【廃道調査】豊浜隧道や層雲峡の旧道が現役だった頃の絵葉書と現在の様子を比較します
皆さん、こんにちは。今回の動画は江書き シリーズ第7回。昔のエハきに移る道路や トンネルは今どうなっているのか。 現在の様子と比較しながら北海道各地を 巡ります。 [音楽] では最初の1枚目は車庫タ半島の東側に 位置する古び町から行きます。 下が現在の国道229号で上はその球道 時代の地形図となります。赤い矢印はこれ からお見せする絵が書きの場所を示してい ますが、昔とはだいぶルートが変わってい ますね。 これが球道が現役だった頃の1970年代 前半に発行された江書きで国道を走る路線 バスとその背景には背カム岩とロソ岩も 見えます。 この時はガードレールがなかったんですね 。 それから50年以上経過した現在の様子 です。 2004年に現動の沖き歌トンネルが開通 したため、この区間はすでに廃道となって おり、現在は1975年行の副道がある だけで、ガードレルや道路標識は全て撤去 されています。 時の流れを感じますね。 詳細は過去動画で特集しているので省略し ますが、昔はこんなに狭い道でした。 [音楽] 次の絵きは先ほどの絵きにも移っていた 背カム岩をより近くで見たものになります 。この背ム岩は特に有名なので見たことが あるという方も多いのではないでしょうか 。この祈願は主人の帰りを待つ犬の神様で あるとの伝説も残っており1度は訪れる べき継承地となっています。 さてその背カム岩の横に移っている2つの トンネル こっちも気になりますね。 左は海岸道路建設時に作られた最初の トンネルで1953年に完成しました。 しかし瞬候から2年後に一市一側の工口を 出た辺たりで大規模な放落が発生。その 地点を回避するための新たなトンネル建設 が進められ、1956年に完成したのが右 の旧背いトンネルとなります。 こちらが現在の様子で初代のトンネルは 鉄板で閉塞。 2代目は森戸によって埋まっています。 なお、背カム岩の裏には球道が今も存在し ていますが、陸地からの到達は非常に困難 となっています。 [音楽] 続いては背カム岩の裏に続く球道の絵書き になります。 トンネルの中から撮影したもので、遠くに は背ム岩も映ってますね。 実はここ非常に珍しい構造になっている トンネルなんです。早速見に行ってみ ましょう。 左は豊浜トンネルの夜市一市川口で右の 球道を進んでいくと初代の豊浜水道があり ます。 [音楽] この豊浜水道があるタコ穴の御崎には波に よってできた自然の洞窟である海食道が 存在しており、この身先を通過するため 1951年に4本のトンネルが建設され ました。その後連結工事によって1本の 豊浜水道が完成したんですが、解食道を 利用した部分はそのままとなっているので 、地形図を見ると2本のトンネルが連続 するような形になっています。 ここがすごいんです。 お分かりいただけたでしょうか?自然に できた大きな解食道の中にトンネルの高口 が2つ見えますよね。 いや、実に素晴らしい景色です。 このように解食道をトンネルで通過する 構造は少なからず存在しますが、解食道に 一旦出てまたトンネルに入るという構造は 全国的にも非常に珍しいんじゃない でしょうか。 [音楽] なお、現在は球道が封鎖されているため、 この法学の陸地から背カム岩を見ることは 非常に困難となっています。 続きまして、同じく豊浜随道からの風景 部屋で、トンネル内から撮影された写真に はロソ岩が映っています。 高速岩は車タを代表する祈願なので皆さん も知っているかと思いますが昔はトンネル の中からも見れたんですね。豊浜水道と ロソ岩の位置関係を見てみるとトンネル の口から見れる角度じゃないような気がし ますが一体どこから撮影したんでしょうか ? 実は意外な場所から撮影されたものだった んです。 豊浜水道の夜市側からトンネルを追って いくと何やら白い壁みたいなものが見えて きましたね。 近寄ってみると明らかに人工物で白い部分 はモルタルで塞いだ痕跡のように見えます 。 実はこれ富浜随道は元々4本のトンネル だったとお伝えしましたがその連結した 部分の痕跡だったんです。 連結した当初は白いモラザ部分に明り窓が 存在したようで、そこからロソを撮影した 写真だったんですね。 確認のため明り窓を塞いだ場所から撮影し てみると絵掛きに移るロソ岩のアングルと 一致しました。 こちらは江書きではありませんが、 トンネルが4本だった時代の貴重な写真で タコアのトンネルから古び方面を撮影した ものになります。 [音楽] 次は北海道の屋根とも言われる大切の麓元 にある総運橋に向かいます。場所は総運教 温泉街にほど近い国道39号の球道で銀河 トンネルが完成する前に使われていた道に なります。 [音楽] この付近には日本の滝線にも選ばれた 竜セ河の滝があり、有名な観光地として 知られていますが、その奥にひっそりと 閉ざされた球道がありました。 そこで撮影された絵書きがこちらになり ます。 垂直に切り立った中設理が見事な景色を 演出していますが、その段階絶壁のすぐ下 に道路が通っているのもすごいですね。 この付近は見応えある滝も多い上に ダイナミックな教国を見ながら通過できる ドライブコースとして人気でしたが、 1987年に死者3名を出す放落事故が 発生。その後復旧はしたものの安全性に 懸念が残ることから1995年にこの区間 をトンネルで通過する現在のルートへと 切り替え、球道は言うほどに転用されまし たが、最終的には安全の理由で2004年 以降封鎖されています。 さて、この部屋きはどこで撮影されたん でしょうか? これは新作壁と呼ばれている150にも 及ぶ段階で、総運の中で最も迫力ある場所 と書いてあります。 これは楽しみですね。江書きと同じ場所に 行ってみましょう。 [音楽] 副道からトンネルへと続くあたりに球道と の分岐点がありますが、こちらもゲートで 封鎖されています。 [音楽] 巨大な段階が見えてきました。これが新作 壁です。 [音楽] その下を通る道は今どうなっているん でしょうか? [音楽] 言う歩道が閉鎖された後に放落があった ようですね。崩壊した岩で道が塞がれてい ます。 その対岸には見事な滝が流れていました。 楽が55ある禁糸の滝です。 [音楽] そしてこの辺りから北道を振り返ってみる と江書きと同じ景色でした。 道路はすっかり変わってしまいましたが悪 の景色は今も顕在ですね。 [音楽] 続きまして、同じ運教の大箱と呼ばれて いる場所の絵書きで、1960年代に発行 されたものになります。中設理の段外に かけられた橋とそこを走行するバスがより この景色を際立てていますね。 [音楽] [音楽] 場所は先ほど通った新作道の反対側に位置 する新大箱トンネルの球道になります。 この球道は現在封鎖されており、通行する ことはできませんが、長として今も維持さ れています。 江書きに移っていた橋が見えてきました。 [音楽] このトンネルの反対側で撮影された絵書き もありました。 橋の右側には警谷に流れる石側を干渉 できる広場があるようですね。 さらに右には土産屋が映っており、大勢の 観光客で逃げってる様子が伺います。 こちらは現在も大箱の展望広場として存在 しますが、土産物屋はなくなっていました 。 [音楽] この区間の道路が開通し当初は木で作られ た橋でここを通過していましたが、国道へ 昇格した1952年を景気に道路改良が 進められ、今も残る撤教に駆け替えられ ました。 せっかくなんで大箱の警告を少し見ていき ましょう。 展望広場からは奥まで見えないので ドローンならではの景色となります。 [音楽] [音楽] ラストはエリも先に向かいます。 江垣にはホ泉市街より襟リモ東台に至る道 の油コ付近と書かれています。 場所は江崎の西側に位置する東洋の辺りで 1996年に完成した東洋トンネルの球道 になります。 [音楽] トンネルができる以前は海岸沿いに道が あったんですね。 [音楽] 現在の様子と比較してみると、漁行建設に 伴い、当時海だった場所は埋め立てられて いて、だいぶ変わってしまいました。 なお、東洋トンネルの反対側には球道の 名残りが残っていますが、中間地点に テトラポットが設置されていて通行はでき ません。 以上、昔の絵が書きに移る場所が今どう なっているのか巡りましたが、今後もこの シリーズでは道路やトンネルを中心に今は 見れなくなった過去の景色をご紹介して いきたいと思います。 ではまた次回の動画でお会いしましょう。 さようなら。
今回も前回の動画に引き続き、昔の絵葉書に写る道路やトンネルが今どうなってるのか?北海道各地を巡る絵はがきシリーズ第7回は、国道229号の豊浜トンネル旧道、国道39号の銀河トンネル・新大函トンネル旧道、えりも岬に至る旧道を比較して行きます。かなりレアな絵葉書や写真が出て来ますので、是非お見逃しなく!
【絵はがきシリーズとは?】
旧道や廃道が現役だった頃の資料を基に、過去の道にタイムスリップする。それが絵はがきシリーズのコンセプトです。このシリーズの配信は不定期ですが、資料および撮影が完了した場所から順次制作していきます。絵はがきは継続して収集中なので、今後にご期待ください。
▼おすすめサイト
北海道トンネルwiki
https://tnwiki.jp/%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8
#豊浜トンネル#国道229号#廃道#層雲峡#国道39号
■■撮影機材(Shooting tool)■■
Nikon Z6 ミラーレスカメラ
DJI Mavic2 Pro ドローン
GoPro HERO8 Black アクションカメラ
動画編集ソフト
DaVinciResolve Studio.20
——————————————————————
【SNS】44ヤマグチ
twitter
Tweets by 44Yamaguchi
Instagram
https://www.instagram.com/44yamaguchi/
21 Comments
貴重な動画をありがとうございます。
積丹、層雲峡、襟裳岬。当時はさぞかし走破が困難だったことでしょうね
素晴らしい。見たかった景色を実現してくださり感謝です。感動です。チャンネル登録させていただきます。今後の活動も期待しています。
16:20 テトラポッド(tetrapod , 消波ブロックの一種) → 不動テトラ ※本編動画は毎回すばらしいです。今後も期待しています。
海蝕洞トンネルはバスで普通に通っていましたが、海側から見るとこんな景色だったのですね…‥昔は断崖絶壁の下で海水浴もしていましたが、今はどこも立入禁止で少し寂しいですね。行ってみたいなぁ、あの思い出の場所😢😢
絵葉書シリーズ激アツ!!
豊浜トンネルは海蝕洞の部分を連結しなかったのは何か理由があったのでしょうか…
豊浜トンネル崩落事故の後に旧道が応急ルートになりましたが、海蝕洞の部分はそのまま通行させていたのでしょうか?
I always enjoy these videos comparing old with new!
オートバイで「旧道」巡りをした事が有りますが、オロロンライン近辺の道は片っ端からフェンス、鉄扉で閉鎖されているので徒歩での散策を要求されましたね。かつての国道が波に削られ、舗装路面だけが海岸に散らばっていました。
should of turn the old road/tunnel parts into a bike road.
資本主義てつまらねーな
禁止だらけ
自由に道路をつかわされろ
共産主義素晴らしい
40年ほど前に訪れた層雲峡では壮大な渓谷や滝を観られたはずなのに、数年前に行った際には全く観ることなくさらっと通りすぎてしまい、「あれっ?」と思ったのです。昔通った道は廃道になっていたのですね。この動画で知ることが出来ました。ありがとうございます。
すばらしい取材です。
有難うございました。
96年の秋頃に迂回路として使われていた豊浜隧道を一度だけ通った事があります。夕方だったので伝説の洞窟部分はヤマグチさんの動画を見るまで知りませんでした。子供ながらに覚えていたのは、周辺の旧ワッカケトンネル等に比べても圧倒的に狭すぎてカーブも長めできつい…。これは片側交互通行で30分以上待たされたのも納得の道路です。懐かしい気持ちになりつつも、ヤマグチさんの調査力、動画クオリティにいつも感動してるので、これからも期待しています😊
層雲峡は眼前に切り立った岩が屹立していて、自動車で通ると自分の方に倒れてくる様な錯覚を覚える程でした。
トンネルや覆道は、過去に多くの方の犠牲があったからこそ安全に通行できる様にして頂いたのですね。
行政、工事関係者のご努力に感謝です。
小学生の時修学旅行で層雲峡の旧道を通ったのを覚えてます。
大函のお土産屋の所で休憩したり、あの断崖を見た時はすごいな位にしか思いませんでしたが、二度と見る事が出来なくなった事を思うと貴重な体験だったなと思います。
ヤマグチさんいつも貴重な動画楽しませてもらってます。
積丹半島の海岸側で旧道があるからこそ旧道に行くのはとても危険ですよ ❌🈲⚠️
映像も素晴らしいが、ナレーションも映像にマッチして最高です。
大変興味深い内容ありがとうございます😊
裏道通ると、たまに錆びた案内標識があるんだよね、昔はこんな狭い道が国道だったのかと、感慨深いです
先人達の苦労は計り知れない
いつか戸隠バードラインの地附山地すべり廃道区間も作成してください。