徳島県 阿南市 太龍寺

ロープウェイ(大人は往復2,600円)で太龍寺へ。全長2,775メートルで西日本最長だそうです。約10分ほどで到着しますが、高所が苦手な方には苦行です。
108段の階段を上ると本堂につきます。お遍路さんの団体や家族ずれで賑わっていました。
本堂、大師堂ともに大きくて彫刻が細かく荘厳でした。

山頂のロープウェイ発着駅ではお土産も売っており、キノコ茶を頂きました(塩見があり美味しいスープみたいです)。

Wikipedia/とくしま御朱印ナビ抜粋
ご本尊:虚空蔵菩薩
四国八十八箇所の第21番札所。阿波秩父観音霊場第10番札所。

太竜寺山弥山(標高600.1 m)の山頂近くに位置し、本堂は標高505 m付近で八十八箇所で6番目の標高。大師堂は、御廟の橋、拝殿、御廟が並び高野山奥の院と同じ配列になっておりその大伽藍は西の高野と称され、阿南室戸歴史文化道の指定、とくしま88景の選定を受けている。
阿波では「一に焼山、二にお鶴、三に太龍」と称され、へんろころがしと呼ばれる難所の一つである。

弘法大師の24歳での著作である三教指帰(さんごうしいき)の序文に「阿國大瀧嶽に…勤念す」と記されており、大瀧嶽は現在の大竜寺山であると考えられている。19歳で都の大学での学問に見切りをつけて修行に入った弘法大師が、現在の境内の600 mほど西にある舎心嶽の岩上で百日間の「虚空蔵求聞持法」を修したとされる。山号はその舎心嶽から、寺名は修行中の空海を守護した大龍(龍神)にちなんでいる。

延暦12年(793年)に桓武天皇の勅願によって阿波の国司・藤原文山が伽藍を建立、堂塔が建立され、弘法大師が虚空蔵菩薩像などを刻み安置したと伝えられている。

天長2年(825年)淳和天皇が寺領を寄進、嘉保2年(1095年)には白河上皇の命により東寺の長範が再興した。皇室や武家からの信仰が篤く寺勢は栄えたが、天正年間(1573年 – 1592年)に長宗我部元親の兵火によって焼失し衰退、その後も復興と荒廃を繰り返すが徳島藩主蜂須賀家の保護によって再建される。

戦後は山中の山寺ゆえに困窮の時代を迎え、龍の窟を失い、さらに昭和34年(1959年)には三重塔を失ったが、1992年に太龍寺ロープウェイが運行するようになり車利用者でも約30分坂道を歩かないと行きつけない難所であったが容易に参拝できるようになり、遍路ブームの到来もあって隆盛時を迎えた。

太龍寺の大師堂は、拝殿があって奥殿があるという高野山奥の院と同じ配置(奥殿方式)になっており、これが「西の高野」と呼ばれる理由だそうです。

多宝塔は文久元年(1861年)に作られたもので、法界虚空蔵、金剛虚空蔵 宝光虚空蔵、蓮華虚空蔵、業用虚空蔵の五尊からなる「五大虚空蔵」が安置されています。息災増益(災いを除き寿福を授ける)の御利益があるとのこと。

四国八十八カ所霊場會HP
https://88shikokuhenro.jp/21tairyuji/
WIkipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E9%BE%8D%E5%AF%BA
とくしま御朱印ナビ
https://tokushimagoshuin.com/tokushima-tairyuji-goshuin
阿波ナビ

西日本最長!ロープウェイで太龍寺を参拝

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