【公式】「霞ケ浦の帆引網漁の技術」記録映像【普及編33分】『霞ケ浦が生んだ奇跡の漁法~生きた民俗技術を後世に伝えていくために~』
霞ヶ浦の木涼は一般に保き線と呼ばれ明治 時代の初め頃霞ヶ浦市の折本両平によって 白尾量を目的に考案されました。 保き量の大きな特徴は1人か2人で大量の 白尾や若さぎを捕獲できることにあります 。 昭和20年代、30年代の再生期には北浦 を合わせると500層以上を数え、 トロールに置き変わるまでのおよそ100 年間明日共に霞ヶ浦漁業の主役として活躍 しました。 現在土浦市霞春浦市滑型市の三子によって 観光線が運行され、霞ヶ浦の観光資源とし て重要な役割を果たしてます。 また各市の線保存会により技術の保持 と継承がいます。 霞ヶ浦市では平成21年12月にホ引き 漁法の道具を有計民族文化罪に平成27年 3月には総戦技術及び編み漁法 を無型民族文化剤に指定しました。 平成30年3月霞ヶ浦の保きは霞ヶ浦なら ではの独自の創業技術を伝えている貴重な 文化財であることなどから国選濯無型民族 文化財に選定されたのです。 国選となったことを受け子によって霞ヶ浦 の保き領の技術総合調査事業が立ち上げ られました。 そして令和2年度から5年度にかけて詳細 な調査研究が行われたのです。 令和6年3月調査研究の成果は国選濯 霞ヶ浦の保き両の技術総合調査報告書とし てまとめられました。 この映像作品は今回の調査報告書を踏まえ 、霞ヶ浦が産んだ奇跡の漁法、霞ヶ浦の 保き量の技術を多くの方に知っていただく ために制作されました。 南東平の東部、茨城県の南東部に位置する 霞ヶ浦。 霞ヶ浦は日本で2番目に広い湖として知ら れ、広さに加え水深が極めて浅いという 特徴を持っています。 また周りを平置となだらかな給料地帯に 囲まれているため風は比較的平で季節ごと に一定方向から吹くという傾向があります 。 広く浅い湖そして霞ヶ浦特有の風これら が引き涼 誕生の布ともなったのです。 一方北浦は面積が狭く細長い地形のため風 の吹き方や創業方法にも違いが見られまし た。 滑形市浜の漁師にとって良い風とは長い 距離を引ける風で短い距離しか引けない風 は悪い風との認識でした。 保き線が登場するまで白涼は大徳網が主流 でした。 大徳網は大掛かりな量のため網元のような 資本力を持つ人が漁師や引きを雇って行っ ていました。 両平はその引き子の経験から1人で量が でき、それも大徳網に負けないほどの白を 取る方法はないだろうかと考え の開発に着手したと伝えられています。 湖を海遊する白や若サぎを1度にたくさん 取るには次の2つの条件が必須ではなかっ たかと考えられます。 大きな網が引ける。水中を一定の速さで網 が引ける。 この条件を満たすにはほぼ大きくして船の 馬力を上げなければなりません。 しかし頬を大きくすると風の力で頬がかし に傾き船が転覆する危険があったのです。 この愛反する矛盾を一気に解決したのが 焦げた両端と網の上部の両端を2本ので 結び網でほを支えるという発想でした。 この綱は釣り縄と言い、かつては控え綱と も呼ばれていました。 実はこの釣り縄こそ折本両平最大の発明で あり、ホ引線メカニズムの原点とも言える 津なのです。 ではイラストで説明しましょう。ほび線の は風を受けると膨張力によってほ全体が 丸く膨らみ大きな水深力が生まれます。 一方、反対方向には網に効力が発生します 。 この効力の一部は釣り縄に働き、洗体が 網側に傾くように作用します。そのためが 強い風を受けても先体が風し側に傾かずに 安定して網を引くことができるのです。 釣り縄から生み出されるメカニズムを持つ 漁選は世界に目を向けても未だ発見されて いません。 両兵の鉱石を称える日にはほび発明かと 記されています。では両はいかにして 釣り縄を思いついたのでしょうか? 大正2年に出版された茨城県霞ヶ浦北浦 漁業基本調査報告書第2巻にほ木線によく 似た船の写真があります。 霞ヶ浦では一名ほとも呼ばれた船で単階 だけでなくザ五量などにも使用されてい ました。 ほりはゆっくり網を引いて固定にいる獲物 を捉えるのが目的のためほぼ小さく釣り縄 がありません。 このほりが引き線のルーツではないかとも 言われています。 ほび線は当初安価に手に入る身近な葉ぱ線 が使われました。 網も大得網を再利用し、小型化したものを 使用しました。 少ない設備投資で多くの利益を上げられた ことから保き網は霞ヶ浦周辺の領師たちに また琢間に広がっていきました。 その波及効果は大きく霞ヶ浦沿岸の水産業 が発展しは生活の安定を得たと伝えられて います。 保き網の登場は網元による組織的な量から 漁師やその家族による個人経営の量へと 霞ヶ浦の漁業を大きく変えていきました。 また明治35年頃、霞ヶ浦の木両は秋田県 の八郎型へ伝えられました。 伝えた人は霞ヶ浦市の坂本金吉です。 人や技術の移動は鉄道を利用し、運べない 船は現地調達したのです。 これは近代化による漁選の新しい電波の形 として注目されます。 八郎型でも霞ヶ浦と同様漁業が進行し拓が 始まるまで多くの人がその恩恵に欲したと 伝えられています。 では次にほ引き線の仕組みについて紹介し ましょう。 先体は地元で身舟と呼ばれるチキ舟が使わ れてきました。木造線は地元の船大工が 作ってきました。 美船には霞ヶ浦特有の荒波を突き進む ため頑丈 がつけられています。元々は 俺本さんの考案した頃はさで諸本のやったんですよね。 はい。 それで、え、ま、これ私我々想像なんだけど札パブレてのはこう先が開いてるわけですよ。 平ラですよ。 で、同的公能にも 抵抗があって進まないと。 それで考えたのがその当時はもうすでに あの海の方ではもう美容所だったらしいん ですよ。 で、うちの先生代の、ま、亀次郎って言うんだけど調子で覚えてきて、で、その鹿柄で最初に作ったのがうちの先代だっていうことは うん。 言い伝えて聞いてはえんだけとね。 だからそれで変わったってことはやっぱり家人に修療する量であってなおさらコーディング時代だったからなるべくその家の抵抗が少ないような形の骨を作ったのかな考えたのかなってような想像はできるわけですよね。 霞ヶ浦の美船は従来の葉ぱ線と海のチキ舟 の長所を取り入れた接中型と言える でしょう。 現在は木造線からFRP線に変わりつつ あります。 脱出棒 の選手と千尾にはほと網を広げるための 出しが付いています。 おげて上げてあげて。 ほ柱。柱は妄想地区を使用します。 柱のカには保きが取り付けられ、先体中央の地がに固定されるようになっています。 現在古上で柱を立てる作業を行ってるのは滑型市玉作りの引き線だけになっています。 風がある時は内も大きいからその船の揺れる上でたにするわけだからよぽど船になる人はねきないつことです。 ほげは頬を吊り下げる棒で妄想地区を 2本つなげて作ります。 繋いだ竹同士の補強と左右のバランスを取るため天秤を取り付けます。 1 番もこつけちゃってずっと持ってて。あ、下ろして下ろして下ろして。は方形の大きな 1 枚歩が特徴です。探型の布をついで大きな 1 枚の方に仕立てます。引き線にはたくさん取り付けられます。 そして砂の1本1本が重要な働きをしてい ます。では綱の名称と役割を紹介し ましょう。 下げは主にほげの縦揺れを抑える働きをし ます。 風で頬が下がらない時にも使用します。 これで平均を溜まってます。 風の強い日はこれをびっちりもう絶対に ほげが 緩んだり何かしないように今こう波波波が 来たらこれが緩んだでしょ。その帽子です わ。 で大風の次はもうふこれでいくら引っ張っ てもほがんないですから これで下げるんです。 これがだから下げず下げての下げるための 方を下げるためのロープだと思うんですよ ね。 は頬を上げたり下げたりする時に使用し ます。 を 用い少ない力で上げられる工夫がされています。 は縄。 は縄は柱を立てる時に柱を引き起こす役割と柱を支える働きがあります。 ほげ縄はげとを繋いでいるです。が丸く膨らむように中央を長くし両端付近を短くしています。 いっぺ 助き。4 箇所それぞれで綱の形状と使い方が異なります。霞ヶ浦市では上げる時げた両端まで頬を広げる綱を言います。 土裏市では広げるに名前はなく下げ縄を助きと呼んでいます。 滑形市麻生では頬を広げる綱をクロスさせてを引いています。 あ、好き。これ 滑形市玉作りでは頬を広げる綱とは別に助きと呼んでいるロープがあります。 小田中間さ、中間に行くかどうか小田が前後に揺れないように張っとくわけだよね。草縄物草縄は船の進路を変えるです。 今回草縄の働きを調べるため風実験が行われました。 その結果横力が働くことが分かりました。 物草を引いた時は、あの、基本的にプラスの値がほとんどくんで、プラスもちょっと大きめの値が出てますので、右方向にかなり動かそうという力が出ていることが分かります。 なのでこの物草を引くことによってこのホはこっち向きに行くあの右側にですね働くことに右にこう船が動いていくということが実験的にも確認できたということになります。 ほ足の針金とを繋いでいるツです。 このを詰めたりほいたりして歩に当たる風 の力を調整します。 昔は頻繁に行われていました。 ほ足の針金。太い針金性で炎の下側を固定 する役割をしています。 はい。来た。 頬を広げたり縮めたりしやすいようがつい ています。 出し詰め 船の向きを変えるです。 土裏市と滑形市ではいと言います。障害物 を避ける時などに使用します。 保き線以前は出し縄爪を限界まで引いて船 をできるだけ長い時間を流す切り上げと いう技術がありました。 この映像からも風に対しかなり切り上がっ ていく様子がわかりますね。 中釣り。中釣りには網を浮かせる役目が あります。 さらに ほげの結びを三角にしてその中に柱を入れ、柱の揺れを押さえると共にが後ろに押されるのを防ぐ役目をします。 ほ、そのものはこっち行った時にこれがあると後ろまで行っちゃいないとここでこう柱で止まりますから。 釣り名は網を引く働きと風に押されても頬 が風し側に傾かない働きをするつです。 出汁は網を引く働きをするつです。 寄せは網を回収する時に使用するツです。 両についてる引っ張る紐を寄せなっんです けどこれを引っ張るとこう網が閉じてくる んですよね。網引っ張った4本のロープは みんながまとまってくるわけ。そこへ 網、ほびき線の網は大きく袖と指度に 分かれています。 先体に比べ網が大きいのが特徴です。 今回の長力測定でもほび線の歩が出す力の 90%が網を引く力に使われていることが わかりました。 霞ヶ浦では網を作る職人を網大と言います 。 こうしてこういう風なこんな具合にして 取れますか ロープの方が緩めます。 網大工の技術は船大工の技術と共に引き量 を支えてきました。 この下の赤い網のはトロールアでもなんで もそうだけどこういう風に下からウさ真 まっすぐに立ってくるんですよ。この文字 っちゅうのはこういう風に極端の話こう いう風に来るんですよ。 根で寝で来るんですよ。これで白つのは 雨の中入ったら浮い下がってくんですよ。 ピラピラピラピラって。それでウさがって きてこの網さぶつかってこれでくびれ ちゃって長さ入ってんです。網を作って魚 を減人がおかげで入ったって言われた時が 一番嬉しいね。 面の時代網は水につけるとすぐ腐食する ため定期的に隠しを塗る必要がありました 。 では土浦市の観光引き線を例にその創業 技術を見ていきましょう。 時間を見計船を出します。 危なかないように乗ることだけだ。 これが第1番。 港を出る時、竿で船をコントロールしながら慎重に出航します。 出しがついでいくから前あのう場で風を切ってかねえとくがっちゃう。南頭の風にぐらい。 なんとかい 風を見極めながら流すのに適切な場所を想定し流し始める地点に向かいます。風は季節や条件によって吹く方向が変わるため霞ヶ浦自の呼び名がついているのです。流す地点に到着するとまず網を下ろします。 絡まねよね。奮動を入れていくね。 次に出し縄中釣り釣り縄を下ろしていきます。 大体50出てみます。 土裏市と滑市では出し縄を下ず釣り、釣り縄を上釣りと言います。 ロープが貼り始めるのを待って方を上げます。じゃ、あげるよ。 あげます。 あげますよ。ある。 オ話離しますよ。オッケー。 これは今何やってるってことですか? 今出すといっぱい投げるよね。 あんまりロープ登んないようにすべきから。 頬を上げたら船を一定の時間流し観光引き線としての役割を果たします。 流している間必要があれば通いで船の向きを変えたり物草縄で進路を変えたりします。ここで滑型市麻の通いの実例を見てみましょう。 ほら、ブラホだぞ。まさるブラホ。 そっち船麦かんな。 はい。 じゃ、こっちから風来てっから。 うん。 いや、麻の置き合いは周りの地形の影響で風がぶつかり合うことがあります。 その場合は通いを引いて船をコントロールします。また障害物がある場合は通いを引いて避けながら流さなければなりません。 あの竹の食いをかわすためにあれでかわさないとあの竹にまっきり竹に衝突した 一定時間流すとほぼを下ろします。 風からあーけるほど大変んだ。 だからこれほ寄せてきて型して風っちゃうわけだからそんなに下ろせねえからありがはいはいねを下ろすと出 中釣り、釣り縄を回収します。よいしょ。重いっすよ、これ。これ。これ 面白ですね。 重。持ってみますか。 最後に網を引き上げ量が終了です。 はい 網を回収するとにつきます。 港に入る時は速度を落とし、慎重に入り ます。 観光引き戦のシーズンが終わると関係者で 装備品の取り外しを行います。 ああ、重い。大さん頑張って。い いよ。出した。た方がいいな。 ああ、受けた。持って 押し付けでね。だめだ。誰がここにいる? また来シーズンに備え網の修理なども行ます。 うん。動が絡まってやけちゃったん。ここでも言うよ。怪我したっていう。うん。同じだ。ギリギリやな。オケ。 3つとし身のきもよつ。 嵐でもあの子のたなら糸の浜大量だわにこりゃこりゃ 手こ木時代は船も小さく夜間創業も行っていたたため水難事故も少なからずありました。 先輩だけと今なくなったなった人は 2人も3 人もいけどその人らによく言われた。 いつも法あげたらばもう波と風の方向こう見てろ。それによっては判断してこれほ船の麦を変えねえと船がひっくらげっちゃった。 土浦市塾の海造寺ではつい最近まで 観光引き線の関係者によって川書きが行わ れてきました。 川瀬垣は霞ヶ浦で亡くなった水車を苦用 するための行事です。 波打ち寄せる霞がりなる。 滑形市荒宿漁行では観光引き戦の初出行に関係者によって安全機願が行われています。ずれも引き戦の創業が命がけであった頃の教訓を今に伝えている事と言えるでしょう。 結構風出てるから気をつけください。 持ってやんないと思うからゆっくり出してなるべく いつも通りお願いします。 保き網の技術は一応一隻で生み出されたわけではありません。先輩から後輩へ、親から声して孫と受け継がれてきたのです。 そしてその技術は今の観光線にも脈と行き 続けています。 はおじいちゃんがやってて、それに俺も 引っ張られるようにして参加したんです けど、最初はまあほぼいやいやみたいな 感じだったんですけど、やっていくうちに やっぱびき戦の楽しさってのが分かってき て、これを残していかないとなっていう 気持ちになって今に至るみたいな感じなん ですけど、地元の風の吹き方ってのがあっ て、ここを乗ってるといきなりこう横から 風が来てその方を裏返っちゃう可能性が あるから気をつけろみたいなことをやっぱ 昔ながら知ってるんですよ。そういうのは 教わりました。きっかけはやっぱり年齢が 高齢化してきて後継者がいないっていう ところで川さんとかから達乗ってみねえ かかっていう話を受けてそれから弟と一緒 に乗るようになったのがきっかけですね。 最初こう出す時に詰めてやったと思うん ですけどあの爪をしっかりしとかないと次 上げる時に風が強い時にそのまんま上げ ちゃうといきなりほが出ちゃう。それで、 あの、ま、危険なことがあるから、その方 の爪とかはしっかりしとけよっていうのは もう口っぱく ずっと言ってました。いろんなところで ホ撃戦やってますけど、もう後継者が どんどん減っているとか若い人がいないっ ていう風にやってきた時に、もしそこで 捉えてしまったらもう一度あの始める るってことはとても難しいことだと思うの で、どんどん若い人たちで固形できて いければなと思っています。 じゃ、持ち上げて。 はい。 観光引き戦に取り組んでいる若い人々が先人たちの技を継承し、さらに生きた民族技術として次の世代に伝えていって欲しいものです。
「霞ケ浦の帆引網漁の技術」の魅力を徹底解剖します。霞ケ浦独自の伝統漁法を受け継ぐ人々と、船や網などの製作に携わる人々の声も交えながら、国の選択文化財になった「民俗技術」の特徴を分かりやすく解説しています。科学的な検証により明らかになった帆引網漁のメカニズムもご紹介する貴重な映像記録です。
■作品名
国選択 記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財 「霞ケ浦の帆引網漁の技術」
普及編33分 (2025.3)
■参考文献
「霞ケ浦の帆引網漁の技術」総合調査委員会2024『国選択 記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財「霞ケ浦の帆引網漁の技術」総合調査報告書』
■協力
土浦帆曳船保存会
霞ヶ浦帆引き船・帆引き網漁法保存会
行方市帆引き船保存会
■企画
「霞ケ浦の帆引網漁の技術」映像製作委員会(土浦市・かすみがうら市・行方市)
製作/著作 (有)茨城ビデオパック
シナリオ/撮影/演出 岩崎真也
文化庁 令和6年度「霞ケ浦の帆引網漁の技術」伝承・活用等事業
■関連情報
ホームページ https://ivp-hobiki.com/ 『帆引き船デジタル博物館』(子供向け)
企画
かすみがうら市・霞ヶ浦帆引き船・帆引き網漁法保存会・(有)茨城ビデオパック
製作/著作 (有)茨城ビデオパック
■概要編
■英語
https://youtu.be/mIZrHNaYwr0
<ハッシュタグ>
日本語版
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