【酒造り一筋】自然体でお酒を楽しんでほしい。地元との関係性を大事にしつつ、実直にお酒造りに向き合ってきた代表の人柄が素敵すぎました。|会津美里町 白井酒造店・さんへインタビュー!
一周飲もうよ。福ども 福編集長の小笠原は斗です。 講子会社井店白 Hです。 よろしくお願いします。 よろしくお願いします。 [拍手] ということで本日はあ津三里町にあります白井店さんにお邪魔しております。白井さんよろしくお願いします。 よろしくお願いします。 今回で3 回目の取材ということで越させていただきましたが、今日は 7 月でね、非常にこう暑い日ですけれども、お時間取っていただきましてありがとうございます。ございません。 白井戸て店さんと白井さんのこれまでのあみなんかも色々とお聞きしていきたいと思うんですけれども、まずこちらのクラですね。歴史教えていただけますでしょうか? [音楽] 書類によると創業は令和 2年とメイでした。 あ、メイ。あ、ごめんなさい。メ、 2年。はい。本家から分してきて、ここで 酒作りを始めたっていう話を聞いておりますが メイ2年って成暦で言うと 何年前ぐらいですか? 300 年ぐらい前かなり前と思うんですけどね。 うん。200 テロップ入れます。 で、私で9代面っていうのになります。 うん。元々の本家というのは何をされてたとかですか? 本家は同じなんですけども、家業としては油屋さんをされて 合津三里町というのはあ津若松市ま隣接してるんですか? は、三里町は若松と隣接するようになったんですけど、元々はあ津高町という町だったので、その頃は若松から少し離れた地域になります。 文化としては同じなのかちょっとまた違ったりするんですか? 文化的にはほぼほぼ一緒なんですけれども、ちょうど私たちの住んでいるところは高田の中でも長っていう場所になりまして、高田まではア津ハ直轄地で私たち長野から南側は天領だったと言われてたので、ま、年宮の比率は違ってたらし、私たちの方には酒屋とかそういう少様がいっぱいて、高田の方はなかなか厳しい連宮の取り立てで少なかったとは聞いています。うん。 高田地域の方は合津班に年合収めて、この地域の方はこの地域の商野さんに、ま、収めるみたいなちょっとまた そうですね。小屋さんから うん。 どっかに送っていたっていうような話をします。 はいはい。ま、意識としてはでも同じ感覚なんすかね。合図の人間としてっていう で、生活権としては一緒ですね。 ま、そういった中で300 年前に油屋さんをやっていた本家かられて、ま、酒作りを始められて 10代目。 その間の何か右曲みたいなものって色々あったとは思うんですけど。 そうですね。どうなんでしょうね。 酒屋って言っても多分昔の酒屋さんって余ったお米でお酒を作るぐらいでほぼほぼ小作人さんに米を作ってもらってるっていう仕事だったと思いますので酒屋として本当に本書を入れて始めたのはそんな昔じゃないような感じはするんですけども多分農業はやってなくて農業やってもらってて こう上がってきたお米で残ったものでお酒を作って食べて うん結構大きいと思うんですけれどもこの規模で昔からやってたんですかね倉の建物 はほぼほぼ全てが明治の建物ですので うんうんうん それ以上昔はもっと違う方法だったのかもしれないんですけども明治以降は今と同じ規模関係ないですね。 うん。明治で150 年前ぐらいから建物を使ってやってらっしゃる。 はい。そうですね。明治に修行に行かれた人は 5代目の方なので私よりは 4 台前の方ですね。このぐらいの方は多分まっきりガラっと変えたんじゃないかなと思うんですけど。うん。うん。 5台から、ま、9 代、えっと、映るわけですけれども、白井さんが小さい最後に見てきた、こう、倉の雰囲気とかってどんな感じでした? [音楽] はい。 ま、私が生まれた頃は本当に普通州だけでほぼほぼ 2九州と言われるお酒を作ってまして、 当時さんは越当さんが何人かの職人さんを連れて毎年冬になるとやってくるというような状況で、ま、当時さんによって違うんですけど、基本的に子供は倉に入るなっていうあ、 当事さんが多かったので、あんまりクに入ったことはなかったですね。 私が大学に入る頃に越さんが年配になってしまいまして、 南部当時岩手県の当時さんに変わったんですけど、その頃からですかね、色々手伝うお倉の中に入る。その頃もほぼほぼ地元の倉人はお手伝いで岩手の職人さんたちが作る状況でした。 で、時々学生時代はのお手伝いなんかもしてっていう感じだったですね。 そうですね。 基本的に冬しか忙しくないっていうか、その頃は夏場は本当に瓶詰出荷ほぼほぼ 1種類2 種類しか売ってなかったのでそんなに忙しくなかったもんですから冬だけですね。仕込みの期間だけちょっと手伝いに来たへ いう感じでした。 ちっちゃい頃から将来は継ぐんだぞと言われ続けてどんな気持ちだったんですか?根が優しいもんですから普通に受け入れてしょうがないなっていう気持ちとそんなに嫌ではなかったんですけど [音楽] 正直なかなか儲かってる状況じゃなかったのでましょうがないかなっていう気持ちが半分ぐらいあってそれほど嫌ではなかったです。 うん。うん。うん。今ね、ご自身でおっしゃいましたけど、そ感じが今の白さんと確かになんか通じるものありますね。 結構受け入れる。 なかなかどうやって行けばいいのかっていうのは本当に大学卒業した時には分からなくて 悩んだってほどでもないですけど色々考えましたけどなるようにしかならないので ま、就職をされずに直接ま、実家のくらいに戻られるという選択を、ま、されたと思うんですけれども、ちょ、その時のちょっと経緯みたいなもので教えていただけますか? 本当に卒業してすぐ会社に帰ってきまして、半分は成績があんまり勘ばしくなく、 3年生、4 年生とかなりの授業を抱えていたので就職活動がう する時間があまりなかったっていうのも半分あるんですけど、もうあと半分はうちの父がですね、直接教えるから早く帰ってこいっていうことで、まっすぐに帰ってはきました。その次の年に父の病気が分かったんですけど、その時からもうもしかしたら うん。次の年ってのは倉に戻られた 戻った年ですね。年、 戻った年の夏に体調が悪いっていうのが分かりまして、その次の年の秋にはなくなってしまったので、父と一緒に仕事したのは 1 年ちょっとぐらいしかないんですけど。うん。うん。 うん。ま、今思えばそういうこともお父様の頭の中にあったかもしれない。 そう。はい。なのであんまり教わってもないのかなっていうのもあって、それもそれで良かったのかなっていうのもあるんですけど、親子ってどうしてもぶつかるじゃないですか。そんなにぶつかることができなかったのがそれは残念だなとは思うんですけど。 うん。元々越当時の方にも作ってたじゃないですか。 その商品事体も変えていこうっていう気持ちになれたんですか? いや、商品自体は父の頃からですね、少しろんな商品に力を入れてやろうっていう風にやってはいたんですけども、悪く言うと当司さんに丸投げこれぐらいあってこういうお酒をこれだけ作ってくださいっていう風に丸投げして当司さんが全部作っていたのでなんなんでしょうね。やっぱ熱意が違うっていうのか。 私が帰ってきてやっぱり67年ぐらいで 南部当時さんも年を取ってきまして高の 当時さんも当然もう時代的にいなくなって きてたので自分たちでお酒を作らなきゃ いけないっていう風になった時に自分たち が色々作るようになって自分でやるとこう いう風に作りたいからこういう道具が 欲しいな豪華なものは買えないんですけど 使いを更新したりするっていう意欲にも つがるのでそれで少しずつ変わっていくの かなっていう気はするんですけども ちょっとずつ自分たちがおいしいなと思う ものが作れる にはなっていったのかなと思います。 うん。 白井戸さんと言うと今回服の問題ですかついたべくこの番という銘柄と風が吹くという銘柄 2 つのブランドがメインだと思うんですけどバダ法はま、昔からある銘柄と思っていいんですよね。 はい。 風が吹くが比較的新しい銘柄。つ頃に登場したんでしたっけ? 風が吹くは平成 17年から うん。 ですね。 で、さんが生み出したもの。 私が生み出したっていうとちょっとそれもそれで語弊があるかもしれないですけど難しいんですけどみんなの意見に負けて発売した。 [音楽] え、そうなんですか。さん初じゃなくて 初でもなく、それまだ全てのお酒を番大砲っていう名前で言ってたんですけど、みんな同じ名前だと分かりづらいっていうか、私の父が平成 7 年に亡くなったので、原料前がその頃入ってこなかったんですね。腰光めちゃめちゃ売れてたので、みんな腰光作り始めて、そうなんです。 500 万国作ってくださる方が本当にいなくなって、そん時こう知り合った農家さんが地元の有益栽培の一風変わった農家さんなんですけど、農家さんたちはやっぱ自分たちの作った米は普通の米とは違うんだっていう自フを持ってらっしゃるので、全く違う名前で売った方がいい。 そのお米を作ったお酒を作り始める時に最初に協力してくださった酒屋さんもそうだなっていう話になって、たまにこう作戦会議じゃないですけど食事をする機会があったんですけどその時に商に書いてあった風が吹くっていうのを農家さんがですね、これがいいのでこれにしようと酒自体は私は美味しいと思って作ってるのは間違いないんですけど名前は農さんとその主販店さんがもうこれで行こうと 2対1で決まった感じで あるんですけど 今回まお送りするのはバダ法で そちらのなんかこだわりポイントなんかもお聞きしたいですね。 で、番ダ法の巡マ師は元々の私が生まれた時からの銘柄で純マ師も私の父が特定名称を初めて作り始めた時から作ってるお酒ではありまして、ただちょっと毎年少しずつ変えてるので父が作っていた時のお酒とは違うお酒にはなってるんですけど地元の皆さんに美味しく飲んでいただきたいっていうタイプのお酒になってます。 [音楽] なのでどちらかていうと食中止に合うように作りたいなと思ってはいるんですけど、香りもある程度欲しいなと思って今年は少し香りもあるタイプにはなってはいるんですけど、ま、なるべくお食事と合わせながら飲んで楽しんでいただければなというようなお酒です。 福袋会員の皆様にお送りする番も 500万国を使らっしゃる。 バダホの純マもですね、合図津さんの 500 万国を使わせていただいておりまして、最近やっぱ 500 万国すごくお米が硬くてですね、農家さんが作るのも難しいんですけど、私たちがお酒にするのも難しいなってきてると言われてはいるんですけども、今年の 500 万国は非常にうちのクラとしてはすごく使いやすい感じで、もちろん硬くてそんなに溶けはしなかったんですけど、イメージ通りの発行をしてくれる感じで、今回の順もですね、非常にう 味も綺麗で香りも出たっていう印象のお酒になります。 それは純粋にお米がいいっていうこともあるかもしれませんし、こ白さんとあいつの 500 万国のなんか相性がいいとかもある。 そうですね。やっぱりずっと500 万国の使用量っていうのが1 番多かったので、1 番たくさん使ってるお米でもありますので、その中でも今年は特に良かった印象です。 うん。 今回皆様にお送りできるということなので、さんの 500 万国の魅力をね、しっかり感じていただけるお酒かなと思います。楽しんでいただければ ぜひ楽しんでください。 今回はマリアージュにする上での、ま、最適なお酒ということでバダ法も選ばせていただきましたけれどもね、この地元のおつまみと合わせてどうなるかいうところですが、白井さんご自身は夜なんか晩酌とかされるんですか? 晩酌はするんですけど日本は本当に死の時だけです。 うん。 うん。 ワイワイみんなで飲むの結構好きなんですか? そうですね。 地元の介合だったりとか多いんですか? 地元の介合多いです。介合でも基本的には私は日本酒を飲まない。これもうちの父親に反対してる親子だからかもしれないんですけど、うちの父はもう日本酒飲めって言ってみんなに飲ませて自分も飲むっていう営業スタイルだったんですけどそれが嫌で好きなものを飲んでもらった方がいいとずっと思ってるもんですから無理じりするのが嫌で自分から先にお酒を飲んで皆さんもどうぞっていう飲み方はほぼしない。 ちょっと感動しましたね。 珍しいと思います。みんなに好きなものを飲んで欲しいからっていう風におっしゃるのがやっぱ白さんいいところだなと思って。 お酒も美味しいんでお酒飲む方も当然いますのでその方はその方でいいんじゃないかなと思いますね。 自然 体で正直にお互いにたいとかでも喜んで欲しいって気持ちもある中で喜んで欲しいってのは無理やり何かを押し付けて喜んでもらうんじゃなくて自然と本音で会いとりしてる中で相手がいいねって思ってくれるものだったらま差し出すし違かったら差し出さないしみたいな本当に そうですねんだとすれば無理して買っていただくっていうのは問題なので あ僕の勝手なイメージの中の合図の人のイメージに結構合う感じなんです なんかは進めたくなっちゃうんよ。相手が欲しくなくても そうしないといけない場面もあるんですよ。私がやらなくても他の皆さんが乾杯条例とか作って乾杯してくださるので。 [音楽] だから乾杯条例って考えてみたら、ま、怖い話てはありますよね。 1 杯目は日本酒飲めよという僕は結構あ、さっき見たようにその地元の誇りをみんなで育組んでいくっていう考えは好きなんで乾杯条例とかいいなって思うタイプなんですけど見方を変えれば日本酒の見たくない人からしたら迷惑ですよね。 そうですね。いや、日本酒の会だったらいいですけど。 あ、ノーアルコールの方もいらっしゃるんでしょうし、 いろんな考人がいて、やっぱ白井さんのこの感じが僕はすごい好きですね。 [音楽] 僕は結構そういうプッシュするタイプではあるので、白井さんみたいな人がいてそういうお酒があるんだよってことは今日のねこの動画を見て逆になんかあんまり日本酒とか落ち着けられたくないって人にこそ飲んでほしいかも。 そうですね。潜入感なく味わっていただければなと思いますけどね。 うん。じゃ、最後になんか将来やっていきたいとかこうありたいみたいなものが何かあれば聞かせていただけますか? 前の時も言ったんですけど、特にそんなにはなくて ですよね。 ちょっとそうかなと思いながら聞きましたけど。 でも今だんだんお米の品種も本当に気候が変わってくるので作れるお米の種類も変わってきてまして今年なんかも [音楽] 500 万億を農家さんが作りたくないと他の品死にしたいていうことで福の量が増えてまして山田にも今年から植えるというような話もあったりして新しいお米どんどんこう地元でも作ってもらえるようになってきたので地元に適した品種を作ってもらう中で私たちう がそれのいいところを伸ばしていける作り方研究していければいいなと思っています。 うん。今まで風が服は 500万国が、ま、メイン でほとんど ほとんど500 万国でした。最初は全部だったんですけど。 うん。ちょっとずつそれ以外のお米も使うようになってきたのが比率が 500万国以外が今後増えていく。 そうですね。本当にこの2 年ぐらい高温障害が激しくて 500 万億も強の高いところで作ってやるやつはいいんですけどうちの辺の田ぼでもなかなか温度高くて作りづらいということで農家さんとしてもある程度品質と終了求めますので福の方がいいってすごく言われちゃいます。 なるほど。ま、500 万国って元々その関地に適したお米として、ま、新潟生まれ、福島でも広がってきたけれども、温暖化によってね、合わなくなってきた中で最近は吹くのかっていうお米が出てきたりとか、ま、西の方で作られていた山田識がだんだんこの東北とかでも、ま、作りやすいような気候になってきたっていうので、のさんの変化が、ま、あるですかね。 そうですね。 今回服に加入ただいてる皆様はまずバ台ホと、ま、それに合うマリア楽しんでいただきまして、ま、県外だと、ま、お近くの酒屋さんで、ま、風が吹くなんかもね、置いてあるところもあると思いますので、見かけたらね、是非試していただいて、あ、なるほど。これが白井さんが言っていたことなのかっていうのをご自身の互感でね、確かめていただければと思います。今日は本当にありがとうございました。 ございました。この動画ご覧の方で チャンネル登録まだの方は是非チャンネル 登録していただけると嬉しいです。では また次回服のでお会いしましょう。 さよなら。さよなら。
🔽関連動画はこちら🔽
💁♂️蔵見学📹️
🥢おつまみ実食座談会🍽️
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2025年9月号は、福島県会津美里町の白井酒造店さんを特集。
白井酒造店の創業は一七六五年。
当時は、蔵の近くを流れる宮川の名を取って「宮川屋」という屋号でした。
代表銘柄は、地元の方々に長く愛される『萬代芳』と、信頼のおける地元の提携農家さんの米を使った『風が吹く』です。
『萬代芳』は、令和七年福島県春季鑑評会で金賞を受賞し、これで十二回連続の金賞受賞となりました。
九代目の白井栄一さんが蔵を継いだのは、二十二歳の時のこと。
営業から始め、一から酒造りを学び、現在は杜氏として酒造りを取りまとめています。
酒造りにもお客様にも真摯に向き合ってきた白井さんのお話を伺ってみましょう。
この動画では、
代表社員 白井栄一さん(しらい・えいいち)さんへのインタビューをお届け!
届いたfukunomoを楽しみながら、福島への旅行計画を立てながら…など、お好きなタイミングでお楽しみください。
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【fukunomoの魅力】
その①:酒蔵が選んだおつまみ&日本酒の組み合わせが毎月届く!
– 日本酒日本一の福島県の老舗・実力派酒蔵から選りすぐりのお酒と、蔵人自らが選んだおつまみを毎月お届けします!
その②:季節のおつまみや日本酒で旬を楽しめる!
– 福島県の郷土料理「にしんの山椒漬け」や「いかにんじん」はもちろん、名産品の桃や「あんぽ柿」も、実はお酒との相性ピッタリ。季節を感じるマリアージュをお届けします!
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