物見櫓(ものみやぐら)~弥生時代の遺跡『吉野ヶ里遺跡』~ #short

おみやです。めちゃめちゃでかいもみ倉。もみと言えばね、最近名古屋神社街の歌田さんとも山行きました。なんかね、なんだろって感じ。もぐからの景色です。 [音楽] ちゃいの

■ 吉野ヶ里遺跡の物見櫓の特徴

● 用途
• 周囲を見渡して敵の侵入や外敵の動きを監視。

● 構造
• 高さ約6~10メートル(復元建物による)。
• 柱を組んで建てられた木造の櫓で、はしごで上る構造。
• 屋根付きで、展望デッキのようなつくりになっている

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#物見櫓
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2 Comments

  1. 物見櫓が建てられたのは弥生時代後期とされてますが、争いがなければこんなものは必要ないから、やっぱり戦いがあったんでしょうね。
    弥生ですもんね。
    環濠集落化していったのもそのしるしで。

    不思議なのは、古墳時代になると集落の機能が失われていったことです。
    皆どこへ行ってしまったんだろう。

    吉野ヶ里の吉野は芳野から来てるかもしれないし、近くの鳥栖市はもともと鳥巣(とりす)で、とりすといえば古墳がある南区の鳥栖(とりす)を思います。
    九州北部は尾張、南部は三河を写したように感じます。

    たえさんは現地を訪れてみて、どんな感想や思いを抱いたでしょう。

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