【新地町出身マンガ家紹介】横山孝雄

福島県新地町失進の漫画家横山高尾 赤塚富士男のアシスタントを務めアヌ文化 を語り継いだ絵本の制作など障害に渡り 数々の作品を残してきました。 [音楽] 1937年昭和12年2月15日、横山 高尾は中国北京で生まれます。 両親は共に新知町の出身で横山が生まれた 頃は父は日本両事警察の巡査をしていまし た。 廃戦後両親の故郷である新町今泉地区に 帰国。 高校時代の横山はすでに漫画に強い思いを 寄せており、通学中の電車の中で自作の 漫画を書いては友人に見せていたという エピソードがあります。 高校の在学中に石の森翔太郎が設立した 東日本漫画研究会に入会しています。 この会を通じて横山は赤塚藤男尾と 知り合い分通をする中となりました。 高校を卒業した横山は東京のガング メーカーに就職。 以前より分通をしていた赤つ。そして石の 森が住む時はそうに通い始めました。 横山は石の森や赤塚のアシスタントになり 、後に藤男プロダクションの設立にも 関わっています。 藤男プロダクションでは旅荒野兄ちゃん僕は戦争を見たなどを観光しています。後に横山は赤つのマネージャーとして活躍するようになりました。 [音楽] [音楽] 万島だと思うんだけど多分知ったんじゃないかな。赤塚のうん。たなんかを結構引き寄せたんだね。 な、だけどたれあんなやつこんなに新鮮 すっこだねっていう方だったらしいよ。あ 、 多くの著名な漫画家を排出した時はそう 自身が住むことはありませんでしたが、 構成横山も時の一員として数えられてい ます。 多分高校の頃 な貧乏だから 後頭なかったんだね。高等買ってもらった 記憶がありますね。はい。 [音楽] 3年南米を旅行中にペルーで1人のアイヌ 豊氏と出会い、豊からアイヌの置かれて いる状況などを聞きました。 この当時はまだ明治政府により作られた 北海道旧保護法が残っており、差別的 な要素が強く残っていました。横山した 事実をまっすぐに見つめアヌの権利回復 活動に参加するようになりました。 権利回復運動っていうことですごい頑張っ てたんですよね。うん。その国際先住民念 っていうのがあって、その時に気運が高ま 、え、アヌのことをこういろんなところで イベントで呼んでもらってですね、踊っ たりとかもあったんで、とにかく権利を 回復するんだみたいななんかいろんな会が あって、そういうところで講演会とかして 法律を新しく作ろうていうようなことを 訴えかけている。 この活動の中で1979年あ新州の著者 チ里幸江の弟であるチ里高中の娘ムと 出会い結婚します。 1982年横山は藤男プロダクションを 代謝し独立漫画家としての技術と マネージャーの経験をアヌの権利回復文化 伝承活動という次の舞台で生かすことと なりました。 おっとりしてるように見えるんですよ。見た目なんですけど、なんかやるぞってなったらすごいこう 頑張っちゃっても父親はそういうのを穏やかにこうね、なんか見ててで影で支えてくれる 人でしたね。 もうずっとなんか母のやりたいようにやればいいっていう感じで支えって すっごいもう大好きなんですよ。 こと大好き。 [音楽] その後横山は北海道に移住。地理記念間 設立運動に関わると同時にヌ文化を広めるために数々の絵本を観します。 [音楽] 横山の運動が実り、2010年北海道の 登り別にチ理幸へ銀の記念館が開館しまし た。 初代館長には横山ム、初代理事長には横山 高尾がそれぞれ就任しました。 本当にたくさんの方々に支えられて、もう 私はね、こんな記念経ってる募金とか始め て本当経つのかなって思ってたんですよ。 そしたら本当に受けのことをねすごいって 言ってくださる方がこれはもう是非のこう すべきだって募金がどんどん集まって こんなにすごい人だったんだなと思って母 もやり遂げてだって本当に驚きました。 はい。 これ以降も夫婦にアヌ文化チ理幸江の功績 について伝える活動を続けていましたが、 妻ムは2016年9月21日68歳、横山 は2019年8月31日81歳でこの世を 去りました。 今回うやってお話しするきっかけが はい。 あの新町のね事業にずっとあの 2年間 はい。 携わらせていただいてる中でたまたま資料室でねあの横山さんのえ 作品を拝見したんですよね。 はい。はい。 でその時にそのちょうど前にあのうポイに行って あ、そうですか。 それでおぷいで、あの、この N後のね、辞の絵の書いてる事称を買って うん。はい。 帰ってきたところだった。あれ、この絵の人ってそっから始まって。 そうなんですか。 もう著名な チリさんのね、ま、警もあるし はい。 この絵は大変だよって 大事だよっていうところが多分言ったのが私がこう今ここでお話するきっかけかなとは思います。 ありがとうございます。 はい。え、絵がね、あの、なぜ新地町に送られてきたのかみたいな、 ちょっと背景を私実は聞いてなくて ああ、そうですね。な、両親がなくなってしまっても家誰も住まなくなってしまって、そのままではもう資料もね、どんどん悪くなっちゃうし、どうしようかなと思ってたんですよね。 [音楽] 私も家なので大してあの持ってこれないような状況だったところでその叔父の まがあの色々うん。 考えてくれて それであの あ地持ってくるといいよていう話になったんですか? はい。そうですね。 でも大事にしてくれるのは 多分新地町だなっていう思いだったんですね。 そうです。そうですね。 それは本当にうん。受け取っていただけたのかなね。今回新マッチね。 はい。 そう、さっきあの公民館の修像をしてる場所見せていただいて すごいなんか 懐かしいものとかも綺麗に保存されてて安心しました。 良かったですね。 どうですか?これね、あの横山さんの作品なんですけどどうですかね?これビってね。 はい。そうですね。うん。未知の絵を見るとやっぱり葉ポ女性の顔がね、うちの母に似てるなって思う時がありますね。 うん。 あ、この顔ポっぽいなって思ったでしょう。 葉ポね。葉ポはお母さんで道はお父さん。 お父さんです。 これ道。 あ、道じゃないなあ。葉ぱはこの片栗っていう花もね、好きだったんだよね。うん。 もしかして好きだったからこんなにいっぱいいるかしら。 片栗は何がその思い出なんですか?で、あ あ、思い出はなんか山登り行って片栗が咲いてる時があって、私この うん。 この花好きなのよって言ってたから、あ、葉ぱも片栗好きなんだなっていうことを覚えてただけ。 [音楽] あ、その言葉で。 うん。 こう洋服なんかはそういうきちっとした感じですか?でも うん。うん。 うん。ま、色遣いは面白いなって思っちゃいますけどね。 かなり独的な感じ。 独的な感じ。 あ、でも模様の雰囲気はありますよね。 うん。うん。 アイヌの着物も紫ので貼ってるのも、ま、なくはないけど、この感じだと白い うん。 方が多いんじゃないかな。 じゃ、独的に自分でね、色鮮やかにしたかったのかね。 うん。 ね。これもすごいいいね。 月の中にこう鳥が飛んでる。これ袋のね。 うん。ね。 これはふだと思うんですけど、どう思いますかね?そう。 ファンタジーを感じるね。これはなんか素敵キラキラしてる し で、このね、コロポックルの吹の下の うん。うん。 人っていうので吹きかぶってるのかしらね。 黒ボックルがね、テーマだから。 だから鳥に乗ってるんだね。 ね。 これ僕ってでもアイヌの物語の中でどんなストーリーなんですか? え、 小さい子たちがいるみたいな感じ。 いや、そういう感じじゃないと思うんだけどな。 うん。妖精 あ、あのラワン武器ってすごい大きいんだよね。 ああ。 なんで? これがね。 そうだから吹の下にいるからって うん。うん。 こんなじゃなくて うん。 こよりかちょ私ぐらいでもいいのかもしれないです。吹きがでかいもん。 あ、そっか。そん 小さいイメージあるけど。そうではないんだ。 そこまでじゃないんじゃないかと思うんだけど。いや、私もごめんなさい。わかんないから。 じゃ、袋が大きい。 いや、でもコのイメージは小さい。小さいの小さいイメージなんだよね。 そうなんだ。 うん。 コロっぽくんくるっていうあの子で吹の下の人っていうのは そうなんだけど。あ、の下の人っていう言葉が元々ご言なんだ。 そう。はい。 だけちょっとそれ以外のことわかんない。 うん。で、ま、にね、こういて一緒に飛んでるね。 うん。 このね、袋はどうですか? ね、この島袋の羽がすごい細かくて素敵ですよね。なんかね、こういう絵を見て私の うん。 息子の誕生日に何欲しいって言われたから、私絵書いて欲しいて頼んだことがあるんです。 これ多分こういうの見てたからだと思うんだけどうちの息子がその頃恐竜にはまってて 恐竜に乗ってる息子の絵を書いてしたので 黒に乗ってる黒じゃなかったじゃなくてそれで無理行ってあの恐竜の上に乗ってる うんですか はい家にあります それ貴重だね 今度美術戦の時にちょっと特別出品してもらっていいね 横山さんは中国にいらした 時に、ま、1つの戦争というキーワードと かね、自然というキーワードとの中で漫画 作りに入ってき、そして子供の頃からあの 大好きだった絵を漫画を通して赤塚さんの ところでね、スタジオであのアシスタント もしながらご自身もたくさんのね漫画作品 作られています。一方でね、漫画家って いうのは絵がうまいだけじゃ漫画家になれ なくて、やっぱり何かを伝えるメッセー ジってすごく大事なのね。横山さん動物が 大好きだったんだなってわか、動物テーマ のね、あの漫画が多いんですよ。で、こう いうあのね、旅立て荒野はこれ実は馬が 重要なキーになっていて、で、逆に人間 って人間だけの生活だけで成り立ってるん じゃないよ。自然との関係ですごく大事な んだよっていうその感覚はこの新地町のね フードが育てたものだし実は登り別にも 繋がっていく流れなんだけどでその考え方 を具体的に継承していたのがやっぱりアヌ の人たちなんで愛ヌ文化は今ゴールデン カムイとかねヌ文化すごく若い人たちに 人気ありますけどやっぱりそれは人間は 人間のことだけ考えてんじゃなくて自然と の繋がりの中で、どう私たちは生かされ てんのかっていう考え方。 金の雫記念で私が感じたのはあの横山さ んってとってもやっぱりあのそういった形 で地域とか自然というものを大事にされ ながらね自分自身の原風権みたいなものを そこの場所に見て作品作りをされていてで 単に絵がうまいとか上手っていうんじゃ なくてやっぱりそこにすごく強い メッセージ性を持ってね、愛のことであっ たり、自然文化のことを伝えるような漫画 政策をなさってきたっていうことがとても その現場に行ってですね、感じたことでし た。ま、横山さんが残したものをね、あの 、お会いすることはできなかったけど、 私たちがきちっと継承していくことが1つ 大事な役目なんじゃないかなと思っており ます。 [音楽] [音楽]

福島県新地町出身のマンガ家横山孝雄の、トキワ荘からフジオ・プロダクション時代、北海道に渡りアイヌ文化を語り継いだ絵本の原画などを展示した原画展を2025年9月20日〜10月8日・新地町文化交流センターで開催しました。

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