鎌ケ谷をゆく・北編 《鎌ヶ谷大仏駅~柏市飛地~新鎌ヶ谷駅~北初富駅》 複雑な市境と飛地を眺め,街道と鉄道に沿いながら,下総台地と谷津を歩く

[音楽] 京成伝鉄松戸線の鎌ヶ谷大仏駅です。 新京形成伝鉄時代の復刻カラーの電車が 出発していくところです。この電車は京成 千葉線へと直通し、千葉中央駅へと向かい ます。 京成松戸線は少し前まで新形成伝鉄の路線 でしたが、2025年から京成伝鉄に吸収 されました。 駅の近くには駅名の通り大仏があります。 後ほどご紹介します。駅の隣はバスの営業 所で多数のバスが車庫に止まっています。 中には70年以上前の色に復刻塗装されて いるものもあります。 駅を出たところです。駅に隣接してバスの 発着場が併設され、道路上にもバス停が 設置されており、交通の決点です。市内 だけでなく船橋市や白石など各方面へバス が発着しています。 駅の正面です。神経時代に撮った写真です 。神経伝鉄という文字は現在では撤去され ています。 駅前の道路は市川市とイを結ぶ清街道です 。 今回は鎌ヶ谷市の北です。 鎌ヶ谷大仏駅からく山駅へあちらこちらと 寄り道しながら進んでまいります。 [音楽] まず鎌ヶ谷市の位置を確認しておき ましょう。東京の都心から20kmほど 東側にある市で人口は11万人とそこそこ 大きな町です。しかし、鎌ヶ谷市の周りは 船橋、市川、松戸、柏という千葉県内でも 2位から5位までの強烈な市が取り囲んで おり、鎌ヶ谷市の存在感というのはあまり 強くはありません。 鎌ヶ谷大仏駅から清街道に沿って400m ほど南側エ名寺から出発します。清街道は 現在の市川市の行徳から因の木まで江戸川 とト側を陸でショートカットする街道です 。 対象時代に行徳からここまで統括神社鉄道 が伸びていました。この辺りにつきまして は南編の動画でご紹介しております。 よければご覧ください。 エ名寺は江戸時代からの日連習のお寺です 。 後ほどご紹介します。大仏のあるところは エ名ジの飛び地だそうです。 エ名字に入ってすぐ右に一等水準点が設置 されています。水準点は測料において標高 の基準点であり主要な街道沿いに設置され ています。この蓋の下には地面にしっかり と埋め込まれた標石があることでしょう。 このエメジの木街道を挟んで向い当たりに 初代の鎌ヶ谷村役場があったようです。 明治22年にできた鎌ヶ谷村はその後の 合併などはなくそのまま町市恵と昇格して いくことになります。 エ名寺から鎌ヶ谷大仏駅に向かっていき ますと目を引く赤い建物があります。丸屋 です。 江戸時代に清道沿にあった鎌ヶ谷区の旗子 です。 その後は住居として後にアパートとして 使われていたようです。国の登録有計文化 剤ですが、個人の所有のために立ち入る ことはできません。 さらに駅に近づきますと、バス停の名前は 配給所前です。 船中や戦後すぐの食料管理制度の頃の 配給所に由来します。 現在すぐ近くにお米屋さんがありますが、 現在はもちろん自由にお米を求めることが できます。 そして冒頭でもご覧いただきました鎌ヶ谷 大仏駅です。 交通量の多い清街道の踏切りはいつも渋滞 しています。その踏切りから80mほど 北側の墓地、ここに鎌ヶ谷大仏があります 。 高さは1.8m、台座を含めると2.3m ですが、鎌ヶ谷大仏よりも高いが国内には 100体ほどあって、そのうち10m以上 のものが30体以上ある中では鎌ヶ谷大仏 は大仏というにはかなり小さい部類に入り ますが、それでも地元の進行を集め駅や 交差点などにもつけられており、致名度は かなり高いようです。 木下ろし街道はこの先再び船橋市をかめた 後、白石、因と伸びていきます。 この付近の地図を見ておきましょう。静を 赤色で強調したものです。 鎌ヶ谷大仏駅の北側は静が入り組んでいる ようにも見えます。白石が登場しました。 そしてもう1つ、鎌ヶ谷市と白石の境目に 北側から細長く2km以上も食い込んで いる細長い土地があります。柏市です。 少し北側の地図で確認しましょう。真横に 太く伸びている線は北千葉道路とその間に 挟まれた北鉄道、そして形成田 スカイアクス戦です。 鎌ヶ谷市と白市の境い目に北から2km ほど細長く伸びてきているのが柏です。 さらに拡大しますとこの通りなのですが実 は国土地員のチリン地図では示されてい ないもののこの範囲の他の民間の地図の いくつかには柏市の飛び道が描かれてい ます。書き加えてみますとこの通りです。 ほんの小さな柏の飛び道があるのです。 行ってみましょう。 鎌ヶ谷市の市民体育館や陸場競技場の東側 です。ここに柏市の飛び道があります。 道路の右側、東側は三角屋根のレストラン の手前側の一部が柏のようです。 左側、西側はし農地ですが道路沿いの一部 が柏です。もう少し北側に進んでみます。 右に見えますレストランや自動車学校は 鎌ヶ谷市です。左側には少しだけ柏の範囲 があります。そこに小さなお道があります 。このお道の辺りが教会と思われますが、 何せ教会を示すものは見つけられません。 教会を示していないチリン地図でも拡大し ていきますと、そこに藤谷という知名が 現れます。鎌ヶ谷市側のこの辺の地域の 地名は軽井沢です。藤ヶ谷は柏市の地名 ですから、チ輪地図でも飛び道が現れて いるということになります。 この地図の大きな道の左側に並行して細い 道が描かれています。通ってみましょう。 この辺り柏の範囲と思われる場所ですが、 鎌ヶ谷と記されたものがいくつも見つかり ます。細い道路は草が美味しげってこそ 言いますが、割とちゃんとした道路です。 先ほどのお道の裏手を抜けていきます。 平成の半ば頃まではこちらが本線だった ようで大きな道路はなかったようです。 当時の道路標識もそのまま残っていますが 、ただ時速40kmで走ると車止めに衝突 してしまいます。 下大地のこの辺りはかつて軍馬、つまり 軍用の馬を育てる広大な土地でした。その 頃ここに軍馬を育てる何かの施設が当時の 藤ヶ谷村の所有としてあったのだろうと 言われています。 明治22年の町村性の思考で藤谷村は合計 10個の村落と合わさって風早村となり ました。その後は合併を経て現在は柏です 。同じ明治22年にできた鎌ヶ谷村はその まま現在は鎌ヶ谷市です。 明治22年より前の生殺がそのまま現在の 教会にも残っているということなの でしょう。 さて、柏市の本体から2kmも伸びてくる 細長い土地の方も見物しておきましょう。 自動車学校の南側の細い道を入っていき ますと下り坂になっています。その下り 切ったあたり数分が柏でその奥は再び鎌し になるのですが特に何かの目印があるわけ ではありませんでした。 1番低い部分にはおそらく川が流れていた のでしょう。 今度は自動車学校の北側の道を入っていき ます。 自動車学校の教習コースは水平に近い でしょうから、こちら側の下り坂が際立っ ています。その突き当たりにうとしたし身 があります。そのし身の中が柏でここに水 が流れると川になるのでしょう。 次は北千葉道路の橋の上から見てみ ましょう。一旦白石側に入り、鎌ヶ谷市に 戻る向きで見下ろしてみます。 高い橋の上から見下ろしますと川が見え ますが、どうやらこの川は白石の管理の ようで木の柵が設置されていますが、 立ち入り禁止という看板が掲げられてい ます。 こちら水が流れている川の向こう側 数ぐらいが柏のはずですが、こちらは草が 美味しげっていて、水が流れている川しき ものは見えません。しかし頑張ってカメラ でズームしてみますと、珍しきものがあり ます。ここが柏の長く伸びた川の部分なの でしょう。 坂を巡るのはこれくらいにしまして私記念 公園に寄ってみました。 北総鉄道の効果をくぐると早速見えてくる のは蒸気機関車のデゴです。と言っても JR線は全身まで含めても鎌ヶ谷市内を 通ったことはないはずですから出は走った ことがないんじゃないかなと思われますと あれJR東日本からの気造だそうです。 そのお隣は海場自衛隊で練習機訓練機とし て使われてきた航空機の期待が展示されて います。今は青空号と名前を変えています 。市内には海場自衛隊下航空基地があり ますので縁のある期待なのでしょう。 公園の管理灯にはちょっとした展望台が あります。ビルの4回程度の高さです。 公園内は1回100円のバッテリーカーが 利用できて子供は大喜びです。奥には野球 場とテニスコートがあります。 そして展望台の真横を走る北鉄道です。 間近に見えます。 ちょうど成田空港初京成上野行きのスカイ ラーメが通っていきました。その向こうに は京成松戸線の奈良の方面行きの電車も 見えます。ただで見物できるなかなかいい 場所です。 ここからは現在の鎌ヶ谷市の中心部、新 鎌ヶ谷駅とその周辺を巡っていきます。 先ほど鎌ヶ谷村の初代の役場は清下ろし 街道沿いにあったとご紹介しました。2代 目以降はこの近くに設置されています。 ここは初富交差点です。 東武野田線の高架の向こう側、西側あたり に2代目の村役場があったようです。 そして3代目の村場も初富交差点から近い 現在の私立図書館の場所にありました。 この3代目は村場、町場、市役所と昇格を していった激道の時代の役場役所です。 2025年は休間中でした。 このポスターは何なのでしょうか? 図書館の近くには強度資料館があります。 小さな資料館ですが、鎌ヶ谷の歴史の資料 と共に鉄道の資料も割と多く見応えのある 場所です。 そして4代目現在の市役所です。 市役所の前には大正関東地震、いわゆる 関東大震災の記念費があります。 国土地理員の地刑図では2019年令和 元年に千づき号として新たに自然災害伝承 が制定されました。その1つとして地形図 にも表示されています。 3つの鉄道線が集まる新鎌ヶ谷駅です。 近くには大型の商業施設や大きな病院が 並びます。 今でこそこの駅は鎌ヶ谷市民だけでなく 広域の交通の決線となっています。しかし その路線のどレモが開業時にここに駅は ありません。これは全身も含め路線が開通 した時期と新鎌ヶ谷駅が設置された時期の 一覧なのですが、どの路線も線路は対象や 昭和の間に引かれていたにも関わらず、新 鎌ヶ谷駅ができたのは全て平成になって からで、駅前が発展したのは平成の後半に なってからのことなのです。駅の入り口が これです。そして去年はこうでした。神経 線の文字があります。今年になってから 情報量が随分増えたように見えます。 ところでこれは東武線のホームにある駅名 表です。新鎌ヶ谷のがと読むカタカの毛の ような字は大きい文字です。しかし北総線 形成線ともにガと読むカタカナの毛のよう な文字は小さい文字です。 これは鎌ヶ谷市役所の壁にあるものですが 、これは大きいか小さいかどっちにも取れ そうです。ただ実は死の正式な文字は 大きい方だそうです。 大きいと決まったのは1999年平成11 年のことで、それ以前はむしろ小さい方が よく使われていたようです。 現在でも様々な場面で大きい方と小さい方 が混在しているようですが、どちらを使っ ても構わないということになっているよう です。 き前の花壇には死の花の気境が植えられて います。紫色の花がいくつか開いています 。ちなみに市内のコミュニティバスの名前 も気合です。 駅前のポストにはキャラクターのカマたん が紹介されていますが、せっかくですから カマたんの人形が乗っていて欲しかった ところです。人形付きでしたらクイズ ポストの上のネタにできたのにとちょっと 残念です。 駅前には統計140°線が通っていること を示すモニュメントがあります。 統計140°線のモニュメントは県内では 他に奈良し市の埋立て地根浜に設置されて います。また県外の有名どころでは秋田県 大型村の八郎型拓地にも設置されています 。 ただ2022年に測料法が改正され井戸や を決める座標の取り方が変わりました。 その時異線や軽仙の位置が最大で数百m 移動しています。先ほどの赤根浜や八郎の モニュメントは2002年よりも前に設置 されていますから、いずれも古い座標系の ものであって、現在はちょうど統計 140°というわけではありません。 それに対し新鎌ヶ谷駅の統計140°は 新しい座標系のものです。現在も通用する 統計140°です。 ちなみに駅前以外にも線が引かれている 場所があるようです。 新鎌ヶ谷駅の北総鉄道のホームに上がって きました。 成田空港からの京成スカイライナーが到着 するところです。京成スカイライナーは 成田空港と京成上野駅を最速45分ほどで 結ぶ列車で途中で時速160kmを出す 即達列車です。近年になって各方面の 乗り換えができるこの駅に一部の便が 止まるようになりました。 ホームの西の橋、東京都心方面の橋にやっ てきました。正面が北総線の効果です。 左側に京成松戸線。先日までの新京成線の 効果が見えます。スカイライナーが上野に 向かって出ていっています。 その本線の右側、北側に資材置場のような スペースがあります。補線車両などを 止めおく短い行き止まりの線路のようです 。 北総鉄道の全進が開業したのは昭和54年 ですが、この時今列車が走り去った東京 都心方面の線路は少し先で途切れていまし た。 この辺り少し経緯を辿どっておきましょう 。北総線は千葉ニュータウンと東京都心を 結ぶ鉄道です。現在は西側は京成高さ駅 から京成伝鉄に乗り入れて都心の各方面へ 直通しています。しかし昭和54年の開業 の時全身の北総開発鉄道の第1期区間は 東側小室駅まで開通するのですが西側は まだ東京まで通じていません。そして新 鎌ヶ谷駅もまだ開業していませんでした。 ここですにこの地を走っていた新京成線に 北富駅で乗り入れて松戸駅まで直通し、 そこで常磐線に連絡するということになり ました。この状態が平成4年まで続きます 。 ホームから見える行き止まりの線路は新 形成に乗り入れていた時の線路の後なの です。 海業当時北総開発鉄道の効果はこの先も 少しだけできていました。 それに対し左側の神経線は効果ではなく 地上を走っていました。 これは現在の位置関係です。青色の北総線 、ピンク色の形成松戸線共にそれぞれの 効果で並行していて、この範囲では繋がっ ている場所はありません。そしてこれが 北総開発鉄道の開業の頃で新形成戦はまだ 地標にあります。 高架の北総線の北側から降りてきた線路は 出来つつある効果をくぐって南側に出て 神経形成に乗り入れていたのです。 その後を見に行きましょう。 駅の北側に出てきました。先ほどの 行き止まりの線路は赤い矢印で示した辺り です。この辺りは駐車場と支有地が広がっ ています。 から地上へ降りる線路は平成の半ば頃まで には撤去されたようで現在はもちろん残っ ていません。 北富に向かって歩いていきます。 狭い道で効果をくぐります。この道は直通 当時からあったようですが線路がくぐった 場所はここではありません。 こちらが新鎌ヶ谷駅方面です。手前は建築 関係の事務所です。 矢印の場所から降りてきた線路はこの場所 ではすでに地上に降りており、そしてこの 狭い道との間には踏み切りがあったよう です。そしてその反対側、あの辺りで手前 から奥に向かって効果をくぐったようです 。そこでよく見ますと矢印の部分だけ硬下 線の作りが違うようです。 そこが線路が高架線をくぐった場所だと いうことになります。 高架の線路の南側に移りました。 新鎌ヶ谷駅と北富駅は700mほどしか 離れていませんが、ちょっと前までは まっすぐに歩く道がなく、歩こうとすると かなり迂しなければなりませんでした。 近年神経形成を高架化した時の仮の線の跡 を利用して歩道と自転車道が整備され格段 に動きやすくなりました。 その南側から見た線です。 手前は近年になってからできた京成松戸線 の効果で、奥は昭和の末にできた北線の 効果です。手前の京成マ線を支える柱が 細かく何本もあるのに対し、奥の北総線の 柱の感覚がとても広いのが分かります でしょうか? この広い感覚の部分が北総線から神経線へ と連絡する線路が効果をくぐっていた場所 でしょう。そしてすぐに地標にあった神経 の線路と合流していたのです。 ただ合流地点から駅までがあまりにも近い と思われるかもしれません。当時の北富駅 はここではなかったのです。 北富駅の前には狭い道路があります。 さらに国道464号も交差していて渋滞が 激しいところです。かつての北富駅はその 国道の先にありました。 神経成線は踏切り2つを通っていたのです 。 元の北富駅に行ってみましょう。 国道の脇の地標にかつての北富駅があり ました。 ちょうど今は2つの効果に挟まれたこの 場所です。 この先松戸まで北総開発鉄道の電車が乗り ていたのです。 平成4年に北総開発鉄道の線路が京成高 まで伸びたことで乗り入れはなくなりまし た。再び新形成単独の駅となった北富駅は この地で平成26年まで営業しています。 そして平成26年に神経形成の高架のため に線路が仮の線に移りこの駅での営業は 終わりました。 かつての駅前に観光案内の看板があります 。見ると北富駅は平成26年までの場所に 描かれています。 高架になりました新しい北富駅に行ってみ ましょう。 ホームに登りました。新形成時代の復刻 から丸運のストライプ塗装の松戸行き電車 が当時はなかった後線を走っています。 ホームの新鎌ヶ谷駅よりに来ました。左側 北側はお隣北総線の高架橋です。構造が 異なる矢印の場所の真下は先ほど見ました 北斗線が高架をくぐって神経に乗り入れて いた場所です。 さてこの駅線路の枕木をよく見ますと向き が違っている箇所があります。 地上を走る道路と斜めに交わっているため にその構造上このような形になっているの でしょう。 最後に1駅く山駅に向かいます。 広化されたのは北富駅まででく山駅からは 地兵ですのでここから高架線は坂を下って いくことになります。 く山駅です。 新形成伝鉄から形成伝鉄に変わって5ヶ月 ほど駅の案内はすっかりと形成伝鉄の デザインに変わりました。 新形成伝鉄は準大手指鉄という分類でした が、形成伝鉄に吸収合併されたことで関東 から準大手施設が亡くなりました。 同じ日、関西の準大手施設だった戦木高速 鉄道も南海伝鉄に吸収合併されています。 新形成伝鉄が2014年、平成26年から 使ってきましたコーポレートカラーの ジェントルピンクは順次形成伝鉄の青と赤 に変わっていきます。駅の案内表示は 素早く一晩で変わったようです。 駅を出ますと新形成伝鉄の本社があったの ですが、今はその看板も取り外されてい ます。 現在は京成グループの会社であります形成 不動産の本社が入っているようです。 [音楽] 鎌ヶ谷南編の動画では東武ま真沢駅から 船橋市のと北海道日本ハムファイターズの 2軍のスタジアムそして船中の鉄道連帯が 作った線路の痕跡など気ままに歩いてい ます。是非ご覧ください。 我北編はこの辺りで終わりにしようと思い ます。長々とお付き合いくださり ありがとうございました。それではまたお 会いしましょう。チャンネル登録よろしく お願いいたします。 [音楽]

千葉県鎌ケ谷市をふらふらと巡る旅の,市内北部編です。 鎌ヶ谷大仏,木下街道を出発し,柏市との複雑な市境や飛地,北総鉄道が新京成に乗り入れた痕跡,新京成から京成に変わったくぬぎ山駅 などなど,ご紹介します。

● 2025年8月31日に公開した動画の改訂版です。北編,南編の2本の動画に分割し,一部改訂して、公開し直しました。
  北編では,冒頭から5分ほどまでが元の動画から大きく変わっているほか,12分あたりも少し変わっています。南編は大きな変更はありません。
● 元の動画に「いいね」くださった方々,ありがとうございました。

■主な収録内容 
鎌ケ谷市,鎌ヶ谷,柏市,沼南町,市境,飛地,下総台地,谷津,谷戸,木下街道,鎌ヶ谷大仏,延命寺,丸屋,旅籠,鎌ヶ谷宿,配給所前,村役場,町役場,市役所,市制記念公園,軽井沢,経緯度,東経140度,梨,東武野田線,東武アーバンパークライン,新京成電鉄,京成松戸線,北総鉄道,北総開発鉄道,東葛人車鐡道,廃線跡,京成スカイライナー,鎌ヶ谷大仏駅,初富駅,新鎌ヶ谷駅,北初富駅,くぬぎ山駅

■撮影時期は,特記のない限り2025年7月~9月です。

■特記がない限り,写真や映像は作成者が撮影したものです。素人がコンパクトディジタルカメラで撮影した写真と映像です。特に映像部分は,想像以上に手ブレがひどく,お見苦しいと思われます。ご勘弁ください。

■地図は,次の通りです。
・地形図,空中写真は,国土地理院のWebサイトで公開されているものを引用しています。旧版の地形図は,謄本を購入したうえで引用しています。

■使用音源の多くはAudiostockのもので,ライセンスを所有しております。
https://audiostock.jp/

■動画作成の初心者です。今後,精進して質を向上させてまいります。
よろしければ,チャンネル登録,よろしくお願いします。

#鎌ケ谷市 #下総台地 #新京成 #谷津 #大仏 
#廃線 #北総線 #鉄道連隊 #地学 #小さな旅

0:00 鎌ヶ谷大仏・木下街道
5:03 柏市境・飛地
10:55 市政記念公園
12:27 新鎌ヶ谷駅・東経140度線
17:56 北総・新京成・連絡線跡
25:51 くぬぎ山駅

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