【廃道調査】オロフレ峠の廃道を調べたら昔の地形図にトンネルの記号を発見!なにこれ知らなかった… 壮瞥町 登別市
[音楽] [音楽] [音楽] 皆さん、こんにちは。今回は相別症と上り 別市の教会にあるオロフレ峠に向かいます 。 ボロフレ下を通るこの道は東や町の温泉街 を起点に相別町を経由して登り別市に至る 堂々2号東や湖登り別線で 沿線には多くの温泉施設の他に昭和新山や 地獄といった有名観光地が点在しています がこのオロフレ峠にある展望台も観光名所 の1つとして知られています。 オロフレ峠に至る道を地形図で見てみると 、オロフレトンネルを通過する道と2手に 分れていることが伺いますが、トンネルが 完成する1988年以前はオロフレ峠の先 にも道が続いており、こちらが正規の ルートとして使われていた道だったんです 。 現在その球道区間は展望台に至る道として 相別側だけを残し青線で示した登り別側は 廃道となっていますがその道は今どうなっ ているのか調べるためまずはオロフレ峠の 展望台に向かいます。 [音楽] では堂道2号を東ヤ湖側から登り別方面に 向かって進んでいきます。 オロフレ峠まで4.6kmと書かれた案内 板が出てきました。 さらに進んでいくと右に2.7kmで オロフレ展望台と表示されています。 この先で右に曲がり球道区間へと入って いきます。 なお展望台に通じるこの道は当期通行規制 があり、毎年11月から6月までは通行 止めとなります。 地刑図でオロフレ峠と書かれた地点に到着 しました。ここがオロフレ展望台になり ます。 球道が現役だった頃はこのまま道なりに 進むことができましたが、現在はガード レールで封鎖されており、地刑図でも道は 消滅しています。昔の道はどうなっている のか楽しみですね。 [音楽] 先ほど見た白いガードレルの先には球の 痕跡がしっかりと残っていますが、崩壊し た傭壁やガードレルが崩れ落ちていますね 。 この付近の地質は非常にろいため、今も 少しずつ斜面の崩壊が進んでるようです。 球道はさらに奥へと続いてるので、後ほど ドローンでゆっくり探索していきます。 そしてこの発感の景色。いやあ、 素晴らしいですね。 空気が済んだ日はくったらこや太平洋まで 一望できます。 ここが展望台のビューポイントで、後ろに は駐車場とトイレだけがポツンとあります 。 この絵が書きは1970年代に発行された もので、昔はこの展望台も賑やかだったん ですね。 中央に見える建物は1967年に総別と 登り別市が共同で立てたレストハウスで1 階部分に食堂や土産物や屋上は望遠鏡を 備えた展望台として営業していましたが 2003年までに全ての営業が終了となり 建物も老朽化のため2005年に解体され ています。 江きには旧塗装が施された同南バスも映っ ていますね。 同南バスといえば緑色のイメージですが、 現行カラーに変更されたのは貸切りと高速 が1984年で一般乗り合者は1996年 となっています。 ビューポイントにはパラソルを備えた ベンチもあり、奥に見える屋台では トウモロコシが売られていたそうです。 こちらの絵が書きはさらに古いもので 1960年代前半の様子だと思われますが レストハウスはまだ建設されておらず トウモロコシと書かれた屋台が見えますね 。 [音楽] さて、このオロフレ峠を通る道はいつ頃 できたのでしょうか?昔の地形図を見 ながら振り返ってみます。分かりやすく するため、展望台の位置に緑色の目印を 固定します。 年、この時はまだ道がありませんが、展望 台の下に広がる斜面崩壊はこの時すでに 起き通り、地形図にもその痕跡が記載され ています。 5年、地元から強く望まれていたこの道路 は一応の開通を果たしますが、翌年の大雨 で甚大な被害を受けてしまい、通行不能と なります。復旧工事の予算は確定したもの の戦争による影響で工事は行われず、以降 15年間は普通のまま放置されることと なってしまいました。 抽選後しばらくして復旧工事が始まり、再 開通したのは1951年のことでした。 1954年には主要堂々に昇格を果たし、 本格的な自動車道としの整備が進められ、 1963年には定期バスの運行も再開し ます。 しかし依前として道路幅は狭くカーブの 多い峠道は危険も多かったことから当期間 は通行止めにするなど限定的な共容に とまっていました。そのため通年共容を 目指し1977年から本格的な道路改良に 着手。道路の克服や複動の設置によって 安全性を高める。か展望台がある峠の ピークをトンネルで倍発する先形改良も 測り、現在のルートが1988年に完成。 球道は観光資源である展望台までの通路と して相別長側だけを残し、登り別側は配道 となり今日に至ります。 [音楽] このガードレールで隔立隔立てられた先が 登り別側の配道部分です。 展望台の下に広がる崩れはかなりの旧斜面 となっており、これは活落したらやばい ですね。 1970年代の絵書きを見るとこの急斜面 の真下に球道が通っていたんですね。 こちらのエハきは展望台の先に伸びる配道 区間が現役だった頃の様子です。 [音楽] この先はドローンを使って球道を辿どって いきます。 山川の洋壁と路板はしっかりと残ってい ますが、谷側は徐々に崩壊してるようで、 溶 の残骸が流れ落ちていますね。 [音楽] この辺りから一気にヤが濃くなっています が、道筋はしっかりと残っています。 [音楽] 道路はここからゆっくりと右にカーブして いき、その後左カーブへと続いていきます 。 [音楽] この先は直線になっていますが、元々は くねくねしたカーブが連続しており、そこ を切り通しにして先形改が行われました。 昔の部屋を見てみると改良以前に使われて いた道も確認できます。 さて、その先には大きな切り通しがあり ますが、1954年の地図図を確認して みると、その場所にトンネルがあることを 示す記号がありますが、残念ながらこの トンネルの詳細については一切情報を得る ことができませんでした。 年以降の地刑図にはトンネルの記号がない ことと1964年時点では画像でも 切り通しになっていることが判明してるの でその間にされたものと思われますがもし このトンネルについて何か知ってる方が いらっしゃいましたら是非情報をお寄せ ください。 [音楽] 地形図ではこのカーブの辺りにトンネルの 記号があるんですが、全く資料を見つける ことはできませんでした。 いや、この謎のトンネルとても気になり ます。 [音楽] それにしてもすごい場所に道路を建設した もんだなと関心してしまいますね。 上空から見るとまるでサーキットのような レイアウトですね。いや、すごいです、 これは。 [音楽] [音楽] 廃道になってからすでに37年が経過して いますが、南弱な地質に道路を建設したに も関わらず、今もこれだけ原型を保って いるのは土木技術の高さを証明していると も言えますね。 [音楽] 落石防護ネットは今も落石を受け止めてい ます。 [音楽] この辺りを移した江書きを見ると当初は橋 のような構造になっており、非常に険しい 地形に道を通したことがわかります。 これは非常に困難な工事だったでしょうね 。 その後コンクリート傭壁で補強されたよう ですが、これほどの道はなかなか見たこと がありません。 ここが江書きに移る橋のような箇所になり ますが、がっちりと補強されていますね。 今も全く損傷はなさそうです。 [音楽] 球道はこのまま標を下げていき、展望台の 下にある崩れの真下へと向かいます。 [音楽] [音楽] [音楽] 道路の上にはサボが見えますが、すでに 触れ出していて、道路にも同車が流れ込ん でいますね。 [音楽] 昔の絵が書きや写真資料にも映るこの場所 は雨が降ると大量の泥密光が流れ込む地形 だったがゆえに道路の維持管理には大変 苦労したそうです。 [音楽] 展望台から道路までの標高差は約100m 。Vになった地形は甘水を一点に集中させ てしまうため、非常に危険な場所である ことは間違いなさそうです。 [音楽] [音楽] ここを通過すると間もなく球道区間は 終わり。新たに建設されたオロフレ トンネルの登り別側工と至ります。 [音楽] ここで球道は言動に合流します。 正面に見えるのがオロフレトンネルの高口 でそのままオロフレ第八副道へと接続され ています。 [音楽] この辺りを撮影したエ書がきもありました 。 [音楽] ここからは言動ですが、絵がきに移る トンネルがこの先にあるので、今どうなっ ているのか見に行ってみます。 [音楽] 福道の先に見える岩が絵がきに移る トンネルがある場所です。 このトンネルは1928年に建設された オロフレトンネルで、当初はスボり トンネルでしたが、1950年代後半に トンネルの改良工事が行われ、この形に なりました。 この絵が書きは1970年代前半に発行さ れたものですが、当時はまだ道路もされて おらず、道幅もかなり狭いですね。 その後1978年に再び回収工事が行われ 、現在のトンネルになったわけですが、 すでに建設が決まっていた新トンネルに オロフレトンネルという名称を使うことが 決まったため、このトンネルをオロフレ トンネルへと改めています。 [音楽] このエきは1960年代に発行されたもの ですが、トンネルの狭さがよく分かる写真 ですね。 オロフレの語言はアイヌ5のオロフレペス で水中が赤い川という意味があり付近一体 は古くから異や金銀の産地として知られて いたことからそれが地名の由来になったと されています。 トロフレ峠もそれらの鉱山と深い繋がりが ありましたが時代は進み鉱山が閉山して 以降今では観光に欠かせない重要な道路と してその役目を果たしており 今後も多くの人々が様々な思いを抱いて この峠を生きすることでしょう。 ではまた次回の動画でお会いしましょう。 さようなら。
道道2号洞爺湖登別線にあるオロフレ峠。絶景が拝める展望台として有名な場所ですが、廃道区間があるので撮影に向かう。無事撮影を終えるも、後の調査で今は無きトンネルの存在を昔の地形図で発見。こんなところにトンネルがあったなんて知らなかった・・・
結論から言うと、このトンネルの情報は地形図の記号のみで、一切資料を発見する事ができませんでした。誰か知ってる方いましたら、是非情報提供をお願いします!該当箇所は動画を見て頂けるとわかります。
▼おすすめサイト
北海道トンネルwiki
https://tnwiki.jp/%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8
#オロフレ峠#道道2号#廃道#旧道#登別市
■■撮影機材(Shooting tool)■■
Nikon Z6 ミラーレスカメラ
DJI Mavic2 Pro ドローン
GoPro HERO8 Black アクションカメラ
動画編集ソフト
DaVinciResolve Studio.20
——————————————————————
【SNS】44ヤマグチ
twitter
Tweets by 44Yamaguchi
Instagram
https://www.instagram.com/44yamaguchi/
24 Comments
この様な動画をご自身で撮影、編集されている事に只々感服です。
今後のご活躍にも期待しています。
文明崩壊後の地球という感じ
この夏バイクで通りました。
現在は寂しいと言うのが地元正直な感想でした。
過去に賑わった時を知ってしまうと寂しさがましますね。
オロフレ峠にドライブするたびに、その先の廃道が気になっていました。丁寧な 編集、入念な 下調べ、お腹いっぱいになりました。
懐かしい~高校生の頃、よくオロフレ峠旧道チャリで登ってました。岩山を切り開いた所から先がキツかったな~😂
地図の変遷、絵葉書の移り変りを提示した解説、ドローンを使った映像でとても分かりやすく面白いです👍 ゾヌさんを唸らせるとは凄い。
11:56 の1954年国土地理院の地形図にオロレフ山ヒュッテとありますが、レストランの事でしょうか?
昔切り替わるギリギリに旧道通りました、まだまだ若かりし頃ww
懐かしいですね😆
懐かしい 売店ありましたよ
ヤマグチさんこんばんは🌛
まるで海外のようなダイナミックな道ですねぇ。
オフロードバイクで走ってみたくなりますよね👀
初見で失礼します
とても懐かしく拝見させて頂きました
昭和57年道内某バス会社にバスガイドとして入社しました
廃道となったあの道を修学旅行生やまだあの当時道内で風習があった観風会等でお客様を乗せて狭く舗装もされていなかった思いますが幾度となく通った経験があります
まだ若かったから怖いもの知らずで
研修期間にいざバスに乗っては見たものの座って景色を見るのと立って案内をする事の難しさに変な汗を流した事を思い出しました
ガタガタとバスは揺れ埃が舞うなか自分自身も足が震えまさに生きた心地がしないままオロフレ峠に向かっていたのが
思い出されます
本当に怖かったです
今ではすっかり走りやすくなって
時代の流れを感じます
因みに美笛峠も旧道(廃道?)をバスガイドで経験しました
こちらも今では考えられない程の悪路でした
もし叶うなら美笛峠の昔と今の動画がありましたら是非拝見したいと思います
長々と失礼致しましたm(__)m
動画内でも話がありました通り本当に車幅がせまくて対向車とのすれ違いが
本当に怖った思い出があります
実際に崖の下には滑落した車が何台も放置されていたように思います。
レストハウスで売っていたバターを塗った串イモが忘れられません。
人の営みは脆く儚いものですね。
足が遠のくと、あっという間に飲まれて消えて行く…
動画はそんな現実を美しい映像美と、静かに含蓄のあるBGMに乗せられていてとても素敵でした。
製作と提供をありがとう。
19606年ころ、自分が小学生だった頃に旅行で通りましたが簡易舗装と砂利の混合した細い道で、バスとのすれ違いが大変だった記憶です!
詳しい正確な調査ありがとうございます。この峠はとても恐ろしい峠で有名でした。運転を誤って何台か谷底へ落ちる事故があった筈です。さらにテレビドラマロケで乗用車を峠から突き落とす撮影がありました。その車は確か回収しなかったような。春が遅く夏が短い秋が早く冬が長い。道南の立山のような峠
凄いなぁ…当時よくこんな山の中に道路作りましたね💦
何十年掛けて完成したのかな、地盤や地質で工事の仕方変わるだろうし計り知れない苦難が有っただろうなぁ
いつも拝見してますがよく古い絵はがきや廃道などみつけるなと感心してます。
ヒグマも怖いと思いますがこれからも楽しみにしております。
やっぱり北海道は火山島だな、と実感できますね
高校生の時自転車で日本一周の途中で洞爺湖側からオロフレ峠を上りました、今から46年前の事です
峠の店でファンタレモンを2本一気飲みしたのを覚えています。もう二度と行く事は無いだろうと
思っていましたが、また見れて感慨深いです。動画投稿有難うございます!!
北海道で観光の仕事を生業にしてる者ですがオロフレ峠は昔から特別感の有る峠&廃道ですね昔の資料を見るとその時代にタイムスリップしたく思います。
いや~、圧巻すぎる素晴らしい映像ありがとうございます。白い木肌を見せる白樺かな、これがまたいい味出してますねえ。旧道が現役の頃に行ってみたかった衝動にかられました。V字の崩れを見ていると、あたり一帯はボソボソの非常に崩れやすい地質なんでしょうね。
ラジオを聞いてると、オロフレ峠はいつも冬季通行止めのイメージでした。旧道はかなりすごい道だったんですね。
昔、峠に小熊が鎖に繋がれていた記憶があります😢
約55年前だった気がしますね😅
1978年〜85年頃、父の運転でオロフレの旧道を通って親戚の家までよく行ってました。当時はガードレールも殆ど無いに等しい高さで一つ間違えたら崖下に真っ逆さま。子供ながら恐怖心でドキドキでしたね…今考えるとあの道を車で走った父親を尊敬するwww.😂 因みに砂利道だったと思います💦