241)二本松城【50歳独身の黙々とひとり旅福島編】城跡は霞ヶ城公園に 日本100名城 戊辰戦争の激戦地(福島県二本松市)Nihonmatsu Castle

2025年8月9日に訪問。
阿津賀志山防塁から下道で1時間ちょっと南下し、16時半のギリギリ数分前に、にほんまつ城報館に到着。
にほんまつ城報館は最終入館は16時半、閉館は17時。ギリギリ間に合った。
パンフレットをゲットし、二本松城の紹介映像を少し見て城跡に。
ちなみに、にほんまつ城報館は有料スペース(入場200円)もあるが、城の紹介映像は無料で見ることができる。さすがに時間が時間だったので有料スペースには入らず。
にほんまつ城報館の無料駐車場から箕輪門前の無料駐車場に移動してまず箕輪門周辺を散策。
箕輪門前には戊辰戦争に参加し多くの戦死者を出した二本松少年隊の銅像がある。
日本各地の城巡りをしていると、東北では戊辰戦争、九州では西南戦争の傷跡を嫌でも実感する。
東海地区に住んでいると、大坂の陣以降は城は戦う城としての性質を失ったと思いがちだが、日本でも百数十年前まで城が戦う城として使われていたことを改めて実感。
国内が内戦状態の海外の国を下に見る傾向があるが、つい百数十年前まで日本もそうだったことを忘れてはならない。
二本松城で歴史の重要性を改めて再認識。
二本松城は、いわゆる平山城で麓には箕輪門や藩主の御殿があったという三ノ丸があり、標高345mの「白旗が峰」の山頂部に本丸がある。
麓と本丸の比高は約120mあるようだが、本丸直下の乙森までは車で行くことが可能だ。
ちなみに道中であった人の情報だと本坂御殿跡の裏側(北側)の道は舗装されているが西側の道に通り抜けれできないので本丸直下の乙森には行けないとのこと。
ということで東側の道を使って乙森に。
途中から砂利道のすれ違い不可の道を通って乙森に。
こんな悪路だし、時間も時間だから本丸には誰もいないと思ったら既に1組、後から2組、帰りがけにさらに1組と遭遇。
本丸はよくこんな高い場所に石垣を積んだなと思う場所にあるが、石は現地で調達できたんだろうか?
麓から運んだのなら大変だったろう。
城跡は広範囲に及ぶが、時間は18時をまわったし、だいぶ疲れたこともあって、ここで二本松城は撤退。
余談だが、いつもは旅行の目的は城跡などの見学が主で、食事に関してはひとり旅ということで、時間とお金をかけずにスーパーやドラッグストアで弁当やパンを買ってすますことが多いが、東日本大震災の際に、福島を訪れて現地で物を買って経済をまわすことで支援するという考えがあることを知り、感銘をうけた。
なかなかタイミングが合わず、訪問が14年後になってしまったが、遅まきながら実施しようということで、今回は外食をメインにしようということで、二本松城から宿泊先の郡山市に移動して郡山市並木の「麺や笑華」で郡山ブラックラーメン(黒そば)を大盛りで注文。
富山でもブラックラーメンってあって食べたことあるが、こっちは富山より辛くないから食べやすいな。

【投稿のいきさつ】
50歳独身の自分がただ黙々と一人旅をした映像です。
大学を5年間でなんとか卒業後、24歳より西日本で有名なブラック企業に入社。1年のうち平均358日が仕事で、早朝から深夜まで数字に追われる日々を20年近く続ける(休日はお盆2日、年末年始5日ぐらいのみ。勤務時間は普通の時で朝7時〜夜11時、ひどい時は書きたくないほどひどい)。
そんな会社もそこそこ営業結果を残せれた為、小さい営業所の所長をやったりと、ズルズルと在籍。そんな会社も数年前から労基の指導や働き方改革で週に1日は休めるようになる(最近は大概は土日は休めるようになる)。
当初は20年近く、毎日一息もつけない働き詰めの生活の反動から休日は全く何もしたくない、と思い本当に何もしない生活を続ける。
ただ、この20年間、働き詰めで仕事だけのこのままの生活ではいけない、少しだが時間もお金もある、と思い、自分は何がしたいのかを考えたところ、自分は城跡を見るのが好きだったことを思い出し城跡を巡るようになる。
2020年3月にスマホにかえたのを機会に投稿を始める。
それ以前に訪問した犬山城、岐阜城、広島城などの記録を残さなかったことに後悔しつつ投稿を続けています。

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