【藤で有名】草津の志那三郷へ!琵琶湖総合開発や圃場整備の影響も

皆様こんにちは。滋賀県草市町に来ており ます。滋賀県道26号大津森山大江八線 通称浜道より西へ進みまして集落の方へと 向かっております。本日はシ号と呼ばれる 地域に行ってまいります。シ号といえば 富士が有名でありますが、富士も紹介 いたします。 現在草殺市にシという地名はシ町と品中町 がございます。しかしこれらのみでしたら シナ3号ならぬシナ2号になってしまうと 思われる方もいらっしゃるかと思います。 ここで確認したいと思いますがシ3号とは 品中に加えて吉田の3地域となります。 吉田は東川、品中の南川にある集落です。 では、吉田という知名は現在は存在しない のかということが気になるところです。 地元では今も吉田という知名は使われてる ようですが、現在吉田は草町の一部となっ ております。江戸時代は吉田村が存在して いましたが、町村性思考前の1874年 明治7年に吉田村は品村と合併しました。 そのため現在旧吉田村にあたる場所は草 市町になります。 草市によりますとシ吉田及び品中は中世 以来合という形で人まとなっていました。 江戸時代初期村の教会を定さめる村りを 行おうとしました。しかしシナと吉田両祖 の農地が入り組む時代につまり例えば品村 の農民が吉田村の農地で工作していると いったようなことが起こり村がうまくいか なかったようです。それゆえに県地におい ては品村と吉田村が1つの村として扱わ れるなど両村の関係性は密接でした。そう したことから吉田村は早い段階で品村と 合併したようです。 さてここは吉田地区になりますが右側に 何かがありました。こちらは立花道と呼ば れている観音道となります。としてすぐ 近くには吉田虎之助の同像があります。 吉田虎之助は1868 年明治元年吉田で生まれ政治家として活躍 国にも進出しました。また美子における 炭水新珠要殖の研究に着手事業化をした 人物でもあります。 なおここからすぐ近くには吉田市の巨上であった吉田城、そして剣有計文化剤の吉住宅がございます。 吉田地区におけ見所は神社となっております。三大神社であります。富士の名所としてよく知られている場所です。鳥をぐったら早速が見えてきました。 私が訪問したのは夏でしたので恐れますが 富士の花の動画は撮ることができており ません。三大神社の藤士は大下の会心に おける藤原の蒲の功績を高生に伝えること 及び藤原氏の流星を記念することを目的に 天皇の名により植えられたとされています 。 しかし後に織田信長が火を放って消。その 後に新たに芽えた藤が今に残っていると 伝えられております。今は砂釣りの富士と して広く知られています。 もう1つ、3大神社の見所はこちら の六角形の石老。1291 年昭に作られたとされていて、鎌倉時代の 石造美術を代表する文化罪です。国指定の 重要文化罪となっております。 以上、3大神社に行ってまいりました。 続きまして、吉田の横にございますの集落 方面へと向かいます。こちらの道路を まっすぐと進むだけで行くことができます 。さて、2車線の道路に出てまいりました 。こちらは農面道路です。相性はメロン 街道。草殺メロン、森山メロンの産地を それぞれ通りますためメロン街道であり ます。メロンカイドを超えて少し進むと 神社が見えてきました。シの宇神神社で あります。シ神社です。 神社へも参拝に行きました。神社にもフジ があります。品神神社の富士は昭和50年 代半ばに経済に植えられたのが始まりです ので、比較的歴史は浅いと言えますが、 地域の方々が大切に保存されています。 そしてこんな場所に鳥がありました。鳥の すぐ前は水電です。一応三道もこのように ありますが、鳥の場所とはずれが生じてい ます。補助整備の影響かもしれませんが、 調べられませんでした。 さて、道路に戻ってきました。さらに西へ と進みます。さて、こちらは品町ですが、 シという知名の由来について簡単に述べ ます。シといえば中国をイメージされる方 もいらっしゃるかもしれませんが、そのシ とは直接関係がありません。とはいえ、シ は元々外来語だとされています。文句 メール後で風やイ吹という意味です。この 地域はビア湖にも面していて、日常生活に おいて風とは切っても切れない関係だった のでしょう。 さて、シナの集落をしばらく進むと 突き当たりに行きつきます。こちら品神社 のお旅所がありました。そしてその横には 連海寺があります。この周辺は旧品港が あった場所であり、古代から近代にかけて 交通の幼少でした。 こちらには乗野党が残されていました。 またその奥には池があります。連会寺と いう名の通りハも確認できました。そして フルフからの石みもございました。ここ旧 品は現在の草市地域において最も早くに 発展した港で、特に中世は海岸の坂本比山 方面との往来が盛でした。昭和40年代 から始まった美湖総合開発事業の影響で 元々港子 だったこの地は埋め立てられ、さらにこの 西側には古道道路が整備されました。 力地もその一環で整備されました。シナ1 やシナ2という小が緑地はレジャー愛光家 の方には広く知られてることでしょう。 それでは最後に品中町へと向かいます。シ の集落より北方向へと進み大体この辺り より品中町となります。 さて、品中町や品町、現在はこのように 特に変わった様子もない水電地帯となって います。しかし補上整備が行われる前、 シナや品はクリー、つまり水路が発達して いて、水電に行くためにタネを使うという ことが普通だったようです。今私が走って いる場所は浮地区と言われることがござい ますが、浮という一名はまさにかつて田が 移動手段であったことを蘇らせてくれる ようであります。昭和40年代から50年 代にかけて実施された補助整備により区画 は整理されましてクリークはなくなりタネ も見られなくなりました。なお現在浮地区 水浄化地がございます。 そして隣接する場所にはア村校がござい ます。ア村校については別の動画で 撮り上げました。当時からの石垣きや切符 リ場は今も残っていました。最後に品中の 集落方向へと自転車を進めてまいります。 再び面道路でありますメロン街道。メロン カドを過ぎると先ほど触れました補上整備 の春記念費そして集落となります。品中に ももちろん神社がございます。こちら総者 神社となります。 こちらにも藤が植えられています。天務 天皇の女病円命仏法交流を記念して植え られたことが始まりだとされています。 一方でこちらの藤野樹は伝承によると約 500年だということです。 ここまでは自転車でシナ3号を巡って まいりました。ビア湖総合開発や補助整備 により昔の景色とは一変したような場所で ありますがフルフから存在する藤も見る ことができ春の大型年休頃には多くの観光 客が訪れる場所でもあります。 さて、次回以降当チャンネルで取り上げる 場所については少しずつ北上していく予定 ですので、滋賀県北部の皆様しばらくお 待ちくださいませ。それでは皆様ごきげ よう。

草津市の志那三郷(志那町=志那+吉田、志那中町=志那中)へ行ってきました。志那三郷の藤は有名です。志那三郷に見どころを解説します。また、琵琶湖総合開発や圃場整備により、昔とは、見える景色が大きく変わっています。そうしたことも解説します。なお、志那という地名について、中国の支那(シナ)とは関係がないことを、念のため、付言しておきます。

参考文献
草津市史編さん委員会編(1986)『草津市史 第3巻 近代』草津市
草津市志那中町誌(2021)『草津市志那中町誌』志那中町自治会
志那町誌編纂委員会(2015)『志那町誌』志那町町内会

#滋賀県 #草津市 #琵琶湖

0:00 志那三郷とは
2:29 吉田
5:09 志那
8:02 志那中
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7 Comments

  1. 全然関係ないですが………………
    県道2号(山手幹線)と国道1号(栗東水口道路)の延伸部分がすでに開通してますので行ってみたらどうですか?

  2. 藤で有名 草津の志那三郷へ 琵琶湖総合開発や圃場整備の影響も はいいですね。映像が綺麗です。ほっこりします。ご案内ありがとうございます。

  3. 草津駅周辺とは対照的に風情のある集落ですね🏘️
    その近くに吉田玉栄堂という、扇形の串団子が気になるので、改めて散策してみたいです。
    リクエストありがとうございました🙏

  4. いつの間にか3500人ですね。
    2カ月で500人。
    これからも頑張って下さい😊

  5. 往時の志那ノ津は、京都から志賀越道(下鴨大津線の旧道)で唐崎から琵琶湖を渡った対岸に位置し、志那街道で守山宿に至る、中山道(中世の東山道)の短絡ルートの拠点として繁栄していたことが判りますね
    三大神社へ参拝の折は砂摺の藤の見事さに、鎌倉後期の石灯籠はすっかり失念してしまっていました。

  6. 60栗&13米Getだがや!

    チャンネル登録者3500人突破おめでとうございますm(_ _)m
    草津市は色々な顔がありますね。
    去年に熱中症からポスティングバイトを辞めたで、滋賀県草津市にも行かなくなりました(泣)

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