古事記の国生み神話の舞台、神々の島「壱岐」の二つの一宮:長崎県・天手長男神社、興神社(Ame-no-Tanagao Shrine、Kō Shrine)

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▼チャプターリスト(目次)
0:00 オープニング
0:19 壱岐名所空撮
0:53 天手長男神社境内
2:10 天手長男神社社殿
3:01 天手長男神社末社
3:56 天手長比賣神社跡地
5:21 興神社境内
6:26 興神社社殿
7:16 興神社末社 印鑰神社
7:31 興神社末社 総社神社

どうも、管理人のヒロリンです。

今回は長崎県壱岐島に鎮座する二つの一宮神社。天手長男神社(あめのたながおじんじゃ)と興神社(こうじんじゃ)を紹介したいと思います。

長崎県壱岐島は人口約3万人、南北17キロ、東西14キロの小さな島。今では長崎県の一部に過ぎませんが、近代までは「壱岐国」という一つの行政区分として独立していました。壱岐は朝鮮半島と九州とを結ぶ通過点として古来から重視されており、日本神話を記した「古事記」では、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)の国産みによって誕生した神聖な島と記されています。

また、「古事記」では壱岐を「天比登都柱」(あめひとつばしら)と称しており、「天と地を繋ぐ島」としても重要な島とされてきました。

それを証明するかのように壱岐は小さい島ながらも1000以上もの神社が鎮座しており、平安時代に編纂された延喜式神名帳では名神大社が6社、大社が1社、小社が17社の計24社も列格されました。九州全体でも98社しかない中で、小さな壱岐島にその1/4もの神社が列格していたのは、壱岐が朝鮮半島との国境に近く、敵の侵略も多いので、国防をしっかりとする必要があったからです。

そんな神聖な壱岐島の一宮として鎮座しているのが天手長男神社、興神社の二つの神社。

天手長男神社(動画内では0:53)はかつて壱岐国の王都とされ、現在では原の辻遺跡と呼ばれる遺跡から東へ3キロほどのところにひっそりと佇む神社。鎮座地は畑の中にある独立峰の鉢型山の頂上です。

鉢形の由来は、神功皇后が朝鮮出兵の折、兜を鉢(境内地)に治めて、戦勝を祈願したことからこの名がつきました。昭和40年(1965)、天手長男神社は、たくさんの神社を合祀しています。天手長男神社に対して川を挟んで反対側にある天手長比賣神社(動画内では3:56)、周辺にある淡島神社、若宮神社、宝満神社、物部布都神社などです。これらの神社の神様が天手長男神社にやってきたため、天手長男神社はたくさんの神様を祀る神社として発展していくことになりました。

天手長男神社はかつて一宮として権威を誇りましたが、いつの頃からか廃れてしまい、江戸時代になると所在が分からなくなってしまいます。17世紀中頃、全国の一宮を約20年かけて行脚した橘三喜は、天手長男神社への参拝を目指しますが、天手長男神社は、跡かたもなく、老婆から話しを聞いて、この場所にあった竹薮の中に分け入り、神社の跡形を探しました。しかし結局、神社の跡形は、見つけることができませんでした。このとき、地元の人たちを集めて、竹薮の中を掘らせていたら、神鏡1面、滑石でつくられている石造弥勒如来坐像を2体、その他たくさんの土器を見つけ、古代の祭祀の跡がはっきりとみられたことからこの場所こそ天手長男神社の鎮座地と特定し、それを平戸藩主に報告。平戸藩は現在の鎮座地に社殿を再建することになります。

しかし、時代が経つにつれて現在の鎮座地は天手長男神社の鎮座地ではなかったのではないか?という異論が出るようになります。

そこで浮上したのがもう一つの一宮神社である興神社(5:21)です。興神社の「興」は国府という意味で、近くに壱岐国府があった場所と考えられています。また、興神社の境内には印鑰神社(7:16)という末社が鎮座していました。

印鑰神社は、平安時代に、朝廷から渡された公印と倉庫の鍵を管理していた神社。印は壱岐国の官印、国印のこと。また、鑰は郡官庁の倉庫の鍵のことです。その国の印鑑と鍵は国司が国をおさめるのに最も重要なものであり、印鑰神社が興神社にあることは、この近くに律令時代の官庁の建物か付属設備があったことになり、興神社の鎮座地が「天手長男神社」の本当の鎮座地であり、かつ壱岐国の一宮であるといわれる理由がここにあります。

また、興神社の近くには壱岐国の総社神社(7:31)が興神社の末社として鎮座しています。総社神社には壱岐国に鎮座するすべての神社の神様が集まっており、総社神社に参拝すれば壱岐国に存在するすべての神様に対して参拝するのと同じ御神徳を得られるという場所です。

総社神社への道のりは想像以上に険しいもので、道とも思えない獣道を進むことになります。その獣道を抜けても木々に囲まれた小さな石の祠があるだけ。これほどアクセスが悪いのにも関わらず、境内は適度に整理されていて、参拝客が訪れていることが分かります。

総社神社の神域に足を踏み入れた際の聖域感の素晴らしさは、今も薄れることなく存在しており、思わず身が引き締まる思いがするものです。総社神社を見ると聖域に社殿は必ずしも必要ではないということに気づかされます。神を豪奢に祭り上げずとも、十分に微笑んで、そこに佇んでいらっしゃる。壱岐での旅で新たな神社観に巡り合えたような気がします。

3 Comments

  1. 私も、総社神社の佇まいに感動しました。
    導入とラストの、畑、山々の緑、海、空、雲をゆっくり見せていただいたことも、なんと表現してよいかわからないけど、感動しました。

    神社に還り
    神社から現実世界に帰る時、
    私達は神といっしょなのかな〜と、、、。

  2. こんばんは🤗🤗壱岐島には千社を超える神社があるのですか?壱岐島は人口が減少していると聞いていますが よく手入れされていますね👍👍
    ヒロリンさんのホームタウンはどちらですか?
    よく壱岐島まで 行っちゃいますね👍👍👍🙋🩵

  3. 壱岐の神社は元寇で荒され、江戸時代に橘三喜に比定されてますがなんか怪しいみたいに言われてますね。今となってはどうしようもないですが…天手長男神社の御朱印の直書きの復活を望むばかりです。こちらにはコロナ禍真っ只中に伺ったので懐かしく拝見しました。動画の編集お疲れ様でした。離島は交通手段が限られているので大変ですがこちらは家の近くからフェリーが出てるのでアクセス自体は悪くないんですけど…

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