40周年記念特別講演(地域力創造大学校®への歩み)

え、皆さん今日はどうも大勢の方ご参加を いただきましてありがとうございます。え 、今日はですね、人材育成事業の主なもの についてちょっと説明をさせていただき たいので、関係者の経験者の皆さん方にも ご登壇いただいてます。よろしくお願い いたします。どう座ってください。 え、まず最初にあの西村先生とご一緒させ ていただいて、こうお話をさせていただく のは本当に公栄でございます。ちょっと核 が違いすぎてですね、最初はお断りしたん ですけど、まあ2015年に、え、30 周年ということで、え、授業を、ま、 取りきせていただきまして、ま、その後の ことにも、ま、若干責任があるので、ま、 お引き受けをしたわけです。ま、30周年 思い出してみますとね、記念式店にはOB でもあるセンターのOBでもある高一総務 大臣にご出席をいただいて、ご縮を いただいて、当時のメンバーにもちょっと 集まっていただいたりから亡くなられた 大森先生に記念講演をしていただいた。え 、ま、指点の前にはですね、実はあの職員 全員参加のワークショップを何回もやり まして、KOSFC研究所の方にもご指導 いただいて、未来構想と3つの物語という ものを、ま、策定しております。これ事業 のね、背容士のところにありますのでご覧 いただきたいんですが、ま、我々はあの 財団法人ですので国と違ってですね、 やっぱり現場主義で行こうとか、市町村 より小さな隊員を大切にしようとか、 そして結局は人づりなんだなっていうこと を、ま、強調させていただいて、3つの 物語の中にはもう多様な、今もう53人 ですね、全国から、それから民間からも来 ていただいてますので、多様性の中から やっぱりイノベーション生もうよと。それ から現場主義で行こうねと、それから従来 、ま、研修生って言われてたわけですけど も、研修ではなくてアクティブラーニング で行こうと、要するに選び取って自分の 課題に従って勉強できるような場を作ろう と、ま、こういうことにしたわけですね。 え、そのこと、ま、10年間ですね、相当 、ま、いろんなことをやってきたので、 最初にこの人材育成機関として、ま、発展 してきた経緯についてお話をしたいと思い ます。おかげさんでまずあのセンターは 先ほどからお話し合うように、え、40 周年、え、全地方団体と意ある民間企業の 方の協力により、え、1985年に創設さ れて、ま、地方団体だけではなくて社会の ためにお役のお役に立てる組織として日々 、え、ま、成長してきてるんじゃないかな という風に思ってます。え、私が2013 年に、え、乗務理事として迎えられた時に は地方団体から23人の派遣職員が来られ てましたけども、え、当然当時はですね、 中央省庁とか象庁関係の他の団体と同じ ように、ま、仕事をやることを通じて研修 をするとOJTですね。ま、それをやって いたわけです。え、しかし、え、仕事とは 完全に分離しまして、この純粋の学びの プログラムっていうものを大きな柱に据え たことによりまして、地方団体からその ことについて理解とですね、え、評価が 高まってきて、コロナ前のピーク時には 2019年ですけども、 こっちかあれ、 え、67人になりました。ちょっと、ま、 事務所が狭くなりすぎて、他のところもお 借りしたりしてやってました。で、コロナ で少し減ったんですけど、ま、最近また 心理事長を迎えましてですね、人脈の違い があるんで、まあ、2馬力でまた増えて まいりまして、今53人。え、ま、でも これを維持するのは非常に大変です。え、 常に地方自治体の首調査のところを回って 、ま、互へ変ですけど、ま、国会議員で 言うと草りってやつですね。え、これを、 ま、常にやって、ま、2、3年後に ようやく派遣してくれるとか、まあ、長い もので10年ぐらいかかって派遣に至 るっていう自治体もあるくらいです。え、 ま、同時にですね、え、ま、人間は増えた んですけど、当時のセンターは、ま、 市町村合併で相当会員数が減りまして、 財政であったわけですね。ま、万年赤字 状態。え、ということで、私は、ま、全て の事業にやっぱりこれ見直しをしてですね 、負担いただくべきものは負担をいただか ないといけないだろうということで、ま、 自治体と同じですけども、小人数に対する サービスは、ま、割勘にやってもらうと いうことで、ま、有料化をしてまいりまし た。アマネクサービスは、ま、回避とか、 え、ま、その他の財源であるということに して、え、2016年度以降は、あ、黒字 経営を、ま、続けることができています。 え、やっぱり組織っていうのはですね、 サステナブルでなきゃいけないってことだ と思いますね。ま、そういうことでやって まいりました。ま、端的に言うとですね、 Pクジ2008年、ま、予算規模は非常に でかかった時の1/2に予算はなってます けども、え、派遣職員は約3倍になってる とこういう面白い現象が実は起きてるん ですね。このことから何が分かるでしょう か?人材育成にそれほど莫大なお金はいら ないってことですね。だけど効果はかなり 絶大なものがあるんじゃないかという風に 私は、ま、思っています。よく言われる ように補助金より補助人って言われます けども、我々は、ま、補助金より人材育成 と申し訳ないんですけど、ま、そういう ことをさせていただいてるということです 。 次燃票ですけどね、ま、これ、ま、後ほど ゆっくり見ていただいたらよろしいかと 思うんですけれども、え、ま、常に発展し 続けている新しい事業に取り組んできて いるということです。ま、象徴的な出来事 は2021年のこれは、ま、職員が頑張っ てくれましてね、私がやれと言ったわけ じゃないんですけど、ま、自発的にやって いただいて、この地域創造大学の商標登録 が取れたと、ま、10年間ですね。ただ これね、10年後もおそらくね、追随 できるだ、あの団体企業はないと思います ので、おそらく10年20年と続いていく んじゃないかなという風に思ってます。 後ほど、ま、買つ満で主なものについてご 説明をしたいと思います。え、さて、本題 に入る前に地域活性化とか地方創生に関し て先ほどから補助金、交付金、ま、交付税 なんかも重要なんですけれども、ま、これ 必要なもんなんですが、人材育成がいかに 重要かという話のもう1つの、え、例とし てですね、え、国の地方創生カレッジ創設 のエピソードをちょっとお話したいと思い ます。え、2014年ですけど、初代地方 創生担当大臣、今の石総理ですね、なられ たんです。え、その時に、え、ま、 いろんな人を呼んで勉強されたんですね。 私も、ま、ちょっと昼休みに呼ばれまして ですね、確か、ま、委員会の合間だった ような気がするんですけど、ま、お弁当 いただきながら何したらいいと思うかと こう聞かれたんですね。で、私はあの、 こう申し上げました。これまで国はね、 たくさんのお金を地方に補正予算の時には 、もう公共事業も追加する、いろんな交付 金も追加するやってきたんだけど、消滅 可能性自治体が900もあるという現状。 これは何かやっぱり足らないものがある。 そういう風に考えないといけないんじゃ ないでしょうかという、それは何だと言う からそれはやっぱり国も人材育成にもう ちょっと力を入れていただいたらいいです ということを申し上げました。ま、各省を ね、みんな大学とか持ってるんですけど、 これは縦割の中の専門知識を、え、学ぶ ところで、え、この幅広くですね、横に 広がっていくような人材を育てるところっ てほとんどないんですね。ですからそれを やってくださいということで実は国はま2 年後になったんですけど地方創生カレッジ というものをEラーニングによる、え、 地方創生カレジというものを、ま、作って くれたんですね。え、現在までにもう あらゆる分野のなる講子が作成した210 口座が無料で提供されてまして、この事業 主体は、ま、日本生産性本部なんです けれども、我々は中核的事業者になって くれということで観光進興協会と、え、共 にですね、支えてまいりまして、え、 210のうちですね、1番たくさん講座を 提供してるのが実は地域活性化センター 40講座を提供させていただいてます。え 、この 40講座のうちですね、実は私も5講座 出させていただいてまして、あるものを 生かす地域力想像っていうのは、これは、 ま、初代の地域力想像審議官の時に様々な 有識者の方々と議論をして作り上げてきた ものを、ま、本にもしてますけど、これを 、え、eラーニングの講座に、ま、してい ます。それから有名な鹿児島県の屋根の豊 公民館長との対談、ま、2本ですから 300分とか、ま、そのぐらいになって ますけど、行政に頼らない村づりという、 ま、講座も出させていただいてます。え、 さてさて、こっからはですね、地域活生化 センターの様々な人材育成プログラムに 参加していただいた皆さんにも経験談を 紹介していただきながら進めていくわけ ですが、 え、センターの行ってる人材育成事業って いうのは、あの、通常自治体がやってる 業務研修とか回層別研修とは全く違って おります。え、ま、現場に出かけていって 全国の、ま、いろんな事例を実際に見て そのそれを体感してですね、レポートにも 書いていただく。そしてそういう作業の中 でいろんな人と知り合って人脈をとにかく 作るということですね。え、そして自分 たちの派遣元に帰った時にはもう残された 課題っていうのはなかなか行政だけでは 解決できない課題ばっかりなんですね。 ですから外部人材そういう方々のとの 繋がりを大切にしてチームを作って とにかく1歩でも2歩でも前に進めて いこうと、ま、こういう人を作る、ま、 チャレンジングな人材を育てるということ です。で、私たちが使ってる言葉としては 、ま、通常使うのはイノベーター。私は 予告市人材って言ってんですけども、それ からAOSFCのそのご指導いただいた 先生には、え、インターミディエーターと いうようなことも、ま、言われてましたの で、ま、ま、そういうことかなという風に 実は思ってます。外部人材の力を借りる ことが今後の課題解決には不可欠。役所の 中だけで解決できる問題も既でに解決し てるわけですね。ま、ですからそういう 人材を育てていこうと いうことです。そして今日は、ま、時間の 制約もありますので、え、皆さん方には このセンターの事業あるいは地域起こし 協力隊に参加をして自分の人生がどう 変わったかってことを中心にお話を いただいて、あとは資料でご覧をいただく という形にさせていただきたいと思います 。 え、地域起こし協力隊実は、ま、センター の事業でありませんけれども、ま、私、私 が実は、あ、2008年夏に当時の増田 総務大臣から初代地域力総合審議官になっ てくれと言われて、自治大学校長から戻り まして、その時に福田総理だったんですね 。群馬県も大変、ま、ピンチで今も移住の 問題なんかに対してはもう群馬県非常に 熱心にあの、取り組んでおられます。 え、福田総理からまず増田大臣が人口をなんとか地方にとめるような法策を 実現してくれという指示を受けたということですね。で、佐々木た武志先生を座長として各省の局長なんかも入って珍しい研究会ができてまして、その報告が既でに出ておりました。私が 2018 年の地域録審議になった時にはもう報告書があってこれを制度化してくれって言われたんですね。 で、ま、当時、え、山崎君が事実立応援 課長だったんで、ま、そういうの得意でし たから非常にちゃっちゃとやってくれて、 ま、非常に助かったんです。しかし私は この制度だけ作ってね、ま、人口流出を 多少とめる効果はあるとは思ったけれども 、全く地方に縁のない若い人たちが地方に 移住していくだろうかってことを考えたん ですね。これは島根県の総務部長時代の 経験に基づく直感です。そして島根県で 定住財団を快速して、ま、全国でも有名な 、ま、定住財団になってるわけですけども 、その時の経験をもに私はこの地域起し 協力隊のようなものを、え、作った方が いいんじゃないかということで、秋口から ですね、小田桐先生は初め、ま、有識者の 方々、それから、え、関係自治体島野根県 の方にももちろん来てもらいましたし、 それから国際協力事業団青年海外協力隊 当時の名前ですけども事務局の人とか脳水 の田舎台働き隊を担当してる人とか様々な 人に来ていただいてちゃちゃちゃっとです ね、ま、作ったわけですね。ですから最初 は本当にね2つの要件住民票を移動して くださいから活動状況を他の移住者と区別 するためにちゃんとホームページなどで 公表してください。ま、この2つの要件 しかなくてですね。それで、まあ、 16万5000円の、諸得交渉を3年間 するというような、ま、制度で、あとは 自治体が自由にやってくれっていうことで 、ま、本当にあっぽい制度で21年に平成 21年に、ま、スタートしたわけです けれども、え、定事実権と同時に、ま、 スタートできたということなんですね。 ところがそうやって、ま、急いで作った もんですから、まず地方団体理解進まない ですよね。ま、私その後自治体制局庁も やったんですけど、国の役所はね、ま、 いろんなこと言ってもなかなか自治体まで 伝わんないんですよ。ですから私自治代局 庁の時も地方に出かけていって語りかけ るっていうことをま、始めたんですね。 連絡会議みたいな。ま、そういう ことをする時間がなかったんで、ま、理解 が進んでない。特別交付税だからもらった かもらったかよくわからない。えと言って くる首長さんとか職員の方はこれおいでに なりましてね、私はこう言ったんですよ。 この地域起こし協力隊って本来自分たちで 考えてやるべきことじゃないですかと。 それを国が特別交であっても応援してくれ てるっていうことだけで大変な力になるん じゃないかということです。え、しかしま 、そうは言ってもですね、2009年度、 初年度は89人です。10年度は257人 、2011年度は413人と大変、ま、 苦戦したんですね。ですから当時ね、目標 設定ということもあったんですけど、ま、 集落支援と合わせて3000人とかね、ま 、そんな言い方をしてた時代もあったん です。ところがどうでしょう?最初のこの 一期生3年間 行った人たちがすごい、ま、成果を上げた んですね。もうマスコミに取り上げられる 。それから近隣の自治体に噂が広がると いうことで4年目からはですね、もう5 割増し、6割増し、7割増しと増えて今や も8000人規模になっちゃったんですね 。ま、私最初作った時こんなになるとは実 は思ってなかったんです。ですから私の後 に担当してくれた皆さん方がいろんな メンテナンスをきちっとしてくれて 素晴らしい制度になって財源措置も どんどん手厚くなって本当にありがたいな という風に思ってます。まあ2009年の その制度創設当時には火星化センターにお 願いに行きまして理事長さんにですね、 是非この事業の推進に協力してください。 隊員のケア、それから研修などやってくれ ませんかと。ま、お願いしていたくらいな んですね。でも現在はもうセンターが総務 省からサポートデスクっていうのを、ま、 受宅するような形になりまして、え、 ま、こな間だ合併しました故郷会支援 センターとジョイン新しい公撃団法人 ジョインフルサってのはできましてね、ま 、これと共同してもう様々なこの募集 イベントに対する協力マッチング、それ から隊員に対する、ま、企業研修ですね、 やっぱで、提住してもらおうと思うとなり が必要になりますから。で、ま、お勤め だけじゃあれなんで自分たちでやっぱり 起業する。ま、水学区もそういうことを やっておられる。それから、あ、受け入れ 自治体の職員研修が非常に重要なんですね 。大体若い職員が担当しちゃってるんで、 要するに人間を数として扱うか。予算が ついたからこれ入れなきゃいけない。ま、 そういう風な対応する自治体も結構あるん です。私は自分のおい子やメイ子、 そういう人たちが来てくれたっていう 気持ちで世話をしてあげてくださいという ことを常に申し上げてるんですね。ま、 そういうことを、ま、やらしていただいて ます。え、創設後15年以上も経ちまして ね、私はこの辺りでさらに制度の飛躍的 発展を できたらなと期待をしているわけです。 いわば地方創生も2.0というらしいです から地域起こし協力体2.0 け様々なこの 提案も回させていただいてまして、ま、 ついでにちょっとそれ申し上げていいです か? え、ま、これやるかやらないか総務省の 問題なんで、私の、ま、創設したものとし ての15年経った時のこの思いです。まず ホームページにきちっと情報を公開してる 自治体は普通交付税で見てあげて欲しいね 。さっきの話特攻だからもらったかもらわ ないかわかんない。で、私はホームページ などで公表してくださいとなどつけちゃっ たんですね。当時ですから今やってんのは 大体のFacebook、 Instagram 自治体のホームページ見てもあんまりね、 詳しく公表してるとこないんです。で、 ホームページは買、あの、嘘つけないです ね。もし嘘ついたら視聴首です。市長村長 首だから。だからホームページにきちんと どういう人をいつの期間、どういう業務で 移植してんのか状況もちゃんと公表してれ ばね、これは更新力のあるデータなんじゃ ないでしょうか。何も国、国の統計データ だけが更新力あるわけじゃなくて、自治体 はこれは偽りができないんですからね。 ホームページはそういうものはなんとか 普通合税で見てもらえないかっていうのは 私の今の思いです。それからね、財源措置 の対象となる期間がまあ震災の時5年にし たりして震災復興支援とかま色々やりまし た。 3年であとは自治体が5年やってもいいん だよ。自治体が自由に考えてやるんだよ。 うわしいんです。総務省は。自治体が自由 ってのが1番総務省のもう限定なんです。 なんかうわしいんだけど、今どうですか? 農業光継者これから米増産するったって 大変でしょ。農地はあってもですね、もう 75歳以上の人たちがもうやめたい後継者 が必要です。ま、臨産業も同じこと。それ から私がつけてる今和島塗りです。後継者 大変ですよ。確保するのが震災もあったし 、水害もあったし。そういう伝統工芸品の 後継者、それから地域の旅館であったって 中小企業であっていうのは今問題になっ てるんですね。 自分たちのもう親戚子供たちはつがない からなんとか他の人でも継いで欲しい。 この軽業の問題。こういう問題はですね、 今言った3つの問題は必ず資産の貸借とか 上土を伴わないとできないですね。農地 借りるか譲り受けるか。 ま、ですから、え、3年というのを少し アクセントをつけてやってもいいんじゃ ないかな。ま、5年とか6年とか、ま、 各省とも相談して総務省だけの制度では なくてやってもいいんじゃないかという 気持ちもあります。それから今デジタル 住民表の話も、ま、出てましたけども、 大臣のご挨拶の中で日域居住、立ち域居住 に、ま、力を入れてんですね。ま、移住者 っていうのは結局人口が相対が減る中で 取り合いになっちゃうもんですから、1人 の人に何地域も稼してもらおうと、ま、 こういうことかもしれません。そうすると 地域協力体もね、ま、立ち域居住型、ま、 日域居住でいいですけどの地域行士協力体 だってあってもいいんじゃないか。 もちろん報酬とか処遇は少し下げてもいい と思いますけども。で、最後に集落支援員 と合体した大地域起こし協力体を作って いただきたいというのが私の切なる思い です。これはもう人材育成とか ネットワーク作りでですね、制度が分れ てるとなかなかやっぱり縦割りでうまく いかないんですね。で、去年は、ま、通知 を出していただいて連携しなさいってこと を、ま、言っていただいたんだけど、私 市町村回ってるとですね、そういう通知を 読んでる人ほとんどいません。あの、そう いう難しいことはね、今もう時間がないん です。職業が忙しくて。ですから単純に第 1地域を越し協力体にしてしまえば ネットワークも人材育成も一緒になるん ですね。ま、そういう大胆な考え方をして もらえないかなという風に思っています。 え、さて、時間も少しだったんで、え、 本来にいよいよ入るわけですけれども、え 、地域起こし協力祭隊ですね。え、もう だいぶ説明しましたから、え、2年目です ね、水垣さんですね、1期生ですけども、 2年目に、え、美坂のですね、上山地区 ですか、田の保全もう草暴で大変だった。 そこをどうするか。それからもう高齢者 ばっかりですから家の電球1つ、それから 家の、ま、例えば生事変るとかね、スマを 振り返るのもなかなか大変ということで、 え、高齢者のサービス、ま、みんなの孫号 プロジェクトって言うんですけどね、ま、 そういう本も書いておられます。ま、この 課題のために法制大学に在学しながらね、 夜行バスで年間、ま、200回とか通り ながらで、今もそこへおす前になって16 年と聞きです。 そのプロジェクトを続けておられる、それから他の岡山県内の様々な地域協力隊の仕事もやられておられるようですから、え、ちょっと水垣さんにですね、お話をしていただきたいと思います。ですか。え、本日はですね、 40 周年ということで、え、おめでとうございます。 え、ではご紹介いただきましたけども、え 、岡山から来ました水と言います。で、 本日頂いたお題がですね、あの 地起くを経験して自分の人生がどう変わっ たかとこれを今8分で喋れということで、 え、喋りたいと思います。はい。ま、もう 色々変わったんですけれども、ま、まず あの、簡単に自己紹介ですね、もうそれ 時間がないので、あの、お配りの資料に 書いてありますので、あの、よろしければ 、え、色々見ていただければと思います。 で、あの、ちょうど先ほど西村先生、あの 、ご説明ありましたけども、法制大学の ズ井尚弥教授の元に僕、あの、東京出身で 、東京の秋野というところの出身で、え、 大学法制大学行って、で、農村の研究をし てたんですけども、ま、正直気上でやって てもよくわからないなと。でもちょっと脳 に1回やっぱみたいのが1番勉強になるん じゃないかと思って、ちょっと教授に相談 したら先ほどシーカーさんが結構エイアで 作ったっていう協力体制制度にちょうど 出会いましてなんか協力体って制度総務省 作ったよみたいな話でご紹介をいただいて で大学生でもいいから受け入れてくれる 地域を探していたら岡山の見ま坂という ところがもう1年でもいいから来てくれ たらうちは新聞のネタになるからオッケー ですってことではい。それで言ったのが 気づいたら今16年岡山の美坂に、えー、 移り住むことになってしまいました。はい 。ま、でも、え、ま、今はですね、田の 保全、田団っていう団体での保全とそこで 都市遅の交流をするってことと、あの、ご 紹介いただいた、あの、代理の孫になって おじいちゃんおばあちゃんの家を訪問して 、え、1人暮らしのおじいちゃんおばあ ちゃんの生活支援をサポートするって いうようなことをしていたり、え、あとは ですね、そういう現場の地見を生かして 岡山県内の、ま、県だったり自治体、あと は集落の地域づいの絆創支援っていうこと も仕事として、え、しています。なので 協力体制制度で現場に入って色々得た地見 を岡山県内のいろんな地域に展開してい くっていうようなことを人気後もずっと 続けていきながら、え、16年ほど岡山で 、え、暮らしているというものになります と。ま、脳福祉というのが主に僕がやっ てるフィールドで、それを地域支援という 形で、え、他地域に展開するということを やっております。で、ま、協力期間中です ね、ま、いろんな地域の方にも出会いまし て、あの、ま、本当住明を上山地区で唯一 やってるおじいちゃんとかから、え、 住明がと、え、住明をついで、今も、え、 焼いたりしてるんですが、ま、それを家の 離れのですね、内装に使ってうち離れを宿 にしてるんですけども、え、隅かっていう 隅の宿にしたりとか、ま、そういうことも あの副業で色々やりながら、え、暮らして いるというところです。で、ま、どこから 来たのかというとですね、あの、僕岡山の 美坂というところで、あの、あの、 オレンジで囲ったところですね。こっから 今日、え、来ていますと。でか、え、ご 説明がありましたけども、こういう棚田 あった地域で人口140人ぐらいなんです けども、ま、2010年僕らが移住して 以降移住者が40人近くいまして、なんで 140人のうち今40人弱が移住者ですね 。毎年1世帯2 世帯、え、入れていくとなんとか人口をキープしながら、え、地域のことを色々引き継ぎつのコミュニティを維持していくっていうことを、え、活動として暮ラシとしてやっています。で、ま、あんまり細かくですね、あの、お話する時間がないんですけども、特に棚田というのがインパクトがあるので見てただきたいのが、え、移住下手はですね、もう棚田ちこち荒れてたんですけども、え、これが今こんな感じではい。になってます。 で、これを移住者の団体とか、え、地域の 人たちと一緒にNPを立ち上げて、え、 NPO法人として、今これ10個分ぐらい の棚田ですね。え、10hほどの棚田を 団体としても管理していて、また地域の 方々も管理しているのと合わせてこういう の管理をしながら、え、住民の暮らしを 維持しているというところです。ちょうど 週明から、え、稲カりが始まって、この派 の景色、これなかなか日本各地ここまでの 規模でやってるのはないと思うんですけど も、ま、こういうところを、え、移住して きた人といろんな事業を立ち上げた メンバーでそれぞれ本業が宿やっていたり 、キャンプ場やっていたり、ま、福祉の 事業やっていたりと、それぞれ本業はある んですけども、農業は1つの法人を作って 、ま、移住者専門の集落の組織みたいなの を作ってですね、で、みんなで余家を農業 に当ててこういう棚田を維持するっていう 体制を今作って、え、行っています。 で、会員さんが全国に200人ほど今増え まして、え、そういう会員さん、会員さん からいただく回避とかで、ま、ほぼほぼ もう農業にかかる経費を賄えるなので、 プラスお米を売ったお金は、え、どんどん プラスになっていくっていうような形が、 え、ようやく、え、10数年かけてできて 、え、きました。 では、あの、本題行きますね。え、地域 行くを経験して自分の人生がどう変わった かということですけども、ま、まず私が 実感した地域起し協力制度の意義というの が、え、ありまして、え、やっぱりですね 、あの、せ、仕事としてその地域に入って なかなか現代において、ま、やっぱ ビジネス的な動きをするってなると地域の 文化をゆっくり体感するとかですね。あの 、ま、あとはそこの暮らし地域の人たち 水路掃除を丁寧にやる時間とかですね、 意見を管理をするとかそういうことを、ま 、仕事として堂々とできるっていうのは なかなかない。それが協力体っていうのは ある種役場の設計次第ですね。これは最近 結構ビジネスよりな協力体多くなってき てるんですけども、そういうミッション型 というかですね、やることが結構決められ てる協力体多くなってきてはいるんですが 、あの、フリーでこう入っていけるとです ね、ま、地域の文化や暮らし、そういう ところを引き継ぐこともあるし仕事として やっていけるっていうのがあって、それは 自治に結構関わることを、え、じっくり 体験できる期間があるっていうのはこれは 協力体制度の意義と魅力だと思っています 。で、あの、やっぱり僕は農産に対する 価値観っていうのがすごく変化して、あの 、元々は課題だらけの地域で自分がまさか クラス地域とは思ってなかったんですね。 要は農村の研究してる時は研究材料であっ て、まさか自分がその課題ばっかりと思っ てる地域に住むと思わなかった。それが 行ってみたらですね、なんか意外とみんな 豊かに暮らしてるなと。なんかあの気上で 見るよりもみんな楽しそうだぞと。で、 例えばエネルギーのことで言ってもですね 、あの、太応の温存水域も入れてればエコ キュートも入っててと思ったら時期によっ ては薪で炊いてるとかですね、なんか すごいハイブリッドでいい暮ラッシュをし てるなというのがありまして、だから やっぱりある程度発展して、え、日本社会 で、え、伸びて要は生活が便利になった ものをうまくこう組み込み、組み合わせ ながら暮らしている社会っていうのが農村 地域に今あって、なんかそういう新しい ものを持ち込みながら暮らししていける すごい豊かな、え、地だなというのが現代 においては思うようになりました。なので 、え、僕の価値観としてはそういうところ が大きく、え、変わったなと思っています 。で、あの、やっぱりこう地域の人たちが 自分たちのことを自分たちでやって、え、 やっていくだからまずいきなり行政に文句 を言う人も最近増えてきちゃってるんです けども、まずいきなり行政に連絡するん じゃなくて、やっぱり道が封鎖されてたら 、まず自分らで処理してみるとか、やっぱ そういう自分たちの暮らしを作っていって いるっていうところの世代に触れられ たっていうのが今の80代、90代とか やっぱ特に農地を守るとか、え、土地を 守る意識っていうのがすごく上の世代から 伝えられてきているので、だんだんそう いう方がお亡くなりになってしまってるん ですが、そうということを引き継いたこと で、ま、自治をする意識っていうのが すごくあの芽えましたし、あの他者のため に動くとか地域のことをやる、それが自分 に帰ってくるっていうのを体験できたのが 協力隊の期間では、え、感じられたと思い ます。なので大きく行動としてあったのは やっぱ選挙にちゃんと行くようになりまし た。はい。で、これはも協力隊になった人 は結構大きいんじゃないかなと思います。 だからそういう自治の意識とか何かを選ぶ 、自分ごとにするっていうのが協力体経験 者の大きなこう変化。全く地域作りとかに 興味なかった人たちも一部そういう研修 期間としての3年っていうのは、あの、 大きな意義がある、え、働き方だなと、え 、思っております。で、あの、もう終わっ ていきますけども、あの、本当にこの人気 中、人気後もずっと大切に来てきた地域の 仕事というのがあって、こういう道の 草刈り、これ僕の集落の道草かりなんです けど、すごい綺麗にするんですね。年2回 とか。はい。で、こういうところをあの 移住者も、え、地元の人もみんなで大事に お掃除するとかですね。え、こういう集落 の江戸時代に完成した水路集落内30km あるんですけど、これをみんなで掃除する とかですね。え、それを0、えっと、上は 90数歳から下は何歳かまでみんなで出て やるとそういうことを大事にやっぱ暮らし ていくっていうことを、え、大事にして 生きていくのがやっぱりよそ者と地元住民 があの融合してやっていくにはすごい大事 なところかなと、え、思っております。な ので、え、ちょっと長くなりましたけども 、あの、そういったところを、え、外から 来る人にも知って欲しいし、Uターンして くる人にも、で、まだ世代交代ができて ない地元の人にも知って欲しいので、上山 の棚田の暮らしの手引きというのを ちょっと作ってですね、あの、地区のお金 がどう使われてるかとか、地区にはこう いう仕事があって、地区が維持されてるん だとかっていうの、そういうのも最近作っ て住民に配布したり、地域に来てくれる人 に配ったりっていうこともしています。で 、そういうことを、え、仕事とか稼ぎと 合わせて、え、地域のことを折り混ぜ ながらやっていく経験っていうのが協力体 制度を、あの、経験した人はですね、意識 するような人材が地域にどんどん広がって いくと思いますので、ま、そういった人材 が引き続きあの、生まれていくことを願っ て、あの、ま、自分の変化というのも今日 あの、お伝えさせていただきました。え、 短い時間になりましたけども、え、以上に なります。ありがとうございました。 え、大変ありがとうございました。発選挙 の話出ましたけど、そういえば地域起こし 協力体経験者でこないだ2人目の首長さん が誕生したようですね。それから地域の あの議員さんはですね、もうたくさんいる んだと思います。ま、調べたデータはない と思いますけど、ま、そういうことに だんだんなってくるのかなという風に今お 伺いをしました。え、さて次はですね、え 、地域リーダー要請塾ですけども、え、 西村先生の方から詳しい紹介がありました ので、私の方からごく短く終了性が やっぱりですね、え、リーダー塾の方はの 延べ14名の首長さんが排出していますが 、30名以上の、え、副市長さん、副市 町村庁さんや市町村議会議員さんが配出さ れてます。え、そんなリーダー塾です けれども、今日は終了生を代表して津軽市 の葛西かほさんをご紹介したいと思います 。彼女は津軽市で介護家とか会計化で仕事 をされた後、東京事務所へ移動になったん ですね。その時に35期のリーダー塾に 入られた。これはね、私がね、全国各地の 区長さんに提案してることなんです。東京 に職員をは、あの、東京事務所に出したら 勉強するお金つけてくださいと。東京こそ ね、もう何でも勉強できるとこなんです。 もう競争的な資金でもいいからとにかく 勉強するお金つけてくださいって強く進め てるんですが、葛西さんはそれを自ら自分 でやられたわけですからこの学びの姿勢が 非常に私はあの素晴らしい。そういう風に ま、思っているんですね。え、津軽ご存知 かどうか分かりませんけど、神楽坂にね、 東京事務所がありまして、そこにアンテナ ショップを併設してまして、りんごじゃ ないらしいんですね。メロン、メロンに 特化したメロンとロマンという、え、 アンテナショップを作っておられますので 、是非1回皆さん行かれてご購入をお願い したいと思います。葛西さん、リーダー塾 の1万時の終了レポートで、ま、え、津軽 市の産業振興と、え、東京事務所の担当 業務っていう観点から、ま、レポートを 書かれてアンテナショップの活用という ことを、ま、提案され、今それも続けて、 え、実践されてるということです。ま、 余談になりますけど、大相撲の大ファン らしくてですね、え、国議館はもちろん 準業先、それから相撲の朝稽古子、ま、 東京ならではのこともありますね。え、 出待ちをしたりですね、されてたようです 。え、最近の推の力士はね、やっぱり青森 県人ですから伊勢が浜部屋ですよね。私は 宝富士とあの親しくて飯を食ったことも あるんですけども、た尊富士のま、ファン だそうです。え、それでは、ま井さんにお 話をいただきたいと思います。よろしくお 願いします。 ご紹介いただきました津軽市東京事務所の qui西と申します。飯大塾の30国卒業 生です。ま、時間があればあの武尊夫に ついても語りたいところなんですが時間が ないのでちょっとスライド通り進めていき ます。ちょっと東京3年目になるんです けど先週1週間あ森り書いて出せで ちょっとイントネーションがごちゃごちゃ で聞きづらいかと思いますがなんとか 聞き取ってください 。 発表テーマは全国地域要請塾での経験を 通して変化したことということでお話しさ せていただきます。 まず最初にリーダー塾での思い出を ちょっとあのちゃんと学んでる姿の写真を 載せたかったんですけどなぜかこう飲み会 終わりの写真しかなくてちょっと申し訳 ない。 そのゼミ初回の何時会かっていうのがこの日ゼミの決成日だったんですけど、もう何時会に行ったかわかんないくらい遅くまで行ってではい。寿司ミで寿司ミが飲み会のゼミだと言われてて 私あのお酒全然飲めないんですけどその中この 3時か4 時ぐらいまで行って最初の決成日なのにこんなに仲良くなっちゃったっていう写真です。 で、そっからさらに色々一緒にね、 文章を書いたり自治研修行ったりして終了 パーティーにはこんな感じで、その真ん中 にいらっしゃる方があまさんをやってる 関係でみんなで終了パーティはあまちゃん の格好をしてはい。あまちゃんの曲を踊る というのをやったのが 思い出です。もう全然勉強したことより この楽しいことの方が思い出て残ってるの で写真はこんな感じになりました。 で、リーダー塾に参加する経緯としては東京事務所に来たタイミングで当の東京事務所長がこの地域生化センターの OB でしてそこからちょっとお話をいただいて初その卒業論文を書くとは知らずにあの 全国からろんな人が集まるよあ楽しそうだなぐらいのテンションで参加したんですよ。 でもちょうどそのリーダー塾参加の私ちょ 公務員なとか退屈だなって思ってた時期で もあっていうのもその東京事務所に来る前 にいた介護か会計かって外回 りっていうより中の事務作業でしかもこう 市民の方から保険量高いんだけどとかって いう苦情の電話を1時間受けたりだとか 体計化にいても税金高いんだけどっていう こう苦情をこう長く聞くようなことが 多かったので、あ、せっかく地域のために 働こうと思ってるのに、なんでこう毎日 苦情ってるんだろうなっていうことで、 ちょっと仕事にマイナスネガティブになっ てる時期でありました。 で、このリーダー軸の経験を通してですね 、こう全国の積極的にいろんな活動をする 仲間にであって、こう視野が広くなって 刺激を受けましたし、こう色々活躍してる 仲間の方々もこう職場で様々な壁に特に あれですね、上司とかの人間関係だったり 市民とのその対応だった りっていうところでこういろんな壁に直面 してるのは同じなんだなっていうところを 築づいてこうダメでもういいできることに 挑戦してみようというところで毎度が ポジティブに変化したかなと思います。 ということでリーダー塾終了後にちょっと 行っていることなんですけど、リーダー塾 のその卒業論文ではアンテナショップに ついてのこう中でアンケートを取りつつ どうしたらこうもっと皆さんにアンテナ ショップを知ってもらえるか津軽を知って もらえるかっていうことで論文を書けまし た。で、そん中でこううちのお店当時 Instagramあったんですけど、 ほぼほぼ更新してなくて、で、アンケート とってもSNS あるんだぐらいの意見が多かったので、あ 、じゃあとりあえずまずは若い子に情報 発信するってなればSNSだってことで、 SNSに更新しますってことで、ちょっと 私の方で更新し始めました。がリーダー塾 卒業して今1年半ぐらいあったんですけど フォロワーは当時から1000人ぐらい 増えてはい。市の情報もちょっとずつこう 発信していけるようになったかなと思い ます。かうんとアンテナショップのこう 運営ってところでは色々予算はついてるん ですけど店内イベントこうメディアに情報 発信したりするような企画っていうところ でなかなか予算がつかなくてですねその中 でこう手作りでできるイベントを積極的に 企画してやってく。これは上の方の写真が ですね、市野出身の俳優さんが1日店長を やるイベントだったり、あとその下にある のがあのC趣旨のお笑い芸人の方で店内で お笑いライブをやってもらうっていう企画 をちょっと個人的に企画して実施したりし ました。 あと変化として置き方のはリーダー塾出て あった中の関係ですね。 リーダー塾終了後も全国に頼れる仲間がい るっていうことが心強く、あと面白い交流 もたくさん続いています。例えばこう仕事 業務の関係でこうこういう事業に詳しい人 いないっていうやり取りをしてみたりあと アンケートを取ったりする際に人数が必要 だった時はこのリーダークレであった仲間 だったり火星化センターの皆さんにお願い したりっていうことでやっています。あと はこう色々東京事務所としてもお店の イベントをやったり、あと外でもこう販売 物産イベントやったりするんですけどその 際にはこう遊びに来てで情報も一緒に発信 してくれたりっていう仲間がいます。あと は今日こういう機会だったり、あと先日は アンテナショップ関連の講演会に声がけし ていただいて皆さんの前で発表する機会も 増えました。あと1 番下がこれすごい面白いんですけど、現地研修で徳島に行ってみかの家のおじさんと仲良くなりましてで私こう言いだけメロン宣伝してるんですけど実家がりんご農家でして でちょうどそのおじさんと仲良くなってみかとりんをこうつブツ交換しようということでその編集に行た年から今 2 年連続けているところです。こういったこう面白い交流のリーダー塾を通して生まれました。 え、まとめとしては、ま、座の変化はたくさんあったんですけど、とにかく仕事に対しての心持ちというか、前向きになったのが 1 番大きな変化だなと思います。ありがとうございました。 え、どうぞ。あの、今お聞きになって 分かるように大体あの、来られる皆さんは 来る前に仕事上の何かテーマがあって、 ちょっとなかなか自分だけで解決難しい からリーダー塾に行って先生方の指導も 受けるし、いろんな仲間と議論をして、で 、帰る時には素晴らしい解決策を持って 帰って、しかもそれを実践してるっていう 方が結構いるんですね。例えば富山のね、 市民プラザ、これはも超有名な事例です けども、え、本にまでしてですね、大森 先生がこれはもうあの出版記念パーティー やってくれって言われて東京でやった ぐらい、それから泉市の全、あの学校給食 全これもですね、え、リーダー塾に来られ た人が来る前から課題として持っていて、 それを色々調査研究する中で、え、論文を 書いてそれを帰ってから実現して全国で 珍しいんじゃないでしょうかね。学校給職 全療有気ってのは実現してるんです。ま、 そういう非常に実践的なね、学びの場でも ありますので、また皆さん方にも是非、え 、関係者をリーダー塾に入れていただい たらありがたいなと思います。え、次は ですね、センターの派遣職員の受け入れな んですけど、まず研修性という、え、こと でご紹介をしたいと思うんですが、 センターは2014年からは実務研修生を 人材要請熟成という風に位置づけて様々な 学びのプログラムを、え、提供してます。 2021年度からはさらに地域創造大学 本性ということにしています。主なもの だけ申し上げますと、年間150回の夕方 の勉強会ですね。これは中央省庁の人にも 来てもらいますし、首長さんにも来て もらいますし、地域起こし協力隊で成功し たにも来てもらう。民間企業で自治体と、 え、タイアップして成功した人たちにも来 てもらう。ま、150回ですから全部参加 するわけではなくて、ま、670回は参加 してくださいねということにしてます。ま 、45月はですね、基礎的な講座として、 え、コミュニケーションスキルとかそれ から文章指導ですね。これは、ま、年間 通じてやるんですけど、最初にまず少し やります。それから今日もあのフェローで 来ていただいてますけれども、姿勢と発生 ですね。これ非常に大事なんで、あの、 要するに市民と対面サービスを窓口でやる 方、これはもう姿勢と発生が非常に大事な んですね。ま、そういうことは本当は民間 企業ではやっているので自治体でも本当は やらなきゃいけないんですが、もう今 忙しくてあんまりやる暇がないのでうちで ちょっとやらせていただいてます。それ から多間へ、え、多が行ってる研修への 参加ですけども、ま、ジャンプジャイアム は毎年1回ずつ全員生かしてます。自治代 グリップスも短期講習には希望者は 生かせるか。NPOマスコミ関係団体企業 へイタ研修に行かせるんですね。これ、 まあ3日から3週間ぐらい様々です。今日 はあのおもちゃ美術館のただ館長にも来て いただいてますけど、もうこれはもう昔 から生かしていただいてます。え、そう いうことをまああ、2年間の間に、え、 自治体にてはなかなか経験できない。 あるいは自治体だったらもう民間企業でも 1年じゃないとなかなか引き取ってくれ ないんでですね。うちのセンターは、ま、 短い期間で様々なところを経験できると いうことですね。それから自分たちで企画 して国内調査事業とか自粛研究事業をやっ ていただく。それからあ、これから紹介 する花田さんもそうですけども、え、数人 のですね、ま、かなり多様なっていうか 変わった先生にゼミ活動っていうのやって もらってんですね。これ1年間通じてゼミ 活動をやると、ま、そんなこともやって いただいてます。え、とにかく自分が 抱える課題に応じて選択してアクティブ ラーディングな姿勢で取り組んでもらう。 それを研修ノートにまとめて同僚や幹部 職員にも共有してもらうってのは大事なん ですね。やすると自治体の研修ってその人 だけ受けてそれで終わりとま書は書いてる けど誰も読みませんよね。でもやっぱり皆 さんの前で発表してもらうっていうことが 非常に重要で、ま、そのことによってまた 、あ、センターに来ようかなっていうよう な人も、ま、増えてくるということだと 思います。え、 2020年からは、ま、こういったことを 支援するアクティブラーニング失張という ものも置いてるんですね。私は、ま、あの 、在職りの間に研修生の皆さん350人 ぐらいとお付き合いしましたけども、ま、 それぞれが成長してですね、様々なところ でご活躍いただいて、ま、それを見るのは 本当に喜びです。え、前置き長くなりまし たけど、今日はまず研修生の代表として 福岡県より2022年から2年間派遣され てきていた安本野さんを紹介したいと思い ます。彼女は2016年に福岡県庁に入し ましたけれども、え、地域活生化とか地方 創生とは直接関係ない県税事務所とか生活 安全化を経てセンターに派遣されてこられ ました。え、ま、私が非常にこう 思い出深いのはセンターの事業先ほども 紹介しました。こんなタイプなものでね、 そして毎年こう変えなきゃいけない部分が あるんですね。そうすると書く担当者って のは他のとこ見てないもんですから勝手に 書くんですね。だからどんどん乱れてき ちゃうんです。で、それを直さなきゃいけ ないんですね。で、私ももう毎年毎年それ を心がけて直すんだけど直しきれないん ですよ。でも毎年毎年注文を出すわけです 。そうするとね、もう極めてね、安本さん は素早く的確にめげないでやってくれ たってのはもう本当に印象的でした。それ から人材要請塾やインター派遣に関する 研修ノトっていうのを作成してもらってる んですけども、優秀賞も取られてます。 さらにですね、私も、ま、実はね、秋田県 出身と紹介ありましたけど、生まれはあの 若松なんですね。九州の7つの時まで小 学校1年までいたんです。木鍋大好きで 九州から来てる人集めて松鍋会やろうよっ て言うと進んで幹事やってくれるんですよ 。本当にね、人がらが良くて頑張り屋でね 、役職員の皆さん方みんなに好かれてた 研修生だと思います。え、今でもその関係 か福意県とか北海道の仲間と年に1回はね 、どっかで集まってね、やられてるよう ですし、博多でのセンターのOB会には 必ず出席していただけると、え、いう本当 に、え、センター大好き人間、ま、え、 350人もね、お会いしましたからみんな がね、センター大好き人間には、ま、実は ならないですよ。でも私はセンター大好き 人間っていうのをなんとかその何割もこう どんどん増やしていきたい。 そのことによって将来のセンターってのはまたあるんじゃないかなという風に実は思ってまして、ま、その代表者ということで、え、変えられてからは今地方地域などの地域進行業務に携っておられる安本さんです。じゃあお話をお願いします。 では改めまして皆さんこんにちは。福岡県政策支援家から参りました安本と言います。よろしくお願いいたします。 ま、今日台風の中ですね、めちゃめちゃ 飛行機売れたんですけど、シーカーコり こんなに褒めていただいて本当に来た会が あったの今めちゃめちゃ思ってます。 ありがとうございます。で、ま、先ほど シーカー項問がおっしゃった通り、私 2022年から、えっと、2023年、ま 、令和4年、5年と2年間地域活性化 センターに派遣に来ておりました。ま、 最初ですね、福岡県から、ま、県外派遣は どうかと打信があった時はですね、あの、 きっぱりと行きたくないですとお怠りをし たんですけども、ま、ちょっとなんやかん やありまして、ちょっと地域活戦化 センターに行くことになりまして、ま、 最初はですね、福岡県も行きたくないのに 行かせてちょっと恨んだりはしたんです けども、結果的に本当に行って良かったな と思ってます。ま、その2年間があった からこそ今の私もあって、ま、これから 建職員生活多分まだ長く続いていくと思う んですけども、ま、続いていくために必要 な2年間だったという風に思います。で、 ま、今回はですね、あの、ま、地域活性化 センターが私にもたらした5つのことと 言いまして、ま、派遣に行く前と後でです ね、私の中で何が変わったかっていった ことをちょっと5つにまとめてきましたの で、お話をさせいただきたいと思います。 で、まず最初がですね、あの、仕事 スタイルの変化というところです。ま、 あの、やっぱセンターの経験とか、ま、 センターいろんな人と出会って、ま、自分 の仕事に対するスタンスというのが結構 変わっていきました。で、えっと、ま、 センターに行く前ですと、やっぱり9割 できてから、ま、周りに相談で、ま、聞き 方というのも、ま、こうしたいんですけど 、いいすよねとか、ま、イエスかノーで 答えられるような、ま、 コミュニケーションで、ま、上司とか周り に相談してたんですけども。で、また、ま 、基本的に、ま、最初から最後まで、ま、 1人でやり取れるもうアイデアももう自分 だけですし、ま、あの、先法との コミュニケーションツールも基本的に、ま 、電話やメールが中心でした。で、やっぱ 戻ってきてからなんですけども、割とも 悩んだらまったら、ま、すぐに上司や周り の人に相談するようになりましたし、ま、 その聞き方というのも、ま、自分はこうし たいと思うんですけどどう思いますかとか 、他にいいことなんか、他になんかいい案 ありませんかとか、もうちょっとこう話題 が広がるような聞き方をするようになり ましたし、今でもやっぱり、ま、上司同僚 とかでも、ま、意見交換とか リスカッションとか自分の考え、アイデア だけではなくて、他の人のアイデアも 取り込もうという風に、まそういった ディスカッションを大切にするようになり ました。ま、それにやっぱり現場に行くと いったその現場で感じる、あの、その人に 現場で人出会ってそこの空気を感じること をやっぱり、ま、中心に仕事をしていまし て、ま、もちろんコミュニケーション ツールとしてメールも使うんですけども、 ま、オンラインでもやっぱり対面でお話 する機会というのを今すごく大事にして おります。で、続きまして、情報収集力の 向上ということで、ま、センターの柱の1 つ、ま、情報提供ということがあるぐらい ですね。ま、センターではやっぱ情報を こういかに集めるかっていうのを、ま、 おけ置いてて、ま、その情報の収集力も 知識量が、ま、自分の仕事をいかに左右 するのかっていうのを結構学びましたので 、結構戻ってきてからもこの点に関しては 意識してます。家に行く前だったら、ま、 正直業務に関わるものだけ、ま、情報を 収集したりしたりとか、ま、あの、ま、他 の高からのお知らせとか怪談物とか差しと か回ってくるんですけども、ま、正直 ちらっと見て次に回したりとかもう本当 最小限な受け身でしか情報を取っていませ んでした。ただ今ではですね、もう業務と は関係ないことも積極的に取りに行くよう になりまして、福岡県では他に何をやっ てるんだろうとか気になるようになりまし たし、ま、それをもに、ま、他の彼やっ てることももしかしたら自分の参考になる かもしれないとか、こういう面では連携 できるかもしれないといったとこで結構 あの積極的に本当に情報を取りに行くよう になりましたし、ま、結構今現地の方とか 役場の方、役所の方、ま、業者の方とか いろんな方と会話をしていく機会も多いん ですけども、ま、ただ会話していくんじゃ なくて、やっぱり私よりも知ってることっ てのがたくさんあるので、ま、ただ会話 じゃなくて、ま、その人からもちょっと 情報を聞き出そうと、あの、ま、濃動的に 、ま、貪力に、ま、情報を取り行くように なりました。で、続きましてチャレンジ 精神です。ま、ちょっとあの、冒頭 申し上げたようにですね、あの、派遣を 断るぐらいですね、正直業務以外はですね 、基本ちょっとやらない趣味だったんです けども、ま、上司からもあなたは仕事以外 のことやってる暇ないよねとか言われる ぐらい仕事の一生懸命やってたんですけど も、ま、今ではやっぱり業務以外でも、ま 、これが自分の経験になるんだと、この 証職員生活に絶対に役に立つんだと思って 積極的にあの、経験するようになってます 。このフォーラムのあのお話もいたいた時 も、ま、正直なんでちょっと私なんだろう と思った部分あったんですけども、ま、 すごく嬉しいなと思って本当にあの、ま、 2つ返事で承諾をした次第ですし、ま、 本当に相談するにあたっても本当に嫌では なくて自分の意思であ、お話ししたいな、 経験したいなと思えるようになってて、ま 、その変化が結構自分自身では驚いてます 。で、やっぱりあの行政職員って新しい ことを始めるとやっぱりまず否定から入る んですよね。業務が増えるとか予算はどう するのとかあるんですけども、ま、他の から提案とか内部りこういうことしようと か思っても否定ではなくてまず後をする、 ま、その面のいい面を見るようになりまし た。で、続いて自分を大切にすることと 言いまして、やっぱセンターにですね、 ネルビーングって言葉をですね、本当に耳 にタコができるぐらい聞きまして、ま、 その、ま、考えと言いますか、もう学ぶ 機会が多かったので、ま、自分をまず大切 にすることというのを学びました。で、ま 、派遣前だともう大事なのは仕事ゲ、もし 生活は命の次ね、自分の時間をなくしてで も削ってれでも仕事をやり取れる。ま、常 に100%仕事に向き合わないとっていう 意見でやっぱりそうだと長くは続かなかっ たんですよね。やっぱり結構、ま、急に ちょっと休んだりとかもした時期とかも あったんですけども、ま、派遣に行って からはまずはやっぱ自分の生活を大事にし てから仕事に飛び込むようになりました。 やっぱりオンとオフをきっちり切り分けて なります。 で、やっぱりもうその100%ずっと力を 出し切るんじゃなくて、ま、80%でも ずっとこう力を出し続けるっていうことに 今意識をしています。で、またやっぱり 研修とか、ま、自分を学ぶ機会っていうの を時間を、ま、業務の間を縫って取るよう にしましたし、そういう時間も大切にする ようになりました。で、そして最後がこの 全国の仲間です。ま、多分センターの派遣 に行った人なら多分みんな口いて言うと 思うんですけど、やっぱりこれが1番の 財産だと思います。ま、同じ時期に、ま、 60とか70人ぐらいの自治体職員とか、 ま、プロパーの人、民間職員の方と、ま、 一緒に業務をするんですけども、やっぱり これってなかなかできる経験ではないと 思います。 やっぱりその皆さんがいた頃こそ本当に今 も自分も頑張りますしで、あの先ほどあの シ川顧問が言っていただいた通り今でも ですね、そのネットワークっていうのが 続いてまして、ま、福岡県ではこういう 事業やってるんだけどどう思うとか他の件 ではどうみたいな情報交換とかもやって ますし、ま、えっと、ま、草げになります けど、やっぱりその仲間が全国の仲間が 頑張ってる姿を見るっていうことがですね 、やっぱり自分の業務に本当にあの生かさ れると言いますか、自分も頑張ろうという 思いになってます。で、今ちょっとも早口 であの申し上げたんですけども、このよう に、ま、その形に残るもっていうのは なかなかないんですけども、この本当に センターの2年間が、ま、自分に余裕が できて、ま、視野が広がって本当にあの人 としてあの1公務員として成長できる場 だったと思います。本当にこのような機会 をあの与えていただいてこの場を借りで 感謝します。本当にありがとうございまし た。 え、ありがとうございました。次は、あの 、センターに管理職として民間企業から来 られていた、え、花田さんをご紹介したい と思います。2016年から4年間JTB より派遣をされて、え、おりました。え、 現在では会社は早期退職されて、個人で 地域観光アドバイザートンネルツーリズム プランナーとしてマスコミなどでも大活躍 されてます。もしかしたら松子の部屋で ご覧になった方はおいでになりません でしょうか?え、花田さんは現在も センターのフェローとして研修生の皆さん を対象としたさっき申し上げましたゼミを 主催していただいてます。え、彼はですね 、在職時代からライフワークに、ま、 取り組んでおられまして、本を出したり テレビ出演をしていたわけですけれども、 で、そのために、ま、理事長の私のとこに お断りに来てくれて、ま、相談に来てくれ てですね、え、いいんでしょうかって言う から大いにやってくださいと。新しい センターの課長というテロップを出して もらうとかね、え、必ず紹介してもらって くださいねということで、ま、背中をした 経緯がありまして、現在の花田さんにの 状況には私も多少責任がなと思ったりもし てますけども、ま、お話をいただきたいと 思います。どうも。 え、皆さんこんにちは。花田と申します。 え、まずはあのセンター、え、 今日は設立40周年ということで私があの センターに来た時30周年でしたので、え 、心から音礼をも、え、お祝いを申し上げ ます。おめでとうございます。え、という わけでですね、私はあの今シカ名誉門から 見えましたけども、今日ここに いらっしゃる4人の中で1番変わった人間 です。 あの、で、さらに言えば今日ここに いらっしゃる中で大変お世話になった方々 たくさんいらっしゃいます。常席の方、え 、そして地放送実セミナーでお願いをした 方たくさんいらっしゃるんですね。その前 でこんな高いからこれから、え、5分ほど お話をさせていただくのはおかましい管理 なんですが、え、どうぞ、え、ご締めに 面事でですね、お聞きいただければと思い ます。 え、私のあの肩書きはあのお手元にあるか と思いますが、今日はもうセンターで 変わった私の人生、センターで学んだこと ということで終練をお話をいたします。 ただし私は今あの観光のアドバイザーが 本業でございますのであの今日も いらっしゃってます。送心いらっしゃって ますが総務省の地域創造アドバイザーとし て埼玉県の西町村でえ、今も 観光アドバイザーやっております。 あの、決してトンネルだけではないということはお話をしておきますが、 まずセンターですね、あの、 1 番、ま、これは衝撃だったんですが、地域作りとは何かっていうことですね。あの、私は観光屋です。旅行屋でした。え、天然年までずっとんですけれども、その JTBで 地域作りっていうことにかかったことはなかったんですね。で、各地域で体的にはどう 取り組まれてるんだろうか。ま、で、足を 運んで実際現場で拝見したのはこの故郷 イベント対象。4年間私あの担当の課長を しましたけれどもこの視殺をあの先行委員 の皆さんと一緒にさせていただいてまさに あの互感で感じたことがありましたし、え 、地方蘇生実践塾の事務局ではですね、 あの大変本当にあのこれまで見たことも なかった事例を学めたっていうことは、え 、貴重な経験でした。あの、今日、あの、 先生方もいらっしゃいますが、土日 セミナー、こうしたところでもですね、 色々な事例を私も学わせていただきました 。 そして候補です。あの、当時も候補室が ありまして、あの、候補者の方 いらっしゃったんですが、様々な手法を 学べるんです。え、外部からの講師の方も いらっしゃいましたし、さらにはセンター の定績の方から今日こちらにいらっしゃい ますが、え、当時のシーカー理事長から本 を出すためにはどうしたらいいのかと、え 、もう私知ってましたんでですね、あのご 助書も読んでましたので、非常にあの貴重 なご体験談をたくさんいただきました。で 、そのおかげで私はライフワーク、 トンネルのガイドブック分、これはあの実 は日本で初めてだそうですが、そらそう ですよね。トンネル歩きのためのガイド ブックなんてこんなマニアックの本を出さ せていただきました。で、さらに調子に 乗って2冊目に映画関連の単鉱本。これは あの、え、カヌであのバルメドルも取られ たあの監督さんなんですが、ま、それと 主演女優さんのインタビュー、そしてその 監督さんと映画館で差しでトークショー するというあの本当におましいこともさせ ていただいたんですけれども、ま、そんな 体験もさせていただきました。 で、センターで退得したプロモーション 手法、これを、ま、生かして私は好きな ことを独自にコツコツと発信した結果、 先ほども話ありましたけど、マツ子の知ら ない世界にセンターにいる時にも出ました 。で、昨年8月にまた出まして、さらに あの総称集編とか色々出てますね。もう 多分67回出てます。現在は幅広くテレビ とかラジオとか新聞とか色々出てトンネル ツーリングプランナーあのこれ説明すると 30分かかりますのであの今日はご想像に 任せます。え、トンネルの多様な魅力を 全国で発信してるんですけれども、ま、 行く度たびに新たな出会い、まだミの景色 があって貴重な波を得ております。 今鉄道配線巡りって実はブーブなんですね 。あの、今朝の日経新聞に、あの、 ビジネス版のコラムなんですが、え、 ちょっと私もあの、コメントさせてあげ てるんですけれども、え、愛知県の、ま、 愛議トンネル軍っていうのがありまして、 なんとレガトンネルの中で配線トンネル ですよ。ビアホールを8月1日間やって、 ま、大変な人気であったんですね。あの、 トンネルって1回作ってしまうと壊すの 大変です。結構丈夫ですから。そして 埋めるのもお金がります。だったら今ある ものを生かす。この今あるものを生かすっ て言葉もシーカー問からあのパクって センター金以来のメディア登場回数約 300回になりましたけどそのうち290 回ぐらいはこの今あるものを生かすと私 言ってます。でもあの300回っていう その回数より公栄ならはですね地域の皆様 との繋がりが太くなったことです。こう いうやつ後でこの私が連携させていただく 機会が増えて、ま、このトンネルっていう こと、そして配線巡りということで地域に 役に立てる循環が生まれていることです。 しかし私が1番大切に思うこと、ま、これ は今日ここにいらっしゃいますセンターで 一緒に学んだ仲間、え、そしてご指導 いただいた皆様、今日ここに今 いらっしゃいます皆様。そして今日ここに 事務局でいるんですけど、今もゼミで私 地域観光ゼミ担当してるんですが、 学び合ってます。私は教えるというより 一緒に学んでいるつもりです。研修生の皆 さんとのご縁です。のご縁そして様々な 学び通じましてもう60過ぎてますけど今 でも成長できる自分がここにいます。もし 私がカセカセンターに執行してなかったら 私の人生は違うものにきっとなってたと 確信しています。 ですから私はもうこれからもですね、もう 好きなことに、もう忠実にもう真っ暗ぐら に、え、トンネルに向かっていきたいと 思いますけど、地域活性化に向けてという その1点だけはブレずにやっていくことを 、あの、自分にも気に命じていますし、ま 、先週はまずも取材に行ってきましたけど も、一緒に配線の草刈りをやってきました 。ま、自分らしく、え、地域観光そして、 え、トンネル、え、鉄道配線巡り、ま、 そういったことを両輪で、え、これからも 頑張っていきたいなと思っております。え 、これからも皆様のご指導いただくと思い ますが、どうぞよろしくお願いします。え 、今日は失礼いたしました。 え、ま、主な事業を紹介したんですが、 あの、最初に年をお示ししたように私たち は常に新しい人材育成事業というものを ですね、開発して提供しようということを やってます。え、最近の人気のもので開発 軸ということで、え、総務省のサイバー セキュリティ情報化担当審議官で早期退職 したセンターのシニアフェロでもある美浦 君に、え、やってもらってるこの1週間の キャリア開発塾3回、年3回やって15人 の定員なんですけど、いつもですね、 埋まっちゃって、ま、次のにしてください というような人気です。要するに民間企業 の働き方を実際に会社に行って学んだり、 センターのプログラムも少し体験して もらったり、官民競争とか働き方改革とか 役所の雑事大事ななんかについてですね、 グループ枠で相当な時間を取って議論する と帰る時にはもうやる気ままでね、みんな 燃えって帰っていくんですね。それ 素晴らしいネットワークができるんです。 ま、そういう事業。それからコロナの時に はですね、ま、オンラインが増えまして、 え、職員の画像送信とかあの収録技術が 向上したんで、これをわじて服となすと いう発想で2020年度から多くの講師の 先生方にご協力いただいて、ま、著作権 放棄いただいて講義の動画をアーカイブし て今300本程度ありますけれども、え、 その他にリアルな地方創生セミナーとか 地方創生実践塾にも参加できるサブスク型 の人材育成事業を開始してます。ちょっと 遡りますけれども、2018年の1月には パッケージプログラムを開始しました。 我々だけがやってんじゃダめだ。やっぱり 実態にもやってもらおうということで、え 、センターの事業の活用だけではなくて 現地でも人材育成事業を展開してもらおう と。え、5年間ぐらいのアクションプラン を共同で作成をしていただき、センターが 事業実施に協力したり必要と希望があれば 、え、市町村には3年間の助成金も出す。 人材育成の助成金出してるとこなんかどこ 探してもないんですね。ま、そういうこと もやって現在まで53団体と連携協定を 締結してます。え、最後にトータル ソリューションプラン2025年今年から ですけど3年間にわたって続けてきた人材 育成エコシステム研究会、これ旧大の島田 明先生が座長ですけれども、え、3年色々 叩いてきましてですね、え、その結果とし てトータルソリューションプランという ものを提供することにしました。人材育成 プラス組織改革ですね。職員の働きを増進 し、職員の確保をまず図んなきゃいけない 。どこも職員の確保が難しくなってます。 それから弱年離職者対策ですね。これにも 取り組まなきゃならない。そういう 取り組もうとする地方団体を支援しようと する試みです。ントンで全職員アンケート をやりましてクロス分析をする職員が どんな気持ちで働いてるか、どんな不満 持ってるかそれをもに幹部職員と若手職員 を混ぜ合わせたワークショップをやります 。それを参考に人材育成基本方針の改定を やってもらったり、あるいは、え、職場 改革、特にですね、幹部職員の意識改革の 研修が必要ですね。え、我々の時代とは もう違うんです。若い人たちの仕事に 対する意識。それから、あ、キャリア デザインっていうのは仕事だけではなくて 学びと趣味と愛、この4つの証言ででき てるんですね。で、それをきちっと理解し てですね、え、若手職員を育てていか なきゃなんないと。ま、そういうことを 幹部職員に理解してもらうというような ことをしたらいいんじゃないか。あるいは 答弁のすり合わせとか過な議会対策によっ て職員は疲弊してんですね。ま、そういう ことを見直していくですから私は議会と 執行部が協力して人材育成のあり方を 考える、あるいは最終的には人材育成基本 条例を作りませんかということをですね、 ま、理事長と、え、島田先生で提案をして いただいてます。ま、そんなことも 取り組んでいます。え、センターはこの ように、普段の改革と全進を続ける組織 です。え、今日ご参加の官民の会員の会員 を中心とする参加者の皆さんですね、是非 このセンターの人材育成事業様々な事業を ですね、え、これまで以上にご活躍ご活用 いただいたら大変ありがたいと思っており ます。え、お願いをして私のお話を終わら せていただきます。ご成長どうも ありがとうございました。

「地域づくりは人づくりから」の理念のもと、地域活性化センターで取り組んでいる事業を椎川忍氏がご紹介します。
 各事業を通して”私の人生がこう変わった!”ことをゲストスピーカー4名から お伝えします。
 ・水柿 大地氏 地域おこし協力隊経験者 
 ・葛西 佳歩氏 全国地域リーダー養成塾(つがる市/35期修了生) 
 ・安本 彩乃氏 センターへの研修派遣(福岡県/一般) 
 ・花田 欣也氏 センターへの研修派遣(民間/管理職)

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