【謎歴史】生徒の「6割」が外国籍 なぜ横浜橋には外国人が多いのか? 横浜市南区の横浜橋通商店街 遊郭跡 ドヤ街を歩く
今横浜市営地下鉄の万道橋駅から横浜 橋通り商店街へ向かって歩いています。 今回ご紹介するのは橋駅の南側。 横浜橋通り商店街から中村にかけての エリアです。 このエリアは明治にできた商店街や夕客跡 、そしてドヤ街のおかげを残す旅館など 横浜の歴史が凝縮されている場所です。 また横浜橋の周辺は外国人居住者が多い ことも特徴です。 今回は横浜橋通り商店街の周辺をご紹介し ながら横浜市南区の歴史と横浜市に外国人 が増えた理由を考察したいと思います。 [音楽] こちらは横浜橋通り商店街の入り口です。 この商店街の名前の由来はかつて商店街の 入り口の前を流れていた新吉田川にかけ られていた橋のことだそうです。 [音楽] 川と中村の中間にあった新吉田川。 明治期に整備されたこの川は横浜から 市街地への船での往来に利用されていまし た。 [音楽] その新吉田川にかけられた橋の1つが横浜 です。 [音楽] この場所に横浜がかかっていました。 [音楽] 新吉田川は埋め立てられ、現在は大通り 公園になっています。 [音楽] こちらが横浜の3大商店街に数えられて いる横浜橋通り商店街。 横浜には遠方から観光客がやってくる 馬車道や伊勢崎モールだけでなく白落の 六角橋商店街や天皇町の幸福寺松原商店街 など庶民の台所と言われる名物商店街が いくつも残っています。 ヤ肉や魚屋など生食品の店や相店が多い ようです。 その中で東アジアや東南アジアの食料品店 も見かけます。 こちらの店は中国の魚屋でしょうか?もうね、どうじゃなくて見てる?韓国やトナムの店もあります。 [音楽] [音楽] し横浜 [音楽] 商店街に出展している店の15%にあたる 20店舗が外国人経営だそうです。 [音楽] 僕が見た限り商店街を歩いている人の3割 は外国人でした。 食料品を買ったり犬の散歩をしている人も 見かけましたのでこの辺りに住んでいる 方々だと思います。 大きな食料品ですね。 母国の食料品が身近な商店街で手に入るの は外国人にとって助かりますよね。 そうです。 [音楽] 商店街の路地にも店舗がつっています。 [音楽] 最近は天手の高齢化で店じまをしたところ も多く、それに変わるように横浜橋には 外国食品を扱う店が増えてきたそうです。 [音楽] 横浜は外国人居住車が大い町ですが、横浜 橋がある南区は中区、鶴区についで外国人 が多く住民の7%が外国人です。 このグラフは南区に居住している外国人の 国籍です。 約半数が中国人。盗南アジアや中央アジア の人も多いですね。 [音楽] 横浜はその歴史から外国人が大い町ですが 、90年以降は中国から日本へやってきた 新橋と呼ばれる人たちが比較的家賃の安い 横浜橋周辺に積み始めるようになっていき ました。 [音楽] 中華街で働く進化橋も少なくなかったため 、家賃が安く、仕事場に近い横浜は彼らに とって高都合だったようです。 [音楽] 横浜の周辺に外国人居住者が増えたため、 横浜橋通り商店街にも外国人が経営する 外国食品を扱う店が増えていきました。 [音楽] 商店街のすぐ西側にある小学校。 朝日新聞の記事によると約700名の生徒 の6割近くが外国籍。または両親のどちら かが外国人で中でも半数が中国系の子供だ そうです。 ここからは横浜市周辺の歴史にまわる話を させていただきます。 横浜橋通り商店街の東側は明治時代遊郭街 として賑わっていました。 [音楽] 横浜に初めてできた有郭は現在の横浜公園 のある場所にあった美崎有郭。 美崎の有郭は火災により消出したため、 歯ご町に吉原郭を建設。 [音楽] その吉原も火災で消出したため、今度は 高島町に移転。 その後高島町に鉄道が不設されることに なり、明治13年に有郭はこちらのマ町に 移転してきました。 [音楽] この直線の道路は当時の有郭の名残りです ね。 [音楽] この道路の両側に有郭が立ち並んでいたの だと思います。 [音楽] こちらは有郭の陳として送された琴平神社 。 我町は落語の桂丸の出世地でしたので神社 の玉書きには有郭そしてカラ歌丸の文字が 刻まれています。 [音楽] 横浜通り商店街を抜けて中村町へ向かい ます。 [音楽] こちらは昭和5年に形成された美商店街。 [音楽] 商店街と言っても営業している店が ほとんどありませんね。 [音楽] 多分昭和初期にはたくさんの客で賑わって いたのだと思いますが、今ではシャッター 通りになっています。 [音楽] 美橋の多元には全国でも珍しい大衆劇場 美芸場があります。 [音楽] 昭和5年に営業を開始してから途中経営南 で存続が危まれた時期を乗り越え、現在も 毎日講演が行われています。 [音楽] この美吉橋を渡ると住所は南区中村町に なります。 [音楽] 中村には80年代頃まで労働者が寝泊まり していただ線が川を埋め尽くすように 浮かんでいました。 [音楽] この辺りは正脇ドヤと言われていた場所 です。 [音楽] 現在の中区と南国は終戦後アメリカ軍から 仕事を受け負うために国内外からたくさん の人たちが集まってきました。 中でも琴町、小金町そして中村町に労働者 が集中し、ドヤ街が形成されていきました 。 路ジを入れば今もドヤ外のおかげを残す 簡易旅館や飲み屋が営業しています。 [音楽] 今回は外国の店が増えた横浜通り商店街を 中心に留郭やドヤ街など横浜の歴史をご 紹介させていただきました。 横浜は歴史的な背景から外国人の居住者が 多い町。 中でも南区の外国人比率は7%と高くなっ ています。 [音楽] 日本は外国人居住者がさらに増えていくと 思います。 [音楽] これからはお互いの文化を尊重しながら 双方にとって住みやすい町を作っていく ことが大切になるのではないでしょうか。 [音楽] ご視聴ありがとうございました。
横浜市南区は外国人の居住者が中区、鶴見区に次いで多い街です。
90年以降、中国から日本へやってきた新華僑が、比較的家賃の安い横浜橋周辺に住むようになったため、今では南区の住人の7%が外国籍です。
そして横浜橋通商店街の15%は外国人経営者の店です。
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13 Comments
「龍が如く7」をプレイしていたら唐突にお勧めに出てきました。変な感じですがものすごい既視感で眩暈がしそう。
それにしてもYoutubeのリコメンドのしくみどうなってるんだろう。
故桂歌丸師匠私邸の近くですね。
あまり利用したくない商店です
反日中国人どのくらい居るのかな?
このあたりが地元ですけどわざわざ海外旅行に行きたいとも思わないです😊
横浜橋商店街はここ数年で急激に中国人向けの店が増えました。日本人は買う店が決まってるので後継者がいなくなると中国人向けに変わっちゃうのだと思います。南吉田小の運動会は外国人が多いのでマイキッズスポーツフェスティバルと呼んでますね。日本人の名前の子でも中国人とか普通にいます。
毎日います。さっきも黒潮に行ってきた。『いろは』の ウニいくら丼 ウマし。
三好橋に住んでるおじさんの寝床写ってた。
南区の一番の謎はその名前。中区の真西にあるのだから本来は「西区」と呼ぶべきだろう。
現行の西区は中区の北側にあるのだから「北区」の方が相応しい気がするが、東京の北区に遠慮したのだろうか。
ズバリ地元です。子供の頃は母親とこの商店街に来ていました。大通り公園はまだ川の頃で柵は無く友達が溺れて亡くなりました。まだ市電が走っていました。
三吉橋にホームレスが寝袋に入って写ってるの笑える
松原商店街はドンドン縮小中。近くにデカいイオンが出来たのが原因。
横浜橋商店街は7、8年前位から日本人の店が閉めて外国人に置き換わった。横浜は関西に比べて、みんなちゃんとルールを守って商売してる。
南区出身だが、ここら雰囲気が中区なのでめったにいかないw