」を残すのみです。

元々、神楽岡はアイヌ民族の聖地と云われた場所。アイヌ語で「神々が遊ぶ丘」と云う意味の和訳が由来の地名です。天皇陛下のための離宮や、上川神社が遷座したきっかけもこの地が神聖な場所であるが故なのです。

さて、そんな神楽岡に鎮座している上川神社は当初、天照大御神だけ祀っていましたが、その後、北海道神宮でも祀られている開拓三神のうちの2神である大己貴大神と少彦名大神が祀られ主祭神となっています。そして旭川の開拓に大きな貢献をした黒田清隆、永山武四郎、岩村通俊、鍋島直正の4柱のほか、6柱の神様を祀っています。

2 Comments

  1. 立派な社殿ですね、来年北海道周遊で北海道護國神社参拝予定なのでぜひ参拝してみたいです。動画の撮影・編集お疲れ様でした。

  2. こんにちは🤗🤗壱岐島から北海道旭川ですか?
    うつ病になるとは思えない行動力ですね👏👏👍
    行ってみたいところですが もう北海道旅行は無理かも?、、、😅😅BGM も最高です👏👏👍👍🙋🩵🩵🩵

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