越生黒山古くから修験道の修行地 2025/09 Ogose Kuroyama, Japan – An Ancient Training Ground for Shugendō#栄円#役行者#Japan
越生黒山
35.935621, 139.242839
35.940596, 139.245324
3:20 天狗滝
5:12 天狗滝上流域
7:18 太平山
8:22 石造役行者坐像 付 石像4軀 越生町指定有形文化財
10:37 太平山(栄円の墓)
11:42 女滝
12:31 男滝
関東北部、埼玉県越生町の黒山は、古くから修験道の修行地として知ら
れてきた。修験道は、日本独自の山岳宗教であり、山を仏の世界とみな
して自然と一体化し、悟りを得ようとする信仰体系である。修験者は険
しい山道を踏破し、滝に打たれて心身を鍛え、浄める修行を重ねた。
伝承によれば、室町時代の明徳2年( 1391年)頃、修験僧・栄円(えい
えん)が黒山に「越生山本坊」を開いたとされる。栄円は黒山三滝や大
平山一帯を紀州熊野三山になぞらえて霊場を整備し、関東における修験
道の拠点形成に尽力したと伝えられる。
栄円は修験道の祖・役行者(えんのぎょうじゃ)の教えを範としており
、その信仰を奥武蔵に広めた中興の祖とされる。彼と弟子たちは役行者
を信仰の対象とし、その実践を基盤に活動したと考えられる。
その出自については定かではないが、後世の伝承では平将門の十三代目
の末裔であったともいわれる。(1)
明治4年(1871年)、新政府は「修験宗廃止令」を発し、修験者(山伏)
に対し修行や宗教活動を禁じた。この政策によって、越生山本坊もその
役割を終えることとなった。
現在、大平山の山頂近くには役行者像と栄円の供養塔が並んで祀られて
いる。これらは、黒山がかつて修験道の霊場として重要な位置を占めて
いたことを示すものであり、地域の宗教文化史を物語る貴重な遺産であ
る。
参考物件
(1)OGOSE education 越生浪漫No.133 P19
音楽
時は流れる written by のる
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