【ぶらり別府419】東別府から西大分まで旧道を歩く BEPPU

[音楽] [拍手] [音楽] さあ、今日も元気に別府にやってまいり ました。え、ここは両軍橋でございます。 両軍橋です。 で、ここに歩道橋があるんですけど、えー 、この橋が両軍橋っていう橋というわけで はないと思うんですよね。両軍橋歩道橋 って書いてあるんで、両軍橋っていうのは あくまでも地名だと思うんですよね。で、 ここが、え、別、別府市、大分市の、え、 境ということになってます。 で、この交通量の多いこの道なんですけど 、え、これが国道10号、え、通称別大 国道って言われてる道なんですけど、え、 実はこの道はね、あの、埋め立てされて できた道なんですよね。で、元々はこっち 、これ、ま、日本線走ってますけども、 多分さらに向こう側 ずっと行って、あそこ高崎山の、え、 突き出たところのあの際キは、この辺が 海岸線だったみたいなんですよ。だから この辺って全部埋めたで、え、拡張、拡張 して現在のような片側3車線の、ま、 大きな感染道路になったっていうことなん ですよね。で、昔はね、これ、え、日本 本線が走る前ですね、え、この際に、え、 別大電車っていう電車、路面電車ですね。 これが別府と大分の間を結んで走ってたと いうことになります。で、別代電車が開通 したのが1900年、明治33年の話と いうことなんで、ま、その時にはね、もう 電車も走って、ま、おそらく道もできてて 、で、人の往来、大分別府間の人の往来 っていうなのはリクロで簡単にできたと 思うんですけども、じゃあそれ以前ですね 、え、江戸時代より以前まだ別大電車が 走ってない、この辺の道路の拡張とかも 埋め立てもできてないっていう時は、え、 どうやっこの大分別府を人は移動してた かって言うと、このね、キワキワのところ になんか道のはあったらしいんですよ。な んですけど、それはちゃんと整備された ような道ではなくて、ま、おそらく登山道 とか、ま、場合によっては獣道みたいな、 ま、そういう非常に険しい道だったと。人 がすれ違うのも難議したみたいなそんな道 しかなかったんですね。で、これ、ま、 海沿いですから、やっぱり釣候 によっては、ま、非常に危険だったって いうことで、え、当時の人はどうやって 移動してたかって、いうと、1つはね、 あの、海で、え、船で移動してたっていう ことなんですよね。で、え、船で移動する 、ま、そういった回路とじゃあリクロは どうしてたかって言うと、実はね、この 高崎山の、え、向こう側ですね。裏手って 言うんですかね。その向こう側に、え、道 がありまして、で、そこを利用してた みたいなんですよね。 ということなんで、今日は今からですね、 そのかつての大分人が歩いたであろう、 この高崎山の裏の道を歩きまして、え、 スタートを東別府駅にして、で、ゴールを 西大分駅、え、ここまでをね、え、ずっと 歩いていきたいと思います。そう言って たら、え、885系の白いソニックが来 ました。 じゃあ、まずは東別府駅の方に移動したい と思います。 [音楽] さあ、ということで日本本線東別府駅に やってまいりましたんで、ここをスタート 地点としまして、え、ゴールは、え、隣 ですね、隣の、え、西尾大田駅ということ にしたいと思います。え、今日今から歩く ルートなんですけども、ま、江戸時代、ま 、以前ぐらいな人たちが使ってた道って いうことなんで、え、ま、もちろんネット 上に情報とかもまあないわけなんですね。 ま、ただ地図からおそらくここじゃないか 、おそらくこの道を昔の人は歩いたんじゃ ないかっていう推測はつくんで、え、そこ を歩いてみようと思います。だから、ま、 正確ではない可能性があるということだけ 。え、留意していただければと思います。 で、距離的にはね、どうなんかな?多分 15kmとかもうちょっとあるんかな? それぐらいの距離にはなると思うのと、 あと当然ね、アップダウンがあるという ことなんで、え、かなりね、うん、過酷な 歩きになるんじゃないかなとは思ってます 。で、天気はね、あの、いいんですよ。で 、10月に入ってで、気候も良くなってき てと思ったんですけど、意外と暑いんです よね、これ。汗くなる可能性ありますね。 よし、じゃあ早速行ってみましょうか。 よいしょ。 えっと、スタートは12時半 でまずどっから行くかなんですけど、ここ がね、えー、ま、以前歩きました。え、 あれ?これ看板変わってるぞ。 これあの別府1周歩道っていうやつの機点 なんですよ、ここが。で、あ、変わってん な、これ。別サイクリングトレーキング ルートっていうことで、この看板自体が 切れなってるわ。 ま、そんなことはどうでもいいんですけど 、えっと、ここからスタートするかどうか なんですが、ちょっと向こう側からね、 行ってみようと思います。 今回ルートをGoogleマapで調べた ぐらいで、あんまりね、下調べしてないん ですよね。だから、ま、途中にその昔を こう思わせるような、ま、何かがあると いいんですけど、もしそれが何もなければ 単なる田舎道を歩いてるだけの動画になる 可能性はあるんですけど、 ま、仮にそうなっても編集でな何とかし たいと思います。 え、そして来たのがこれ山が入り口って いうところなんですけども、えっと、ね、 こっち側に行こうと思うんですよね。え、 なんかお地蔵さんがありますけど、これ上 走ってんのが上本線です。 で、ここがね、地図を見る限り剣道51号 の、え、始まりになってるんですよね。 ですんで多分この道が 昔の道だとは思うんですけどね。 えっと、なんか書いてあるぞ。 天道別府浅線銭峠方面今から歩くこれです ね。次を左折の球道は休憩車に強路です。 振動は道なりに直進。えっと、剣道51号 っていうのはこの新道艇なのができてて、 ま、綺麗な道で行けるんですけど僕はそれ じゃなしに球道行きたいんで、えー、結構 休憩車ってことですね。これは面白そうだ 。次を左折。次を左折。 この辺は住宅街ですけど。次を左折。これ やな。あ、書いてある。書いてある。旧 剣道51号。 これを行ってみよう。 さあ、そしてこっちですね。おお、 めっちゃ急になってきた。これ 自転車では登れないような旧坂ですね。 現チリとかでも結構厳しいかもしれん。えっと、ここになんかおじ蔵さんがあります。 なんか書いてないかな?ちょっと書いてはなさそうですね。うわ、すげえ坂道。すげえ坂道。 これ車でも結構厳しいんじゃない?今ほんの 5 分ほど歩いたぐらいですけど、もうこんだけ高が高くなってきて、え、別ップワンが綺麗に見えてます。サンフラワーも見えてますね。いや、これすごい境いぞ。ちょっと映像で伝わってないかもしれないですけど、かなりきつい坂。 さあ、道が合流しました。あ、さっき下の 看板で書いてあった振動ってのはこれの ことかもしれないですね。これはまあまあ ちょっと傾斜は緩くなった。 ただ利合場所に着き駐車禁止しっていう風 になってるから道幅はやっぱり狭いみたい ですね。 え、分岐が現れたんですけれども、これは 右手のようです。こっちですね。 ここになんか 書いてあるけど、 ちょっとな、何て書いてあるか読めんよな 。 ちょっと読めんだ、これ。 え、場所が山組。 住所的には山が10組というところみたい ですね。 で、今回ね、え、歩く道標差がどれぐらい あるんかっていうのがよく分かってないん ですよね。まあね、高崎山の頂上まで登る ことはないんですけど、ま、それでも そこそこ標上がると思うんですよね。 ま、そんな急ぐわけではないんで、 のんびり休憩しながら行きたいとは思い ますけど、 なんか面白いのがあったらいいんですけど ね。 お、標がどんどん高くなってきて、別府ワ が綺麗に見えてます。 最初の急でこれから先どうなるかと思った けど、今のところ緩やかな登り坂っていう 感じにはなってますね。 多分ね、あの、高崎山のこのア部、あの辺 を超えるんだろうと思うんで、標高はまだ ちょっとやっぱ上がるでしょうね。 出た。 この道登るみたいですね。これ一気に登らなかんぞ。 えっとここに看板があるんですけど、赤松入り口っていう風になってるんですよね。この赤松っていうのは昔の赤松村っていうことと思われます。だからこの辺が赤松村の入り口っていうことなのかもしれないですね。 え、赤松村っていうなのはもう当然今はないんですけど、え、住所的にはここ別府市ってなってるんで、赤松っていう地名は残ってるっていうことですね。ちょっと天気が曇もってきたぞ。やばいかな。図を見るとね、この道って別府挟ませんっていう風になってて、剣道 51号なんですよ。 なんですけど、剣道51号の標識は ちょっと見当たらない。で、剣道51号 って今もうあの新しい道ができててそっち の方を使う人がほとんどなんでこの道を 使う人って多分ねいないと思うんですよね 。 もう球道ということで使う人はいなくなっ たと。ま、そういうことだろうと思われ ます。えっとここにもなんかおじ蔵さんが ある。 これは どういうお地蔵さんかは、え、何も書いて ないな。 [音楽] わ、すごい車が来た。 初めて車とすれ違いました。 えっとこの辺の山肌にもなんかお地蔵さん が ありますね。 こういう風にお地蔵さんが道沿にあ るってことはやっぱ古い道っていうことを 意味してるんだと思います。 えっと時間が12時58分でもう歩き出し て大体30分ぐらいになるんですけど なんかここああま廃墟でしょうね多分ね。 で、ここに なんかあるみたいなんですよね。で、地図 を見るとね、えっと、赤松村暗黒寺後真が 物観音寺って書いてあるんですよね。なん かあるかな? あ、これ 歴史赤松田ぼ案内版。 恵比サマどれやろ? ちょっと見てみようか。え、地蔵羅間軍え 、なんか色々あるな。 色々ありそうやな。 ちょっと日で休憩しよう。いや、疲れた。 これなんかね、予想以上に過酷な歩きって 感じがしてきましたよ。 途中になんか面白い見所がいっぱい出て くるとね、それもしんどいのも紛れるん ですけど、 多分ね、このユニークなアイビス様って 書いてあるのがあそこやと思うんですけど ね。ちょっと登っていかないといけないん で行くんやめましょう。しんどいわ。さあ 、そしたら10分ほど休憩したんで歩き 再開です。 さあ、そして集落が見えてきましたけれど も、え、ここになんかあるな。これ何 でしょうかね? 赤松 道路 開根記念費かな。 なんかそんなんがあります。だ、この道が 赤松村の道路で、これができたのを、え、 記念して作られた日ということかもしれ ないですね。えっと、ここの住所がペップ 市松2組ってなってるんで、この辺が昔の 赤松村っていうことでしょうね。で、この 辺に、ま、民家が結構あるんで、この辺の 人達っていうのは昔からこの赤松村に住ん でた人たちだと思われますね。 お、すごい。おじ蔵さんがいっぱい出てき た。 で、なんか案内部もあるぞ。 こういうのがあると助かるよね。赤松の 岩穴地蔵軍。この道路は昔置いた別府を 結ぶしような道路だった。適物に旅の無事 を願い、え、留守の安全を祈った人も 多かっただろうということで、え、 やっぱりここが昔の球道メイン道路という ことですね。間違いではなかった。 こんな風にいっぱい自蔵さんがあります。 で、これを右へ行くと公民館があるんかな ?ここにもなんか火があるけど。これは何 でしょうか?ああ、 ちょっと読まれへんな。 集落って言っても、ま、そんな大きな集落 じゃないですね。えっと、もう集落を抜け て、そっからまた山道に入るみたいです。 あ、別府すごい綺麗いに見えてます。 [音楽] 標高はやっぱりだいぶ上がってきたね。 さあ、民家を抜けまして 再び山道に入りました。ああ、小加になっ たんでちょっと涼しくなったかな。 あれはシ茸かな?多分なんかシ茸の栽培か なんかされてるんじゃないかと思います。 これはちょっと車が来ると、ま、利合は 難しそうな感じの道ですね。ま、ちょっと 広くなってるとこがあるから、ま、そこ まで移動すれば理合できるような、ま、 そんな感じではありますけど、道幅は狭い 。 なんかこの辺臭いなと思ったらこれ銀やな 。銀なんやわ。 そういう季節。 この辺はずっとこれCだけでしょうね。え 、栽培されてるみたいです。 延遠続く地味な登り坂、それからこの厚さ 。 え、前回の休憩から抜き出して、ま、もう すぐ30分ぐらいなんですけど、もう ちょっと休憩したいんですよ。で、えっと 、道が見えてきた。これあの新しい道なん ですけど、この先に、え、銭ガ峠っていう 峠があるんで、え、そこで休憩しよう。 銭ガメ峠についてはちょっと調べてきたん でね、 そこで大休憩しようと思います。 えっと、時間が13時36分。 え、銭ガ峠に着きました。で、えっと、 こっちからにも書いてありますね。赤松 入り口、赤松村の入り口っていうことです ね。こっちから来ましたと。で、えっと、 書いてありますね。剣道51号、え、別府 挟まということなんで、これが、ま、現在 の剣道51号メインの通りですね。で、 こっちが球道っていうことです。 で、これ挟まってなってるんですけど、 こっち側はね、まだ別府みたいなんですよ 。で、この道路より向こう側が湯市の挟ま ということをみたいですね。多分この辺で 、え、別府カラーuフに入ったということ です。で、えっと、前回買温泉行った時 こっち行きました。で、UFの方行くのに もこっちですね。で、ここが全ガ峠で、 ここにはね、色々書いてあります。えっと まず 銭ガ峠の、えっと、道シ、え、これが、 えっと、これ西って書いてあるから、 こっちが湯道 で、こっちが湯院道ですね。で、こっちが えっとこれ南、南は同道。うん。ちょっと よくわかんないす。こっちが東 で、東は船道って書いてありますね。で、 こっちが北、え、別府道ってなってます。 これが道シルね。4をこう書いてあります 。で、この石が、え、これ銭ガ石、通称カ っていうことで、ここに、え、記載がある んですけど、え、鉄などで叩くとカンカン 響くということですね。え、ちょっと鉄の ものを何も持ってきてないんで、ちょっと 叩けないですけども。これ石で叩いてかな ?あ。でもちょっとなんか響きが違うよう な気がするな。で、ここには、え、銭ガ峠 の、え、案内が書いてあります。で、ここ 書いてあるのはね、別府湯院を置いた挟る 十字郎ってことですね。え、大昔は重要な 道路でしたと。で、別府大分間、これは 高崎山を回って海側とこの峠を通る山川と の2つの道がありました。っていうことで 、え、最初に説明した海側の道は地下道 ですが、海の荒れる日は、え、交通が不 可能だったようで、遠回りですが安全な 山道が本道とされましたと。この本道を今 歩いてるということになります。あとここ 銭ガ峠ってこの銭ガの名前の由来。これは 、え、諸説あるんですが、え、昔泥棒が 盗んだ銭を、え、亀に入れて隠したという 言い伝えがあって、ここを銭ガ峠というと 、そういうことですね。え、ちゃんとね、 この案内があるっていうのはいいですね。 現在はね、ま、こういう立派な道にはなっ てますけど、ま、昔はもっと細い道だった とは思われます。この辺はね、やっぱり ちょっと昔の歴史を感じられるような場所 の1つということが言えます。 [音楽] 車は結構来るんで、ま、やっぱり現在の 主要道路って感じ。おお、細い球道入って た車がある。間違ってないやろな、あれ で。大体は狭の方から別っぷ行く車が 次々と来てますけどね。やっぱ交通料多い すね。 そして別府の方から走ってくる車も結構 ありますけど、この車はどっちへ行くん でしょうかね?やっぱ挟方面行くんかな? 挟ま方面へ行く車が多いですね。 だからもう今別府から大分行くんだったら 別大国道通る方が絶対早いんで、この道を 通って大分の方行くっていう人はまあまあ ほぼほぼいないっていう、ま、そういう ことでしょうね。 えっと、そしたらね、ちょっと向こうに なんか広いところがあるからあそこで休憩 しよう。 えっとね、ここ広いところがあって、ここ に高崎山南登山口っていう風に書いてある んですよ。で、 おそらくね、球道ってこっちやと思うん ですよね。で、この道は多分新しくできた 道だと思われるんですよ。ですので、え、 進むべき道はこっち なんですけど、その前にちょっとここで 休憩しよう。 高崎山登山をされてると思われる方が いらっしゃって車が3台ぐらい止まって ます。 え、休憩しまして、え、時間が今13時 50分、え、再開したいと思います。でね 、さっきも話したようにこっち側の道って 多分新しい道だと思うんですよね。で、昔 の道がこっちと思われるんですよ。で、 向こう側通るとね、かなり大回りになって 、こっち側の方が大分方面行くには近道な んですよね。だからこっちが昔のメインの 道だったんだろうと思われます。え、定か ではないですけどね。で、えっと、ここが 高崎山の南登山口まで1kmということに なってます。よし、じゃあ行きますか。 ま、高崎山なんでね、猿に出会えたらいい なとは思ってますけど、え、どうでしょう かね。 で、地図を見ると大体でね、全体の1/5 ぐらい歩いてきた感じじゃないかなと思う んですよ。だからこのペースで行くとね、 え、西尾まで結構時間かかりそうですね。 ちょっと後半 下り坂になったらペース上げたいなとは 思ってますけど、まだもうちょっと登り坂 かな。多分登山口のところ ぐらいが1番高いんじゃないんかな。 えっとね、今ね、ここが 下り坂になってきたんで、ひょっとしたら 今のすぐそこですね。すぐそこが今回1番 高いところなのかもしれません。 お、向こうの方には、え、U湯の町が見え てますね。 えっと、失礼しました。また登り坂が現れ ました。さっきのところが最高ではなかっ たみたいですね。 こっちで道がなくなったかと思ったけど、 こっち側に道がありました。 ずっと登りやな、やっぱり。 え、もうすぐ高崎山の登山口みたいなん ですけど、こっちにはね、フェンスが 張り巡らされてまして、これ電流流れてる と思うんですよね。だからこの野生の動物 がこっち側の登山道の方に入ってこない ようにこういうフェンスが作られてるん だろうと思います。 ま、九州なんで、ま、熊はいないはずなん ですけどね。で、ちなみにね、僕は、ま、 山登り、ま、そんな頻繁じゃないですけど 、遠征登山とか行ったりとか、ま、結構 山登りはしてるんですけど、ま、山でね、 あ、熊に遭遇したことはないんですよ。 ただ北アルブスとか南アルプスとかに行く 途中、登山バスの中から熊を見たことは2 回ぐらいあるんですね。で、その 登り中に出会った動物といえば、え、鹿、 え、イノシシ、ウさぎ、たぬき ぐらいかな。 猿はね、ま、あの、紙工チとかで おろちょろしてる猿は、ま、当然見たこと はありますけど、 この辺だったら高崎山が近いから猿とかに 遭遇する可能性はあると思うんですけどね 。 え、高崎山の環境保全のためこの先に門ピ を設置してます。門否があると。 えっと これは開けてもいいけど、 開けてもいいけど 閉めなさいということですね。で、ここが 登山口。こっちから登っていくみたいです ね。ま、地図を見る限りね、ま、それほど 山頂までは遠くないみたいです。 え、ま、いいか。去年は で、僕が進むのはこっち。この道をね、 抜けて向こうへ行くんですよ。向こうに もピあるんかな? あ、で、ちゃんと登山口にトイレも設置し てありますね。 バイオトイレやな。 よっしゃ、ここで下りに入ったと思う。 よっしゃ、こっからペース上げていこう。 えっと、時間が10時5分。 いや、うわ、怖。なんや、 [拍手] 銃声ではないよな、あの音は なんか動物追い払ってんのかな?あ、門ピ が現れた。 [拍手] よし。 何でしょうか?えっと、先ね、銭ガ峠通った時にちょっと話するのを忘れてたんですけど、え、事前にちょっと調べてきたことがありましてね。で、それがね、昔ガ石騒動っていう、ま、事件がね、あの辺りで起こったらしいんですよ。 で、何かって言いますと、で、当時の、え 、赤松村、え、別府の赤松村とあと大分 市側ですね、え、当時の船、え、この間で 、え、境界線を巡った争いがあったらしい んですよ。それで、え、結局、え、なんか 暴力事件みたいなのにまで発展して、で、 赤松村が、え、幕府の、ま、江戸の勘情に 、え、訴えたっていう、ま、そういう事件 があったっていうことなんですよね。で、 当時の赤松村っていうなのは天領だったん ですよ。天領というのは要するに幕府直轄 の土地っていうことなんですよね。で、え 、大分船違の方は、え、松田平市が納めて たっていうことなんですけど、だから、ま 、今の飲食店のチェーン店で言えば、え、 赤松村が直営店で船内はフランチャイズ みたいな、ま、そんな感じなんですけれど も、え、勘情に訴えまして、その、ま、 判決が出たんですけれども、結局、え、 訴えだ赤松村の配素と、え、いうことに、 ま、なったんですよね。で、これって 単なる教会争いだったら、ま、今でいう、 ま、民事事件なわけなんですけども、え、 暴力事件にまで発展してるんですよね。え 、赤松村の人たちがその船内側の、えっと 、村の人たちを襲撃したっていう、そう いう、ま、暴力事件にまで発展してたって いうことで、ま、今でいう刑事でもこう罪 を問われまして、結局若松村の人が、え、 島流市の経緯になったりとか、え、そう いうこともあったらしいんですよね。で、 ただ船内側にも、え、処罰が下された みたいで、え、結局、ま、喧嘩売みたいな 、ま、そういう形で決着したと、え、いう 、ま、そういう事件がね、え、昔銭石騒動 やったかな、なんかそういうのが昔あった ということです。一応ね、あの、 ウキペディアとかで、ま、調べましたんで ね、え、一応遅くなりましたが説明を追加 しておきます。 えっとこれね、お寺かな?え、精神寺って 言うんかな?あ、書いてあるわ。これはお 寺かな?精神寺。 身代わり不動産って書いてある。えっと、 なんか出てきたぞ。起点。起点何の起点や ?あ、これか。林道高崎線の起点という ことですね。ここがね、 えっと、さっきの精神寺、それの駐車場が ここにあって、ここにもなんか ありますね。 なんかあるんですけど、よく分かりません 。で、ここに身代わり不動産精神時の由来 行事っていうことが書いてあります。え、 ここに書いてあるのが平成3年の総春来名 響き渡る夜カ祖の夢枕に不動王が立ち、え 、高崎の南性に寺を混流し、世の中の 悩める人、やめる人々机とお告げがあり、 信者一童が一眼となり全ての人力でヤを 切り云々があって、平成4年6月に 身代わり不動精神が混流された。 めちゃめちゃ最近の話ですね、これね。 もっと昔にできた話かと思ったら平成の 時代にできた話ですね、これね。だから なんかこういうのも新しいですよね。 やっぱ平成にできたもんだから。 だからさっきの精神時は、ま、江戸時代に は当然なかったお寺なんで、江戸時代の 人々が別府と大分を、ま、この道を通って 生きしてた時にあのお寺はなかったという ことですね。平成ですから昭和時代にも なかったということですから、ま、 めちゃめちゃ最近にできたものってこと ですね。 うわ、何でしょうか。 なんかすごい お地蔵さんか破壊石かなんか 破壊石 お地蔵さんなんか いっぱい石がある。いや、石屋さんかな? これ 石屋さんかもしれんな。あ、違いました。 今のやつ地見た高崎山園ってなってんな。 園かな。 時間が14時28分なんですが、えっと、 分岐に着きました。で、こっち側、え、 左手に行くと、え、海卵とか、え、棚裏 ビーチとかそっちの方ですね。で、僕は こっち側へ行きます。で、こっち側来た道 を見るとやっぱり高崎山南、登山口って いう風に書いてありますね。 で、僕はこっち側へ行きます。 で、この道がね、ま、ずっと昔の球道 だろうと思うんですよ。で、それなんで かって言ったら、これまっすぐ行くとね、 あの湯原八宮っていうところまで繋がっ てるんですよね。だから多分昔の人はこの 道を生きしてたんだろうと思われます。 多分今で全体の半分ぐらい来てるんじゃ ないかなと思われるんですよね。で、ま、 休憩とか入れましたけどここまでで大体2 時間かかってるんで、ま、あと1時間半 から2時間ぐらいはかかるかな。 ただま下りになったんで歩きやすくはなり ましたね。 あと雨が降らないことを祈るだけです。 えっと、地図を見ますとね、この道路が、 え、大分市と湯福市の境みたいで、 こっち側が大分市、こっち側が湯市みたい ですね。 ただこの先で、え、完全に大分市に入る みたいです。なんか表示があればいいです けどね。 えっと、Googleマapによると もうそろそろこの辺で 完全に大い市に入るんですけど表示はない ですね。 えっと、ね、ちょうどこの辺なんですよ、 Googleマapによると。でもうん。 表示はねえ。表示はねえ。 さあ、そしてここが参拝の最終処分場って いうなのがあるんかな。で、こっち側の道 からも、ま、行けるんです。ちょっと 遠回りみたいなんで、こっち側の方が、ま 、早いみたいですね。早いし、ま、道も 綺麗とそういうことですね。 時間が14時40分。 なんかこの道、え、赤松地区、ま、旧の 赤松村のところから銭峠、その辺まではね 、なんか色々歴史的な説明の案内表示とか もあったりして、え、なかなか昔のおかげ を買えまみることはできたんですけど、 そこからこっち大田側はなんか全然ですね 、全然昔の影はないですね。 え、ただこの先原八宮へ行くとなんかしらの表示がありそうな気はするんですよね。わ、怖い怖い怖い怖い。繋いでないで。あんた繋いでないや。怖いで。こんなとこ歩いてる人普段ないからワンちゃんもびっくりしたのかもしれないですね。 なんか昔を忍ばせるものってなのはね、 この辺全然ないんですけど、それでもね、 なんかこの道の感じ、え、こういうね、 新しい建物とかがこうないで、道路もこれ 舗装されてない、ガードレールもないって いうような昔の風景をちょっとこう 思い浮かべながら歩くとなんか昔の江戸 時代の、ま、大分人、え、そういった人 たちが別府と大分の間を生き生きしてる。 ま、そういう雰囲気をね、ま、こう イメージすることはできると思うんでさ、 そして、え、道路と交差をするんだけど、 え、SR8万がもう近いんですよね。 で、ここからがね、ま、道がその昔の人 たちが歩いた道っていうなのがはっきりは しないんだけど、おそらくその昔の人の ことだからユ原8万 を経由したんじゃないかと思うんですよね 。ですからこの道歩いてユ原八宮で ちょっと、ま、参拝をしてで、ま、旅の 安全とかそういうなのを、ま、お祈り願い をしてで、船内の方へ抜けていったという ことじゃないかなと 思うんだけどな。 で、SR8万がどこから入るんでしょうか 。えっと、駐車場がさっきあったんです けどね。 えっと、ちょっと道を間違えてたみたいで 、え、SR8万はここの参拝車用の駐車場 から入っていくみたいですね。これで参拝 してで、反対側に抜けれると思うんですよ 。えっと、道間違えてたんで、もう ゆラチマング経由せずに、え、進もうかな とも思ったんですけど、そうやるとね、 かなりルートが大回りになりそうな感じ だったんで、え、ちょっと戻って、え、 正しいルートで、え、サイドスタートし ます。 さあ、8番号ついたみたいです。 あ、こっちにも車場があるんですね。 えっと、 どこへ行けばいいんかな?椅チマング。え 、国定重要文化剤。すげえな。えっと、 ユ原8万は、えっと、836年に車電が 増えされたということ。で、あとは、え、 本殿の他9等及び不足2等の計12等が 14分化に指定されてます。え、で、湯原 っていう名前は明治以降の故障ですと。 そういうことですね。え、ざっとそんな 感じ で、現在地ここで本殿がここなんでこっち 行ってもいいんですけどすいません ちょっと時間がないんで、もう南大門から こっちの方へもう抜けたいと思います。 すいません。ちょっと時間があまりない もんですから 大変申し訳ございません。 一応ここで手だけ合わしとこうか。 これで勘弁してください。 お賽も入れてへんけど、 これが南大門かな。 ここを通っていいんでしょうか?多分いい と思いますけど。 ユ原8万5。あ、字が違う。ユ原の字我が 。 おお。階段で標が下がっていく。嬉しい。 あれ、ちょっと思ってたんと違う道に出て もた。 やべえ、 やべえ、やべえ。 この道にもうたんですけど、これね、 さっき僕が間違えた道をまっすぐ来た。 ここやったんですよ。それやったら ユサラチマン経由せんかった。よかった。 えっと、だから別府ゴルフクラブの こっち側の道を通って西尾大分の方に出 たいんですよね。うダうダ言うとる暇が あった。歩こうか。ちょっと遠回りになっ てしまった。 えっと、こんな感じですね。 上8万付近案内図ってなってます。 あ、コミュニティバスで来ることもできる みたい。よっしゃ。 えっと、時間が15時3分。あと1時間 以内で西板着きたいんやけどな。 わ、最悪やわ。こっちやわ、道。 さっきのゴルフクラブへの道は こっちの上りやな。 いや、もうさっきも階段で標下がったりで 喜んでたの。あ、また登り返さなかんや。 えっとね、ゴルフクラブ 経由していこうかと思ったんですけど、 ちょっとこっちの方がしんどそうなんでね 、登りがあるんで。 んで 剣道を通っていこうか。 そっちの方が多分アップダウンはないと 思うんやな。 ただこの道が昔の道かどうかは、ま、 ちょっと定かではないんだけど、 ま、昔の道だった可能性も十分あるんでね 。 ま、ちょっと 今更登りがもうしんどいんでね。 ま、距離的にもこっち側の方がひょっとし た近いかもしれんな。 ユ春8万の中の、え、ルート間違えたと 思うんですよね。 原8万の中のルートを、え、正しく行って て、向こう側の方に出てればそんなに アップダウンなくって、え、時間も早く 行けたと思うんですよ。それを間違えたの が失敗やな。で、えっと、剣道を戻ってき たんでこっち行きます。 こっちやと アップダウンはないと思います。というか 、おそらく緩やかなダウンで西尾大分まで 行くと思うんですよね。さあ、そしてこの 辺り、え、集落が現れましたね。えっと この辺は上、上ハ、上八田 なんかそういう集落だと思われます。 コミュニティバスが走ってるみたいですね 。え、八ハか八田じゃない。八ハやな。 八ハコミュニティバス。えっと、なんや、 1日に4本、5本ぐらい。 あ、電話予約。 えっと、ここにあるのが特別ホーム原の里 、そして特原の里前コミュニティバス 乗り場があります。 え、なんか地図見てると、ま、海側のあの ゴルフ上の横通っていくルートが、ま、昔 の、ま、球道だったんじゃないかなって 思ってたんですけど、これね、ひょっとし たらこの道が昔の球道メインルートだった んじゃないかっていうような気がなんと なくしてきましたね。 ま、特にね、あの、根拠はないんですけど 、 え、西大田の方に、ま、この道って まっすぐ伸びてる感じなんで、ま、その 可能性は高いと思うんですよね。ま、当然 ね、この辺の道はもう当然綺麗に整備され て、ま、ここなんかね、ほどできてます から、ま、昔のおかげってのは、ま、この 辺はないですけどね。 いや、でもなかなか 遠いぞ。全然つかんぞ。 まだだいぶ歩かなかんと思う。 あと40分で 日置いた。ちょっと厳しいやろな。 ちょっとあそこに自動販売機あるんで 当分をなんか取ろう。お茶とコーヒーや から当分取ってないんで。水分は取れても ね、エネルギー不足なんですよね。なんか 甘いのあるやろ。甘いの。甘いの。 バナナオーレ。 よいしょ。 バナナオーレ。 えっと、ちょっと座れそうなところもま、 ないんで、この辺で飲みますか。 めっちゃうまい。これ コミュニティバスの天人前。 さあ、標識が現れました。まっすぐ行くの が今回グルートですね。別府大分15線 方面。え、右へ曲がると挟 方面ということになります。 これもほっすぐ行ったらね、え、西大分の 方なんですけど言ってもまだちょっと歩い たら時間かかるかな。 えっと、時間が今15時半。15時半か。 あと30分ありゃいけるか。 え、コミュニティバスの下。 さあ、ようやく 西尾大分のミスターマックスが見えてき ました。ま、もうちょっとではもう ちょっとですね。 [音楽] さあ、そして見えてきました。でっかい鳥 。この鳥はね、ユ原8万の鳥だと思うん ですよね。で、えっとね、西大分の駅は こっち側なんで川渡らないといけないん ですけど、え、その向こうにね、ちょっと 今まで僕が渡ったことがない橋があるんで 、その橋を渡ってみたいんですよね。 えっと、どういったらえいかな? えっと、この鳥なんか書いてあると思うん やけどな。 お、やっぱ書いてあるね。SR8万号って やっぱり書いてあるんで。SR8万の鳥と いうことです。 で、渡りたい橋はその向この橋なんで、 えっと、横断歩道を渡りまして、 こっちへ行きましょう。 この上走ってのこれ日本本線ですね。 で、その渡ってみた橋がね、この橋なん ですけど、 これ、あ、これは1978年10月にでき たんかな。まあ、 昔からあった橋ではないみたいですね。 三橋 速道橋となってます。 これは昔の橋ではなかったな。ってことは やっぱり後半はあんまり 昔のおかげのあるようなものはなかった ですね。 でね、えっと、ここにもなんかあるんです よね。 これ ま、行ったことはないんだけど、これは まあ昔からあるもんでしょうけど、ま、 ちょっと今日はもう時間がないからこっち へ行こう。で、この道は多分球道だと思う んですよね。道の感じからしてですね。 ただ昔のおかげ球道を忍ばせるようなもの はちょっとなさそうということです。 [音楽] さあ、ということで 西を着きました。 わ、特急ソニックが通ってきましたけれど も、えっとね、西大分到着が15時48分 だから3時間20分ぐらいか。で、歩いた 距離が13.7km だけど、えっとね、標高がね、どれぐらい あるんかな?一旦高いとこと一とこで 400mぐらいだから別府から400m ぐらい登って400mぐらい下ったと。え 、そういうことになります。いや、 なかなかああ、しんどかったですね。感覚 的にはね、え、シ岡から熊田まで相太郎峠 歩いてこえたんと同じぐらいのしんどさ、 え、感じてます。

江戸時代以前に別府と大分を行き来するのにメインとなっていた旧道を歩いてみました。

#別府 #旧道

22 Comments

  1. 懐かしい、私が小学5年生の時に遠足で歩いたルートです、もうかれこれ45年前です(銭亀峠まで)
    江戸時代・・・・・その頃はまだ九州にも熊いたみたいですね

  2. 息子のサッカー関係でよく通りました。狭間町の上原グランド、野津原天空グランド、竹田市…ほぼ毎週通った記憶があります。

  3. 出発時がまさかの昼さがりだったので無事着くのかな?とハラハラしました。長距離走破お疲れ様でした。山家から旧酷道51号を抜けるルートは貴重。このような映像が今後の記録として残るので、非常に価値の高い映像かと思います。大変面白かったです。余談ですがゴルフコースルート、かなり迂回して行くので歩いて行かなくて正解です(笑)

  4. 別府は その昔は 宇佐八幡宮の 所領だったらしく 旧道は あったでしょうから 探して 亀川から 立石西屋敷ぐらいまで 何日間かかけて 行くとオモロいと おもいます 
    よくわかりました ありがとうございました

  5. フェリーから見える別府の山に赤く大きく書いてる文字みたいなのはなんだっけ?
    あれを近くで見てみたいと昔思ってた😁

  6. とてもおもしろかったです!五郎さんに歩いてもらいたいと思ってたルートでした!
    自分も今度挑戦しますね!
    歩くシリーズ大好きです!
    歩くシリーズ恒例のBGM が無かったのが残念ですが…あのBGM 落ち着くんですよね😊
    毎週水、土曜日楽しみにしてます!
    頑張ってください!

  7. お疲れ様でした。
    最後の方に映ってたお宮は柞原八幡宮の仮宮ですかね?
    渡ってた御幸橋は本宮から仮宮に神輿行列が行くのに関連してると思います。もう秋なので、お祭りがあるのではと思います。
    拙い情報ですみません。
    いつもありがとうございます😊

  8. 最初のお話ですが、日豊本線は昔から今の位置で路面電車が歩道の位置、10号線は山側2車線くらいで、海側から数えて4車線が海でした、、、少なくとも昭和30年代前半には。
    懐かしい場所の動画、ありがとうございます。20年ほど前に西大分〜別府〜銭瓶峠〜高崎山浦〜西大分を妻と犬の散歩でよく行ってました、、、犬にはハードでしたね😅
    ゴルフクラブ側に降りたかったなら柞原八幡宮より前(上)の白木分岐路で左に降りると良かったですよ!

  9. 柞原から西大分までのその道は自分も歩いて知ってますが、それ以外は大変貴重な映像ですね。
    やはたコミュニティーバスって、実はシティタクシーのジャンボタクシーを予約で呼ぶヤツですよね。

  10. ブラ五郎、お疲れ様でした➖
    大分県外の方がこんな過酷な道を歴史探訪され頭が下がりますm(_ _)m

  11. お疲れ様でした。一気に見させていただきました。地元のお年寄りに聞いて旧道から旧道へと行く道を期待してましたらほぼ期待どうりでした。

  12. 28:45の発砲音と大声は、猿害対策をしている大分市の職員さんです。

    ああやって猿を追い払って近隣の農作物が荒らされないよう遠ざけています。

    いつもありがとうございます。

  13. 御神幸道も歩いてみもらえませんか?賀来神社から柞原神社への旧道らしいのですが動画で観てみたいです!

  14. 酷道とか歴史が好きなので、とても楽しく視聴させていただきました。
    自分では踏破できないので、追体験をさせていただいて感謝しております😌

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