【相模原】単独が良かった…。橋本が緑区になった理由

[音楽] 皆さん、こんにちは。朝川です。本日は 相模原市の緑区について色々と考察をして いきます。神奈川県の北部に位置する 相模原。政霊指定都市に指定されており、 市内に3つの区が存在します。西側から緑 区、中央区、南区の3つ。特に緑区は市内 の面積のおよそ77%を占める区関東地方 の行政区の中では最大となっています。 広大な区ということで非常に多様性に飛ん だ景色を見せる区東川では相模原の業務の 中心地の1つである橋本を含む一方で西側 には深い山々川など自然が広がります。 本日はこの緑が広大な理由、不明の選定 理由、また都市である橋本がなぜ西の自然 豊かな地域と同じ国になったのか、この 辺りを考察及び解説していきます。 [音楽] まずは相模原市の概要、特に人口面や面積 、都市配置について見ていきましょう。 相模原市はご案内の通り神奈川県北部に 位置する自治体です。 2025年の人口は72万1770 人。面積が非常に広い市でその数字は 328.91km 。これは神奈川県内横浜市についで2番目 に広い市域となっています。 この広い市域が生まれた理由、それは 2000年代の中盤に行われた市町村の 合併が関連しています。元々相模原市は 現在の市域の頭部にあたるこの範囲が四域 でした。2006年につ軍所属の相模町井 町と合併。翌年に白山藤野町と合併。元々 つ井軍に所属していた4つの町が相模原と なり、現在のような広い地域に 生まれ変わりました。また2010年には 政霊指定都市へと移行します。これにより 市域はご案内した3つの区に分けられる こととなります。区は緑区、中央区、南区 の3つです。南区は相模大野駅や北里大学 病院、浅などがある区域。中央区は相模原 駅や市役所、さらに上駅周辺を含む区域。 そして緑区は橋本駅の周辺や大沢地区、 そして元々つ井であった4つの町たちが 全て含まれています。 地図で確認をするとご覧の通り緑の面積 だけがつばげて広いことがわかります。 それでは次にこの緑について深掘りをして 行きましょう。 [音楽] 相模原緑2025年現在の人口は 16万6170 人。これは市内3区の中では最も低い数字 となっています。一方の面積は 253.93 kmで市内で最大。また相模原行の面積の 77%を占めています。 この区の面積は全国的に見ても大きいもの となっています。全国の行政区の中では 静岡市清水づについで第11位の数字、 また関東地方の行政区の中では最も面積が 大きな区です。相模原市緑区の時点で 大きな区は全国第33位の千葉市若 84.19 km。関東地方の中では際立って大きな 行政区であるということがわかります。 区域の特徴を見ていきましょう。 相模原緑区の範囲はご案内した合併以前は つ井軍に所属していた各町。 具体的に藤野町、相模町、つ町、白山町の 範囲。そして旧相模原行のうち橋本地区と 大沢地区が緑区に含まれています。面積の 大きな区ということもあり、場所によって 性質がかなり異なる区です。 橋本地区は橋本駅を中心に土下がなされて います。 近年は再開発が行われ相模大野と並んで市 の業務商業の各となる場所としても指定さ れています。 またリニア中央新幹線神奈川県駅が設置 予定の場所で今後は広域輸送の起点として も期待される場所です。 その橋本からは西側に向かって宅地下が 進んでいます。その範囲は旧白山町の中心 部までに及んでおり、橋本地区と旧白山町 の東部は一体の町のような要想をなしてい ます。一方、その南側にある元々から橋本 と同じ旧相模原行であった大沢地区は大 部分が足元とは崖を挟んだ定地に立地。 また下沢の一部や大島地域の一部を除くと 田畑や相模川沿いの自然が広がる場所と なっています。 そして西側の区域に関してはつ井、相模子 、藤野それぞれの地域の中心部を除くと川 と山が降りなす有大な自然が広がる場所と なっています。 このように緑というのは一口に同じ区とは 言っても非常に景色や性質の多様性に飛ん だ区であると言えます。 その一方でこのように性質の違う橋本地区 周辺と特に山深いつ井地域の西側がなぜ 同じ緑区になったのかこのような指摘が なされる部分があります。次はこの区分け について詳しく見ていくことにいたし ましょう。 [音楽] まず相模原の配りですが、現行の配り案 以外にも3つの案が存在しました。大まか に説明すると4つの案ともに現在の南区の 範囲は変更がありません。変更点としては 現在の中央区と緑区にあたる区の教会を どこにするのか、また旧つい軍であった 地域をどのように分化していくのかという 部分です。さらに配りを行う際には旧来 からのコミュニティの基礎となっている旧 作い軍域の旧長域、また旧相原の出張所の 範囲をベースに地域を分けています。これ らは4つの案に共通した部分、またこれら 案が示されていたのは2008年頃政令 指定都市移行直前の時期です。このことを 念頭に4つの案を見ていきましょう。まず 1つ目の案。こちらは旧井域で1つの区。 そして橋本と大沢地区は中央区に含まれる 3星です。福井軍と旧相模原市域は明確に 分れていること。そして橋本と相模原駅や 市役所周辺が同じくになっている点が特徴 です。この案の賛成意見と指定出たのが 橋本と相模原駅周辺市役所周辺は一定数 大きな繋がりがありそこが同じくになると いうこと。また旧救い軍域の広域的な 繋がりが尊重されるという部分でした。逆 に反対意見としては真ん中の国人口の偏り が見られることです。 当時の人口で見るとこの橋本と相模原駅 周辺を一体に支度の人口およそ36万人と なります。当時の南区の人口が 26万8000ほど。こことは整合性が乱 られるのですが救いを単独にした場合の 人口は当時で7万1000人ほど。この ような事情から人口に偏りが出るのでは ないかという指摘が出ました。その他にも バスや道路を通じて繋がりの深い橋本地区 と旧白山井各町の中心部が分断されて しまうこと。他にも軍全体が旧相模原行と 分断されるのではないかという指摘があり ました。 そして2つ目の案が現行の加わり。こちら についてはまた最後に分析していきます。 次に3つ目の案です。こちらは1つ目の案 から橋本大沢地区を分けて単独で区を設置 するもの。全体としては4つの区になると いう案です。 この案には当時の行政権域、また歴史的な 背景とマッチしているという肯定的な意見 がある一方、この白山町に関して少し 考えるべきであるという指摘が多くあり ました。先ほども軽くご案内をいたしまし たが、旧白山町の地上この辺り町の中心部 だった場所は橋本地区と一体的な市街地を 形成しています。また橋本方面に向かう 国道413号が地域の中心道路。その道路 には橋本駅とを結ぶバスも走行しています 。このように橋本との繋がりが深い旧白山 町の範囲を橋本とは別の区にするのは合併 の意味がなくなってしまうのではないか。 またもし旧井4兆で構成された区の区役所 が旧福井町の中心部に設置された場合、旧 白山町の中心部からの移動は比較すると 橋本方面の方がバスの本数などが熱く、 また距離的にも近い位置にあります。この ことから旧白山町の利便性が落ちるのでは ないかという指摘がありました。 そして次が4つ目の案。こちらは先ほどと 同じ4区での案ですが、こちらの区を橋本 地区、大沢地区、旧白山町の範囲で1つの 区、そして西側の旧つ井軍山頂で1つの区 という案です。 こちらの案は先ほど指摘されていた一体性 のある白山と橋本が1つの区になること。 また同じく一体性のあるつ井軍3が同じく になるという賛成意見がありました。一方 でやはり福井が完全に旧子域と別の区に なることから分断が発生するのではないか という点。またこれですと1番西側藤野 相模つ井のみで構成される区の人口が当時 の規模でおよそ4万9000人になると いうことで人口比率が大幅に偏るという 懸念点も指摘されました。さらに4区に 分割することによって区役所の建設費や 人権費の増加につがることから効率性に 対する懸念も存在しました。 また今回賛成反対の指摘を紹介してまいり ましたが、この中には住民アンケートで 募った市民の方の意見もあります。これに 関して旧井軍からの回答割合が全体の 38.3%を占めており割合として多かっ たこと。応募件数も109件と人口に対し 件数が少ないというのも考慮する点と 言えるかもしれません。 さて話を戻してここまでをまとめると文の 際に検討されていたのは旧井と橋本を 分けるのかまとめるのか橋本は相模原市 役所方面と同じ区にするのか 救い単独で区にした場合の他の区の人口の 方よりまた橋本と生活権を共有する旧白山 町をどのように配りしていくのかというの が重要であったと考えられます。このこと を念頭に現行の配りについて見ていき ましょう。 [音楽] まず最初に経過をお話ししますと、最初に ア1とア3は立ち消え、現行の配りの案2 と白山、橋本、大沢で一区の4案に 絞り込まれます。結局のところやはり人口 の均等性という部分が評価されて現行の 配置となったそうです。では、現行の配り についてまずは人口面から見ていき ましょう。2007年合併した当時の時点 で現行の配りにおいて人口は緑区の区域が およそ17万3000円、中央区が 26万1000、南区が26万8000。 比率にすると1対1.5対1.5。緑区が 若干少ないものの概許容範囲内とされる 基準となります。 またこの案ですと相模話内の拠点とされる 3つの地域、南区の相模の中央区の相模原 駅や市役所の周辺そして緑区の橋本周辺の 街づりを生かしていけるというメリットも あります。そして先ほど懸念されていた 旧井と旧相模原行の分断、また白山と橋本 の分断といった部分を解消することもでき ます。ただその一方でこの案にも懸念点が いくつか指摘されていました。1つは やはり区域の大きさに対するもの。区の 面積が大きくなることにより業務の範囲が 拡大、決め細やかな行政サービスの提供が できるのかというものがありました。 さらにご案内の通り、橋本駅周辺と旧井軍 は年川された地域と自然が多い地域という 性質の違いが大きくあります。これら違い が特色のある街づりをする際に影響を 及ぼすのではないかという指摘です。また 橋本地区周辺からは区の面積の多くを 占めるの自然のイメージが先行し、足元 地区の特色が毎のではないかという懸念も 多かったそうです。しかし結局のところ 配りはこの案が採用されることとなります 。採用理由としてはメリットで述べた点、 つまり産業や人口構成の比率の良さ、市内 の3拠点を生かせる点。この辺りが決め手 となったそうです。 また旧机井軍と旧相模原内のつがり、白山 と橋本のつがり。この辺りをまとめて方が できる配りがこの配り。こちらが理由とさ れています。 区役所は橋本地区に設置されることとなり ました。懸念された区域が広くなることに より決め細やかな行政サービスが提供 できるかという点。さらに例えばこの西側 の地域から橋本まではそこそこの距離が あり、アクセスがなかなかに困難です。 これを解消するために福井軍各町の町場、 合併後は総合事務所となっていた施設を 残し、行政サービスを受けられるように するという形になりました。お話をまとめ ますと、配りの際、特に橋本地区とついを どのように分けていくのかというのは課題 となっていました。結局のところ、白山や 旧福井町の中心部など橋本への流動がある 場所とのつがり、また人口比率という点を 重視した結果、現在のような配りになった という風に考えることができます。 さらに区分けの要望の中には旧市街地を 南北、つまり現行の形に分けるのではなく 、JR横浜線沿線と相模線沿線では若干 性質の異なる部分があるので、このように 東西で分けるのはどうかという指摘もあっ たそうです。 さて、ここまでは区の分け方について見て まいりましたが、現在の区鳴を見ると南区 中央区はホ位や一を示す単語。一方で緑区 のみは北宅区ではなく特徴を表す単語と なっています。次はこの区名の決定につい て考えていきましょう。 [音楽] 相模原の区命に関しては工房が行われ、 それをベースに区命が決められています。 南区と中央区に関しては工房で1位の区名 がそのまま採用されました。ちなみに中央 区は桜、南区は光区などといった候補も あったそうです。 その中で中央区に関してはまず中央区の 交母数が最も多かったこと。中央区と中区 という同性のある工母の合計が桜、また ひがの桜の応募数の合計を上回ったこと から中央区に決定。南区に関しても光区は 将来へ向けての発展をしていくという イメージはつくが交母数が少なかったこと 、また南区という交母数が最も多かった ことから南区に決定したという形です。 一方の現在の緑区に関して、こちらに関し て工房の中で最も多かったのは北宅区でし た。しかしながら緑区及びひがの緑区の 後母を合計すると北区の交母数を上回る ことから緑区となったそうです。この緑区 にするのか北宅区にするのかという部分は 最後まで議論が南行した部分だったそう です。先ほども軽く触れた通り、南区と 中央区は4位であったり位置を表す単語 です。 さらに緑というイメージはどうしても自然 豊かな旧つい軍に引っ張られている イメージがあり、都下の進んだ橋本を指す イメージなのかという懸念もあったそう です。 実際に区命が決定をして答申 地周辺の一部の住民の方からは帰宅区を 望んだり、やっぱり橋本周辺だけで1つの 区にして欲しいという声もあったそうです 。またこれはあくまで私が旧つ井軍域に 住む地人に聞いたところ。個人的な感情と してはせっかく相模原と一緒に合併をした のだから緑倉と救いのイメージが強すぎる 。どうせなら年家のイメージがある帰宅区 の方を採用して欲しかったし、そっちに なると思っていたとお話をしていました。 この意見はあくまで1個人の意見で総意で はないということをご留意いただきたいの ですが、旧机井軍役側にもこのような意見 があったということです。また北宅区と いう名称に関して確かに橋本地区周辺は旧 相模原行から見ると北側に位置しているの ですが緑全体で見ると市の西側なのか北側 なのか不明料な部分があります。また広大 な区域も作用しています。例えば相模原市 の再生、最北端、最難は全て緑区に位置し ています。 このような内方性を含めると単純に法位 だけで服を表すことができない。このよう な指摘も存在し、緑となったという経緯も あります。 総合しますと緑に関しては人口の均等性 また地域のつがりを重視してかなり広大な 区になったこと。またそこから区の形が 特徴的になったことから不明選定もかなり 難議した。このように推察することができ ます。 [音楽] 最後にここまでのまとめを行って行き ましょう。緑区は非常に広い区域、そして 多様な側面を持つ区です。その要因として 相模原市が旧机井軍域といういわゆる中山 間地域を範囲に含んでいることが挙げ られるでしょう。担当地方には他に千葉市 、埼玉市、川崎市、横浜市といった政霊 指定都市が存在しますが、これら大部分は 関東平野の中に立致しており、兵地が多く 3幹部がほぼ存在しない市です。ただ全国 に目を向けると中山間地域を含む政霊指定 都市は多く存在します。例えば静岡県の 静岡市、浜松市、北海道の札幌市、岡山県 、岡山市などです。 例として静岡県の量子を見てみると、静岡 市であれば青い区が南部で静岡駅周辺の ハ火街、北部では山頂を含む非常に広大な 区となっています。 相模原緑区と同じく多様な側面を持つ区で あると言えるでしょう。また静岡市にある 3区はそれぞれ人口の比率が大幅に変わら ない構成となっており、この部分も似て いると言えます。逆に同じ静岡の浜松。 こちらは天流区、浜な区の3区が存在し ます。そのうち天流区は非常に広大な面積 を持ち、また緑区と同じ中山間地域を内放 する区です。面積が非常に広いことは同様 なのですが、天流は他の肉とは違い、人口 が圧倒的に少ない区となっています。この 辺りの要因はまた動画で浜松に触れる際に 詳しくお話をしたいのですが、同じ中山間 地域を市内に持つでも配りはそれぞれ特色 があります。相原市としては人口や産業の バランス比率を重視した結果、緑区は足元 から救いを含む区になった。このように 考えることができるでしょう。さて、今回 の動画はここまでとなります。ご視聴 ありがとう存じます。また次回も一生懸命 頑張ります。ごきげよう。

#相模原 #橋本 #緑区

相模原市。2010年に政令指定都市に移行した都市です。市内は3つの区に分かれているのですが、その中に緑区という区があります。この区は少し不思議な形。そして成り立ちの区です。この要素を今回は解説していきます。

【関連の動画】
なぜこんなに大きな市になったの!?合併の理由を考察した動画

【この動画を含む再生リスト】
相模原市やその他、県央地区についての動画がまとめてあります。

【目次】
目次
0:00 はじめに 
1:08 相模原市とは?
3:06 相模原市緑区について
6:19 検討された区分け
12:28 現行の区分け
16:46 区名のヒミツ
20:15 他の政令指定都市

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37 Comments

  1. 南区に住んでる自分の感覚では、旧津久井郡の旧城山町以外は市としての一体感を感じることはないですね🥺
    合併するメリットが市民として感じられないです。

  2. 都営新宿線で橋本行きがあるから東京都だと思ってた〜(江東区民)

  3. 警察署の管轄は案3になってますね
    もともと津久井郡を管轄してた津久井署(相模原署よりも歴史がある)
    政令市に移行する際に、相模原署から橋本・大沢地区を分割してできた相模原北署
    一番面白いのは、政令市になって南区ができる前からある相模原南警察署(麻溝地区は管轄外だったけど)

  4. 相模原市緑区は津久井郡だけでなく橋本駅はリニア関連の停滞によって人口減が激しいとか。
    相模線沿線だと橋本駅より海老名駅に出る客の方が多いのも結果的には相鉄や小田急のアクセスが良く、繁華街としての求心力ある海老名駅に比べて弱い事が大きいからでしょう。
    田園都市線海老名延伸の方が横浜花博やるより南町田駅や青葉台駅方面への経済効果はかなり大きい事を踏まえても相模線の複線化などはある意味で必須でしょう。

  5. これ気になっていました!
    橋本を緑区にしないと浜松市の天竜区と同じようになってたかと…

  6. 津久井郡の人は津久井区にして津久井の名を残してほしいのかと思ってた
    緑区だと近くに横浜の緑区もあって紛らわしい。

  7. 今でも相模原と津久井郡は別物だっていう感覚でいるし、人口の均等化とか無視でいいから区割りでは津久井は津久井だけで一纏めにしておいて欲しかった
    せめて橋本+城山町くらいまでだよ

    あと全国にありふれた中央区・南区・緑区ってネーミングセンスはどう考えてもダサすぎるし紛らわしい
    iPhoneの天気予報だと区でしか出ないから余計に

  8. 最後に静岡や浜松を出してきたのは良いと思います。また、政令指定都市でなくとも北海道の釧路市なんかは阿寒町と合併して半端なく広く、長野県松本市も乗鞍高原までも松本市内になっています。

    個人的に旧津久井郡は清流がたくさんある癒し系の区に感じます。旧藤野町の北のあたりが好きです。

  9. 各区の人口が均衡している方が税収を割り当てしやすい事を考えると、今の区域になるのは理解出来ますが、緑区内ではリニア駅設置の影響で開発予算が橋本地域に集中投下されて、住民の大事な移動手段である津久井郡地域の道路整備が放置されているように感じます。

  10. 城山や中野は橋本周辺との結びつきが強い事は無視できないので、今の市域に納得ではあります。
    慣れてしまった、というのが一番大きいですが、市外民からすると緑区は端的に特徴が表れてて良いと思いますよ。静岡の葵区に比べるとまだわかりやすい印象です。

  11. いつも興味深い動画をありがとうございます。
    はじめに合併ありきのいわゆる平成の市町村大合併は、結果的に細かな住民サービスの低下・律令以来の由緒ある郡名や町村名の消滅等々から見て大失敗だったと思います。今回は神奈川県の話題でしたが、私個人的に縁のある和歌山県田辺市や大分県佐伯市の例等々からつくづく感じます。ちょっと過激な言い方で気を悪くされる方もいらっしゃるかもしれませんがそもそも中山間地域をあの手この手で合併して無理やり政令指定都市を目指すという方向性自体に強い違和感を感じております。また次の動画も楽しみにしております。

  12. 区名投票の時、選択肢の全てがしっくり来ず、緑区に決定した時も、橋本は自然が少ないので違和感あったけど、工業専用地域のイメージが薄まり、今では良かったと思ってます。

  13. 相模原の人って変なんだね。23区、川崎、大阪以外大体どこの政令市でも郊外エリアを含む大きな区があるよ。
    静岡とか仙台とか浜松とかどう思うのさ?

  14. 橋本の近くに親戚が居ましたが、1970年頃から住宅地でした。
    橋本は流れ玉に当たった感じでしょうか。
    藤野は山梨県で良いと思う。

  15. 橋本駅のホームから津久井の山々を望むとき、あの山のさらに向こうの山まで緑区なんだなあといつも感慨にひたって?ます。
    緑区より津久井区が実態に近いが、そうすると市街地である橋本が納得しないのはわかる(でもちょっといけば橋本だって田舎だぞ)。橋本から相模中野ー三ケ木ー相模湖ー藤野、橋本ー三ケ木ー道志という直通バスでもあれば区域として一体感がでるのになあと思う。無理なのはわかる

  16. 津久井地域へのアクセスの玄関口としては橋本したい、という意図なのだろうか?
    こんなことを言ってしまうと地元民に失礼ではあるが、コンパクトシティ的な発想で、
    少なくとも橋本はしっかり開発して、大きな買い物をしたかったら橋本まで来てくれということなのだろうか?

  17. 今も旧城山町住民だけど、この行政区の区割りについては特に何も感じていなかった。
    緑区役所ができて、隔週の土曜で窓口が開いている時は手続き関係ができるので良いと思っています。

  18. 城山と津久井は元々最寄り駅が橋本なので解らなくも無いが、相模湖と藤野はな、、、
    山梨県に押し付けるにしても、相模原市と人口的に大差無い山梨県にド田舎を押し付ける訳にもいかず、自立してやっていけるかも怪しい。
    八王子との合併が一番無難だとは思うが、八王子市自体が拒否してる訳で、、、
    今の結果は仕方が無い。

  19. 大学時代、京都市の左京区に住んでたことがありますが、左京区もかなり広かったような記憶が。
    橋本駅はリニアが開通したら大発展するポテンシャルがあり、そこに広大な緑区の運営を任せようという将来を見据えた結果こうなったような気が、、、良くは知りませんが、近隣の外部から無責任に見ると。
    あと、リニアが通る意味で一体としたのかも。明治時代、水道の関連で水事業の一体運営の必要性から東京中心部が多摩地区を併合したように。
    昔、広大だった戸塚区や港北区から新しい区が独立していった例もあるし、旧津久井郡も発展したら独立するかもしれません。日本全体で人口減少の中、その可能性は微レ存かもしれませんが、、、
    池袋が埼玉県の、町田駅が相模原市の「首都」と呼ばれてるように、旧津久井郡から橋本駅へのバス交通が発達してたことも影響してたんですね。面積比率は京都市や浜松市や静岡市など他の政令市も大きく違う所も多いし、人口比率からして適切な区割りだったと思われます。
    また、北区は全く個性が無く覚えにくいので「緑区」という名称も名は旧津久井郡に、実質は橋本地区ということで結果的に良かったと思います。

  20. 人口のバランスという面では浜松なんか顕著ですよね
    それまでも天竜区が圧倒的に人口が少なかったのに、再編で天竜はそのままで
    その他の市街地区域が再編されて、政令指定都市で人口最小と最大が混在することになったんですよね

  21. 城山町は橋本区域だよね・・・合併自体必要だったのか?
    動画、力作でした。ありがとう!

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