バイクで行く「おくのほそ道」の地形 ❺象潟・越後路・出雲崎| 芭蕉さんが見た後地震で隆起してしまった? 旅の最北端の地

バイクで行く「おくのほそ道」の地形 ❺象潟・越後路・出雲崎| 芭蕉さんが見た後地震で隆起してしまった? 旅の最北端の地

え、おはようございます。ここは山形県の 坂田市です。え、今日はこの宿駅、え、 アルファ1に止まっておりましたが、 旗小屋ね、旗小屋に停まっておりましたが 、今日は、えっと、少し北に向かって方形 に向かいます。北方松尾場所はね、あの船 で木方に向かったようですが、ま、僕は船 なんか乗れないので、僕からね、あの、 リクロで、え、40分ですか、40分かけ て草方まで向かいます。ということで、 松尾馬が若の大材となる名所。歌枕の地を 回った奥の細道。今回は第5回です。これ までの4回で場所さんは相当な地形地質 マニアであることが明らかになってきた わけですが、まだ見ていない方は第1回 からどうぞ。さて今回はいよいよ日本海側 奥の細道の旅の西北端北方まで向かい、 そこからは日本海沿いを南下し、柏崎まで 向かいます。和将さんがこの越ちゴの区間 を通ったのはちょうど真夏のことであまり の暑さと雨でやる気を失っていたらしく て方の続きゴの賞はほとんど記述がないの ですが実際は細長い新潟県を通り抜けない といけません。今回は奥の細道の本文に 沿って木方から新潟を一気に通過していき ます。で、場所さんも大好き地質を見て おきますと、まず見に行く方は長海さんの 火山活動によってできた安算癌が3体崩壊 に伴って流れてきた場所です。この3体 崩壊による岩説なだれが場所さんが訪れた 江戸時代の前期までは独特の地形を作って いたのですが、江戸時代の後期の地震に 伴って現在はすっかり姿を変えています。 そしてここからは一気に新潟県の海沿いを 突き進み日本列島が大陸にくっついていた 頃、地下深くでマグマが固まった加工癌、 そして日本海の拡大時期の噴火の痕跡 ヤ彦山。そこから南はさらに後の砂や泥が 退積した体石癌のエリアを通っていきます 。それではよろしくお願いします。さあ、 久方はね、あの、もう1度動画で撮り上げ ていますので、改めてご説明するまでも ないかもしれませんが、え、ということで 、今日はね、その、あちら頭を隠している 、頭を雲の中に隠している、あの、長海さ 君がね、3体崩壊を起こしてできた、え、 デコボコ地形ですね。デコボコ地形の 木坂方を見に行きます。今日は長会さんが 全然頂上が見えませんね。で、この3崩壊 が作った地形がね、松尾賞が見た頃と今で は実は景色が違うというね、それがあの 埋め立てによって変わったとかではなくっ て自然現象によってね、変わってしまった のでちょっとそれを見に行きましょう。ま 、それはちょっと現地で解説をしたいと 思います。え、ではまた現代の主要街道。 え、これは何ですか?日本海、え、日本海 東北自動車道ですか?ここはあの、これ から秋田方面はね、無料らしいので無料 なら使っちゃいましょう。では、え、秋田 方面ですね。無料区間を通っていきます。 え、では秋田方面ですね。秋田方面に進ん でいきます。おお、壊山さんがよく見え ますよ。頂上が見えませんけどね。え、で はこの超会の向こう側かな?超会の 向こう側に木坂方というあの3崩壊による 岩説なれが作ったデこボコ地形ね。え、で はね、ここで降ります。湯田菅里インター かな?ここで降ります。 はね、ずっと雲かぶってますね。こっから 25分かかるみたいですけどね。え、ま、 こっから海沿いを走っていくのかな。では 国道7号に入ります。え、では国道7号に 乗って、えっと、23kmだって23km 進んでいきます。新潟から184km。 今日はですね、ま、今日はこの木坂方を見 た後は新潟を通って柏崎に今日は止まる 予定です。ま、この辺りがあの超会山の 麓元のね、ま、この辺も火災が流れてき てるところでしょう。山は見えませんね。 え、この辺温泉がいっぱいあるんだ。超海 温泉。湯田温泉だって。へえ。お、超海線 山さんがよう見えますね。おお。かなり 近づいてきましたよ。で、この長海さんの 北側ですね。北というか、ま、北製か北製 側の方に、え、山体崩壊による岩説なだれ 、ま、岩のクのなだれが押し寄せて、それ があのこんもりこんもり山を作ってるわけ です。で、松尾場の時代はこの岩説なだれ のこのデこボコが島を作ってたんですね。 木坂方にはワンがあって、その木坂方の ワンの中に小島がいっぱいあるというね。 ま、だから街島みたいなもんですよ。町島 とは成り立ちが全然違うんですけどね。 ところがこれがあの江戸時代のね、また 松尾場所が行った少し後に地震があってね 、こな間だの野田半島地震と同じように 流気をしてね、あのワンがなくなって しまったというね、そういう場所でという ところをね、もうすぐ着きますんで、 ちょっと見に行きます。見に行きます。が 、もう1回行ったことあるんですけどね。 ちょっと松尾場所の席があるらしいので、 ちょっとそれを見に行きます。おお、日本 海ですよ。今回の旅めてかな?見るの。 日本海は初めて見ましたね。ああ、で、 そうそう。16とかね、あるんですけどね 。これはあの他のその長海さんの動画で 詳しく解説していましたので、そちらを ご覧ください。今日はね、あの、松尾場所 はもう船でバーって行っちゃってるので、 船で行ってしまった。 いいね。原部ガ。え、超会が噴出している 原部ガかな?多分原部ガだったと思います けど。おお、これ火山ですね。で、今から 向かう方も、あの、もう超会からね、あの 、崩れてきたものなので、ま、現部ガが いっぱい見られるかな。前回あんまりその 木方の島をね、あんまりこ々と見てないの で、今回はちょっとちゃんと見てみ ましょう。え、では秋田県に入ります。 秋田県の市に入りました。看板にもね、 あの超会と、え、富福島、ま、木坂方が 書いてありましたが、いいね、日本海です よ。で、ま、さっきちらっとね、あの、 御崎の峠なんかこのみ崎の峠のところに さっきちらっとね、あの松尾場所のゆかり の地みたいな看板が書いてありましたが、 この辺りはもう歩いてたのかな?どうやら この辺を通ったみたいです。おお、いいね 。紹介さはその見る角度によってちょっと 形が変わるんですがいいですね。で、あの 馬の日型型に左側がへこんでるの分かり ますかね?あのへこんでいるところが3体 崩壊を起こしたところです。あそこがね、 五ソと崩れたんですね。で、その五ソと 崩れたのがこの麓元に流れてきていると いうわけなので、じゃ、その麓元の流れて きているですね、北方を見に行きましょう 。ちなみに北方どっちだったっけ?どっち かが昔の夢でね、今今の読み方がどっちか なんですけど、どっちだったか忘れた。え 、ではいいですね。日本海沿の、え、 木坂方を見に行きます。え、ということで ね、え、木坂方の市街地市地に入ってき ましたが、この右手が木坂方駅ですね。 この辺りはかなり広いですけど、この辺り はね、ちょっと兵置が広くんですが、ま、 この辺りがその海線からなれてきた岩説 なれがツもってさらに流気をしてね、この 辺が広い土地ができているというわけです 。で、この辺家だらけになってますが、実 はね、この辺りにもう、え、岩説なれの丘 がね、ちょこちょこあるはずなんですよ。 あの辺もそうじゃないかな。うん。あの辺 の丘とかね、ちょこちょこあるんですよ。 え、で、秋方ですね。あ、ほうほ、そう、 そう。ジオサイド福島って書いてあります ね。うん。うん。そこに看板が出てますね 。え、松尾が目指した奥の細道、西北の地 。そうなんですよ。ここが西北の地なん ですが、木坂方や雨に精士がネブの花と いうね、歌を読んでいるんですが、ま、 いいや。とりあえず、えっと、この辺がね 、その島が残ってるところなんですよ。 じゃあ、ちょっとここのお寺の駐車場に 止めますか。砂利。あ、そこにね、どうか な。ま、ちょっと見てみましょうか。え、 ということで、木坂方は火山活動や王子と いった地球の営波の痕跡が残る貴重な場所 として、え、国の天然記念物となってい ますと書いてあって、ま、これまでの歴史 を見るとまず60万年前に活動を始めて 火山ステージ2回目の火山が16万年前 からで、3回目が2万年前からということ で、あ、で、まず3体崩壊が1回目が、 えっと、2500年前かの3体崩壊で、 まずはこの崩れてきて、岩説なれが 押し寄せてここにこうこもり山ができたと 。で、松尾場所がここ訪れたのが1689 年でその後184年に地震が起こって流気 をしてしまってここがあの陸地化して しまったんですね。これいいですね。あの おお3D地図が書いてありますけどこう いう風にこう流れてきたんですね。岩節の 辺りがこうドーンっと流れてきてこの辺り にこうこまごまとねあの山を作ってるん ですね。おお。あ、この3Dの図が分かり やすいか。今いるのはここなんですけど、 3体崩壊がどうかな。この辺りかな?多分 この辺りで3体崩壊を起こしたん。こっち か。こっちだな。ここですね。ここが3体 崩壊を起こしここを崩れてるんですね。で 、ここに岩説の台が押し寄せてきたという わけです。で、あともう1個ここに面白い ことが書いてあって、なぜ場所は木坂方を 目指したのかと。え、松尾場所のその旅の 最大の目的地はこの宮城県の松島と木坂方 だったと言われていますと書いてあります 。だから町島ここだったんですね。え、 江戸時代の記作方は場所が尊敬する報士や 農員などが若に読み込んだ名所歌枕として 知られていました。奥の細道機構は全工程 約2400km、え、日数約150日を かけて東北、北陸を巡って大垣きに至る 長い旅でした。え、6月に松島を訪れた 場所はその後平泉、山寺、坂田などを経て 8月1日に引き坂方に到着します。ま、 ちょうど今ぐらいですよ。天候は雨でした 。場所は木坂方の松島は笑うが如と木坂方 は恨むがご年と、え、松島と対象的な印象 を持ちと書いてありますね。え、木坂方や 雨に精子が寝の花という区を呼んでいます 。松島は給料地が沈んでできた溺れ谷と いう地形です。町島ね。え、波に削られて 島の岩肌は白く晴れた日はとても明るい 印象を受けます。一方、木坂方の九福島は 超海が崩れてできた流れ山で、え、そこに は超海山の溶岩。これ原部ガですね。黒い やつですよ。なので、え、場所が見た雨の 方は松島の明れさは対象的に悲しげな美女 を連想させる風景に移ったのかもしれませ ん。なるほどね。確かにそうだな。だ、 松島はあの白いね、業界癌がいっぱい見え ましたが、こちらはね、あのこの通り黒い 元部ガなんですよ。それでその松尾場所の 歌のその雰囲気もね、こう岩のように影響 されたのかもしれませんね。松島の白い 業界癌とこちらの木坂方はね、この黒い 原部ガですからやっぱり雰囲気が違ったん でしょう。え、それでここは、ま、公園と して整備してあるんですけど、ま、この 精士という人はね、あの、なんか美女、 美女らしいですけど、なぜここでね、美女 のことを歌ったのかよくわかんないですね 。中国の美女ですよ。えっと、ここに説明 が書いてありますね。精子とは一体何なん ですか?あの体液のことじゃないですから ね。中国の春獣時代末期にえ、越の国の 長村の人と書いてあります。あ、で、五越 のん、五越の攻防と呼ばれるほどの争いを していた時に生まれた方だそうです。で、 この人ね、何をした人かと言うと、越の国 の人で、ま、5同収という言葉がある通り ね、5とがこう戦争している時に越の国 から5の国にね、あの、とついで行ってで 、5の王様の心を乱出して政治を怠らせる 政策を立ててということで、ま、制略結婚 させられたんですね。へえ。で、実際に その5の国の王様にあのせとね、使えて 尽くして、ま、でも5王の心を見出して 結局は5の国は滅亡したと、ま、そういう 人らしいですね。で、それがこの精子と いう人です。ま、だからあのそうね、国の ために的国にといで行って頑張った人と いうことで、ま、でもなんでここでこの人 を読んだのかっていうのはちょっと いまいちピンとこないんですよね。なんで なんだろう。ま、この人がその精子という 、え、美女ですね。ま、ということでその 適国のためにね、身を捧げたこの美女精子 を、え、恨むがごというこの、ま、このね 、元部ガの暗い雰囲気を見てこの精士の ことを思い出したんですね。なんでかよく わかんないけど。で、え、や雨に精子が ネブの花という歌を残したということです 。ま、なんかいまいやっぱピンとこないな 。 誰だ?誰だ?松尾場所。え、ということでここに松尾場像がありますが、ここにね、松尾場所が立っていて、横にそのここのここで読まれた歌が掘ってあります。え、方の雨や精士の部の花。 [音楽] [拍手] ね。親、ここに掘ってあるのは木坂方の雨 や精子にネブの花かな。なんか微妙に表現 が違うんですけど。ま、この完ペによると 木方や雨に精子がネブの花ですね。ま、 それがこの石碑に書いてあります。ここが 1番北の端っこですね。でですね、ま、 この辺りそのやっぱり落ちてる岩を見ると 現部ガがゴロゴロしてるんですよ。分かり ますかね?この黒い岩がゴロゴロしてるん ですが、これがその超海さんから3対崩壊 によって、え、岩説なれとして流れてきた ものです。壊線見えるかな?こっからは ちょっと見えないかな?ま、腸会のあの 両線かな? ま、こっからは超海のあれかな?あの火西 流の両線が見えますけど。この辺りがその 九福島と呼ばれるね、島がいっぱいあった とこなんですね。どうかな?こっから 見えるかな?あ、でもほらほら、これこの 田んぼの真ん中に確かに島と言われば島 ですよね。ここがあの2mこれ地震で流気 してるのでま、松尾場所が訪れた頃はここ が2m低かったんですよ。で、ここに湖と いうかね、ちょっと、ま、石庫みたいな 感じでここが、ま、ワンになってたんです けど、その時はここが島だったんですね。 分かりますかね?これがあの九福島の島の 1つです。で、この手前のこの田ぼは海 だったということですね。 おお。こ、こうやって見ると確かに いっぱい島がありますよ。これがあの3 崩壊による岩説なだれ。あの岩や岩のクが ね、流れてきたなれがあったんですが、 そのなだれによってこうこんとね、 盛り上がってる場所です。ええ。あ、いい ですね。ま、ここにもあの元部ガが ボンボン落ちてるんですけど、いっぱいね 、元部ガが落ちています。で、えっと、 駒止め島という島があるんですね。この右 。要はこれ、今どう見ても島じゃないじゃ ないですか。これ陸地の中にあるんです けど、これ、あの、駒止め島という島だっ たんですね。だから、あの、184年まで はここは島だったということで、松尾場所 が来た時もここは島だったところです。 へえ、なかなかね、ここが昔島だったとは 思えないですけど。あ、でもほら、ほら、 超海山があちらに見えるんですよ。見える かな?あれが超海さんで、超海さんのその 、ま、左手かな?あの辺りが多分3体崩壊 を起こしたんでしょうけど、3体崩壊を 起こして、え、岩説なだれとして押し寄せ てきたと。ま、こうやって見るとなるほど 。確かにあちらに腸会山さんが見えるなと いうのは分かりますね。あ、これいいね。 ここはあい雰囲気ですよ。で、これがその 島ですね。なるほど。確かに島だなという 感じですが。で、ここから島に上陸でき ますね。上陸。ま、一応上陸ということに しましょうか。こっから登っていけます。 へえ、なるほど。これ結構な高さがあり ますね。ここねえ、これが何だっけ? 駒止め島でしたかね。ここに看板が出て ます。え、駒止め島ですね。へえ。 駒止め島 で、こういうあの岩説なれの上のお墓が あるんですね。で、ま、あそこに落ちてる のあれもやっぱり元部ガでしょう。 ま、超会からこうなれてきたものなんでね 。超海線本体と同じものです。で、ま、 ここがその駒止め島の上でお墓がね、 すごいいいとこにありますね。あちらには 腸会山がよく見えます。あちらからその 山体崩壊でね、流れてきたということです ね。見えるかな?ちょっとね、薄ら見える かな?かなり霞んでると思いますけど、え 、超会ですね。こちらからなれてきたと いうわけです。で、ま、今降りてきてるん ですけど、いいですね。これもあの、なん か表面にね、あの、コケかなんか入って ますけど、このすごいボツボツ穴が開い てるでしょ?ガですね。え、火山のガスが 抜けた後があります。玄部ガが落ちてます 。え、ということで木坂方でした。ここ 面白いね。え、ということで木坂方のこの 九福島でした。 確かにね、こう見ると島があったんだなと いう感じですね。でですね、この木方を 通った後、松尾橋はどうしたかというと ですね、ま、ここに本があるんですけど、 ま、木型について結構色々書いてるんです けど、この次ね、もういきなり越ゴ寺と いうことで、え、ま、新潟の方を急いで さっさと進んでいっちゃうんですけど、 新潟を進んですぐにね、もう1り、えっと 、親知らず、小知らずを通って新潟を抜け ていっちゃいます。新潟はね、なんとこの こんだけしかないんですよ。なんから新潟 はもうさっさと抜けていくんですが、 ちょっとね、1個新潟のバスセンターの カレーを食べたいので、前回ね、食べれ ませんでしたからね、今日はバスセンター のカレーを食べに行きます。ま、なんで ここにはね、全然出てこないんですけど、 バスセンターのカレーを食べに行きます。 ちなみにこの、ここはね、お寺の後であの 、門があるんですけど、ここに説明書きが あった。え、2500年前に腸会山が 大きく崩れて岩なれが発生し、え、海に 流れ込んだ岩の塊、流れ山は多くの島々と なり、やがて島々を囲むように差しが発達 して、一体は入江となったと書いてあり ます。え、島には松が追いし蹴り、え、 水面に超を移し、松島と並ぶ継承地として 記方は広く知られることとなった。で、 184年の王自身によってこの地域は流し て、え、陸地となってしまったと書いて ありますね。これね、だからこれ確かに そうすね。水面に超が映ってたらめっちゃ 綺麗ですよね。あら、猫がいる。 こんにちは。猫がいる。こんにちは。 ちょっとあのバイク乗るからね。 おい、猫。猫 なんか言え。こんにちは。 バイク乗りますよ。 じゃ、こっちのバイクに乗りますんでね。 猫さんごめんなさいね。こんにちは。 意外とこの子は同時ないですね。結構これ 寄っても 逃げないですね。こんにちは。 なんかいえ。 おい、猫危ないよ。 あんまりでもこっちめっちゃ見てますけど ね。じゃあね。 え、では、え、ということで九十島ですね 、え、木坂方でした。ではここから松尾場 に習ってね、あのさっさとこっからは新潟 方面に進んでというか、もう金沢にね、 ずんずん進んでいって、その間の描写と いうのがほとんどないんですよ。ま、あの 、おそらく出雲崎で読んだであろうね、 あの荒海佐戸に横たう川 だったかな。ま、そういう歌を1個残して ますが、そのぐらいなんですよね。ま、と いうことでこっからね、全然歌がないん ですが、新潟市の様子すらあんまり書かれ てないんですけどね。え、ちょっと新潟 まで206kmですが、新潟行って ちょっとカレー食べましょう。で、会社に ね、新潟出身の後輩がいて、ちょうどその 後輩が寄制してるらしいので、バイクを 止めさせてもらってね、ちょっと和 センターにカレーを食べに行こうと思い ます。ちなみに松尾場所も奥の細道の中で ね、あの色々こう知り合いの家に泊まらせ てもらったりとか会いに行ったりとかし てるんで、まあなんかリアル奥の細道 みたいな感じですよ。ま、ありがたくね、 バイクを止めさせていただいてちょっと 市街地に繰り出そうと思います。なんかね 、元抱き副流水とか副流水が流れてたり するんですね。ま、これね、巨大な火山 ですから。腸海さんね。あ、超海山の頂上 がちょっと晴れてきましたね。あの山の 頂上が見えますよ。え、ではここから新潟 に進んでいきます。新潟の地形については ね、またこれ新潟の地形の動画があるので 、そちらをご覧ください。今回はちょっと ね、一気に新潟まで進んでいってしまい ます。え、では日本海沿を走っていきます 。ま、こっからはずっと日本海沿いかな、 基本的には。ま、今日は柏崎に泊まります が、柏崎を超えると、え、金沢かな?金沢 をわと目指していくんですが、こっからね 、金沢まで一気に行くのさすがにきついん でね、ま、途中でちょっと1個挟んでいき ます。特にね、取り上げるものはないん ですけど、距離が長いんですよ、とにかく 。またどうぞ。秋田へ。秋田のっちって いうキャラクターがいるんだ。で、えっと 、ここがあのみ先、3つの先と書いてみと いうところなんですけど、このみ先もね、 なんかどうやら松戸場所が通ったみたい ですよ。またどうそう場所の地ですね。 さようなら。ということで奥の細道御崎 公園。え、では山形県の湯佐に入ります。 歓迎山形県湯佐町北のって書いてありまし たが、え、でも山形もね、今日はちょっと 通りすぎて新潟に入ります。あ、そう、 そう。み崎峠ね、奥の細道って書いてある んですけど、ここもあの元部ガのね、溶岩 が流れてきて作った担当ですね。この辺り はもう本当超会の元ガが流れてきてね、 もう海際までそのまま押し込んでいってる んですね。え、ということで超会さんが 作ったね、あの火山地形を松尾場所も見て 、しかもそれが今は変わってしまっている というね、今は陸地化してしまっていると いうなかなかびっくりなところですが、ま 、ほんの200年でもそういうことが 起こるんだなというところですが、あ、で 、そうそう。ここ右に行くと16羅カ岩と いうのがあって、ここの右手もね、あの 元部ガがゴロゴロしていますが、元部ガを ね、掘って、え、16間 、ま、あの、お地蔵さんですね。お地蔵 さんを作っているというところがあります 。これも別の動画でご紹介してますので、 そちらをご覧ください。それで、ではこの 超会の火山地券を後にして、え、ま、ここ からはサスとかあとは加工ガとかが出てき てるとこになりますが、加工岸のエリアに 進んでいきます。え、ま、とにかくカレー ですね、現代の名物ですね。バスセンター のカレーなんて場所の時代には絶対ないん ですけど、ま、ちょっと食べさせて ください。え、ということで、今湘内平野 を走っていますが、ここはね、この右手の 方がサスで締め切られている。ま、ここは あのサスに締め切られた石、元々は石庫 みたいな感じだったところですね。で、 そのサスの中に砂が溜まってできた兵地 です。これ新潟もそうですね。サスによっ て締め切られてできた兵置ですね。え、で は昨晩止まっていた坂田を通りすぎて新潟 までね、あと、え、168kmか遠いです ね。今日はどうかな?ドロドロかな?あ、 昨日に比べると綺麗になってますね。昨日 はね、あの、雨の直後でドロドロでしたが 、今日はサだれを集めて綺麗ですね、 も神川。え、では新潟に向かいますよ。え 、ではこっから一気に越後の国に行って しまいます。え、でね、この道、これ、 この道なんだっけ?日本海東北道路ですか ね。この道あのパーキングエリアがないん です。宿場がない。この街道は宿場がない ですね。ちょっとね、どっかで休憩したい んですけど、ま、そろそろね、1時間 ぐらい走ってますから休憩したいんです けど、休憩するあれば町がないんで困り ましたね。で、また日本海に出てきました がいいねえ。で、こっから日本海沿 46kmかな。え、では新潟方面に進んで いきます。いや、でも天気もいいしいい ですよ。気温も今29°ですから。ま、 そんなにね、めっちゃ暑いってこともなく ていいです。ちなみに松尾場はずっと歩い て旅をしてたかと言うと、ま、そうでは なくって、あの、小田賃を払ってね、あの 、馬、馬を借りたりとかしていたという ことなんで、ま、これも現代版の馬です からね。え、現代版の馬に乗って、え、 新潟に向かいます。現代版の馬はね、会場 もいらないですから。ま、会場はガソリン なんですけど、このが廃食食べるから ちょっとちょっと贅沢ですね。あ、そう、 そう。で、もうすぐネズというとこなん ですが、ネズというところは、え、松尾も 通っていますね。通ったという記録があり ます。根がですね。ネズ関を通っていき ます。ま、この名前の通り根がというのは 、ま、石書が一応あったのかな。で、昔 からここはネズという地名だったようで、 ま、ちょっとね、ここはあの加工かな、川 の加工で平坦な年がありますからね。石が 置かれていたんでしょう。またどうぞ。 山形県へ。あ、そうか。じゃあここが今も あれなんですね。県の境い目なんですね。 ま、昔はここが国境で、えっと、出の国と 越後の国の境い目だったのかな。新潟県に 入っていきます。え、ということで山形県 さようならここから、え、新潟県の村上 シティです。ま、なんか国境だから やっぱり根が席という石があったんですね 。え、ということで新潟県へようこそと いうことで新潟県に入りました。越後の栗 ですね。正解は亀田成下でもうちょっと先 に笹川流れというのがあるんですが、これ はね、あの前回、え、別の動画でご紹介し ていますが、この辺りからこの内陸の地質 が加工ガに変わっていきます。加工ガと いうのは地下深くでマグマが固まってでき た、え、日本レッドが大陸にくっついてい た頃の、ま、1億年前とかの岩石がここに 出てきています。で、なかなか綺麗な景観 を作っているんですが、それは今回はね、 あの、松尾場所も別に何も歌読んでないの で、ま、通らずにね、え、進んでいきます 。右に行くと笹川流れですが、ま、今回は 行きません。新潟まであと79kmあるん ですけど、まあ暇ですね。もうね、2時間 ぐらい今走りっぱなしなんですけど、ま、 で、こっから高速に乗るんですね。え、で はまた現代の収要街道に乗っていきます。 こちらも火山地形かな?多分この左手は 火山地形でしょう。ま、ここから新潟まで また1時間進んでいきます。で、越後平屋 に入ってきました。この右手がサスですね 。右手がサスによってしび切られていて、 で、こっから先はずっとあの砂が溜まって います。で、元々はこの辺りは石こだらけ だったんですね。もうちょっと先の特に 新潟市の辺りは石がいっぱいでした。この サスによって締め切られた湖ですね。湖 だらけだったのが、だんだんこう砂が 溜まっていってで、こうやって広大な兵置 ができたんですね。ちなみにこの辺りは この左手は加工ガの山かな。なので加工が 風化した摩擦しがいっぱい溜まっている ところです。そのエチゴの成り立ちについ てはね、そちらのエチゴの動画があるので そちらをご覧ください。3時間ね、バイク 寝るのはさすがに疲れますよ。松場賞あの 木方からここまで何日かけたんでしょうね 。え、では赤の川を渡ります。でかいね。 いやあ、新潟遠いねえ。では新潟中央出口 で出ます。この左に行くと富形ですよ。ま 、豊富というのがこの辺りの新潟のね、 サスによってできた石庫です。元々新潟は 関子だらけの熟々の土地でした。え、では ちょっとね、一旦あのバイクを止めさせて もらって、で、そっから電車で市街地に 向かうことになります。え、では品野川を 渡ります。おお、品野川ですね。この右手 が市街市地ですね。 あ、これ右に曲がっちゃうのか。左ですね 。え、だ、こんな辺りでちょっと一旦 バイクを止めます。で、電車に乗ると思っ ていたんですけど、バスの方が早いような のでバスで新潟市街市へ向かいます。 あっちね、バスセンターに行きます。 これがバスセンター。お、あった、あった 。あれね、え、そばうどんカレーって書い てあるということで、こちらが新潟名物 バスセンターのカレーです。 安い早いうまいそばうどんカレーと 3 つ書いてありますがほとんど全員がカレーを頼んでいました。 ええ、ということでこれがバスセンターのカレーです。ミニのコロッケやつにしました。玉ねぎたっぷりで黄色い色をしていますが、見た目に反してかなり辛いです。 後ろバスセンターあるで 普通に外と通じているので暑くて汗だになります。 ええ、ということでバスセンターのカレーでした。すごいよ列ですね。 ということで、新潟名物のバスセンターで カレーを食べましたが、ここからですね、 え、柏崎に向かいますが、出雲崎を通って いきます。で、これはあの関屋分水路です ね。これはあの品野川がよく氾濫するので 、この品野川の川の水をここに分水して 流していくね、このこう突っ切って流して あるわけですよ。なかなかこれ大工事だっ たと思いますけどね。じゃあ、石屋分水路 を超えて、え、出雲崎へ向かいます。で、 出雲崎で読まれたのが荒海サに横タう 天野川という歌ですね。ではあります。サ に横タう。ま、ちょっと夜じゃないんでね 、天野川は見えませんが、里に横たう雲を 見に行きましょう。ということで、今新潟 の海沿いですね。新潟市の海沿いを走って いますが、この右手がさすごいあの砂が 溜まってるんですけど、右手にずっと砂が 溜まっていますが、海が見えますね。あ、 里ヶ島が見えますよ。ああ、これは、これ は確かに明らかに戸に横たう川 が見えそうですね。おお。で、この右手は すごい砂が溜まっていますが、ま、この サスがあの石屋とかの辺りもね、そうなん ですけど、このサスによって締め切られて 石庫がいっぱいできていたのがこの新潟 です。なのでこのサスによって締め切られ た新しい石庫がいっぱいだから新潟なん ですね。おお。確にすごいサスですね。 ずっとサスですよ。この左手もほらすごい 砂が溜まってますけどね。では柏崎方面に 進んでいきます。ま、このサスもすごい ですしね。てかサスで里ヶ島が見えないん ですけど、ま、これだけすごい砂ですよ。 この砂がどっさり。これだけ砂がツもって たらそりゃ内陸部はね、塞がれちゃって 石庫になってね。で、その間に土砂が 溜まっていくわけです。すごい量です。 これが赤野川とかね、ま、その辺の川から 供給をされた砂が海流に運ばれて、この 沿岸によって運ばれてね、あのツモって いってるわけですね。ま、おそらく松尾 場所と川空もね、この右手の里ヶ島を チラチラと横に見ながら どんどんあの金沢方面ですね、金沢の方に 進んでいてたんでしょう。で、おそらく この刺も通ってると思いますよ。こういえ ばなんかどっかにマサゴ、マサ子の浜をね 、どんどん進んでいったみたいな記述も あったので、それがこのマサドですね。 マサドというのは加工が風化してできる 白い砂ですけど、その、え、マサ子を組み ながら進んだというところもありました。 いや、だから奥の子道は地形地質に関して いろんな記述があって面白いですよ。で、 これさ道上なんですけど、上でなんか農業 してたね、スイカとかなんか育ててる みたいですね。だからなんか耕してあるん ですよね。ええ。あ、でも本当だ。農業畑 がありますよ。まあでもどんなに頑張って もここで峰はね、育てられないんですけど ね。この通り砂が広がってますから。え、 ということで出雲崎に向かってるんですが 、これすごいですね、ここ。へえへ。これ なんだろう?元部ガかな?この辺は海底 火山とかもあったりするんでね。おお、 すごいね、これ。うわあ、真っ黒な岩が いっぱいであります。これはこれは多分 現部ガの業界核かな。おお、すげえ。 くり岩だってと立ち岩というのがあります 。おお、 海底火山かな?なんかそんなだった気がし ますが。おほほ。すごいすごい 妖怪ですね。火山とあとはま、駅がね、 ござっています。いいですね。里鹿島が 見えますよ。で、海沿いの道がなんか落石 で通行止めになっていたので、え、ヤひこ さんのね、え、内陸側を通っていきます。 ヤひ子さんは成り立ちが結構複雑で火山 だったり大石物があったり色々なんです けど、ま、せっかくなんで夜彦こ神社にお 参りしていきましょうか。じゃ、小の神社 にちょっとお参りをしていきましょう。 えっと、じゃあちょっとね、車、バイクを 止めてや彦こさんお参りをしましょうか。 ちょっとここに止めますか。へえ。あ、 もうこの辺なんですね。え、ではちょっと ヤ彦こ神社にお参りしてみましょう。 ということでかっこいいですね。RS 660で神社がちょっと向こうにあります 。いや、今日はね、全然八彦神社に行く つもりはなかったんですけど、海沿いが 通れなかったので迂してたらそういや 行けるなと思ってちょっとね、お参りして みます。よく見たらあの辺に参拝者駐車場 がありましたね。ちょっと遠くに止めて しまったけど、まあいっか。じゃ、 ちょっとヤひこ神社にお参りします。え、 ということでヤひこ神社です。え、越ゴの 国の一宮ですね。ちょっとお参りして行っ てみましょう。え、夜彦神社は立派ですね 。ちなみにここからあの上に上がるロープ ウェでということでこちらがヤひこ神社 です。広いね。立派です。ギリギリでした けどね。ご主をいただけました。ヤ彦神社 ですね。この小犬は何だろうな。これでも かなり決めが細かい石ですね。ああ、なん だろう。ゲムガかな。安山癌か原部癌か そういうのですね。ちなみに松尾場所は この辺りに止まってるらしいですね。ヤ彦 に一泊しているそうですが、ま、この先 あのちょっと紐を見に行きますんでね。 出雲崎に向かいます。おいしょ。え、と いうことでヤ彦神社でした。ここから日本 海沿に出ていって荒海宮外に横野川 かな。ま、あの横タウと書きますが、多分 当時の歴史的金遣いでは横と読むでしょう 。え、では日本海側に出ていきます。ま、 この辺をね、松戸場所は通っていったん ですよ。さっきの神社の近くのお寺にね、 一泊しているそうですから、ま、この辺り を通って出雲崎にね、向かっていったと 思われます。なのでおそらくこの辺りを 通って出雲崎に向かったと思われます。 いや、でもいいですね。ヤひこさんの下の この、え、イチゴ広いですね。 めちゃめちゃ広いんですよ。イチゴ。この 時間にバイクに乗るの1番好きですね。影 ができてね。この影を見ながら走れてるの がね、なかなかがあっていいんですよ。え 、で、この左手は大川分水路ですね。 こちらも、こちらもあれか、品野川の分水 のでかいやつですね。そうか。そうか。 品野川2つ分水があるんですね。こっちの 方が大掛かりな分水路ですけど。 へえ。じゃ、あと日本海まで3kmかな? 3kmぐらい走っていくと日本海です。え 、ではね、迂してきまして、こっから先は ね、通れないんですよ。本当に通止って 書いてあってね、え、た、通行止めで迂し てきまして、日本海側にまた出てきました 。おお、これは白野川の分水路の加工です ね。おほほ。ここなんかすごい工事して ますが、え、こっから先はですね、体積癌 がいっぱい見られます。多分出雲崎の辺り も体積があんじゃないかな。で、その 出雲崎で雨の中ね、あの場所は荒海宮の歌 を読んだということです。え、では 寺止まりを通り過ぎてここから15分です ね。15分で出雲崎まで向かいます。え、 ではここを右に曲がってね、え、柏崎、 出雲崎方面です。今日は柏崎に停まります が、その手前のね、出雲崎で、え、一旦 松尾場所の歌を読んだ場所ですから、 ちょっとそこで下を見ます。酒がね、 だんだん長くなってきましたね。いやあ、 でも夕暮れの日本海、そしてあの里ヶ島が ね、確かに見えるんですよ。ま、場所が海 を読んだ時はあの海が荒れてたみたいです からね。だから荒海アードンなんですけど 、今日はベタぎですね。これではね、 ベタナぎや外に横たう火の光。それじゃ光 の歌になっちゃいますね。いやあ、でも これは本当に旅情があるよね。ずっとこう 太陽を右手に見ながらね、え、国道402 号を進んでいきます。いや、いい景色です ねえ。では、まもなく出雲崎ですね。おお 、すごい。すごい。体石癌。これ大石の層 の跡が見えますね。え、この辺りは大石癌 になります。体石癌かそこにも見えました が、こうやってこう走り回ってると場所に よって全然岩石が違って面白いですよね。 ま、この同じ日本海側でもね、こう 走り回ってると全然岩石違うんですよ。 ほらほら体石層が見えますよ。え、それで この左手かな?この左手にこう家がこう ずっと密集してるんですけど、こちらが その旧街道の出雲崎宿みたいですね。宿場 がそこにあるみたいです。もうこれずっと 長々と宿場がありますね。ああ、ずっと 宿場みたい。ま、通りたいんですけど、 あんまりね、こう大型バイクで走ると どこどこうさいんで、とりあえずこう外 から見とくだけにしますが、結構ずっと 宿場がありますよ、これ。ここね、だから ずっと宿場町なんですね。この海沿いの道 ではなくてね、この左側に家がずっと続い ています。で、松尾場所はこの辺りで 止まっていて、その止まったところで、え 、荒海宮を読んだわけです。え、出雲崎港 郵便局だって、ま、旧街道場はやっぱり 郵便局がありますからね。え、では柏崎 方面にちょっとここのまま進むんですけど 、もうちょっと先にね、え、松尾場所の 石碑があります。下かがありますんで、 ちょっと下を見に行きます。じゃあ ちょっとここで左に曲がって松尾場所のね 、下がね、その辺にあるんですよ。 よいしょ。ちなみにこれがその旧街道です 。旧街道があってここかな?あ、そこそこ 。え、場所園と書いてありますね。 ちょっと止めてみてみましょうか。書いて ありますね。松尾場と出雲崎と書いてあり ます。え、ということで、ここが旧街道な んですけどね。これが旧街道で、ま、旧 街道沿にちょっとバイク止めてますけど、 ここにあの場所と出雲崎と書いてあります 。原力2年この北陸寺に奥の細道の アンギアをしていた場所はここ出雲崎え 旅人宿大崎屋に立迫したと言われているの 空は空旅日記のえ7月4日の記述の中に4 日海晴風え同板猿の上国出雲崎着縮 雨強く降ると記していると書いてあります 。で、この夜海辺の窓を押しけて大中を 感じた晴 は天下の名銀荒海佐に横天野川の霊感を得 たのであると書いてあります。で、この、 え、大崎屋というのが斜め向いにあった らしいです。どっちなんでしょうね。 どっちなんだろう。またこの辺にあったん ですね。で、ここにバイクを止めており ましたがかっこいいですね。RS660で 、そちらに、え、松尾場所の像があります 。 こちらが松オ肖像です。だからね、ま、 その辺りの宿で窓を開けて4んだがここに 書いてあるんですけど、これですね、あの 、見えにくいでしょうけど、荒海里に 横野川 場所ですね。これを読んだというわけです 。ここに一応石碑がありますからね。なん か全分が書いてあるみたいですね、ここに 。これは銀河の女というあの、ま、別の 作品でしょうね。奥の細道にはね、この 記述はありません。で、そこにこの石碑が あるというわけです。これは、これは元部 ガかな?これもね、なんか火山ガですね。 火山ガでできています。 [音楽] [拍手] [音楽] [拍手] 松場所。 ちなみにここにその案内看板があります けど、海沿いにね、今の国道があって、 この1本内側の道に、え、北国街道の 出雲崎宿があったと書いてありますね。で 、この現在地のところで松尾場所が、え、 荒海宮の読んだというわけです。え、と いうことでこの辺りでね、その荒海の歌が 読まれたと。まさにこの辺りだということ ですが、ではここから柏崎に向かいます。 こっからね、海を見るとああ、でも本当 ですね。里ヶ島が見えますかね?あれがね 、里ヶ島なんですけど、ああ、ま、昔は この防波堤もなかったでしょうかね。こ 防波堤がかなり邪魔ですけど。あ、確かに 里ヶ島がよく見えます。分かりますかね? あの、防波堤目から里ヶ島がね、見えます ね。なんかこれを見てると寺員と来るね。 確かにそれはそうだわって感じですよ。ま 、ちょっとここで止まるか。海沿いをね、 ちょっと見てみましょうか。ちょうどね、 この辺りからおそらく見たはずだという ことですね。かっこいいですね。RS 660で、こちらにね、夕日が見えますが 、あちらを見ると里ヶ島が見えます。 見えるかな?ちょっとなんかあちらに展望 台があるんで、あっち行ってみましょうか 。これが夕毛の橋という、ま、展望台なん ですけど、日没までって書いてありますね 。日没までに出ないといけないんですが、 ま、そこまでいないのでね。で、ここの 向こうに、え、里ヶ島が見えます。いや、 いいっすね。あちらにはこう夕日が見えて ね。え、里ヶ島がドンと見えるんですよ。 見えるかな?これ結構広角なんでね。 里ヶ島がこう横たわってるのが見えますか ね?なるほどね。海に里が横たわってい ます。え、ということでこの橋のね、端 っこにやってきたんですけど、あの辺りが 出雲崎です。 この辺りで、え、松尾場所が歌を読んだわけですが、この左の方に目をやるとほらが横たわっていますと。 いい景色ですね。いや、いいっすね。 サヶ島がよく見えます。い や、でもここいい海岸ですね。海の水もね、かなり綺麗なんですよ。あそこになんか鳥がいますけど。おほ、飛んでいっちゃった。綺麗ですよ、でも。 あ、いい眺めです。こ ことでね、あの日本海に横たう頭がよく見えますね。よいしょ。え、では出雲崎でした。いいとこですね。もうここ見てるとなんだか本当にね、あのに横と野川ってんだその状況景が思かびますね。 [音楽] あ、バイク夜乗るのは怖いので、この ちょっと夕方のね、この景色で想像してみ てください。ま、本当は夜来たかったん ですけど、あ、で、この左手がずっともう 街道が続いてるわけですが、本当はね、夜 来たかったですけど、ま、夜来ると今度は ね、あの、里ヶ頭が全然見えなくなります から、夕方のこの景色でね、あの、想像し てみてください。ではここからね、え、 柏崎まで向かいますが、もうあと30分 ぐらいですか?もうあと30分ですね。 30分進んでいきます。いやあ、でもこれ はいいね。本当にいい景色です。これね、 雨だったら本当にあの、今頃泣いてます けど、天気が悪いとね、あの、ご主院も もらきがなくなるしね。ああ、やっぱ天気 がいいといいですよ。では、柏崎に向かい ます。ようこそ海の柏崎、柏崎市に入り ました。うん。もう宿はね、あともう20 分ぐらいかな。あ、30分あるわ。え、で はあと30分走っていきます。この辺は えっと深夜という集落みたいですが神夜跡 とかあったから、ま、ちょっとした宿場が あったのかな。あのシかもしれませんが 宿場町になっていたみたいです。で、なん かさっきシ野層の路島があると書いてあり ましたが、あ、この辺はやっぱり体積癌か な。体積癌の路島があるみたいでしたね。 ちょっとね、さっきあのシ野層の路島と いう気になるのがあったので、ちょっと見 に行ってみますね。おそらく体積癌だと 思いますが、ちょっと見に行ってみます。 ていうかやっぱりやっぱいい景色ですね。 あの里ヶ島が々んと見えますよ。で、 あそこかな?多分あそこで路島が見えるん でしょう。ちょっとシの路島をね、日が 沈む前にちょっと見てみましょう。ここ シトって書いてあるんですね。シ路島。え 、夕方7時で平園と書いてありますね。 ここちょっとじゃあ、あの、そのシ野層の 路島を見てみましょうか。到着です。え、 ということでそこにバイクを止めましたが かっこいいですね。で、えっとあちらの方 に路島が見えます。あちらがそのシ野層の 路島なのかな?ちょっと見に行ってみ ましょうか。ま、誰もいませんけどね、 こっち。ま、それでね、ま、こっから先は 一応立ち入り禁止になってるし、あの、 めちゃめちゃいい景色ですね。夕やけが 綺麗ですが。え、これですね。これがあの シ野層の路島だということですが体積感 ですね。ご覧の通り体積層がよく見えます 。でですね、どうやらこのシ野層はこの 辺りの油ですね。えっと、西山湯っていう のが、ま、この向こうにあるみたいですが 、西山湯伝の、え、ガスだそうですね。え 、山陽ガスと書いてあります。で、この 辺りは、ま、やっぱデガから、ま、差眼か な。と差眼になっていて、え、この辺りの 油電ガス電の、え、主力貯流層となって いると、ま、なんかそんなことが説明に 書いてありましたが、これあの中心後期の 後半ということなんで、ま、500万年と かそのぐらいですかね。大体そのぐらい前 の、え、差がの層です。ここに路島として 出てきてるんですね。で、こちらに左手の 方にはサが見えますかね。里ヶ島がね、 うっすら見えるんですが、里ヶ島が見え ます。いいですね。里ヶ島とこのガスが 見えるというね、ちょっと驚きの場所です がということでした。あ、いいですね、 ここね。 へえ 。ということで、え、深夜層の見られる 海岸公園かなというところでした。いや、 ここからちょっと寄り道してしまいました が、え、柏崎に向かえます。ここから20 分ですね。え、20分でちょっと進んで いきます。いいですね。影が見える時間に なってきました。かなり影が長いな。もう 日がくれてきましたね。え、ということで シの路島でした。ちなみにここにあの深夜 神夜跡というのがあるので多分ここにあの ここも多分宿場があったんでしょう。え、 で向かいます。もうこれはめちゃめちゃ いいすね。ま、海は完全にないでいます が海 の草戸にう 夕日暮れとでも読みましょうか。カバ村 ってそうなんだ。村で残ってるんですね。 なんかこの辺ね、えらい物々シーンですよ 。あの入子鉄線がバリバリこうあるんです けど。この中があれかな?柏崎カ原発かな ? なんかそんな感じがしますね。この右手が えらい物々しいです。総電性もありますし ね。多分そうでしょう。そうか。松尾場が 通ったところはこんなことになってるん ですね。うん。なんかそうですね。 も々ろしい。東京電力が云々て書いてある からやっぱそうでしょう。総電線もすごい ですね。やっぱね。へえ。では、柏崎方面 に向かいます。もう日がね、くれにきまし たね。え、では柏崎の市街市地に入ってき ましたが、今日止まるのはルートインです ね。安心と信頼のアルファ1に続いて、 今日はルートインです。昔の旗小屋って どうやって選んでたんでしょうね。いい 旗屋、悪い旗小屋。今はね、アルファ1と 、え、ルートインね。あ、これ、これ ルートインですね。もう間違いなくいい宿 というのがありますけどね。え、では、 本日のお宿はこちらでございます。ホテル ルートインコート柏崎でございます。 ルートインはね、間違いなくいいですから ね。ではここに到着です。え、今回初めて なんですけどね、そこがね、あの、 フロントなんですけど、ここが部屋なん ですよ。1階がお部屋。初めてですね。ま 、これ便利ですよ。外出るのもね、すぐ出 られるし、登るよりないからこっちの方が いいですよ。え、ということで今日は ルートインね、ちょっとここはかなり狭い ですけどね。ま、広さなんかいらないから これでいいですよ。外の景色は 何も見えない。ま、1階ですからね。 ところでここの旗屋すごいんですけどね。 見てください。松下電光ですよ。松下電光 。ま、ナショナルですねのオシレットと こなんか見たことない機会がある。等々の ユプロって。これ何すかね?お湯。お湯を これで出してるんすかね?すごいトイレ です。あ、ちなみに部屋にお風呂はなくっ て大浴上に入ります。じゃ、ちょっと 晩御飯を食べに行きます。この近くにね、 ちょっと食事があるみたいなんで行ってみ ます。じゃあちょっと歩いてきたんです けど、ここですね、このグリルホンダと いうお店が定食とか美味しそうなんでね、 ちょっとここにしてみます。これですね。 え、グリルホンonda ここに入ってみます。いいお店ですね。 メニューは定食がいっぱいありますが、 ロースカツ定食にしました。あとビールを 頼んだらおつまみにおきを出してくださっ て、食事を待ちながら美味しくビールを いただけました。で、こちらがロースカツ 定食です。美味しかったです。え、という ことでグリルホンダでした。あそこ 美味しかったですね。え、ではホテルに 戻っていきます。ま、ホテルまで歩いて 10分かないぐらいですね。で、コンビニ でね、これが気になったので、これなんか あれですよね。中にレモンの切り身が入っ てるやつ。切りって言っていいのか?これ ね、1回飲んでみたかったんですよ。 どれどれ。ああ、 いかんいかか。美味しいのかなって。もう 飲んじゃいましたけどね。泡吹きこぼれた 時に飲んじゃいましたけど。正大に事故り ましたけど。これね、中にそのレモンの 輪切りが入ってるやつですね。これ 美味しいですね。じゃ、これ飲んで寝ます 。明日は金沢まで向かいます。それではお やすみなさい。さて、次回は奥の細道1番 の南所新潟の親知らず、小知らずを超えて いきます。ポサマグナの端っこの険しい山 が迫る海岸では古い体積癌が大量に 流れついていて翡水を探す人もいっぱいい ます。そして越中の国、富山県に入ると 黒部川が作った巨大な洗浄地がお出迎えし てくれます。副流水が脇出る泉がたくさん あり、この副流水に守られた舞林もあり ます。そして越中の国と越然前の国の国境 の石書を超えて金沢へと至ります。金沢の 権力園は見晴しの良い球面の上にあるの ですが、水が得にくいはずなのに池や小川 がいっぱいあります。これはどういうこと なのか。次回親知らずと越中寺金沢お 楽しみに。流してるね。水が流れている。

象潟は、松尾芭蕉が旅の最北端の地に選んだ、最大の目的地の一つでした。
潟湖に浮かぶ島々の絶景は、芭蕉さんの心を掴んだことでしょう。
しかし300年が経過した現在は潟湖が陸地化してしまい、その絶景を見ることはできません。えっ…なぜ?

元禄2年、俳聖松尾芭蕉先生が歌枕を巡った「おくのほそ道」の旅。
和歌に詠まれる名所・歌枕は、地形や地質に特徴のある場所だらけ。なぜ歌の題材に選ばれたのか?地形の成り立ちをバイクで辿っていきます。

第5回の今回は山形の酒田から最北端・秋田の象潟を経由して、新潟、出雲崎、そして柏崎まで
日本海沿いを延々進みます。

参考:
「新版 おくのほそ道 現代語訳/曽良随行日記付き」角川ソフィア文庫
https://amzn.to/4mMow5m

地質図の出典:
産総研地質調査総合センター「20万分の1日本シームレス地質図 v2」
https://gbank.gsj.jp/seamless/v2/viewer/

#おくのほそ道
#ツーリング
#越後路

23 Comments

  1. 吉田駅から弥彦神社に向かうJR弥彦線が有るそうですね、普通は本線から遠ざかる方を下りと称するはずですが、この弥彦線
    だけは神社に向かう方を「上り=のぼり」と言うそうです。

  2. うらむがごとしの象潟九十九島を初めて見た時、鳥海山の数多のカケラが浅海に転がり落ちて島になり、という当時の風景が思い浮かび、以来平地の至る所で昔の海や湖に浮かぶ陸の姿を想像できるようになりました。象潟の風景に感動し、象潟を世に知らしめ、象潟に私をいざなってくれた芭蕉先生に感謝したものです。地形地質を見る目はやはり鋭かったようで😳
    その後、鳥海山の噴出物が遠く酒田沖まで飛んで島になったと聞く飛島にお邪魔しましたが、それは伝説ながら、日本海拡大の地殻変動による火山活動や象潟地震および鳥海火山と飛島はあながち無関係ではなさそうで、地球のダイナミズムを感じます🤗

  3. 松島と象潟の対比(白と黒)を地質の成り立ちから解説して頂き、理解が深まりました。「象潟や雨に西施がねぶの花」で、西施をもって来たのは、象潟の玄武岩(黒)のイメージを政略結婚させられた西施の心情を投影させたものだったんですね。
    碑文が、テキストの角川文庫と違いがあったところが気になり、手持ちの「芭蕉自筆奥の細道」(編者上野洋三・櫻井武次郎岩波書店)の芭蕉の自筆をみると、「象【氵写】(潟の異字、氵に゙写。)や雨に西施かねふの花」(活字の解説)となっているようで、芭蕉の直筆を参考に碑に刻んだものでなく、筆耕者の文字のように思います。
    「鼠ヶ関」は「念珠ヶ関」の表記もありますが、芭蕉の時代にはどうだったのか気になりました。
    地質の解説がないと分からないことが多いので勉強になります。
    今回も興味が広がる動画をありがとうございました。

  4. 地震で象潟が隆起して浅瀬だったところが陸地になってしまうとは…自然界とはなんともダイナミックなものです😳
    220年前なんて人間からすれば大昔のような気がしますが、地球からすればほんのひと昔前のことなんでしょうね。
    今回の動画では触れていませんでしたが、出雲崎は良寛さんの出身地でもありますね。良寛さんは松尾芭蕉の100年ほど後の人なので直接的な接点は無いですが、松尾芭蕉を尊敬し慕っていた俳句や漢詩が残されているそうです。

    来週の柏崎〜親不知〜金沢編も楽しみにしています😊

  5. 象潟と松島、芭蕉は松島は笑うがごとく、象潟は恨むがごとしと表現しましたが、今回の地理さんの動画で芭蕉の表現の中身が地質面から良く理解できました。柏崎・刈羽原発、1992年頃訪れたことがあり、当時世界一の出力を誇っていましたが出雲崎のすぐそばだったのですね。今回の地理ライダーさんの動画を見て、初めて、柏崎・刈羽原発、出雲崎、弥彦神社、佐渡島の位置関係が理解できました。芭蕉の名句とそれが歌われた場所をじっくり見せていただいて、本当に勉強になります。

  6. 鳥海山が山体崩壊する前はもう少し海岸沿いに山頂があったのですか?かなり小山まで距離がある様に見えて…😅

  7. ごくろうさまです。

    俳人松尾芭蕉の一般的イメージは旅する吟遊詩人ですが、一個人松尾宗房としての姿を追いかけています。

    素性を公にできないお仕事だったり、もしかしたら秋田、山形へ行ったのも彼には外様藩の動きを監視するという裏の顔があったのではないかと考えています。

    吉川英治とか志津三郎とか歴史小説を探しているのですが隠密関連は難しいです。

  8. 大河津分水に関して、2019年の台風19号では上流の長野で豪雨となり下流の大河津分水が破堤寸前までいきました。明治時代に起きた信濃川の横田切れではあの広大な越後平野の多くが浸水したそうです。当時よりも治水が進んでいるとはいえ、もし大河津分水が氾濫してたらまた越後平野が水の中に沈んでいたと思うと恐ろしいです。

  9. 地図のカレーが冒頭から気になってたけど、予想通り食レポートはあっさりでしたね😊今回も妻と楽しく拝見しました

  10. いつも楽しみにしています!ちょうど同じくらいと思われる時期に鳥海山登山にいきました。
    その後で象潟見に行ったのですが、ここのお寺、山門を入ると地元のボランティアさんがいて
    お寺の歴史や庭を案内してくれました。本堂脇の庭の端に昔船着き場跡?があり、松島の瑞巌寺の
    ような感じだったのかと思います。芭蕉の100年後に小林一茶も来ているそうですが地形の変わり
    ように驚いたでしょうね。現代では周辺の水田が耕作放棄されるところが増え、象潟の風景を維持
    するのが大変になっているとおっしゃっていました。ネコチャンはこのお寺の子だと思います。
    たくさん飼っておられるそうですよ🐈

  11. 奥の細道に日本海側のイメージが無かったので勉強になりました😅

  12. 地形の変化が激しいとこなんですね、せいし侵略者のイメージ人員を送り込んで中国人を増やす戦略におもえた、なんかマニアックなルートインの説明設備機器ですね、自分確か石川のルートイン泊まって朝食バイキングにホタルイカの沖漬けがうまかったの覚えてる、ライダーさんは嫌いだろうけど。

  13. バスセンターのカレー、辛いんですね~色が黄色くて濃厚そうです!海沿いを走るのは気持ちよさそうです!

  14. 新潟県民なので、新潟回とっても嬉しいです!
    自分の大好きな場所である雷岩( 32:18 の場所)で地理ライダーさんがびっくりしてくれてるのが特に嬉しかったです!

    ちなみに、新潟のグルメと言うとお米、お酒、B級グルメではバスセンターのカレーやイタリアンが有名ですが、個人的にはそのどれよりも「へぎそば」を推しているので本場である十日町を訪れる機会があれば召し上がっていただきたいな、と思っています。(十日町は河岸段丘で有名ですが、新潟の河岸段丘は既に来訪されちゃっているので中々機会はないでしょうが)

  15. いい天気でほんとに良かったですねぇ😅

    これからも応援してま~す!

  16. 大学の山形巡検では鳥海山迄足を
    延ばし標高1,000m付近にある「大
    平山荘」に泊まりました
    ここから望む眼下の景色は絶景で
    した
    夕陽が落ちる瞬間も最高でした

  17. 象潟から柏崎までの長丁場、おつかれさまでした。
    鳥海山は僕の子供時代に噴火しています。TVで報じられていたのを今でも覚えています。
    あと、予告編で「越中と越前の国境」と言われてましたが、越中と越前は接していません。「越中と加賀」が正当ではないでしょうか。

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