【100名城シリーズ】No82 大洲城の歴史と魅力
[音楽] こんにちは。今回の田望へようこそ。今日はですね、愛媛県の欧州市、え、イオの小京都とも呼ばれるこの魅力的な町を一緒に見ていきたいと思います。 えー、いいですね。王州、 この町の象徴である大ス城、そしてその浄化町。ここにどんな特別な魅力があるのか、それからお城に泊まるなんていうユニークな取り組みもありますよね。 そうなんです。 その辺りをあなたと一緒に深くっていけたら嬉しいです。 王子はですね、古くから、ま、交通の要少として栄えた場所で豊かなが今も残ってるんです。ただ単に古いものを保存してるだけじゃなくて ほう。 それを現代に生かすっていう非常にあの先進的なアプローチが見られるのが面白いところですね。歴史と現代のアイディアがこうまく共存してる感じがします。 なるほど。では早速そのシンボルである大ス城から見ていきましょうか。このお城かなり歴史が古いんですよね。 ええ、そうなんです。始まりは 14世紀1331 年と言われてますから、鎌倉時代の終わりから南北町時代にかけてですね、国の守護だった宇宮豊という人が最初に気づいたとされています。 1331 年最初は地蔵がた条とかそんな名前だったとか え、そう呼ばれていたようです。その後、えっと、近の覚して形を整えていく上で重要だったのがあの上の名主道高トですね。 ああ、高ト。今張城とかも そうです。そうです。1600 世紀の終わり、1595 年に彼が上手になってかなり本格的な整備を進めたと考えられています。 なるほど。 そしてその大洲城を完成させたとされるのが その後1609年に入った脇安春ですね。 脇坂安春。 ええ、一には彼が知名を大津から今の欧州に変えたんじゃないかとも言われていますね。 へえ。 立ちも特徴的で炎側と側っていう 2 つの川に挟まれたちょっと小高い丘の上にあるんです。標 40mくらい。いわゆる平山城ですね。 ああ、平の中にある丘のお城守りやすくて川も使えると まさにそういう理点があったわけです。ただその天主は確か明治時代に そうなんです。残念ながら 1888年明治21 年にま、排場例の流れもあって取り壊されてしまったんですね。 ああ、やっぱりそうなんですね。でも当時の建物が全く残ってないわけではないんですよね。 そこがこのお城のすごいところなんです。 明治の取り壊しを免矢が 4つも現存してるんですよ。 4 つも。 ええ、例えば台所とか後乱ヤ楽っていうのがあるんですが、これらは江戸時代の後期 1859年とか60 年に立てられたもので、ちゃんと国の重要文化財に指定されています。 江戸時代の本物のや倉が今も見られるわけですね。一歩でティ種は失われた。 そうなんです。 でもここからが、まあ、現代のオースの面白いストーリーなんですけど、 と言いますと、2004 年にその天書が再建されたんです。 あ、復言されたんですね。 ええ、しかもよくある鉄筋コンクリートの復じゃなくて、完全に昔ながらの木造で復現したんですよ。 木造で。それはすごい。 あのお城のスタッフの方も当時の大人様が見ていた景色をそのまま見れるのがオースの良さっておっしゃってたそうですが まさに それは木造だからこそよりえリアルに感じられそうですね。でも昔の建物を正確に木造で復現するって相当大変じゃないですか?資料とかどうしたんでしょう? そう思いますよね。そこが本当に奇跡的というかオスの強みだったんですが復の根拠になる資料が驚くほどたくさん残っていたんです。 へえ。どんなものが まず取りばされる直前の明治時代に取られた非常に鮮明な子小差が複数ありました。それから江戸時代の古い図も 写真とえず ええ、そして何よりも決定的だったのが江戸時代に作られたと考えられる天内部の複雑な木の組み方を示すひ方。つまりものすごく精密な木造の模型が見つかったことなんです。 模型ですか?本物の当時の そうなんです。この日型のおかげで柱や針をどう組むか、当時の後法をかなり正確に再現することができた。だから 4層4 階建ての立派な天手をちゃんと木造で復現できたわけです。これは木造復現天手としては日本で初めて規模も最大級と言われています。 はあ、すごいですね。 その新しく組まれた木の天使と隣にある江戸時代から残る古い夜。その大皮もなんかこう時間を感じられそうですね。 まさにおっしゃる通りです。新しい木の香りがする復原天手と風雪に耐えてきた本物の小材でできた世。それを間近に見比べられるっていうのは他にはない数ならではの貴重な体験だと思いますね。歴史の重なりを肌で感じられるというか。 いや、見てみたくなりますね。 そして大数はただ見学するだけじゃなくてもっとすごい体験ができるんですよね。 そうなんですよ。それがえっと数上キャッスルステイですね。 キャッスルステイ。文字通りお城に止まるってことですか?あの天手に。 そうです。あの復現された天手に一晩上司として泊まることができるんです。これは日本では初めての試みですね。 天手に止まる。それはもう日日というか究極の体験ですね。 具体的にはどんな感じなんですか? チェックインするとですね、まずホラ、ホラ貝の音がブーっと成り響いて ほう。 初代の反手だった加藤サヤ校が上場するシーンを再現したセレモニーで迎えられるんです。希望すれば自分も活中活中を着せことができるんですよ。 か活中を自分が上手になって入ってくみたいな。 そんな感じです。 さらにこう登りを立てた下神団とかひ銃の鉄砲体が出てきて法を打ってくれたり う本格的ですね。 へえ。で、夕食前には場内で画学とかそう いうな伝統芸能を干渉して夕食はですね、 地元の古い記録に出てくる当時の阪種が 食べていた献立てを現代風にアレンジした ものとかイオのまま旬山会のっぷりと 美味しそう。 そして夜はもう誰もいない静まり帰った天手を完全に貸切り状態で歴史に思いをはせながら眠りにつくとま、夢のような時間でしょうね。 いや、もう聞いてるだけで鳥肌が立ちますね。すごい。 これ単に珍しい宿泊体験っていうだけじゃなくて文解散をすごく積極的に活用するヘリテージツーリズムの、ま、最先端の事例としても注目されてるんです。 ヘリテージツーリズム。 ええ、そしてこの考え方実は大寿司全体の街づりにもつがってるんですよ。 というとどういうことでしょう? 浄化町、浄下町に転在している古い歴史的な価値のある民家民家ですね。これを客室として再生させた日本ニアホテルオス下町っていう取り組みがあるんです。 日本ホテル。 これは分散型ホテルっていう形態でして。 分散型ホテル初めて聞きました。 はい。浄化町全体を丸ごと 1 つの大きなホテルと見なすっていう考え方なんです。 街全体がホテル。 ええ、まずレセプション島でチェックインしたら宿泊する客室つまり回収されたコミ家は街の中にこう散らばってるわけです。食事も提してる町のお店に行ったりだからホテルに泊まること自体が自然と町を歩き回ってその歴史とか文化に触れる旅になるようにデザインされてるんですね。 なるほど。 それは面白い発想ですね。ホテルが町に溶け込んでいるというか。 そうなんです。これによって地方都市がよく抱えている秋の問題。これに対する有効な解決策にもなりますし、同詞に歴史的な街並をちゃんと維持して未来についでいくことにも貢献しているわけです。 [音楽] 維持と活用が両立してるんですね。 ええ、多くの建物で昔の釣化みたいに 1階用お店とかレストランにして 2 階を客室見してるのもちゃんと歴史を踏まえた再生だなと感じますね。 お城だけじゃなくてその浄化町そのものにも見所がたくさんありそうですね。これは ええ、もちろんです。まず絶対に外せないのが我流三層ですね。 我流三層なんだか名前からして風がありますね。 これはですね、明治時代に木あの派の実から作るですね。 あれの貿易で大きな財産を気づいた地元の商人川虎次郎という人がなんと 10 年も高層を熱って立てた別走建築なんです。 10 年? ええ、場所がまた良くって肘川添いの流園っていう景色のいい場所。竜が伏せているように見える深い淵があるんですがそこに立てられています。 [音楽] 竜が伏せる淵。 設計にあたっては京都の活れ理球なんかも参考にしたと言われていて、ま、東大一流の職人を全国から集めて税を尽くして立てたスき屋作り。射室建築の様式を取り入れた本当に見事な建物です。 明治の強が立てた傑作と最にもきっとすごいこだわりがあるんでしょうね。 ええ、見所はつきないんですが、特に印象的なのは本屋である我流の部屋の衣装とかあと離れのフローワですね。 フローワ。 このフローワは肘川の崖っプチにこう競り出すように立てられてるんです。剣造作りって言って京都の清水寺らの舞台と同じような構造ですね。 うわ、崖の上にじゃもう それはもう絶景です。しかもこの建物自体が船に見立てられていて天井がちょっと船子みたいに緩やかにカーブしてるんですよ。 へえ。面白い。 さらにすごいのが月の綺麗な夜には川面に移った月明りがこのカーブした天井に反射して部屋の中をぼんやりと照らすように設計されてるんです。 えっと、月明りの反射まで計算してるんですか? そうなんです。自然の光まで取り込んだなんとも風ガな生きなしかけですよね。 いや、それはロマンチックというかすごい自然と一体になるような設計思想なんですね。 他にも我流層で注目すべき点はありますか?そうですね。細かいところに目を向けると例えば部屋を仕切る乱漫にはと水にちんだ餅桜と逸田とか菊と水とかそういう彫刻が施されていたり 凝ってますね。 あとは入口近くの石垣もわざと積み方を見られ済みとか末広済みとか場所によって変えてリズム感を出したりその石垣きの間から自然に木が生えているように見せたり まあ自然との調和 ええよく見ると石薄を月に見立てて埋め込んであったり船の形をした石があったり遊び心も随所に見られます時の職人さんの技術と立てた内虎次郎の美意識が本当に詰まってる感じです なるほど。奥が深い。では火流残におすめの場所はありますか? もう1 つ。これも魅力的な近代検地なんですが万戦争というのがあります。 万戦争?こちらはどんな建物なんでしょう? これは大正15年1926 年に立てられた別荘です。立てたのは松井座ブ郎さん。松井座ブ郎さんとその弟の国郎さんという兄弟。 松井兄弟。 Aフィリピンとの貿易で成功した実業家でマニラに白天なんかも持っていたそうなんです。 フィリピン貿易。へえ。 そのせいかこの万戦争にはどことなく国際的な雰囲気が感じられるんですよ。 国際的ですか?具体的には。 例えばですね、建物の中の長い廊下の床板。これがフィリピン原産のイピールっていうすごく硬い木のとんでもなく長い 1枚板を使ってるんです。 贅沢ですよね。 難剤の1枚板。すごい。 それから屋根の上にある鬼ありますよね。あれをよく見ると全部に弟さんの松井国ご郎のイニシャル KMKM ってアルファベットがデザインされてるんですよ。 自分のイニシャルを鬼河原にハからというか当時としてはかなり斬新ですね。 ですよね。それに2 階には当時の日本の家のにはまだ珍しかった開放的なバルコニーもちゃんとついてます。 バルコニーも。 あと敷地の中には商売人だった松井兄弟らしきというかタオ抜くでたぬきの置き物とかタコでタコの置き物とか演技の良い動物の置き物が置いてあったりするのも面白いですよ。 あはは。 そういう遊び心もところで万全層っていう名前には何か由来があるんですか? あ、それはですね、この敷地の中にあった横井戸から来てるんです。 横 はい。裏にある山の硬い岩板から染み出してくる泉の水。これを万線と呼んで生活要水として利用していたことからこの名前がついたそうです。山の斜面にこう水平に穴を掘って染み出す水を集めるですね。 [音楽] へえ。 岩板から湧き出る泉、水道が普及する前の時代の工夫が見られるわけですね。 そういうことです。 いや、オース場に我流三層、万全層と本当に個性的で見のある建築物がたくさんあるんですね。浄下町全代の雰囲気もイの故郷都と呼ばれるくらいですからやっぱり落ち着いた感じなんですか? そうですね。街中は 5 番の目みたいに道が生としているところが多くてしっとりとした落ち着いた雰囲気が漂っていますね。 これがイの故郷と言われるゆえの 1つでしょうね。 うん。 そして先ほども少し触れましたけど民家再生の取り組みによってその街並がさらに魅力的にかつきづいてるんです。 秋屋になってた古いお家がおしれなカフェとかホテルになってる。 そうなんです。 人口が減って秋屋が増えるっていうのは日本の多くの地方都市が抱える大きな課題ですけど、欧州市の場合は行政と地元の銀行とそれから民間団体が本当にうまく連携して ほう 歴史的な価値のある建物を一見一件丁寧に調査して価値を損わないように回収再生するっていうプロジェクトをもう何年も続けてきたんですね。 すごいですね。その連携。 ええ、その結果古い街並の中に地元の食材を使った素敵なランチが食べられるお店ができたり、可愛い雑貨屋さんとか、あとさっきの分散型ホテルの客室なんかがうまく溶け込んで歩いていて本当に楽しい街になっています。 なるほどな。さて、ここまでオースの いろんな魅力を見てきましたけど、これら 全体から何が見えてくるでしょうか?なん かオースの魅力って単にお城が立派とか ここの建物が美しいとかそれだけじゃなく て歴史的なものが街全体でちゃんと守られ ててそれが今の暮らしの中にちゃんとかさ れていてその一体感にあるような気がし ますね。まさにおっしゃる通りかと思い ます。特にあの豊富な資料に基づいて本当 に綿密な交渉を重ねて木造で復言された 王手の天手そしてそこで実際に 止まれるっていうキャッスルステイこれは もう歴史に対する経緯とそれを現代に 活かすための確信的なアイデアが見事に 結びついたオースならでは象徴的な 取り組みと言えるんじゃないでしょうか。 歴史の再現にかける情熱とそれを活用する 斬新さ。 とのバランス感覚がユニークさの厳選なんですね。 ええ、そう思います。我流三層のあの細やかな衣証に込められた美意識とか大数の正確な復現に見られる歴史への紳摯な姿勢。それと同時にキャッスルステートか町全体をホテルにする分散型ホテルみたいな現代の観光とか地域再生化のニーズにえるすごく大胆な発想。 この2つがうまく組み合わさっているから こそオースでは歴史、建築、地域再生って いうろんなテーマがギュッと詰まった不 可能体験ができるんだと思います。これは 知識好奇心が王勢なあなたのような方の 知識を素早くでも深くていう思いにも きっと答えてくれる場所だと思いますよ。 ちなみにその数を納めていた数について も少しておきたいんですが江戸時代は 加藤系が長く納めたんですよね。そうです ね。江戸時団の大部分は加藤系が阪を務め ました。この加藤系は学問を奨励するが あったようで反抗もちゃんといましたし 江戸時代の初期にはあの学者として有名な 中も若い頃にオースで過ごすよう。へえ。 当時も ええ、そして爆末になると比較的早い段階から反全体が金能つまりま天皇を中心とした新しい国づりを目指すという立場でまとまっていきました。 爆末にも動きがあったんですね。確か坂本馬とも何か関わりがあったような。 ああ、それも面白い繋がりがあるんですよ。坂本亮り馬が引きいたあの海炎隊が使っていた蒸気線色ハまるありますよね。 はい。はい。有名ですね。 あれ実は元々この数班が所有していた船をり馬たちに貸し与えたものなんです。 え、色はまるって大班の船だったんですか? そうなんですよ。ま、所有権は大数班にあったんですね。それを開演が借り受けて運用していたと。だから爆末のあの激道の時代に数班も関節ながら結構重要な役割を果たしていたことが伺いますよね。 いや、それは知らなかったです。力士って本当に色々なところで繋がってるんですね。 さて、今回の愛媛県大洲市の担をいかへし たでしょうか?見事に復言された大ス城の 姿、そして我流三層や万戦争といった 素晴らしい近代建築。さらには町代で歴史 を未来についでいこうというユニークな 取り組み。大持つの多面的な魅力があなた の知的好奇心を少しでも刺激できたなら 私たちも嬉しいです。最後に専門家として 1つ問いかけをさせていただけますか? はい、もちろんです。 大ス城は豊富な資料と何より地元の人々の熱意によってあの素晴らしい木造での転手復現を成し遂げました。 では他の歴史的な建物を復言したり保存し たりする時に私たちは本物らしさ、 いわゆるオーセンティシティと現代の技術 であるとか利用者のニーズあるいはどうし ても資料が足りないといった現実的な制約 との間でどうやってバランスを取っていく べきなんでしょうか。歴史保存におけ る本物らしさ一体何を指すのか。この機会 にあなたも少し考えてみるのは面白いかも しれませんね。深い問ですね。考える きっかけになります。え、今日はオースの 担に最後までお付き合いいただき本当に ありがとうございました。
今回は愛媛県大洲市にある大洲城と、その周辺の魅力について語り合いました!
日本最大級の木造復元天守である大洲城は、ただ見るだけでなく泊まれるお城としても有名なんです。歴史を感じる天守に宿泊し、城主気分を味わえる「大洲城キャッスルステイ」は必見です!
さらに、城下町には風情ある臥龍山荘や、ユニークな盤泉荘など見どころが盛りだくさん。歴史ある古民家を再生したショップや、町全体をホテルと見立てた分散型ホテルも話題になっています。
大洲藩の歴史や、幕末の勤王における活躍など、知られざるストーリーにも迫ります。歴史好きはもちろん、新しい旅のスタイルを探している方もぜひ最後までお聴きください!
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