【地理雑学】道志みちに旧道?地形との関係を徹底的に調べてみた!/国道413号/関東地方/山梨県/神奈川県

国道413号・道志みち
道志みちに旧道?
徹底的に調べてみた! はい、ドラレコ風景を次々に雑学解説する動画、今回は国道413号、 「道志みち」と言われる通りを、旧道と地形を見ながら先人の選んだルートを探っていきます。 〇旧街道はなぜ大回り?標高を変えない先人の知恵 〇なぜ幅狭ではなく、幅広の谷のほうに橋が? 〇なぜ道志川は上流域ではなく中流域が急峻なのか? 等々、地理調査に徹底的に時間を割いて、丁寧に仕上げました。 今回も脚本くわ蔵、音声はなつきでお送りいたします。 ではでは、道志みちへGO! はい、まずは相模原市緑区、「橋本駅」付近からスタートします。 北に八王子、南に相模原という位置です。 京王相模原線が1990年に乗り入れたことをきっかけに再開発が進み、今ではタワーマンションが立ち並ぶ橋本駅周辺。 そして決定打となったのが「リニア中央新幹線」の駅建設です。 工事が進むことで、さらに街の成長に拍車がかかっています。 そんな橋本駅まで走っている国道413号ですが、実は1993年までこちらの橋本ではなく、 厚木方面へ進む、現在の国道412号・旧県道厚木津久井線が国道413号だったようなんですね。 当時は、全国的に車が急増し、モータリゼーションの波が押し寄せた時代。 鉄道も国道も通っていない自治体が集まって「ないないサミット」と呼ばれる陳情活動を行ったり、 県単位では負担が大きい道路整備を「国道」にしてもらおうという声が高まっていました。 こうした全国的な機運が背景にあり、1993年のまとまった国道指定に繋がったものだと推測されます。 その追加指定された国道の中に、413号も混ざっており、 この橋本までの区間が新たに延伸部として国道に指定されたんですね。 そんな未来の大都会から一転、これから走るのは「道志みち」。 橋本のタワマン群を背に、今度はグネグネ山道と旧道と地形の世界へ飛び込んでいきましょう! 今回は古地図とにらめっこしながら旧道のルートを探っています。 年代やルートには多少の誤差がある可能性がありますので、その点はご了承いただきながらお楽しみください! おお~、下っていきますね~ この国道413号橋本区間は、相模野台地の付け根にあり、相模川の河岸段丘の上面に当たります。 その上面から、谷津川と呼ばれる沢の谷へ下っていきます。 そして、再び上面へ上がり、しばらく走ると…? あっ、あの山が城山(しろやま)です。 中世には、後北条氏の津久井城として活躍した小山です。 いよいよ関東山地、丹沢山地の入り口です。 あ、このマンションを回り込む形で旧道が走っていたようです。 この先の津久井湖、城山ダムができる前のお話です。 この旧道、古地図で見るとやたら曲がりくねっているんです。 なぜなのか? 地形図を合わせてみると… そう、これ、段丘を下るつづら折りなんですね! 実際には、この先でつづら折りで一旦谷へ下り、渡りやすい地点から旧相模川の対岸へ渡って、 再びつづら折りで段丘に登りって「太井(おおい)」地区へ入っていたようです。 最初に古地図だけを見たときは「なんでこんなにグネグネしているんだろう?」と思いましたが… 地形図と照らし合わせてみると腑に落ちました。 つづら折りだったわけですね。 そして、おお~、切り通してますね~ 段丘を一段下ると、城山(しろやま)ダムが現れます。 地形図を見ると、このダムは段丘の一番下に水を溜めていることがわかります。 ダムの堤は75m。 段丘の一段目もおよそ60mで、高さ的にもおおむね一致しています。 恐らく「城山」が堆積する土砂の流れを阻害して、 川の流れを急にした結果、V字谷(ぶい じこく)のように川幅がぐっと狭まったんでしょう。 その狭い場所をうまく利用して、ダムを建設したのだと推測できます。 それにしても、国道がダムの堤の上を走るの、珍しいですね! …と思ったら、全国に10本以上は堤の上を走る国道があるそうです。 コンクリートダムですから、強度は保証済みです。 そういわれると、確かに、橋より国道に向いているかもしれません。 そして、旧道はダムの底からガストの先へ合流します。 日赤前交差点で再び旧道と別れます。 この辺りは、相模原市の編入される前の津久井町(つくいまち)があった場所。 明治以降複数の村が統合されてできた自治体で、さらに津久井郡の中心部でもありました。 そして、Googleアースを見ると、かすかに短冊地割(たんざく じわり)のような町割りに見えます。 もしかしたら、江戸時代以前に割られた町割り(まちわり)でしょうか? そして、この辺りでしょうか? ここ辺りで左斜め後ろから旧道が合流します。 こちらの新道側は、津久井町のバイパス的な道だったわけですね。 そして、次の信号で右側へ登っていったようです。 まっすぐでも進めなくはないですが、一度斜めにつづら折りして、山の上まで登っていた感じでしょうか? 確かにけっこうな勾配です。 そして、右から合流していたようです 登坂車線もありましたね。 そして、古~い道筋は、ここを右から左へ走っていたようです。 そして、この新道側も古くから整備されていたようですね。 昭和初期の古地図ではすでにこの新道側が主要街道となっていたようです。 そして、三ケ木(みかげ)交差点で国道412号と重複。 そして、青山の交差点を右で道志みちです。 当時の国道413号は、今のように橋本へは行かず、青山交差点からそのまま厚木方面へ向かっていた。 そんなルートだったようです。 そして、旧道は左へ僅かに登り、正面の切り通しの上を走っていったようです。 そして、切通の終わり辺りでもう一度頭上を交差、左の森へ入っていったようです。 そして、ここで左の山から下って合流。 ここでGoogleアースを見てください。 これは、北西から南東方向へ向かって見たものです。 黄色の現国道が切り通してまっすぐ走っているのに対し、 旧街道はなるべく高さが変わらないように、山肌を走っているように見えますね~ 昔の人も、上り下りが多い道より、少し長く歩いてもなるべく平坦な道のほうが楽だったに違いありません。 おっと、左側、工事しています。 「バイパスでも通るのか?」 と思って調べていくと… リニア中央新幹線のトンネル出口だったんです。 ただし、リニアモーターカーがここから飛び出してくるわけではありません。 非常口のトンネルだったんですね。 この非常口トンネルは「関東回送線トンネル」という、「関東車両基地」へ向かう「支線」へつながっているんです。 本線は、津久井湖の南を通って、東京から橋本を経由し、名古屋を結ぶ予定です。 ちなみに、関東車両基地は、仙洞寺山(せんどうじやま)から茨菰山(ほうづきやま)のふもとで工事が始まっています。 いや~、凄いことになってきました! ここで左へ僅かに登り。 Googleアースを見てみると、沢を下らずに、標高を保って大回りしていたようです。 やはり、確実に上り下りを嫌っていますね! もしかしたら、上り下りはできず、崖のようになっているのかもしれません。 そして、現在は橋が架かっています。 橋の先から合流し… 右が旧道。 現道は大きく下っていきますが、旧道は下らず。 再び大回りします。 こちらは、バイパスの役目も負っているのかもしれません。 青野原と呼ばれる地区へ入っています。 こちらの村も河岸段丘の村でしょうか? 広くはありませんが、道志川の氾濫原が隆起したように見受けられます。 おおっと、ここは大きくカーブしました。 正面に谷があるんですね。 Googleアースを見てみましょう! 旧道も新道も合流して、沢の上流方向で谷を避ける形で走っています。 そして、少し先を見てください。 谷の幅が大きいほうには橋。 谷の幅が小さいほうは、谷を避ける急カーブ。 あれ? 普通、谷の幅が小さいほうに橋を架けて、工費を削減する力学が働くはずです。 ですが、ここは逆。 価格が高くなる、幅広の谷のほうへ橋が架かっています。 これは不思議です。 考えられる要素としては… う~ん、「住宅」の存在でしょうか? こちらの手前側は、谷を避けてカーブを造っても、そこに住宅はなかったものだと思われます。 ですが、幅広の谷のほうは、谷を避けてカーブを造るとなると、宅地の買収が必要になりそうです。 なるほど、橋の建設費と、土地の買収費用や退去を強いられる住民の悲しむ感情を天秤にかけると… 橋を架けたほうが両者得をするというわけですか。 これは個人的な推測でしかありませんが… 本当に道筋の成り立ちを考えるのって楽しいですね~! この辺りを左へ進むのが旧道だったようです。 そして… 先ほどの谷より大きな谷側に、立派な橋が架かっています! そして、橋を渡ると… ひろ~い、気持ちいい~! 実は、こちらの新道側はバイパスで、旧道側には家々が立ち並んでいるんですね! そう、ここがかつての青野原村の中心部なんです。 新道側は見晴らしがよくて、本当に気持ちいいですね~ あ、そしてこちらを左が旧道ですが、いまだ現役の国道413号に指定されています。 こちらは並行して2本413号が存在しているんですね。 旧道を進むと、旧旧道と合流します。 そして、この新道側は「青野原バイパス」とも呼ばれるそうです。 そして、早速橋を渡り、沢の谷をひとっ飛びします! 旧道はやや狭い道を大回りしているようです。 お、そして巨大な橋が見えてきました! 西沢大橋(にしざわおおはし)、立派な橋です!さすがバイパス! そして、もう一つ橋を渡ったら…? 青野原西野々(あおのはら にしのの)で旧道、旧旧道と合流です。 平和な道はここまで! ここからは旧道と現道がほとんど一緒の道筋になります。 そう、つまり旧道のグネグネ道をそのまま拡幅した区間へ入っていきます。 気分が悪くなりそうになったら、左上の「国道413号」のアイコンか、 左下の「自治体表示」を注視して、一旦リセットするのがおすすめです! それにしても、急峻な地形です。 この左手の山が、丹沢山塊で、切り立った山がそびえています。 それの北麓を、道志川が浸食しているんですね。 そして、丹沢山といえば、そう、フォッサマグナです。 日本の割れ目ですね。 一旦は海底に沈んでいたのですが… 伊豆がのっかっているフィリピン海プレートに圧されて、丹沢山塊が本州にぶつかり、 さらにフィリピン海プレートに圧され続け、褶曲(しゅうきょく)して山地ができたと考えられています。 火山噴火でできた山とは言えないですが、火山性の岩石が地層に大量に含まれています。 この火山性の岩石、太平洋上で噴火した海底火山由来とも、 日本列島の火山帯のマグマがせりあがってきて固まり、それが表面に現れたものだともいわれています。 地質図を見てみましょう。 真ん中の赤い部分が、地球深部で固まったとされる「トーナル岩」を含む地層が見えています。 そしてその周囲、黄緑や黄土色の地層が「玄武岩」や「安山岩」等が含まれる「付加体」だそうです。 もしかしたら、丹沢山地の地下深く由来のマグマと、 遠く太平洋の海底火山から運ばれたマグマが複雑に絡み合っているのかもしれませんね~ そうして、火山由来の岩石が多く含まれているが故、この急峻な地形を生み出しているのかもしれません。 トンネルや橋は、旧道跡が目立ちます。 トンネルは谷側に旧道跡、橋は山側に旧道跡ですね! そしてこの駐車禁止の看板! この裏にかすかに道のようなものが見えます。 恐らく、この後の道のようなものが旧道だと推測します。 というのも… この左の壁! モルタルで固められたとみられる崖なんです。 旧道が通っていたとすれば、この崖上ではないかと。 新道側はこの崖を切り出して整備されたものだと思われます。 そして、新道は北側ルート、旧道は南側ルートを取ります。 恐らく新道側は、この上にある「青根(あおね)」の集落を避けて通されたルートだと思われます。 そして正面の山! あれが大室山(おおむろやま)です。 伊豆の大室山と同じ名前ですが、こちらは火山ではないようです。 この左手側にそびえる丹沢山塊同様、大室山(おおむろやま)も北麓を抜けていきます。 そして、おそらくここを左から右へ、下っていたのが旧道。 不思議です。 あそこまでかたくなに標高を変えなかった旧道が、ここは谷底へ向かって下っています。 今までと違って谷が奥深くまで切り込んでいて、標高を変えずに歩こうとすると、 かなりの大回りになってしまいます。 「これは大回りするより上り下りがあっても近道をするべき」と判断したのかもしれません。 ですが、そもそもこの先はもっと急峻になる山奥です。 この先まで進む旅人はごくわずかだった。 この先の道は、村人しか使わない険路(けんろ)だったのかもしれません。 そして、この上下する急坂の道は、旧道というより、 山の上の集落と谷の集落を結ぶ村人の通り道だったのかもしれません。 それにしても… 今走っている新道側は、よく見たら相当苦労されて道を作られているのがわかります。 左の法面の高さが結構あり、相当な距離を連続しています。 おお~、そしてとうとう神奈川と山梨の県境、両国橋です。 これ、渡った先は崖ですね。 昔は本当に険路しか通じていなかった可能性があります。 その旧道と言っていいかわからない道は、両国橋キャンプ場のさらに左側、東を通っていたようです。 今も階段のようなものが残されていそうな予感がします。 そして正面の法面! 常軌を逸しています! すごっ! そして、この辺りを左下から右上へ、旧道が走っていたようです。 昔はこの月夜野(つきよの)地区、秘境と言っていい場所だったのではないでしょうか? 右の山の上に月夜野の集落があり、そこへ旧道は通じていたようです。 そして、この辺りからバイパスが建設中なんだそうです。 その名も道志バイパス! この先の大渡(おわた)地区まで山を貫くんだそうです。 道志バイパスの工事です! 左側が橋、右側がトンネルでしょうか? 右のコンクリート、橋の橋台のように見えます! その先からトンネル工事でしょうか? そして、ここが大渡(おわた)地区です。 月夜野からここまで、けっこう左右にワインディングがあり、大変なルートでした。 確かに、バイパス整備する必要性は大いにありそうです。 そして、この辺りで道志バイパスが合流してくるようです。 そして、確かにここから先は結構走りやすい道になってます。 なるほど~! ところで、県境を越えて、峠も越えた気がしませんか? ですが、まだまだ道志川の谷に沿って走っています。 アップダウンはありますが、それは道路の線形を保つため。 峠ではありません。 道志川の丹沢山地北麓区間は、本当に険しいですね~ おっと、久々に大きな分岐です。 トンネル手前の道を左が旧道です。 そして、トンネル出口付近、頭上で交差します。 右側から下って… そして、右上の住宅地を抜けて… こちらの右から合流します。 1992年まで旧道ルートを走っていたようです。 けっこう最近ですね。 そしてここから左へ。 河原へ降りて行って渡っているのが旧道となっていますが… もしかしたらもっと昔は、川を渡らず、山肌に沿って進んでいたのかもしれません。 そして、二つ目の川を渡ったら、右から合流です。 あ、きれいな橋です。 あれは、椿大橋と言います。 平成10年、1998年に竣工したようです。 あの対岸の椿地区には古くから住宅があったようですが、 現在は村役場の対岸付近まで別荘や民宿などの開発が進んでいるようです。 地形は落ち着きましたね。 ですが、まだ道志川の谷を走っています。 山梨県に入っても、いまだ相模川水系です。 どうして上流はこんなに穏やかな流れで、県境、両国橋付近はあそこまで急峻な地形だったのでしょうか? Googleアースを見ていると不思議な感覚にとらわれます。 道志川の中流域は、高い山を突っ切っているように見えるんですね。 通常であれば、北の国道20号側、相模川方向か、逆の御殿場方向へ流路を変えてもいいはずです。 そこで思い出すのがフォッサマグナ、訳して「大きな溝」です。 現在はその大きな溝が、伊豆半島などが乗っている「フィリピン海プレート」に圧されて、山地になっているということ。 そうです。フォッサマグナは隆起しているんです! 道志川は巨大な山を削ってぶち抜いたのではなく、徐々に徐々に山地が隆起していったのではないでしょうか? 削って隆起。削って隆起を永遠に繰り返し、 結果道志川に削られなかった高い山が、道志川の両側、そして中流域にできた。 道志川の中流域が、一番隆起したと…。 この道志川中流域のお話しは、私の個人的な空想です。 丹沢山地の隆起の詳細などについてはファクトチェックを行っていないので、 ひとつのイメージとして楽しんでいただければと思います。 ですが…やっぱり地形をあれこれ考えるのって、楽しいですよね~。 あれ、この左の道は何でしょう? 古地図を見ても道筋が変わっているようには見えません。 おそらくですが… 右側の法面工事に合わせて、仮設道路あるいは仮設桟道橋(さんどうばし)が通っていたのではないかと推測します。 詳しい方がいらっしゃれば、ぜひコメントで教えてください! あ、なんか幟が立っているローソンです。 口コミ情報によると、なんでも道志村と共同運営という情報も存在します。 そして、道志村唯一のコンビニだそうです。 この撮影は7月下旬ですが、桃とトウモロコシの幟が立っています。 あ、「道の駅 どうし」です。 クレソンケーキやクレソンジュースなど、クレソン推しです! そして、この辺りの森が、道志川源流です。 ようやく分水嶺付近までやってきました! そして、この分水嶺(ぶんすいれい)付近をまっすぐ進むのが旧道です。 右へ道なりに新道を進むと、山伏トンネルにぶつかります。 これが山伏トンネルです。 このトンネルの上の稜線が山伏峠(やまぶしとうげ)。 道志川と、山中湖の分水嶺です。 あれ、そういえば、山中湖ってどこへ流れているんでしたっけ? これが、ぐる~っと都留(つる)市や大月市を周るルート、桂川から相模川へ流れ出しています。 そうなんです。 道志川も相模川水系。桂川 相模川も相模川水系。 同じ水系の分水嶺なんですね! ではでは、そろそろ国道413号・道志みちも終点に近づいてきました。 実際は山中湖を半周周って、富士吉田市が起点となっています。 その重複ルートは国道138号へ譲りましょう。 そして、次回予告の前に、もしも地元の方がいらっしゃったら、 「ここの渋滞はヤバイ!」とか「ここのグルメはうますぎる」なんてことを、 ぜひコメントで教えてくださいね! こんな感じで、のんびり、ですがしっかり地理雑学お届けします。 次回も気になる方は、チャンネル登録しておくと、お勧めに表示されやすくなりますよ~ 次回は国道138号・富士山北麓から箱根山までを走ります。 〇富士山が山体崩壊していた!? 〇須走(すばしり)道路に残る謎の橋脚群 などなど、地形とバイパスについて追いかけていきます。 小さな地理雑学も、積み重ねると壮大な何かが見えてくる…! 気がします。 ではでは、動画のご視聴ありがとうございました。 なつきがお送りいたしました~。ばいば~い。

国道413号道志みち、旧道をそのまま拡幅した場所が多い中、地形の特質で旧道が違うルートの場所が確かに存在する。その地形と旧道、新道の関係に迫ります。

〇旧街道はなぜ大回り?標高を変えない先人の知恵
〇なぜ幅狭ではなく、幅広の谷のほうに橋が?
〇なぜ道志川は上流域ではなく中流域が急峻なのか?

他、「交通・道路・路関連雑学」をテーマにテンポよく解説!

■■以下雑学、地理案内一覧

【道路地理】橋本が巨大都市へ!スタート地点の概要!0:49
【旧道】ダム建設で道筋が激変!失われたルートを追う4:05
【旧道】旧街道はなぜ大回り?標高を変えない先人の知恵8:47
【鉄道】リニア中央新幹線の工事!9:36
【バイパス】なぜ小さいほうの谷に橋がかからず、大きいほうにはかかっているのか?11:22
【地質年代】丹沢山の謎!火山ではないのに火山由来の岩石に包まれた山!15:04
【旧道】山奥に眠る旧道についての考察18:24
【バイパス】道志バイパス工事スタート!その必要性とは?20:38
【地質年代】なぜ道志川は上流域ではなく中流域が急峻なのか?24:19
【分水嶺】山伏峠の分水嶺!両側に意外な水系が!?28:58

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21 Comments

  1. 読み間違いや言い間違い、変換ミス、表記の揺れなどにはできる限り注意を払っていますが、雑学や画像の情報量が多く、また更新の都合上、デバッグに十分な時間が取れない場合があります。

    もし内容を他でご紹介いただく際は、ぜひご自身でもう一度ファクトチェック・ご確認いただけますと安心です。

    また、万が一誤りや気づいた点などありましたら、コメント欄で私や皆様と共有していただけるととても助かります。
    あと、足あとにコメントも大歓迎ですので、ぜひ残していってくださいね~

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    以下、参考リンク

    中央新幹線津久井トンネルほか新設(西工区)工事における環境保全について
    https://company.jr-central.co.jp/chuoshinkansen/efforts/kanagawa/_pdf/tsukui_tunnel_west.pdf

    令和4年度 公共事業再評価調書
    https://www.pref.yamanashi.jp/documents/106817/r4sai_2_11.pdf

  2. 道志みちは、平成初期までは道志村の一部区間が砂利道でした。
    しかも、お宅が鎮座して片側1車線を潰していました。
    場所の記憶が抜け落ちてしまい、「ここだよ!」と言え無くて申し訳ありません。
    渋滞箇所は、
    •道志みちに入る為の平野交差点右折待ち
    •終点の青山交差点
    •青山交差点を左折してちょっと進んだところにある三ケ木交差点。
    土休日の午後から始まります。

  3. コンビニ=ほとんどがフランチャイズ経営
    普通は個人商店であるが、自治体がフランチャイズを始めてる。
    利益というより、村民の利便性かもしれないね・・・
    ※そもそも利益が上がるなら、個人が始めている。

  4. 11:50周辺の解説ですが、工費という点では橋は長くなるものの旧道のバイパスで直線的に設計されています 413は基本的に民家が多くて狭い旧道を避けるように整備がされています 一度旧道側を走ってみるとその狭さがわかります  諏訪神社も残っており信玄の小田原攻めのルートという歴史もあります

  5. 26:10 の少し先(0.25で再生すると、左にオレンジっぽい赤色の縦長看板が有る辺り)を右折で、開通すれば秋山尾崎地区に抜けられるであろう林道があります。去年道志側から登った事がありますが、工事は続いていました。景色はまあまあ良いのですが、落石落枝落葉がとても多いため、お勧めはしません。モノ好き向きです。

  6. 私が道志みちを初めて走ったのは国道指定前でまだ未舗装区間が残っていました。舗装工事の真っ最中で凄く時間が掛かりました。
    その後、舗装されてからは何度か通っていますが改良か進んで昔とは大きく変わってしまいました。
    昔の経路を思い起こせる解説でしたが、徒歩時代と車が通る時代が別れているともっとわかりやすかったと思います。

  7. 道志道を通り始めたのは、まだ未舗装路の頃でした。
    相模原から山中湖方面に抜けたり、山梨からの中央道をバイパスしたりで
    よく利用しました。年々道が良くなっていたのが印象的でした。

  8. 利便性のためには当然のことだけどバイク乗りからすると楽しいワインディングが平坦なバイパスに慣らされてしまうのはしまうのは悲しい😭

  9. 久保沢の交差点から小倉橋へと下る道の右側に残る橋に 谷津川以外に久保沢川と彫られた橋が混在していた記憶があります。ちなみに久保沢交差点から右へと登っているのが国道ですが、国道ではない旧街道はマクドナルド横の地元コンビニ?を右折し ”かんば坂”を登って、3:51に右から合流します。津久井湖に沈んだ旧街道を古地図に示されておりますが、その道は旧国道ではなく旧街道ですよね、同様に国道指定後の旧国道413号と国道指定前に旧道化していた旧道志みちの区別が… 自分で頑張って調べてみます😆 国道指定される以前の47-8年前の記憶ですが 神奈川県側の舗装は結構進んでいたと思います、横山/平丸トンネルは記憶にありませんが… 山梨県側は まず集落間を結ぶ道の舗装化が実施され、集落内の舗装は随分後に行われた様に覚えております(これも国道指定前の記憶です)

  10. 県境の箇所で神奈川県警が待ち構えていたけど今もやっているのかな? あれ以来道志みちは走っていないけど。

  11. 30年前程に忍野で6年ほど住み込みで勤務してました
    毎週末は道志みちで相模原へ帰省する際に通りました
    当時と比べて道はだいぶ改良されましたね
    ただ夜中には鹿が飛び出して慌てたことも何度かあります
    ある時道の駅にトレーラーが止まっていたのには通れるのか… と驚きました

  12. 道志みちは多摩地区から高速を使わずに静岡方面へ行く際に御殿場までほぼ渋滞なしで抜けられる快走ルートです。1号も246号も渋滞は避けられないので、多少遠回りでも速いです。難点は夜は動物注意ってところでしょうか。

  13. 懐かしいですね…
    10年位前八王子に住んでた頃、
    この道沿いにあった癒しの湯とかよく行ってました。

  14. 写真地図の南北をひっくり返して表示(上が南、右が西に)したり、固定していないのは分かりづらいです。

  15. 246から山中湖抜けるときによく使っています。
    一昨日中央道が混んでいたときに道志から都留に抜けてそこから入りました。

  16. 津久井から東の区間が橋本方面じゃなくて厚木方面が最初組み込まれていた経緯がいまいちよくわからないんですよね…Wikiとかを見ても
    82年の時に412号も一緒に国道指定されているっていう事は三ヶ木周辺から厚木までずっと重複区間としていたっていう事? なんでそんな指定のされ方を最初したのでしょう?
    道志や青根とかって特に厚木との繋がりがあるようには見えないんだけどなぁ…相模原との繋がりもないけど

    あと住民はともかくあの道をドライブする層って一定割合であのクネクネを求めて走りに来ているだろうから、バイパス道路工事がどこまで喜ばれるかというと…

  17. 我がホームである道志みちの紹介はとても楽しいのですが、期待した旧道をいっさい走らないというのは逆に新鮮でした

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