250913-藤原塾イン糸島バスツアー_伊都国 平原遺跡に行こう(21分8秒)
[音楽] おお、いいね。い、 [音楽] いい音だ。いい音だ。 いいだ。ありがとうございます。 [音楽] おはようございます。 はい、古墳です。 やい時代週末だから今から約1800 年ぐらい前のやい時代の王様でここに君臨 していた方のお墓になります。うん。発見 されたのは今からちょうど60年前、1月 の18日、偶然にそこの場所のところが、 え、つ、塚の畑、塚畑と言われておりまし たんですけど、その当時はもう臓器林です 。後ろの臓器林みたいな感じで美いして おりました。そこを未炎にするために増成 をしていた時に発見されました。偶然に 見つけた19歳のその方が最初に見つけた のが大きな大きな鏡。大きな大きな鏡2枚 見つけました。で、それがもしこれは昔の 鏡かもしれんなっていうことで大学の先生 に連絡したら糸島市は古墳の方向やけん。 ま、その古墳のね、なんかやろうけ、当時 の前在住の高古学者原田大さんに連絡して ごらんと。その人が駆けつけてきました。 大きな大きな丸い鏡を2枚見た時点でこれ が後にやたの鏡と言われた 天皇陛下のところに伝わってる鏡だよと。 で、これがここから出てる。それについて はもう60年前にここは後に国報になる 場所だし国報のものが絶対もっとあるはず だから発掘調査をさせてくださいと100 日間かけて掘りました。出てきたのが、え 、さ、去年、昨日も白石君が4000点も の国報って言うとりましたけど、まさに それが入ってた場所がここです。 ということで、こちらはですね、え、今からあそこまで行きますけれども、そういう由来があって出てきた古墳でございます。はい。やい時代週末期ですので、まだ前方公園になる前の形です。 愛島はい。 誰が訪られていたんですか? 誰が葬られてたかはですね、女性が葬られておりました。 ひこさん、 ひさんとお答えしたいところでございますけれども、そこはまたシークレットで楽しみに。はい、 どうぞ。 はい、おいでください。 皆さんが到着した途端に一人の風が吹き渡りましたよう来たねって聞こえた方には聞こえたと思います。そういう不思議な場所です。こちらに、え、お眠りになってた方、女性でございます。 なぜ女性ってわかったかと耳につけていたアス。このピアスっていうのが当時の、え、間の時代の貴族の女性しか身につけていなかったもの自言います。その自頭が出てきたことによってこちらに葬ら 女性でしかもこういう古墳に葬らのです。 今女王様として皆様にはご紹介しており ます。 鏡が、え、40枚出ております。剣が1本 。そして、え、たくさんのアクセサリー ですけれども、その中には頭飾りになった エジプトから来たローマで作られた頭飾り 。青いガラス玉88個。それから、え、 翡水、えっと、目の果たと言いまして、 それもやい時代では、やい時代ではここ からしか出ておりません。果田。それと、 えっと、自島は今の朝鮮落老軍って言われ てるあたり、ぴょんや、ぴょんやんあたり の楽軍から来たものと言われております。 それから、え、今度はインドがあります。 え、ムさって言って赤い、ま、ま、赤い ガラス玉なんですけども、これもこれは 今度はインドから来ております。だから 国際感覚のに優れた王様がいらした場所と いう風に、ま、簡単に言うとそういう風に 言うことができます。そして大きな大きな 鏡の、え、このここにあります。え、原数 台の写真があります。 これ博物館に行ったらね、ま、本物見ることができるんですけどね。はい。こんな大きさ。こ 46幅46.5cm 演習がやの大きさある やたの鏡がこれです。え、 はい。体 ここが日本一こが日本。 日本一の大きな鏡が出たところです。はい。 この鏡を使ってこの人何してたかっていう とこがですね、皆さんの興味のあるとこだ と思いますので、ここは東の山波。 あちら東になります。東の山波から登る 太陽の位置がコクコと変わります。その 位置が変わる太陽によってカレンダー月日 が読めた人です。この当時の王様の絶対 条件、カレンダーつまり暦みが読める人 っていうのはですね、王の絶対条件なん です。それを備えてた人。え、日読んで何 しよったとってその約2000年前に カレンダーとか暦みとかない時代に暦みが 読めた人です。で、暦みによって、え、 日日が分かりますので、1番右端から当時 古代は12月の22日、当時の時、当時の 時から1年が終わり、1年が始まります。 そして1月1日、え、太陽はずっと右に来 ます。今1番くぼんでいるところ、あそこ が日向峠と言います。その時の日は2月の 23日。 うん。2 月の23 日には農業の準備をするとよって言って民にね発例するんです。だから皆さん民の人たちはせと農業の準備します。日向峠からまたちょっと左に行きます。今度はね、今度は起こしするとよって 田ぼ起こします。で、お起こしが終わってまた左にちょっと来ます。 そしたら今度は種も見つんなさいてでまた ちょっと左に行きます。そうすると田上 するとよってという風に今の24席の暦み と全く同じことをここの人女王様は読んで 田上のための稲作のための事みを民に教え て当時の稲作を指導した人と言われており ます。さあ、田上するとがあの辺ちょうど ですね。高須山真ん中ちょうど1番この先 1番高いとこ高山から左に来た辺りが まさに田ഹു上をする時期です。で、下東 に行きます。1番東に行ったら下です。下 まで来たら田上はもうそろそろ終わり なさいよなんです。で、太陽は下死から また戻ります。 の太陽がちょっと右に戻った頃 7月の 6日かな?7日かな?半月 半月 半月そう半月半月半月 半分夏が生まれると書いて半下すい はい半下そん時までに田上は終わっとかないかんとよって ちゃんと今でもそう言われてますが始まるので夏始まってその頃もたもたし寄ったらも も水が煮ます。 苗がダメになります。なので半下までには察ち田上終わっときよって。で、彼、彼も農家さんですのでまさに 今日もう今日までしとかないかんって言って今年もやってました。で、なんでって聞いたらやさっきみたいにね、 半ゲやけんてええってそれも 2000 年前の古代の人もこの人からなろうって稲の知識として知ってました。 そんな感じ。さあ、もう今度は太陽もう1 回戻ってきます。1番高いところ高山。 そっからちょっと下がったとこ串山って 言うんですけどここから太陽が登る頃は8 月の24日頃 台風の真っさかりです。台風、台風が たくさん来ます。その頃の状態って言っ たらね、ちょうど鼻が咲くんです。 鼻が咲いて台風で犬の花が吹き散らされてしまったらその年の収穫ゼロです。 だから台風が来ないようにまた台風が来ても犬に外を及ばさないようにこの人は台風祈願をしました。 それに使われたのがさっきの大きな大きな鏡です。 この大きな大きな鏡は太陽だと言われております。 だから台風に強い太陽に祈りを込めてで あちらの山に向かって台風大産を祈願をし てえ、井オの無事を祈りました。そして 台風無事にやり過ごして犬のが進んでいき ます。右に行きます。戻ります。戻ります 。はい。1番くぼんだところ10月20日 。 ここ日向峠。そっから太陽が登る頃が収穫 の時期です。 だからそこから太陽が登ったら収穫したお米を神様に捧げて 感謝の祈りをする日。それがかめかなめ祭です。 嬉しいことにですねと農業の終わりの日同じように日向峠から太陽が登ります。 だから10月20日っていうのは1番大事 な日なのでその日に金め祭として太陽の 祭祀を行います。それの祭祀をなさった方 がこちらの方。しかもその10月20日の 太陽の光はこちらの方の 体の真ん中を貫くと貫き通す形で 作られております。だからこの方は太陽と の一体感で、え、太陽採取した人なんです けれども、太陽の奥様なので、太陽の奥様 という意味の大目の鞭という名前がつい てるんですという風にですね。え、ここの 話は実は あります。質問ありますかね? 何年頃の話ですか? 今から約1800 年前です。はい。政金って言うと大体 100年前後になる。 あ、 で学的な名所で言うとやよい時代後期後半っていう で学者先生がよく言うここがひ子の西人に出てくる卑子の墓と言われてますけど卑子は成暦 240何年間になくなってます。 だから100 年ちょっと違うというで、ここの方は一応あの乞食日本初期に出てくるわつの巫女子の玉より姫という方が今ここに眠られてます。 で、玉より姫っていう名前聞いたことあると思いますけど、わゆる 1 番最初の天皇の事務天皇のお母さんです。 で、あの、事務天皇がどこで生まれたかというのはまだはっきり分からないですけど、この一体で生活して、それから他のところに行って、 ま、修行をしてある程度の無事になって統制したていう 話がこのお墓からあの予測というかそういう推はできます。 で、一応ジ務天皇が生まれたという場所は 、あの、向こうの これから行くザれ神社のあの 八流の森というとこがあるんですけど、 そこが多分可能性としては1番大きいとこ です。糸島では天尊降臨の地に出てくる あの士の高尾のじく9くじるだけけて出て くるんですよ。乞食では。うん。 先ほど友さんが言われた串って言われた場所があそこの あれあれあれ あの高須山というのが1 番高い山なんです。 あれから峰が1234 つありますよね。4 つ目のとこが地元の地名であの 9 じフ山と言います。だからちょうどあそこあそこから火が登る時にあの天尊降臨されたという話ができます。 うん。あの、買でお話ししております けれども、え、その原田大さんはですね、 まさに乞ジの研究もされてた方で、乞ジの 中に書かれている内容から見て、えっと、 大きな大きなやの鏡を服装品に使われた 遺跡が必ず見つかるはずという論文をです ね、ここが見つかる13年前に書かれてる んです。 そしてその中でやたの鏡を持った王様が必ずこの辺りにはずだっていうのもだから予言してありました。 そういう元の話があるので、え、ここが 発見された時に大きな鏡を見た瞬間にこれ こそが自分が探していたやの鏡だと確信さ れた上での発掘調査になりますので、より 詳細なことが分かったというのがですね、 このお墓が発見されたことによって明らか になりました。 なので原田大さんの鉱石はとても大きいんです。 その神祭さの写真です。さんも あのうしを はい。 峠から登る朝日はまさに女王様のお墓を貫く形で 削ったらそこだけ 登ってきます。 で、え、嫉会な糸島の表紙に使われている写真もこの写これではなくて同じように日向峠から登る朝日を映したものです。 これが本当にそうかなって、あの、あっちの太陽が登る位置がね、こんなことかいなってやっぱり言うだけでは納得できない私は 3 年ぐらいここに通ってほぼ毎日太陽の位置を写真撮影しておりますので、もう絶対間違いないでございます。 それでも信用できない人は言ってください。写真がありますのでお見せします。はい。 ということでですね、そういう太陽の太陽のお祭りをされた方なので、太陽のみこさん 日のみ子です。 はい。皆さんがご存知のひ子っていうのはもう役職名です。 職業名です。太陽祭祀をする日の巫女さん。 だから皆さんがご存のさんのちょっと前のさんですけれども年代ちょっと違うのでそこはですね、あの 年代物別にずっと並べて聞いてもらった方がいいと思います。 偉大な偉大なひ卑子です。 あまりにも偉大すぎるのでもしかしたらもしかしたらこの人がひ子かもしれんって本当のひ子かもしれんっていう人もいらっしゃいます。 今山大国だとか卑子だとか騒いでらっしゃいますけれども、そういうものの証拠になる遺跡とかは出ておりません。 ところが約 1800 年前の平という場所にお眠りになった方は実在した方です。 実在した方なので、このことをお知らせするのに原田大さんが書かれたのが実代した神話天皇の故郷とかいう本で紹介してくれています。日向峠はちょうどここちょうど はい、まっすぐ見えます。 月の20日と10月の20 日の太陽はあの日向峠から登りましてこちらにお眠りの あのも白 女の人の股感を貫く形で作られております。 だから太陽の光を受けてこの方は股間を貫くっていうことは引用交互体でございます。 太陽と結婚した女の人だという伝え方もされております。 ここ はい。 太陽の子供と結婚して子供を見ったのでその子供が ちょっと桜で見えんけど に山 しかし乞食の話っていうのはあのな んて言うのかな小説だと言われておりましたので そうそう 世の中の人々からはなかなか受け入れられませんでしたけれども調べれば調べるほどまさに乞の中の場面はここだよねってい という確信に今、え、あの、変わってきて おりますので、もうちょっとしたらね、 ここが天尊降臨の場所で、え、人務天皇の お母さんが葬られていた場所でっていうの はね、日本中にもしかしたら知れ渡るかも しれません。今のところちょっと結構 ディープな話なのでみんな拠トンとして ます。 でも、え、それをどんどんどんどん進めていきたいという思いで、え、こうやって活動させていただいておりますのでよろしくお願いします。鳥のさえ釣りと虫の声と移り変わる天気と 別に巫女さんじゃなくてもね、あ、もう感謝する場所になります。はい。 去年参加したんですよ。かメさんに。 変な人がいっぱいいました。 はい。 はい。 ありがとうございました。 はい。ありがとうございました。はい。 あの、かメさには、えっと、シジやってるんですかっていう話ですかね。あの、一応ですね、えっと、 10月の20 日の日に朝日の時間、朝日が登る 6時半ぐらいには335 集まってきてみんなでひ迎えをしております。 で、335後お参りして、え、1 年の感謝を述べて解散、勝手に解散なんですけど、それでも皆さんがあの、奉能させてくださいって言って、舞をなさる方だとか、あの、 1 人で踊る方だとか、歌う方とかいらっしゃいますので、もうご自由にどうぞ Ja [音楽]
250913-藤原塾イン糸島バスツアー_伊都国 平原遺跡に行こう(21分8秒)
伊都国の王墓
伊都国には、三雲南小路遺跡(みくもみなみしょうじいせき)
のほかにも複数の王墓が存在したことが分かっています。
三雲南小路王墓: 現在、史跡広場になっています。
井原鑓溝王墓: 三雲・井原遺跡群に含まれます。
昭和40(1965)年に発見されました。発見は偶然によるもので、土地の持主がミカンの木を植えるための溝を掘ったところ、多数の銅鏡の破片が出土しました。そこで原田大六(はらだだいろく;故人)氏が調査主任となって、大神邦博(おおがみくにひろ;故人)氏とともに発掘調査が行われました。
協力:沖縄有志の会
いろは歌勉強会
福岡藤原塾
糸島メンバー
歴史ガイド:弥生時代の王都 伊都国 三苫節代
撮影・編集:曽川泰三
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