宇佐神宮 勝運向上の参拝をします。 大分県宇佐市
八幡神は戦いの神である。 全国約4万4千社の八幡宮の総本 宮が宇佐神宮である。 宇佐神宮は魔除けの朱色を全体に身に まとい端正に造り込まれたきれいな本殿に 戦いの神という秘めたる力 が込められている。 創建1300年といわれる歴史の中で 宇佐八幡神に勝利を願って 精神の拠り所を求めた戦士たちはたくさんいる。 戦いは戦争やいくさに勝利することだけ でなくビジネスの成功であったり試 合に勝つことだったり入試に合格することだ ったり健康に過ごすことだったりも含んでいいだ ろう。宇佐神宮境内で相撲 大会が開催されていた。昭和の大横綱 「双葉山」は昭和13年11月 宇佐神宮に横綱昇進を報 告し故郷に錦を飾った。 太平洋戦争で宇佐神宮が 宇佐海軍航空隊の将兵の 「心の拠り所」になっていたことはあまり 知られていない。 昭和14年10月1日に実戦機を用いた 高等訓練を担う「宇佐海 軍航空隊」が発足した。 宇佐神宮の門前を含む一帯が大規模な訓 練拠点となり、零式艦上戦闘機や艦 上爆撃機などが昼夜を問わず、うなりを上げていた。 戦況が圧倒的に不利な昭和20年4月 宇佐海軍航空隊から特攻隊が 出撃した。彼らは八幡神 の力を得るために八幡護皇と名乗った。 八幡護皇隊の隊員は出撃に際して 宇佐神宮に参拝した。 今日は宇佐神宮で戦いの拠り所を求 めた人たちの気持ちを胸に勝運向上 の祈願をします。 今日は宇佐神宮に参拝いたします。 勝運向上を祈願します。 宇佐神宮の歴史を知って 八幡様に気に入っていただける参拝をします。 皆様の宇佐神宮勝運向上参拝 の参考になったら嬉しいです。いつ もの早朝参拝で商店街は閉 まってますが、子猫が参拝客を待っていました。 宇佐鳥居は神社名の額縁がなく、屋根 が黒く付け根に輪っかがあるのが特徴です。 宇佐市には大分県最大の古墳があり ます。3世紀から6世紀にかけ て、この地域は生活が豊かで安定してい ました。この古墳は宇佐地方を 治めていた宇佐族の墓です。 宇佐族は宇佐神宮の創建に大きく寄与しています。 大分歴史博物館では古墳の出土品 神仏習合の歴史、さらに 参拝では見れない宇佐神宮本殿が 精密模型で見ることができます。 参拝前に大分歴史博物館に行かれるのを お勧めします。 宇佐神宮の主祭神である八幡大神は 応神天皇の神霊とされています。 571年、伝承によると 八幡神は宇佐の地に現れ「我は釈迦 菩薩の化身、応神天皇なり」と告げたと されてます。八幡神が祀られた 8年後の733年、天平5年 に神託により二之御殿が造立され 比売大神をお祀りしました。 三之御殿は神託により、823年 に建立され、 応神天皇のお母、神功皇后をお祀りしています。 神仏習合の始まりは、奈良時代から 平安時代にかけて、神身離脱という現 象が起きた。私は長く生きて罪を背負った。 「仏に帰依したい」という 神のお告げが各地で広まり、神社の隣 に神宮寺が建てられるようになりました。 宇佐神宮の境内にも弥勒寺がありました。 神仏習合とは日本古来の神道 と外来の仏教が融合したことで 日本の神々と仏が同一視される ようになった。 たとえば、大国主命と大黒天が 「大国/大黒」という言葉の一致から 集合された例が有名だ。 八幡神 は「八幡大菩薩」として 仏教と集合し神仏習合の 象徴となった。八幡神 はもともと宇佐神宮に祀られていた地域神だったけど 応神天皇の神霊と習合 されてから、皇祖神、天 皇の祖先とされる神として朝廷の信仰を 集めるようになった。その後、奈良 の東大寺の大仏建立に協力したことで 八幡神は国家事業に関わる神と しての地位を確立。これが全国 展開の第一歩だった。 武士の台頭とともに戦勝祈願の神 として信仰が拡大。神仏習合 によって仏教寺院の守護神としても 祀られた。庶民の信仰にも浸透し 全国に八幡宮が建てられた。 現在では、日本で最も多く祀られて いる神様とも言われている。 明治維新では神仏分離が進められた。 多くの神宮寺が廃止さ れ仏像が撤去されたが、神仏習合の 痕跡は各地に残った。 例えば春日大社と興福寺(奈良) 八坂神社と祇園祭(京都) 日光東照宮の元地堂(栃木) 宇佐神宮の弥勒寺から始まった神と仏が 手を取り合って歩んだ千年の道のり 我が国日本ならではの争いでは なく共存と調和の素晴らしい歴史だった。 前に歩いている老夫婦は知らない方で すが、とてもいい雰囲気で私は好き です。夫婦石が見守っているようです。 正面に見えるのは西大門です。 補修工事が終わって朱色の色も鮮やかです。 朝日がまぶしい、参拝殿にやってきました。 社務所は朝7時からやっているようです。 帰りにおみくじやお守りを買うことができますね。 八幡神に勝運向上の祈願をします。 まずは、生かされていることに感謝して 目標に向けて努力しているのでご支援ください。 と、お願いしました。宇佐神宮の参拝 作法は、二拝四拍手一拝です。 この参拝殿の後ろに、先ほど大分 県立博物館で見た本殿があります。 上宮の参拝が終わって外宮へお参り をする慣習があり、昔から 「外宮参らにゃ片参り」と言われて います。 樹齢800年とも言われる大楠です。 すごい生命力を感じます。 宇佐神宮の奥宮へは、この拝殿から 参拝いたします。肉眼では視 認するのは難しそうです。 すぐ隣に鬼が一晩で積み上げた 99段の階段があります。 でも100段と呼ばれています。 では外宮の参拝に参りましょう。 おみくじ、お守りをいただきたい方は お忘れなく。 上宮から下宮に向かいます。 若宮神社で災難よけをお願いしました。 外宮も奥の一之御殿から二之 御殿、三之御殿の順に 参拝します。 今、2025年9月1日の 月曜日、朝9時ですが平日にも かかわらず、この時間にはたくさんの参拝者が 訪れ始めてます。祓所です。 祭典のお祓いの儀を行う場所です。 なんだか、特別に厳 かな感じを受けました。しばらく立ち 止まって見入ってしまいました。 八坂神社の素戔嗚尊命にご挨拶 します。 ここは弥勒寺の跡地になります。 弥勒寺は神仏習合の出発点と なりました。大分県立歴史博物 館で復元模型の弥勒寺が見ることができます。 この先は宇佐神宮境内の中央にある 大きな菱形池に続きます。八幡大神 が初めて現れたとされる場所であり 宇佐神宮の歴史の始まりの場所とされます。 菱形池の南東の岸に御神水とい う泉があります。この泉は常に 清水が湧き出て絶えることがない3つの冷泉で 八幡大神は571年に 3歳の童子の姿でこの菱形池のほとりに ある泉に現れ自分は応神天皇である こと、そして日本を守護することを告げたとされる。 勝運向上をお願いする参拝をしました。 宇佐神宮では1300年の歴史の重みが ひしひしと感じられました。自然と建 築物が調和しており、立ち止まることも多かったです。 神仏習合の歴史 なども興味深いものでした。 本来なら、宝物館の見学と商店 街で探索したかったですが、今日は月曜日で 休みだし、店もまだ開いていないので また別の機会にします。 これから宇佐海軍航空隊の遺構を探索し ランチし東椎屋の滝に行きます。 宇佐海軍航空隊と大分の旅を 作成する予定です。 今日は最後までご視聴いただき ありがとうございました。 また次のプログラムでお 会いしましょう。
全国の神社を参拝してきてご利益を感じられた神社を紹介します。
大分県宇佐市にご鎮座されています宇佐神宮に勝運向上の参拝祈願をいたします。
創建1300年の歴史の中で源平合戦での勝利を祈願した源氏。
昭和では宇佐市出身の双葉山が熱心に参拝して横綱に昇進しました。
宇佐海軍航空隊の将兵が心のよりどころにしていたり、決戦を前に宇佐神宮に参拝にあがっています。
そのような時代背景と長い歴史の中で神仏習合して現在の厳かな神宮となった宇佐神宮の八幡大神に勝運向上を祈願する参拝をします。
勝運向上で参拝される方の、参考になれば嬉しいです。