【島根→広島】廃止された幻の特急幹線 代替バスで辿ってみたら…
いや、眩しい朝日が差し込んできました。 おはようございます。今日は山陰本線の ゴツ駅に来ています。ここ市は東京から 最も主要時間がかかる町の1つに数えられ ています。県内にある2つの空港どちら からも遠くちょうど島県の真ん中辺りの 立地です。山陰地方と山陽地方の間には 中国産地を超えて結ぶ飲用連絡戦が何本か 敷かれています。代表的なものが大阪から 鳥取を結ぶ特急スーパーハと岡山から出雲 市を結ぶ特急八雲そして山陰地方から新 山口駅を結ぶ特急スーパー沖です。こう いった特急路線の他にもかつて急行列車が 数多く走ったローカル線がいくつかあり ます。ただ島根県の中部にはそういった 陰用連絡線がありません。しかし数年前 までここ駅から引用連絡戦の機能を持った ローカル線が存在していたのです。その 路線の名前が参考線。広島県三駅と島根県 交通駅の間を結んだ100km以上に及ぶ ちょ大ローカル線です。今では山陰本線 しか来なくなった豪津駅ですが7年前まで 2018年3月に廃止されるまでこの右側 から中国産地を超えて鉄道が伸びていたの です。ただ実際には山陽と山陰を結ぶよう な引用連絡線の機能を持つことはほとんど なく、距離が長いだけのローカル線と貸し ていました。今ではバスに転換されてい ますので今回はこの参考線のルート例と 思います。かなり長いローカル戦でしたの で一体どれくらい時間がかかるんでしょう か。このホーム上にも参考線が走っていた 頃の名残りが残っています。山陰本線の ラインカラーはこのオレンジ色なんですが 参考線のラインカラーは水色でした。この 柱部分にある水色はおそらくね参考線を 表していたものと思われます。当時は水色 の豪津駅の駅名表もあったと思うんですが 、今ではそれは撤去されています。さあ、 そしてこの古選鏡を登っていますと、 何やら写真が貼られています。こちらはね 、参考線から走っていた当時の写真ですね 。実際に列車が走っていた当時からこの 写真は飾られていたと思うんですが、今で もその記憶をこうして残してくれています 。え、一時期は臨時列車ではありそうです が、3両編成のちょっと特別な列車なんか も走っていたようですね。急行列車っぽい 見た目をしています。こちらが高津駅の 駅舎平屋の鉄勤コンクリート作りになって いまして本当にね、国鉄時代からの姿その ままです。ゴ津駅のところJRマークすら ついていませんからね。30年前から時が 止まっているかのようです。さて、参考線 を辿どるバスはそんな駅の目の前のバス停 から出発します。こちらが路線バスの 停流所。まず目指す先は川本という町です 。今7時を過ぎた頃なんですが、ちょうど 7時6分発があります。ただね、これの次 のバスがもう12時44分ですからね、 もう午前中はこの1本しかありません。 本当にこれね、気をつけないと。いや、と いうかこの参考戦のルート1日で辿どるん だったらこのバス乗る他ないでしょうね。 おやってきました。こちら岩見川本行きの バス。線をたどる旅、まず 1本目のバス、こちらに乗っていきます。 7時6分津駅を出発しました。 ちょうどね、JRの普通列車が7時過ぎに 到着するんで、そっからね、乗り換る方 いらっしゃるかなと思ったんですが、結局 お客さんは1人もいらっしゃいませんでし たね。さあ、山本線立派な鉄橋で渡って いきます。一方で参考線はね、ここでは 当たらずにずっとこの川に沿っていく形。 駅を出て1kmも立たないうちにゴ津本町 駅という駅がありました。ゴ津市は江戸 時代北部の気候地として栄えてきました。 先ほどの高津本町駅の周辺には石河原の 赤い屋根が続く町並と西洋風のロマ溢れる 建物が残されており、まだ参考線が走って いた当時この辺り歩いたのあったんですが なかなかに素敵な通りでしたよ。さあ、 そしてバスは大野川を右手に山の中走って いきます。結構険しい山道なんですね。と いうのもゴ津市周辺の町から山へ向かって 行っているんですから、ま、それはそう でしょう。参戦に関してはこの道路から川 を挟んだ向こう側に通っていました。そう 、鉄道はね、集落とは川を挟んだ反対側に 通っていたんですね。この点もね、 ローカル線としてもなかなか利用者が増え なかった要因の1つと言われています。 [音楽] さあ、次の定流所は川平です。こっからね 、わざわざ 大川を渡りまして、かつて参考線の川平駅 があった場所まで向かっていきます。 次は川平。川平です。ここで参戦の歴史についてご紹介します。参考の始まりは [音楽] 1930 年。今回した津駅から戸駅の間が最初の通間です。 その後南へ延心が進み1937年浜原駅 まで遠しました。美駅から北方向へも工事 が行われていたのですが日中戦争により遠 工事は中断してしまいます。先行になって 1955年三駅から尻駅まで参考南線から 開通しました。これによって交通駅から 浜原駅の間は3国線に解消されます。 すでにモータリゼーションが進んでいまし たが1966年まだ開通していなかった駅 から浜原駅の間が着行そして1975年 ついに3線として前線開通を果たしたの でした。 [音楽] あ 交通駅から路線バスに揺られること1時間 ちょっと終点の岩見川本に到着しました。 ちょうど今日から新学9月1日なので高校 生の生徒さんも数人ほどいらっしゃいまし た。今通学の需要も落ち着いた時間帯です 。現在でもここ岩見川本駅は路線バスの 拠点になっているので駅舎もそのままの姿 で残されています。特にね、この屋根に 掲げられた旅の思い出はJRという看板。 もうJRはここに来ていないんですが、 それでもここに鉄道が走っていたその当時 の記録がこうして現在でも残されている わけです。またこの辺りの駅って赤い 石河原が使われていることが多いんですが 、この岩見川本駅に関しては青い河です。 逆にね、この周りが赤い河ばっかりなんで ね、青いっていうのが特徴的に思えてきて しまいます。こちらはJRよりさらに前の 時代でしょうか。国鉄時代に使われていた のかな。昔ながらの白黒の駅名用。しかも これ木星ですね。 それでも結構ね、年気が生いているという よりはかなり綺麗に保たれている様子。 この味けないのがまた国鉄感ありますよね 。さて、ここからは色々路線バスが発着し ています。路線バスだけではなくって多分 これは高速バスなのかな。広島方面まで1 本で行けるバスなんかも1日2往く設定さ れています。そしてここからも参考線の ルートを辿っていくわけですが、ここでお 世話になるのが川本三里線という路線バス です。こちら時刻表になっているんですが 、上半分の行き先が止めになっているのは ここ岩見川本が終点のバスです。なので こっから乗れるのは下半分になっています 。でね、今回津駅から乗ってきたバスは8 時20分に岩見川本に到着しました。で、 今日は平日なんでね、こっから乗れる次の バスはなんと11時です。も、ここの間が ね、3時間以上空いています。もうこの 接続がね、なかなかネックになっているん ですが、もうこのバスはね、待つしかあり ません。どっちかって言ったらこれ休の方 がね、9時10分に出てくれるんで土日の 方が接続は良さそうです。さあ、駅舎の中 に入ってきました。こんな感じでね、改札 のラッチとかあと窓口とかもね、そのまま 残されています。また駅名表なんかもね、 このホームの中には残念ながら入ることが できませんので、誰でも見られるように 駅名表窓口の上に設置して保存して くださっています。 また駅舎のうちの半分かつて駅員さんが 業務を行っていらっしゃった部分に関して は島根中央信用近庫川本視点になってい ます。こっちはね、ATMとかも置かれて います。結構ね、9時多すぎて頻繁にお客 さんがいらっしゃいましたね。またこの 窓口の中の部分にもちょっとね、今お客 さんがいらっしゃうのでカーテンが閉め られていますが、テーブルが置かれたりし ていてね、何か相談となさっているよう です。もう完全にね、鉄道駅の抜きが銀行 の視点になっています。 普段は解説の中へ立ち入ることはできませ んが、ホームに関しては鉄道が走っていた 当時とほとんどそのまま変わらない姿で とめられています。今でもレールバイク なんかを走らせたりといったイベント なんかが開催されているようです。ただ ホームの端っこにあった反対側のホームと つぐ古選鏡に関しては結構早い段階で撤去 されています。多分大きい構造物ですから 壊れたりすると危ないんでしょうね。多分 ここが階段の1段目だったのかな。こっ から階段を登ってでそれで向い側のホーム へ。僕もね、現役当時向こうのホーム行っ たことがあるんでその時に登った構造物が 完全になくなってしまっているんでね。 なんだかちょっと寂しい気もしますが、 それでもね、これだけ広い駅の校内を ほとんどそのまま残してくださっている だけでも非常に嬉しいものです。今後も 鉄道が通っていた町として観光資源に 生かしてくださったらなと思います。 ちょっと残念ながら1日違いではあったん ですが、昨日2025年8月31日は3戦 前々開通からちょうど50周年だった みたいです。色々イベントなんかが行われ ていたみたいで、さっきのね、岩見川本駅 の校内でレールバイクの乗車体験とか、ま 、つまりさっきのホーム入れたってこと ですよね。いや、ちょっと惜しいことした な。他にも参考戦のラストランの運転士 さんとかも、え、いらっしゃったんですか ?写真店とかグッズの販売とか7年前に 廃止されたローカル戦を十分に楽しませて くれたはずです。そして駅舎の右半分は 現在でも待所として活用されています。ま 、特に何の変哲もないと言いましょうか。 それでもやっぱり町を代表する駅ですから かなりの広さです。一時期はね、この中に 清スクも入っていたそうですが、ま、写真 とかもちょっと見つからなかったんで相当 昔の話なんじゃないかなと思います。また 列車が走っていた時はね、晩年この岩見 川本駅で1時間以上の停車時間とかがあり まして、多分ね、運転手さんの休憩時間と かだったと思うんですが、その停車時間を 生かして川本の方々がお出迎いをして くださってね、お昼ご飯こちらでどうです か?みたいななんかパンフレットとかを いただきました。そんな記憶が蘇りますね 。あの頃はなかなか賑やかでした。さて、 駅を見下ろすことができる橋の上までやっ てきました。こうしてみるとね、なかなか に広い駅内ですよね。参考線の途中駅では 1番規模が大きい駅でしたからお客さんが 乗り降りするホームだけではなく、 ちょっと奥の方には車を置いておくための 車庫なんかも設けられています。駅内の 線路はそれなりに整備されていますが、 それとは反対側の駅を出た南側かな。 こちらはだいぶ草むして配線の線路って 感じがしますね。ここに分岐器機があって 、でもこれももう多分動かないんでしょう 。線路のレールが錆びついているのは もちろんですが、だいぶ街の中でも自然に 帰っている様子がよくわかります。の川の 土手と一体化してますからね。 さて、駅周辺には結構レトロな商店街が 広がっていた川本町。そっからね5分10 分くらい歩いたところで現れますのがドン ともなんじゃこの立派な建物はって感じな んですが、こちらは触れ合い会館という 建物らしいですね。 すいません。正しい名前ゆ故郷里会館です 。結構新しそうな施設ですが、川本町の 図書館なんかも入っているようです。 そしてね、山を登ってきたということで、 1番素晴らしいのがこの川本町を一望 できるというところ。山に囲われたポンチ の中に赤い石河と黒い河、この コントラストがくっきりと浮かび上がって いるのが非常に綺麗です。先ほどから訪れ ている岩見川本駅は1番奥のところ、この 青い河、こちらが岩見川本駅の駅舎になっ ています。こっから結構新しそうな道路が 続いていまして、そして向かって右側の方 に商店街が広がっています。で、街場は この突き当たりの方ですね。こちらの方 まで商店街が続いていて、川本町の中心部 にはコンビニが1件しかないんですが、 その1件だけの山崎ショップに関しても この中に入っています。最初ね、バスを 降りた直後は駅周辺にお客さんがたくさん いらっしゃったんで、ちょっとね、撮影 まで時間を持てましてコンビニまで朝ご飯 を調達しに行ったんですが、かなりレトロ な街並でした。本当にね、日本の原風系の ような景色をこうしてね、ちょっとだけ山 を登るだけで気軽に味わうことができ ちゃいます。 他にも隣接する建物で川元お感というのが あります。こちらはね、コンサートホール とかあとホテルやレストランも入っている みたい。あんまりね、川本町で大きな ホテルがあるっていうイメージなかったん ですが、こちらはなかなか新しそうです。 またプールなんかもね、右側の方にあり ますね。かなり日が差し込んで明るそう。 こちらのコンサートホールはなかなかに 音響設備がいいみたいで、数々をね、有名 な演奏家さんによるコンサートがかなりの 回数行われているみたいです。元々ね、 この川本町は音楽の町となっておりまして 、川本町にあります現在の島根中央高校 水学部は全国コンクールで度々優勝を飾っ たことがあります。これに由来して川本町 は音楽の町を宣言。その後、こういった コンサートホールを作ったり、また街の中 で音符のマークを頻繁に見かけたりと、 音楽の町としての街づりが行われているの です。 3時間ほどお待ち時間を終えまして駅前に やってきました。続いてお世話になります のはこちら浜原駅前行きです。なんだかね 、ワゴン車みたいなバスですが、こちらで 続いては30分くらいかな。 終点の浜原より手前の町の中心部で降りることにしたいと思います。します。次は町、新町です。 [音楽] 11 位ちょうど他にお客さんをお 2人だけ乗せて岩川本を出発しました。 を調車してます。 川本町の中心部商店街の中を通っていっています。山の上にある大きな建物が 川本持がですね、 商店街を抜けた先に観光長が設けられているようです。参線の線路は今走っている道路のすぐ右側を通っているみたい。 ちょっとね、危機が美いしげっていて 分かりづらいですが、そろそろレールとか が見える、あ、見えましたね、奥の方。 あちらが3号線の後地になっています。で 、この辺りに岩見川本駅の次の駅、木原駅 がありました。もうね、ホームとかは壊さ れちゃったようなので分からないと思うん ですが、ただ街の雰囲気は駅周辺ぽくなっ ています。 もうね、完全に折りに帰っちゃってます けど、これがね、もう線路だったようなん ですよ。 さっきね、立ち入り禁止の看板が立ってい たんで、それで気づいたんですけどね。 いや、もうこれが、あ、本当だ。キロ ポストがあった。これが鉄道だったとは。 信じがいですよね。今じゃ全然 わかんないですよ。言われないとね、 わかんないですよ。 一方でバスの停流場の名前にはちゃんとね 、竹駅とか駅とついています。次の停流場 は竹駅。ケーキってなんだか不思議な名前 ですよね。 なんで全国どこでもありそうなもんですが 近くに竹でもあったんでしょうか [音楽] 次は道です。 次は本原駅前。本原駅前です。 お降りの際は車内防止のためバスが停車 するまで席を確いてください。 次は加大橋 です。 バスの終点である浜原駅前の手前三里町 役場で下車しましたというのもね、終点の 浜原駅まで行ってもまたねそっからのバス の接続がちょっと悪いんですよね。ま、 それだったらね、町の中心部であるこの 町場で下ということにしたわけです。 そしてみ里町はね、ここにも描かれている ようにイノシシが有名みたい。ちょうどね 、時間も12時手前なんで、ちょっと いただけたらいいですね。そんなイノシシ のお肉をいただけるということで、こちら のまた旅さんで昼食です。かなりおしゃれ な店内になってまして、注文したのは こちら山クジラーメンです。もうね、お 料理が目の前に運ばれた瞬間から優しい 香りが包み込んでくれます。この山クジと いうのはイノシシの別名。江戸時代肉食が 禁止されていた頃、イノシシシのお肉を 提供するお店でイゴとして使われたそう です。こちらのラーメンではチャーシュー とスープにイノシシのお肉が使われている そう。いやもうこの輝きから食欲を 書き立ててきます。それではいざ実食。 まずはこちらの麺から。 このわずかにちじれた麺とスープがうまく 絡み合っていて、とっても美味しいです。 割と細くて柔らかめの面なので優しい風味 とマッチしています。そして注目すべき 山クジのチャーシュー。一口でパクりと いただきますと、噛めば噛むほどその旨味 が引き出されてきます。かなり歯ごた応え のある豚肉といった印象。それでもそんな に癖はないので存分に味わせていただく ことができました。しっかり目のお肉だと どうしても噛むことになるのでその分お肉 の美味しさを堪能することができちゃい ます。このスープも動物でありながら結構 あっさりしているんですよ。この旨味を得 ながらにしてくどくないままスープを 飲み干すことができちゃいます。野菜も たくさん入っているので、シャキシャキと した食感。かなりヘルシーにいただくこと ができました。 ごちそうさでした。いや、美味しかった ですね。お肉もスープも程よいさりさでね 、すごい次々口に運びたくなるそんな人品 でした。さて、こっからね、次のバスは 浜原駅から出発しますので、そこまで歩い ていきたいと思います。大体ね、30分 ちょっとかな、40分くらい歩けば浜原駅 まで行くことができます。ま、ちょうど いい感じのウォーキングですね。さて、 み里町の代表駅に位置づけられていたのが こちら春駅です。町の中心部から1番近い ところにあります。現在でも入居している み里町商会と同じ建物です。こちらのJR 春駅現在でもバスの待ち合いスペースとし て活用されています。なので扉もね、 ちゃんと開いていまして中へ入ることが できます。おお、結構新しい建物ですね。 あ、昔使われていたんでしょうか。切ッ符 売り場も残されています。どうやらね、 会員卓駅でこちらの商候会の方が切ッ符を 売られていたそうです。 こちらのベンチスペースと今では シャッターが閉じられています。何か一時 お店が入っていたのでしょうか?この間の 空間を抜けた先がかつてプラットフォーム があった場所になります。お、今でも線路 が見えますよ。あ、でも左側は何か整備さ れているようですね。 おお、すごい。この勾配表なんかも線路脇 に立っていますよ。 列車が走っていた頃は駅舎を出て向かって 右側のこちらのプラットフォームへ向かっ ていたようです。今でもね、まだ JR西日本の土地なおかな。立ち入り禁止 になっていますが、それでもね、なんか 工事をしていて、で、ホームの半分くらい はすでに取り壊されています。で、その 向こう側もね、かつて線路が敷かれていた 部分まで何か土が盛られているので、もし かしたら鉄道公園として整備がされるん ですかね。結構奥の方まで土が盛られてい ます と思ったんですけど、先ほど工事中の看板 で橋を撤去していますというのがありまし た。多分ね、ここ土を持っているのは工事 用の車両を反入するためのものなんじゃ ないかな。この先に多分橋があって、で、 その撤去のための工事用車両を向こうに 送ってっているんでしょう。そして プラットフォームがあるのとは反対側です ね。線路と線路いやレールとレールの間に 赤いアスファルトと行ったらいいのかな。 なんか陸上競技場を思い出しますが、ここ が完全に整置されていて、なんかライトと かも刺さっていますね。夜になったら ちゃんと明るく照らしてくださるん でしょうか。で、こっから先はね、実はね 、この場所2、3年前くらいにも訪れた ことあるんですが、もう完全に植物で 埋め尽くされちゃってますね。以前はね、 ここもまだね、植物こんなに反していなく て、もうちょっと先まで簡単に行けたん ですが、もうあこもね、ちゃんと整備され ていますもんね。で、この先にまだね、 鉄橋が残っています。 わ、こっからだと鉄橋中の鉄橋がなんか ダジャレみたいになっちゃったけど鉄橋中 の鉄橋がちゃんと見えますよ。線路が カーブしているんで。いや、ここ めちゃめちゃ見やすいですね。 さっきバスの車内からもご紹介したかと 思うんですが、向こう岸士とこっち近い側 の騎士、そう、真ん中の部分だけすでに トラスが外されています。多分これも全部 なくなっちゃうんじゃないかな。いや、 これは貴重ですね。本当に配線から撤去 までのこう時代の移り変わりを象徴するか のような光景です。対戦後公園として活用 する部分と完全になくしてしまう部分。 これが両方共存しているそんな姿。象徴 する光景ですよ。 橋を壊していく様子ってなかなか見ないん で結構新鮮ですけれども。確かにね、壊す んだったら真ん中カとね、あの両端から 撤去していったら島状態になっちゃいます から。確かにだんだんと外側へ向かって 外していくんでしょうね。すごいこの断面 とか なかなか見ない。あのジェットコースター とかでレールの先がないよみたいなことが ありますけど、それみたいな状態ですよね 。 完全な行き止まり。 すごい春淵駅には駅ノートが残されている んですが、ここにね、鉄橋がどういう風に 外されていってるか、その皇帝作業のね、 変遷が描かれてますよ。3月27日から4 月にかけてだんだんとクレーンによって 外されていったようです。だから意外と昔 なんですね。もう34ヶ月くらい前に外さ れたと。で、こっから春から夏にかけて この端の下の部分、橋下の部分も撤去され たんでしょうね。で、そっからは特に進捗 はないってことかな。で、これからこの 両端部分も完全になくなってしまうという ことですね。いやあ、なんだか寂しいもの がありますが、でもここで外された鉄は おそらく他のことに役立てられていくん でしょう。駐車場から回り込んだね、 さっきの植物ゾーンを回避してU歩道の先 へ行くことができました。で、こっから先 もね、ちゃんと鉄橋だったのかな、昔は。 ここでもここもね、ちゃんと新しく柵が 作られて歩けるようにしてくださってい ます。なんか行っていいのか微妙だ。この 柵は元々立ってたんじゃないのって思うん ですけど、ちょっと微妙かもしんないで こっからにしておきましょうか。奥の方に はね、トンネルがあって、前来た時は あっこの直前まで行けたんですけどね。で 、なんかあの中でワインを作るとかいう話 を聞いたことがあるんですが、実際にお店 もあったんでしたっけね。え、そんな感じ で配線の活用もされています。でね、この 上に道路の橋が通っているんですが、今ね 、ちょうどこの橋なのか、もしかしたら こっちなのかもしんないけど、これの撤去 か、ま、何か工事を行っているようで、今 通行止めみたいです。でね、浜原駅行く ためにはここのね、道路を渡っていかない といけないんですよ。で、ここ通行止めな んで、え、ちょっとね、回り込んで国道 から行きたいと思います。ちゃんとしたね 、トンネルで貫いているところがあるんで ね。というわけで街の目の前まで戻ってき ました。今でもねこの春縁駅の看板残っ てるんですよね。まだまだ撤去されてい ないみたい。で、こっから国道へ向かうん ですが、あ、ちょうど路線バスもいました 。多分これは大田市の、え、岩見銀山とか 行くやつじゃないかな。あ、違う。これは 太田橋センターなんで大田市駅の方ですね 。それじゃあ国道ルートで浜原駅の方へ 行きましょうね。カストンネルです。 ちゃんと歩道があるんでね、十分安心でき ます。これくらい明るければま、そんな 怖くないかな。さあ、トンネルを抜けまし て浜原駅まで1.3kmの看板が見えてき ました。え、国道の周り道はここまででし て、こっからさっきのね、霞駅の前を通っ ていた道から続く道路へと復帰していき ます。こっからはね、3光線の線路沿いに なるんじゃないかな。いや、この豪野看板 めちゃめちゃ大きいですね。ちょっと車 ちっちゃいけど比較すると分かるんじゃ ないかなと思うんですが。さすが1級河線 。もう相当立派な3地方を代表するような 河線です。いや、それにしても本当景色 いいですね。今ちょうど土手の高いところ を歩いているのでだいぶ見晴しがいいです 。 さあ、見えてきました。大体30分くらい 歩きましたかね。なかなかに疲れました けれども。こちらが参戦の浜原駅です。 浜原駅は1937年に開業した駅、 1975年に参戦が前通するまで参線の 執着駅として機能しました。駅の目の前に は3線前々開通を記念した石費が置かれて います。昭和50年8月31日ちょうど 50年前のことですね。駅舎の中は解放さ れていてバスの待ち合いスペースとして 機能しているようです。奥の方は浜原地域 起こし協力隊の事務所になっていて今日は やっていないようなんですけど何かなんか アイスの販売とかもやってるみたいです。 こちらも改札より向こう側に立ち入ること はできず、現在もJR西日本の管理に置か れているようです。 岩見川本駅と同じようにほとんどそのまま の状態で残されているもののそれでも やっぱり古選鏡は撤去されていますね。 ここは校内踏切りじゃなかったはずなんで 古選鏡のはず。多分あの丸いのがその土台 だったところでしょう。 この手前側のコンクリートの構造物は 1977年1月と書かれているんで、前線 開通の後に作られたようですね。元々駅が 設置されたの戦前ということもあります から何か施されたのかもしれません。 1975年に前線開通を果たした参考戦 ですが、その後も進行設備などの関連工事 が遅れたことによって前線を直通する列車 の設定はしばらくされていませんでした。 そのため三駅から浜原駅、浜原駅からゴ津 駅というように列車の乗り継ぎの拠点駅と しても機能したのです。近くの神社の山道 のところまで来ました。おそらく鉄道が 通っていた頃はここに踏切りがあったん でしょうね。三道と3線が完全にクロスし ています。で、向かって右側が駅校内。 完全に立ち入り禁止。そしてもう駅の校内 も増してますね。それでもなかなか広々と しています。かつては執着駅だった名残り とも言えるでしょう。向かって左側が三 方面のホームかな。そして結構奥の方に 浜原駅の駅舎があるようです。ちょっと こっからだと目立たないかなというかどれ が浜原駅かちょっと分かりづらいかもしれ ません。あ、多分1番手前ですね。これ ですね。こちらが浜原駅の駅舎。だいぶ ホームよりも低い位置にあるようです。 こっから階段を登った先に プラットフォームがあったということです ね。 [笑い] さあ、やってきました。先ほど乗ってきた のと同じ車両浜原駅前泊まりのバスですね 。で、お、ちょうど後続できました。 すごい乗り継ぎ感が分かりやすい。 こちらのバスでこっから先へ進んでいき ます。上の行だったかなあ。 [音楽] 車内のためバスの停車するまでを書かない でください。 [音楽] 次は大向。大向海です。 [音楽] 30分ほど歩きまし道の駅グリーンロード 台にて下車しました。鉄道の頃は駅で そしてバス転換されてからは道の駅が交通 の拠点になっているんです。これ結構全国 的にもよく見られる光景です。続いて乗車 するのは美国交通バス。そしてもうね押し の文字が見えてきましたよ。美吉中央病院 14時57分発です。もうね、三吉方面、 え、多分この2本しかないってことですよ ね。1日2本しかありません。そしてこの バスに乗ればね、三駅まで行くこともでき ちゃいます。ただね、こちらのバス走行 ルートがね、参考線とちょっと違うんです よね。参考線に関しては国道沿いを南側を 通っていたんですが、このバスは北側を 通っています。なので僕はね、今回参考線 に沿って行きたいので途中でしまして、で 、この南側を通ってくれるバスに乗り継い で三駅まで向かいたいと思います。そして この道の駅から道路を挟んだ向こう側に3 線の線路が通っています。この辺りに駅は なかったようなんですけど、コンクリート の構造物や金属の手すりなどもちゃんと 分かります。 次は倉です。 [音楽] ご乗車ありがとうございます。 行き です。 [音楽] 20分ほどバスに揺られまして、羽場大橋 のバス停で決しました。ここで下車したの は奥の方に見えております。駅が参戦の 歴史において重要な駅だったためです。 参戦は冒頭でご紹介した通り山北線と山線 南北それぞれから海通が進められました。 そして南側の執着駅としてしばらく機能し たのが口場駅です。そしてこの口大橋の 麓元には参戦前通記念費が置かれています 。先ほどね、浜原駅の方にもありましたが 、ここ駅から浜原駅の間が参考線で最後に 開通した区間です。こちらも昭和50年8 月31日、ちょうど50年前の日付が書か れていますね。そしてこっちは石費だけで はなくってこんな感じで、これは蒸気機関 車なのかな?蒸気機関車の同林が置かれて います。鉄道の記念モニュメントでは結構 頻繁に見るものですが、これがね、1つ ドんと置かれているだけでも、あ、 やっぱり鉄道の町になったんだなという 印象がつけられますよね。石河原の 乗っかった小さくて可愛らしい駅舎。 そしてこの口ば駅に関してはもうすでに JR西日本の手から離れておりまして、 自治体でありますが鉄道公園として整備し ています。ためこんな感じでホームの入口 に関しても立ち入り禁止になっておらず 自由に出入りすることができるようになっ ているんです。ここにも看板が立てられて いますね。 19年廃戦後、この辺り一体の土地を JR西日本から無償譲渡を受け、それで 鉄道公園、口駅公園として整備されて、で 、それで現在一般公開されているという わけです。下にも昔からの写真が展示され ています。1番左が1963年三押駅の間 参考して開通した時の写真。そして真ん中 が3線前線開通の時そして1番右が 2018年3月31日最終運行日の口駅 です。 それではありがたく入らせていただきたい と思います。こちらは交換可能駅になって いまして、当時から古選教ではなく校内 踏切りでホームと駅舎の間を生きする形に なっていました。わ、すごい。なんか鉄道 廃止した後の駅の方も普通に入れてるの なかなか 幸せというかすごい違和感がありますけど この駅面表に関してはゴ野川鉄道という NPO法人の方によるものに変えられてい ます。そう、JR西日本時代のものに関し てはまた後ほどご紹介しますが、確かね、 待合室の中に展示されてるんじゃなかった かな?この細いベンチなんかもザローカル 線の駅って感じしますよね。こちらは確か ね、駅開業当時からのものではなくって後 からホーム上に屋根を設置したということ なので後から作ったものみたいですね。 また名所案内の看板もかなり日々入って ますが、でもね、ちゃんと解読できるだけ なかなかいい状態で残されてるんじゃない ですか。そう、現役当時参考線に乗りに来 たんですが、美駅から始発列車に乗ってね 、で、まだ薄暗らい口駅に降り立ったん ですよね。途ね、列車交換が行われてたん で、その停車時間中にあの待ち合いす男 まで寄ってでね、写真撮ってまた戻る みたいなことしてましたわ。いや、 懐かしい。もうそれが78年前のことに なるんですか?いや、時が経つのは早い ですね。でもね、もう8年も経った割には こうね、時の流れを感じさせないというか 、何と言いましょうか。当時からの状態を そのままにこの駅の姿が残っているように 思います。なんか後輩してるっていう感じ はないですよね。 というのもここ駅では時々配線を活用した トロッコ列車が走っています。ちょうどね 、倉庫の外へ出てきていますが。いや、 もうこれ国鉄感溢れる配色ですよ。エンジ 色とクリーム色。このね、小さな車に乗っ てで、それでね、かつての参考線のレール の上をことと走ることができるんです。 めちゃめちゃちっちゃいですが、行き先の サボも入ってますよ。島根県口場から広島 県新川市まで。そう、さっきね、島根県 から広島県の県超えたんですが、再びね、 広島県から島根県へ戻ってきています。 この間には研境、そう、このゴの川鉄道 さんが走らせているトロッコにはいろんな ルートがあります。確かね、この口ば駅の 校内で終わるものだったりとかサボに入っ ているようなを超えるもの。かつて参考線 で1番特徴的な駅として知られた天空の駅 、う井駅まで行くルートなんかもあった はずです。このトロッコ列車は基本的に 土日に走っているはずでして、今日は平日 なんでね、残念ながら乗ることはでき なかったんですが、このトロッコで3線で 1番の人気を誇ったう井駅、本当ね、いつ か行ってみたいですね。というか、本当 機械を作って、でも皆さんにご紹介できれ ばと思っています。現役時代にも行った ことありますけどね、今でも天空の駅とし て非常に人気を誇っています。 今ではトロッコの整備などが行われている であろうこの倉庫も多分ね、JRが走って いた当時から何かしらの業務に使われてい たんでしょう。こっからレールが伸びてい まして、でもこの辺りのバラストは明らか にね、あの違いますよね、色が。そう、 向こうの方は新しく作ったものなん でしょう。で、こっから本線の方へ合流し まして、で、奥の方にはね、トンネルが 続いています。さっきのね、小さい トロッコであのトンネルをくぐっていけ るってことですよね、多分。 すごいな、あのゲートが開いて奥の方まで 山を超えて違う世界まで今でも連れて行っ てくれます。でね、今野川鉄道さんの口駅 公園のページ見ていて驚いたんですが、 これね、ま、ホーム入れるのはまあまあ 分かるんですけど、なんとね、線路も トンネルやポイントなど以外いつでも無料 で入れますと。え、こ、こ、ここは入って いいんすか?いや、なかなか、え、本当に ?いや、こ、なかなかちょっと入るの勇気 いりますけどね。いいって言われても なんかいいのかなみたいなちょっと躊躇し てしまいますがいや、そんなどうぞどうぞ と言われたらじゃあ入ってみましょうかと いうことでいや、別に進められたわけじゃ ないんですけどね。じゃあお邪魔し ましょう。 おお なんとも本当に現役の鉄道とこのレール感 は変わんないですからね。 すごい本当にホームの高さが大体ね、自分 の肩の高さくらいにあります。結構 プラットフォームって高いんですよね。 それでもここはローカル線の駅ですから 重揚げはそんなにさえていなくて比較的 低い方だと思うんですけど。この列車の 安全装置ATSを間近で見るのもなかなか ないですよ。多分今は使われていない でしょうけど。すごいマじまじと見て しまう。いつもね、ホームからなんだこれ みたいな風に見られるかもしれませんが、 これが列車運行の安全を支えてきて くださっていました。どうやらトロッコが 走る時は1部分は線路立ち入れないように なっているようですが、でも今日は特に何 もないですから 何にも気にせずに入ることができちゃい ます。この信号もこんなこんな低い位置に 信号があることなかなかないですけど、 結構大きいんですね。なんか道路の信号機 とかもそうですが、手元でね、見るとその 大きさの感覚脳内で爆を起こしてきます。 そしてもちろんホームだけではなくかつて の待ち合い室の中にも入ることができます 。それじゃあお邪魔します。 お色々 展示がありますよ。お、そしてやっぱりね 、皆さんこれが大工物なんじゃないですか 。勝手に決めてますけど。大南町にあった 4つの駅の駅名表がこうして残されてい ます。今でも天空の駅として人気を誇る 宇井駅、そして今いる口駅。またこれから 沿線を辿どっていくことになります。駅と 昨木口駅。この4つの駅が大南町にあった 駅です。多分JRから自治体へ譲渡された んでしょうね。 また小学校の児童さんが作ってくださった 参考線やこの辺り周辺に関する新聞や ポスター、また参考戦を持ち歩にした5の カース56なんてのもあります。やっぱり 配信になった後でも非常に愛されている そんな鉄道なんですね。 行前 1 ます。 先ほどまで乗ってきました美北交通さんの 路線バスでも美駅まで行くことは可能です 。ただ途中のルートが参考線とは並行し ない少々北回りのルートになっています。 しかしここ川駅上勢からはもう1本三押駅 方面へ向かう路線バスがあります。それが こちら君交通さんです。この路線バスで あれば、ちゃんと参考線に沿って通って くれており、途中のね、高戸駅とかあり ますけど、かつての鉄道ルートで通って くれます。ただこちらの路線バスちょっと ね、美ホ交通からの接続がかなり悪くて ですね。グリーンロード台から最初に乗っ たピフォのバスは川の駅上勢に15時33 分に到着。ただこのね、バスとその3分前 の15時30分に出てしまうんです。いや 、本当にね、-3分乗り継ぎといういや、 なかなか挑戦的なダイヤになっているん ですが、ま、多分美駅から先の接続に対応 してるんでしょうね。ま、これはしょうが ないということで、最終瓶、今回は18時 15分発の瓶に乗ることにします。これで ね、え、今回の目的地3線の終点でもある 美駅前へ行くことができます。それでまだ バスまで時間がありますので、ここから 1番近くにあります参木口 駅に行ってみたいと思います。今歩いて いる国道はすでに広島県三市市。このね、 看板の市中のところにも広島県と書かれて います。ただね、右手に見えている川の 左手は広島県なんですが、向こう側右手に 関してはまだ島根県です。そう、この川が 県になっているんです。で、奥の方にね、 参戦の配線後供強客が見えていると思い ますが、参考線が通っているのはまだ島根 県というわけです。先ほどの口駅もそう でしたが、島根県大町は参考線の廃線跡を 積極的に観光に生かしてくださっています 。でね、これから向かう昨木口駅に関して も大南町にある駅なんですが、こちらも 鉄道公園として整備されているようです。 いや、楽しみですね。 三国橋という橋でゴ野川を再び渡りまして 、広島県から島根県にカムク。さあ、橋を 渡り切ったところでもう正面に見えてます よ。こちらが桜木口駅の駅の後地。もう今 でも 鉄道が走っていた当時のそのままの状態で ホームが残ってますよ。いや、なんなら 踏切りまであるじゃないですか。いや、 道路交通に影響する踏切りって真っ先に 撤去されると思うんですけど、ま、さすが にね、車段棒とかは取り外されてはいるん ですが、いや、それでもなかなか 珍しいですよ。数々の配線後巡ってきまし たけどね。初めて見るかもしんない。ここ まで綺麗に残ってるのは。こうね、踏切 部分のレールもそのままですよ。 なんかもう必要ないはずなんですけど、 一時停止とかしちゃいそうですよね。非常 ボタンもそのままだ。 こちらの方に関しては立ち入り禁止だけど 、JR西根本ではなくて大南町の所有に なっています。でもこっからは入れない みたい。一方でその反対側、こっちの かつて昨木口駅だった方に関してはここも あの口駅と同じように線路中も入いていい ようです。この階段のとこも現役当時は 錆びだったと思うんですけどすごい綺麗に 手すりなんかもつけられて登りやすくして くださってますよ。 ちょっとね錆びて危ないからでしょうか。 卓には触れないでくださいということです 。またこの駅名表もさっき駅でご覧に入れ たかと思いますが、あちらに展示されてい ますので、こっからは取り外されています 。この空白になった駅名表とかまさに廃止 された駅のシンボルというような印象が あります。やってくる列車は長くても3両 とかだったと思うんですけどね。それより もかなり仲いホームが設置されています。 あ、この簡易型の駅名表はそのまま残っ てるのかな?こっちはシール式なのか。 名称案内に関しても上勢、さっきの川の駅 上勢の名前の由来ですね。ハイキング キャンプに良いというなんかめっちゃ主観 が入れられてます。なんでこんなところに グレーチングがあるんだろうと思ったら なんかホームに穴が開いてるんですね。下 の方までですよ。これが危ないからという ことで応急処置をしてくださってるんです ね。こことかもアスファルトが完全に空洞 だというかなんか刺さってたのかなここは 。もしかしたら老朽化というよりなんか駅 の設備かなんかがあったのかもしれません 。随駅とか口駅とかは観光や歴史を残すと いう観点から残す意義十分に分かるんです が、この昨口駅とかはね正直そんな めちゃめちゃ特徴がある駅というわけでは ないと思うんですよ。でもそれでもね、 王南町が譲渡を受けて責任持って管理を 行ってで、こうしてね、この地に今でも 立たせていただいている。もうこれはね、 非常にありがたいことです。この町に鉄道 があったということを高生に伝えていく。 そんなね、取り組みを心から応援したいと 思います。 大南町内の各廃止駅の後はこんな感じで ガチャガチャが置かれています。一体何を 売っているかと言いますと訪問証明書こう ね、各駅の入場券風の訪問照面書が販売さ れているんです。ま、せっかくなね、買っ てみましょうかね。そう、さっきね、口駅 にもあったんですが、100円がね、 100円を切らしちゃったんで、よいしょ 。 さ、こんな感じですね。普通の ガチャガチャのカプセルに入ってます。 こちらね、貢献になってますよ。ちゃんと 硬い紙です。昔ながらの今でもね、 ローカル線の駅とかではよく見ますけど。 いやあ、しかも切ッ符の背景のところ紋章 に関してもちゃんとゴの川鉄道の紋章に なっていますよ。いや、ゲが細かいですね 。岩見、秋、ビンゴが町駅昨木口を訪れた ということを証明しますと。 いや、本当の辺りは健境がめちゃめちゃ頻繁に入れ替わりますから凄まじいところを参考は通っていたんだということをめちゃめちゃ実感させられます。 あっちに ええ、すごい。 川の駅へ戻ろうとしたところ、お近くに住まれている方にお声かけただきまして、なんとこの踏切り鳴らしていただきました。 いや、まさかこれ電気が通っているとは。 この踏切りも元々は撤去する方針だったようですが、鉄道が通っていた当時の姿のままにしたいという声が大きかったようで踏切り部分を埋める工事を一時中断。中国電力から電気を引き直して踏切りの名を届けてくれています。 こんなローカルな情報全然知らなかったですから、貴重なお話を聞くことができてとっても嬉しかったです。 JRとは別で さあ、川野駅上勢へ戻ってきました。君田交通さんのバスがすに停車しています。こちらのバスで参考に沿って最後の三駅目指していきましょう。 [音楽] 次は上公園前。上公園前です。 次は棒。棒です。 次は下町。下町です。 さあ、18時48分、今回の目的地、 そして参考線の執着駅でありました。美駅 に到着です。 いや、長かったですね。ゴを出発したのは 朝の7時でしたから、そっからもう12 時間近くかかっています。確かに途中色々 巡りはしましたけど、それでもね、最短の 乗り継ぎの範囲内でやってますから。いや 、結構ね、ハードルの高いローカル路線 バスの旅になりました。やっぱり1番 ネックだったのは途中の停流所での接続の 悪さです。1時間待ちとかも普通に 当たり前でしたからね。しかも乗り遅れ たりしたらもうそれで1日で参考線を巡る ということは不可能になるというなかなか 気合いのいる鉄道配線ルートです。でも逆 に言えばそれだけ乗り継ぎの需要が小さい ということ。そんなルートを1本の線路で 108kmの間繋いでくださっていたん ですね。そんなすごいローカル線がほんの 7年前まで存在していたんです。ここ三駅 には3光線のキロポスト108kmのキロ ポストがこちらに保存されています。 今州で100km以上の路線が廃止される のはこれが初めてのことでした。本当に ちょ大ローカル線。今回バスを乗り継いで 乗り通したことでその長さ痛いほど知らし られました。現在三駅を発着するJRゲ戦 。ここより東側の区間に関しては特に配線 も濃厚とされるようなかなり厳しい区間に なっています。ただ一方で廃止された後の 状況に注目してみるのも現役時代列車が 走っていた当時の姿とはまた違った様子が 見られてそれはそれで興味深くある意味 面白いものかと思います。今も鉄道が残る ローカル線を大切にするのはもちろんです が、ただ一方で配線になっても町は続く わけですから、時には鉄道がない、また 鉄道がなくなった町を巡ってみるのも旅に 新たな発見をもたらしてくれると思います 。今回の参考戦を巡るた、是非魅力的に 移りましたら皆さんも1度訪れていただけ たと思います。それじゃあ今日はなかなか 歩きつかれましたんで、こちらで広島駅の 方へ帰りたいと思います。それじゃあ今回 もご視聴ありがとうございました。
2018年3月に廃止された三江線。山陰〜山陽を結ぶ陰陽連絡線として開通したものの、わずか43年で廃止されました。
鉄道廃止後に設けられたバスで辿ってみたら、なんと1日がかり!現在の姿をお届けします。
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5 Comments
パスケースさん
三江線の旅ありがとうございます。一度しか乗車できませんでしたが想い出多く懐かしさで胸がいっぱいになりました🥹
初見です。登録させていただきました。
これからの動画も楽しみにしてます😊
よろしくお願いします🙇
パスケースくん久しぶり動画投稿ありがとう😊😊😊ひろきチャンネルの編集者などお忙しい中の動画投稿、とても最強🥱🥱鉄道跡地の内容とても素敵でした✨
この三江線1度乗ったことあります!廃線直前に行きましたが、沿線の盛り上がりもあって満員大盛況。いい旅の思い出になりました😊
「駅メモ」と言う鉄道訪問アプリをやっていますが、廃止されたはずの三江線は現在も訪問リストに残っている為、いつかは訪れたいと考えています。
代替バスをネットで調べましたが、路線図や接続時間の把握が難しかったので、レンタカーでの現地訪問もやむなしと思い始めていました。
そんなさなか、この動画に出会いました。
行程の立案の為にこの動画を保存しました。ありがとうございました。
因みに、僕も現役時代に乗車しましたが、名古屋駅から三次駅まで夜行バスでの移動し、三次駅で始発列車に乗車した為列車内で寝てしまい、沿線風景は殆ど覚えていないのが悔やまれます。