北松浦の祭り行事を伝え守る為に【# 86】平戸神楽の由緒について
え、本日は北松浦の祭り行事を守り伝えるためにということで、え、新たによし先生に案をいただきます。 え、始める前に、え、熱義先生のご紹介をいたしたいと思います。 え、先生は日本民族芸能学会の会員であられまして、え、全 2 割市民族資料官の繁長をされておられました。 [音楽] え、市長は37年、え、山口下関に大な まして、え、市宅九州大学小学部経済学科 をご卒業され、え、それから福岡大学 部歴史学科卒業、無教大学学芸資格家庭を 終、え、平成3年より和5年まで今の教育 委員会の方に勤務されておられました。 主な執筆といたしましては資料の方に載せ ておりますけども故郷歴史ども国民と交流 私たちの故郷また今に伝わる祭りとまた 主な論文といたしましてえ神楽平野神楽の 研究平の民族芸能の研究などの本文が あられます。え、それでは原谷義先生 よろしくお願い申し上げます。 皆さん、こんにちは。 こんにちは。 馬から参りました新改新と申します。えっと、前の今環境しておりました。あの、ずっと今日被学長の方に明ておりまして、そして文化の保護ということをやってきました。 [音楽] [音楽] で、今は日本民族芸能学会というところに 入って祭り行事の調査をします。在速中 からずっと調査をしておりまして、この国 地域には20年以上前から調査に入って おります。で、あの、ずっと色々と見て まり、私の方の専門が民族芸能と言いまし て、祭り行事の中でも不流だとかスコード だとかジャンガラだとか、例えば平野神楽 だとかそういう風なあの 芸能というものを主に対象にしております 。ただそれだけではなくてこのテープを見 ていくと例えば新党の方もいらっしゃる けれど仏教を信してる方もいらっしゃる それからカトリックの方もいらっしゃる 行きつの方に行くと例えば確陸したの方も いらっしゃるという風に信仰がとても たくさん重なっております。で、同じ地域 の中で片っこ半分の人はもうカトリックだ けど自分片っこはあの神社と新党だからっ ていうことでおまけ分けてやったり色々 難しいことがあってます。でもこの地域が とてもそういう風に宗教的に様々な重なっ ているっていうことでこの地域の容理を 調べていくときっと日本人の古い姿がって くるんではないだろうかという風に考えて おりますと言いますのはあの日本人例えば このメトより前の日本というのは主に新聞 集合といって神様と様は同じようなものが 考えられていました。それからこんな森と いうのが例えばこの地域のたくさん残ると 思います。 キリスタンの信仰、あのカトリトが核信仰 をこの地域が聞いたのも例えば日本には 多神教と言って様々な神様を昔から進仰 するという風習あの種族がありました。 ただそれに対して仏教の中でも種だとか 新州のような網田様をただひたすらに拝む こと生編み物を進行することによってあの 極楽ができるんだという風な考え方があっ てそれは一心教にかなり近いものなんです ね。ですからそういった基盤がこの北地域 には実は昔あったんですよね。ですから その基盤があったからこそパトリックだと かあるいは核リスタンの数を受け入れ やすかったそういった上場もあったという 風に考えております。なのでこの地域の 祭りを用意しべていくとそういった日本の 昔の古い姿よく分かってまいります。それ を調べていくの私の仕事というのはライフ ワークのようなものです。私は主に山口県 から福岡県佐賀県長崎県の民族芸能を調査 しております。で、それらを将来的には 求めることはできたなという風に思って おります。今日はその中でもこの国地域中 でもこの越子の民族芸能や民族行に絞って お話をさせていただきたいと思っており ます。じゃあまず北松の物理行もあまり 伝えるためにですね。 この北地域というところは平だと平だった とこはこの一気も含んでいます。でも今 含めてる範囲は結構除く地中でもその縦の 話をします。 で、昔からの日本人の考え方として神は人 の敬により意を増し、人は神の得によりて 運を襲うという言葉です。これはご引き目 、上映式引目とも言いますけど、鎌倉時代 の武士の法律に書かれてるとかです。どう いう意味かっていうと神様は人が敬うと その力を増してそして人というのはその神 様の力を受けて反映していくんだ。そう いうことを表している。それが日本人の昔 からの神念です。つまり神様人っていうの は立法通行ではなくてお互いがお互いを め合う存在なんですよね。つまり神様を 見ってお祭りをすればするほど神様の力が 大きくなってそれがまた人間に帰ってくる そういう考え方なんですね。 祭り行事というのは神様を表なしすること で神様の力を満ちました神様の力を人にく ことそういった行いだという風に思って おります。でそれは年間に渡っております 。新年の祭り行、春の祭り、夏の祭り、秋 の祭り行、下月祭り、こういった主なもの があります。というのはこれは先ほどの ビデオでもありましたけど日本人っていう のはこの1年間を主に稲の生が どういう風に実ってそしてそれを収穫して そしていう風な流れそういったものを とても大事にしておりました。その流れに とって日本の祭り行事のことができており ます。 例えば新年にはあの角松を立てたりして 星神様をお迎えしてその星神様を お祭りしてそしてお年玉をいいて1年を ですね。だから昔の数江時というのはお 正月に取っておきました。今は誕生日とお ですね。 で、この信念というのは年の始めですから 様々なわとかを払ってその年1年が ビジネスをせるようにそういうお祭りが たくさんあります。例えば1月のモ倉と いうがあります。この差子地域で行われて のがまだ私は見たことがありませんけど それは畑とかに出るモぐする行事だという 風に最近です。それから鬼びたきというが あります。鬼滝はあの大野か木田で行われ ててるていうんですけど探してみた私まだ 見てはおりません。であの これは鬼という災いの元を火で追い払う そういったですね。それから的行をやっ たりします。弓矢で的をいるんですね。 その的なんかを行ってその災いを払うそう いった行事なんかもあります。 よいしょ。まず新年の祭り。鬼や外獣を 払いその年の平安にや法の行事が多いです 。ただ今言ったようなモぐやおぎたやまい のようなものをこの縦見たことがないので 他の祭りの話をしますね。まずは吉町の 発展様祭りです。 これが発展様の勇気です。 今年の1月24日に この結界向こうにある1段のところが発展 するです。 こういう風に人があの端ごで残らなきゃ いけないぐらい高い沈みがあります。 発展様は元々伏線の神様です。つまり中落 に家が起こらないようにな災いけのお祭り する。お祭りするのは新食で新婚州の僧侶 の方が来ていらっしゃいました。 初島というのに呼んでいらっしゃいました 。集落行業なんですね。 で、新党の方もお払いをします。 で、新党を払いします。で、あの後ろに 女性の方が並んでですの方はとにかく結果 の中には入っていけない人星が未だに守ら れておるというのがでした。 男の1人とこの結界の中に入って雲を上げ たり下げたりができます。女性はいつしか できないです。 で、この神様にお上げした物をみんなで 分ける。この名来いをすることによって神 様の力を分けていただいてその年記念が 無病を即裁で過ごせるようにという風に するお祭りなんですね。さらにご守護こう いった歩を配ります。人札を配ってそれに よってその年が平安に過ごしますよていう ことを祈るお待です。 今度初方 吉町のおしを まずは川祭りなん川祭りってのは水林様の 祭りですね。こういうことにおいをして 川松をしてその水に止まらずにその年1年 が5国で過ごせますよという これも川祭りをしてるとですね 川にお手用の別のところの食人です。 さらに 集落内の心でのお祭りなんかをします。 集落の安全を祈願します。 で、新宿神社っていうところに行って、 またそこでもお祭りをします。今度は伊勢 初と言いました。吉井町の踊線の地元と いうこと。今年の1月30日に見ました。 この中でも木本神社で神楽病院なんかを 損して集落の安全を被害しておりました。 これが集落や家の安全なのです。中学に 建てるものとか家の角口に建てるものとか いろんな札があります。 それから牛の側守護の札なんかもありまし た。牛を買ってる人はこれを張ってその年 に無事で過ごせますようにということに で今度は工業というものです。で、この 工業にもこの地域の物質と親式のものが あります。他にも法人さんがし てらっしゃるものもあるという風に聞き ますけど、私はそれはまだ見たくなりませ ん。吉町の橋口の個人の物資の工業です。 で、座敷の中の裁団を作ってそこで信言の 創業の方が工業あの人をして仕方した。 これが中ですね。こういう風に神様を 待てると仏壇が一緒になることにあります 。で、おい物はおか、お魚とか 販というお米だとかあ、ご飯だとかそれか お米の粉を吸って作った人というもん なんかをに使ってます。この瞳というのは 主に山の神への雲として使われるものです 。で、まずは法人祭り。台所の神様をお 祭りして家の木の祭をです。それから庭先 にある屋敷神をまってその家が1年平安で あるように さらに 川水人さって家の水のを祈願します。 で、角札を立ててその年家が安全であり ますようにてことを祈願します。今度は 新式の工業です。同じく8口の個人だな。 で、そこでも座敷で血が発動をします。 で、法人祭りを得して家の火の守りをし ます。それから屋敷が祭って家の守りをし ます。さらに追わてりして家の水の守りも します。だから物式と言って寝識と言って も大体同じことを実はしておるわけですね 。そういう風に新年の祭り行のはその年の 念統にあたって悪いものを払ったりして その年の提案や法策をるそういった行事が 中心になっております。 次は春の祭り行事です。 あるの祭り行事というのは脳作業の準備を するその年の法策を祈る行 なので日本人はやっぱり稲作が中心だった ので今から倒れをするぞという前にみんな で力を合わせる。昔の田上は機械では なく上でしたからみんなで力を合わせる 必要がありました。だから集まって祭りを する。その祭りをする中でみんなの統一感 を高めて、じゃあこれからみんなで一緒に 倒れをするぞという気分を盛り上げる。 そういったお祭りが主なハロン祭りでした 。例えば今のこの地域では花見ということ 地域があります。花見というのは、あの桜 の花を見る花火見であって神社に集まって お弁当を持ってきて集まってそしてみんな で名来いをしたりするそういった行事なん ですけどそれも実はその年その今から対応 をするぞって前にみんなで実は力を 合わせるためのだったんですね。 この地域の春祭りとしてあるのが小バトリ というのがあります。黒根本町のコバと いうとこに伝わった。これを見にたのは 2004年の4月4日だったので今から 21年前半です。 で、こういう風な行列をしておりました。 ただこういう風に行列、まだ21年前だ から結構言うけどあの だんだんだんだんこの行列が毎年毎年実は 少なくなっていきました。で、この富流 っていうのはどこから来たかていうと、佐 県の有田成の西田というところで始まった ます。で、この西明田で集まったプリが 例えば、えっと、 国肉を含めて例えば黒神教だとか、 あるいは三川に伝わったり、そしてさらに 廃気が伝わったりしました。さらにの方に 行ったりこの建星式のいろんなとこに 伝わります。 身の木だとかあのいろんなとこにした区が あります。それから西有田は今市の政府2 町だとか東山町山代町とかに伝わってそう いう特に東山町を中心にか吉町さらにM 会長の方に伝わってます。山代町の古龍は 海を渡って福島町に行ったり、あるいは 高島町に行ったり、さらに松浦の方に行っ てそしてえっと三谷を通して旅まで伝わっ ております。 それらは西荒田という私は読んでおります 。西田フ龍の特徴はこの3馬町から始まる ものが多いというのが特徴です。 コ流はこう3層から始まって西ャリ系不流 のようにとてもよく残しております。は、 3のですね。3層はあのよく濃とえっと 式場、あの大きな潜在3層という3つので 行われるがあるんですけどその例えば物事 が始まる祝福するようなそういった時には 行われる能りです。こちらもお見でいで、 あの、仏、仏式3層して人形になったり、 歌舞伎に取り入れられたりしました。 不流でもこの3波があります。 それから3部 女の子が甘います。雨のためのゲーム。 それから追い回し、2人で街を持って大を 叩きながらお互いを追い回っての著作を するで追い回して それから岡崎これも女の子が待って元々は 岡崎姫という竜人に伝える女性の舞出 そして雨をするそういったお前あの個事を 持っている前 それから現場この現場というのはあの元々 は佐賀平野部の方に行く天付前不流と言わ れるものが目標になってます。頭に天付と いう大きな月の型のカムのようなものを かります。この現場も実は天付が変化した ものを被ぶってます。で、この大天付を 被るような芸能は長崎県内では早だとか 東長崎だとか例えば大村市だとかそういっ たところにたくさん残ってます。で、この 現場の 舞はとても激しい前で体をよじったりをし たり、いろんな広さをしながら対抗を打ち ます。 若い体力のある人じゃないと打ってない。 そういったとても難しい目になってます。 それから江戸という目があります。江戸と いうのはとても激しい江戸林、江戸の祭り ですね。あの、とても店舗の早いです。 それに合わせて対抗打つとても有な目とし て不流のひめくりよく使われるものにこう いう風な背眠のようなとても特芸的な打ち 方もします。 それから四シというのがこの地域にあり ます。この四シュは西田区流には実はない 要素であります。でもこの四シとサさの 同けの組み合わせてというのはこの北松浦 の国流にはよく見られるのでこの地域に ドキに発達した要素だと考えています。 同計の室に連れられて士がいろんな面白い 処を作るとそういった演目になります。 の祭り行事はその都にみんなで力を合わせ たくさんの人を参加することでみんなの 統一を図って今からの脳作業の準備をする 。そして工作を祈るという行理が 今度は夏の行理。夏の行事は祭り、名、 夏祭り、盆、児童本なんかがあります。 温祭りっていうのは京都の温祭りがとても 有名ですね。あれはあの矢神神社で行わ れるなですよ。元々は五天皇五天皇という のは仏教の温者を守る神様です。で、それ が日本の須能のことと同一し同一されて おります。そしてその強い力によって疫病 を払う力あると考えられていて京都の町を 見越が順行しさらにその先払して巨大な 山服がそういったお祭りが京都の4祭り です。その地域でもたくさんの音祭りが あります。ただこの左市内では私もまだ 祭りをちゃんと見たことがありません。 祭りはとても郵送の祭りが多いよ。ばの 業務がとかこういったものが多いであの たくさんの人が集まって地域の汎用により 冬を祭りに変化するところが多くます。 それから謎の祭り。これを1年2つにわけ で最初のあの大海とかの時が大払い。 そしてあ、つまりそして、 えっと6月の終わりから7 月の頭にで、その時が名越しと言って時に半年の汚れを払って後半年の無料という名しの行事があります。血の国料をやるとこなんかがあるんで、あの皆さんご存知だというます。 [音楽] [音楽] それから夏祭り。夏祭りはこの夏の時期 っていうのは色々な自然災害が多い季節に なります。例えば田ぼ水がとても必要なの に雨が降らなかったり逆に雨が多すぎて とても困ってしまったいろんなことがあり ます。そういったことであの夏祭りをやる ことが多いですね。さらに夏祭りにも やっぱりみんなで集まってあの地域を 盛り上げようということで地域の繁栄を 祈るで変化するとこが多くます。 えっと、これは御字寺天番軍が御字寺の 不流というのをます。御字ですね。 昨日の8月23日に海ました。 で、御字寺天マ宮で夏マテルをやって、 ここでも御時不流というのがやってきます 。これは入というのです。この入の曲を 聞いてみると西田不流の捲くという曲が ものでやっておりました。なのでこの 御上流不流も西田不流なんだなってこと とてもよくわかる。 これはデハという です。これはとても有想な陰目で西流は 普通は色林でやるところですけど本業寺 不流では江林ではありませんでした。 おそらく林が伝わってないのかもしくは 廃されてしまってこの下波の形でやって いるんだろうという風に思いました。 で、この中で面白かったのはチャイア娘と いう、これはあの女の子の格好してる実は 高校生の男子 男子高校生が女装してみんなに雨をでそれ をみんなで奪い合うっていうことをやって ました。不流の合間にあの客用性のような 形でこれとこやってみんながわーっと 盛り上がるとても楽しい思いました。 で、温やっぱり人が何だ作れなくなってん で、今年から女子小学生をたくさん金うち に参加するようになったという 夏祭りは雨や日い地域の繁栄のための中で 行われている道務になります。 それから本です。本っていうのは皆さんは 先続のためのお祭りだという風に思っ てらっしゃると思います。ただお盆に帰っ てくるのはご先祖様だけではなくて他の ものも帰ってくるんだやってくるんだと いう風に考えてます。それが例えばガキと 呼ばれるものです。楽器というのはあの 地獄にいるあの 楽器あの増えたあの楽というになるんです ね。これなんかガキ行てという風に呼ん だりしてます。で、これらがやってきて 色々この世の中で悪さをするんだていう風 に考えてました。だからガキが悪さをし ないようにするのにはどうすればいいのか というのはいつもお腹をしてるもんだから とにかく幼い物をして表なしをすればと いうことでやっているのは背書きと呼ば れることです。背書きはを施すと書いて 背書きです。 つまり様々な物をおいすることによって ガキを沈めるそういった行事が手学金に なります。これは仏教とやっていること ですね。ただこれはあのこの地域の祭り 特に平時平市の方なんかにとか松浦市の方 にはこの盆業寺にあのたくさんのあのこの 背書きに基づくようながあります。例えば あのキラドのジャンガラなんかはその最も あの典型的なジャンガラというのは南も ホミで こナホみ でほいなんもほみで ほな カンカンカンと鳴らしてあの念物踊りを ます というは実は南ナムアミダ が生とですね。で、そういう風に ナムアミダという網田物の妙法を唱える ことによってですね、世の中に悪さをする 様々な楽だとかそういった王者なんかを 沈めてそしてこのよう永平安に保とうする ようなんですね。だからその願いのも 例えばこの地域、あ、凡土地域だと やっぱり雨だったりであったりあるいは峰 がたくさん 南部法人という風に書いたのはほや身が たくさん出るようにという願いですね。 な網ダを南毛に書いたのは2年の掘編みが たくさん出るような願いでナ網だというを 変えたことなんですね。さらに皮は大量 祈願なんかもします。安全やお半なんかも れます。で、この盆の としてはボーデルと言われるものが たくさんにあって、例えばあの松浦市の方 では黒木歌で歌うボルなんかがまだ残って ます。それからあの高島、え、松代市の 高島町だとか、あるいは平月町だとか、あ 、千大島だとかにはスコ踊りという風な 芸能も残っています。カ田教にもあったん ですね。この佐戸市内にもはありました。 例えば顧問の町だとかあるいはえっと いうですねとかあとは小さ部長だとかそう いったところにもこの市内の方にもあの スコールのがありまし でそういった様々な文ので苦用して最後 どうするかっていうと少量流しを行って その ご先祖さんという一緒に変えるですね。 これはM会長の症量流しの表です。 2005年なので20年前に見たわけです ね。こういう風に 川に流していました。 で、佐ぼの症状流し、これはとても有想 でしたね。2001年なので今から24年 前に見たことですね。 爆チをバパバパバパバパーンと鳴らして そん中をみんなで少量ぐれを引いて更新を しておりました。盆というのは先祖とガキ 苦を行ってそして甘い日いご大量機が カナやんでぬハ無そういった色のものを 恵むようになります。 次が自蔵本です。これは煩のいわゆる少し 後に、え、8月24日もあのおじ蔵さんの 縁日です。縁日というのはその仏様のとに 怒りのある日、あの特にこの日にお祭り するとが大きいというわけの日を縁にと いう風な方をしてます。偽蔵は太河って ところにいて、そして子供を守ってくれる 男だとされているので、この蔵さんに子供 を守ってもらうと、そういった信仰があり ます。さらにこのM会のあの 戦闘老末になんかはとっても盛造で地域 全体の反映を祈るようなそういったお祭り になってます。 これが、え、去年の8月24日になった 先頭です。 夜になってこれに火が入るんで、ここも 綺麗です。で、10時っていうところで まず自蔵の法が行われます。 ご住職がお蔵さんに向かってあの表を唱え ております。 そして子供がおじ蔵さんにおきをかけて ます。そして地蔵巫越が出発をします。お 蔵もけどお見越なんですね。神様と同じ ですね。こういうところに実は真と言わ れる神様徳様が同じだったんだなっていう ことを名残りを私は見ている で水かけ蔵祭りというのをやります。お寺 から近いカレーがというところに入って いって、そこで周りからバシャバシャ バシャバシャという風におじさん盛に水を かけますと、ちょうどすごい暑い時なんで 、あの、見ているものも少し涼しくなって 気持ちがいいです。 で、その後はずっと集落を回っていきます 。 まず爆竹が梅払い パパパパパパパパパパパパンて梅払いをし てそして自動さんの見越しが こういう爆竹で梅払いをするというのは 症老量を流したくなるかと同じでおそらく 長崎の中国本の影響が入っているんだろう という風に考えています。 で、街を行きながら地蔵越しに遠動の人が バシャーっと水をかけます。こういう風に 負けかけるの優しい方でホースでお持ち水 かけるところもあります。でもみんな暑い のでこれがとっても気持ちよに担いてき ます。 で、街の中止新聞に行くと消防のあの ポンプ車が来ていて、そしてドーっと水を かけて、もう本当に周りが水きでなる ぐらいの中で自動民としてを熱いです。 地元の高校生たちだけはこれをやってるん ですけど、あの、見ていてとても涼しそう でいいです。 っていう風に自蔵本は子供の傾向さらに この水をたくさん使うはどういうとこ かっていうと新透でもそうなんですけど水 は汚れを払う味噌の効果がありますので それでおそらく町の様々な汚れを洗い流し てしまってそしてそれを結果によって地域 の反栄をもたわそうという風な考え方も あるんだろうという思います。町の繁栄も 祈願しているそういった行になっています 。 秋の祭り行事はくと秋祭りがあります。 同じ行事だという風に皆さん覚れてるても しれませんけど実は君地と秋祭りは厳密に 言うと違います。でのは元々は旧暦の9月 に行われてた行事がという風に言っており ます。 あるいは急陸の9月9日、9月19日、9 月29日の3つの空気、2地と言うんです けれど、その三地に祭りを行ってた技を 通知と言ったりします。 で、この旧暦の9月の9日から29日まで というのは実は昔の暦みで言うとまだ 稲借り前なんですね。今は年あの棚夕方会 とか言って8月の初めにはもうお米が出 ますよ。でも昔というのは大体裏白に麦を 作っておりましたんで麦を張り取ってから 買うよう えっと いうのは5月で書きますけど昔の旧暦の5 月ってのは今の6月梅の時期なんですね。 だからタウェブ物による実は6月になって からっていうのが普通なんですね。だから 5月にはその田上る前に様々な常事をやっ ておるわけですね。例えば5さと言ってん ですけどさというのは差というのは他の神 様のことの神様です。 で、だからさきは他の神様のてくれます。 で、この人には例えば他の神様に使える 差乙女差の乙女が食べを こういう風なことになるんですね。で、 例えば花見をする対象になって桜というの がですね。それも他の神様が宿る場所。と いうのは神様が宿る場所なんですね。だ から桜は他の神様が宿る場所。そこがご だからそこで花見をするというのは実は他 の神様をお迎えして今から田上を頑張るぞ という事実は病人になるわけですね。で、 さきにそういった竿乙が タウをするための準備をして、そして田上 が終わったら佐ということをやるところが あります。佐堀はこの札地域でやってるか どうかと思うんですけど、今にしない たくさんあります。花は元々はさのりが 語言で他の神様をお返しする登らせる 佐のりが語言になっで 脱線します。で、収穫というのが大体だ から今の暦みで言うと、えっと、旧暦の 10月になるので、今のこれにと11月に やっと収穫ができること なので、あの、旧暦の11月には資本月 祭り行って深刻に、あ、新しくこれたに 感謝するお祭りがたくさんあります。 先ほどの銀の祭りでも見た神ということ。 神祭はその年に取れた峰であの神様を 表なしする行理ですね。 その年の美地に感謝していうになります。 この観のと同じの行事はこの地域では保能 祭りとか言って下祭りでたくさんあります 。 で、は元々収穫の準備まだあの稲なんです ね。田上の時と同じで稲カも昔は使えては なかったので手りですからたくさんの人目 が必要です。だからそのためにはみんなの 力を合わせる必要があります。なのでお 祭りをしてみんなの心を1つにしてその ための行事が空地だったんですね。だから あっちこっちなんとか地なんとかく地と いう言葉があるけれど、今は後にやってる ところが結構多いけれど、元々の空気は前 のだったんですね。 で、私が見たのセチバルです。 え、2019年の10月29日にました。 まずは設置子供流というのが出ておりまし た。 子供に登り方します。 で、ナり の人たちなんかが更新のに続きました。 で、笛吹きさんですね、結構女性の方が たくさん参加してるで 戻りてきました。これから兼ねるですね。 で、対抗 で加そ から盛り足しといて締めたい子を釣られた ものを綺麗な石をした女性たちが叩きます 。 で、子供たちがやってるのはサラを持っ てる子供たちがたくさん。で、この子供 たっていうのは実はサラという楽器であの 遠動の人を表せる凍結して登場しました。 さっきの竜でもサッチがサを持った人が 獅死と組み合わさって同居のような演技を しております。なのでこの北地域ではこの を持った同けで点が出るというのが特徴に なっております。西田県の中でもこの北祭 地域に特協になってるます。 で、この人についてが全大と呼ばれる、 綾たという綺麗なあの色で飾った掛を手に 踊る人たち全代というのは中にデが昔入っ ていてシャラシャラ音して振ると音がした のでそれを振って踊るので全台という風に 呼んでいます。 今度は北川地の国ですね。ここにサをし つきます。これが同家です。 ナ向と毛ありの人ね、やっぱり女性の人は たくさん思います。 それが金内さん。金内さんにも女性の人が 参加を代表して 笛吹きさん やっぱり笛吹きはとても異厳があるんで神 の姿です。 それから大量です。 それから無さんです。 後ろにあのさっきの全代綾たを持って踊っ てる人たちもいます。 で、破産箱とサが出ます。これがあの同計 になります。小óa爆流で言うとしとそれ からサラの組み合わせになります。 サはこういう風にたくてみんなをあの驚き 書で表せます。 このサさというのは何かと言うと元々田上 の時には電学という芸能を行っておりまし た。中世ですね。でも色以外のところの 電学っていうのはほぼ廃たれてしまいまし た。で、中世までは さで生やして、そしてみんなのリズムを 持って、それから太を叩いて、そしてタウ をだったり、あるいは具を吹いたりして リズムを取ってみんなの息を合わせた。 そういうのが弁学という芸能でした。なの でこの些というものがおるということは この北地域にはおそらく中世まではこの 電学 田上を生やすような電学という芸能があっ たのだろうという風に考えてます。この 電学という芸能の名りがちゃんと残ってる とこっていうのは実はあんまりありません のでこれはとても貴重な芸能になります。 で、このハサもとけたおめをかぶって刺さ と昆布になってみんなを表すです。 く地というのは収穫の準備をする芸能です 。 で、秋祭りも収穫に感謝をする芸能になり ます。 で、特別の秋祭りが下月祭り。下月という のは旧暦の臨気がちのことで、これは収穫 感謝をして神の力を与えるという芸能に なります。ここからはちょっと後半になり ますんで、ここでちょっとえっとトイレ 休憩5分か10分ほど取りたいと思います けども、どうはありがとうございます。 それでは続きの下月祭りについて話をし たいと思ってます。下月祭りというのは 旧暦11月に行、つまり船が収穫された後 に行うので先ほど神宮のあった神に当たる 。それからで言えば新祭に当たるものに なります。 その地の収穫に感謝して、そして神の力を みんなに変えるそういったお祭りになって おります。 で、この地域ではよくその祭り丘の祭りと 言ったりしてです。これは岡祭りですね。 で、これを吉町の上吉田にあるあの吉田神社で行っという病を紹介したと思ってこのより上吉田だとかこの地域というのは高五蔵と呼ばれる山のに当たる地域になります。 [音楽] [音楽] ここから朝日が登るのでこの地域の処々にとってはこの五道だけというのはとてもあの神聖な山の神の山だなという風に考えております。これ [音楽] 12月10日にあ、去年の12月10 日に海りました。これが吉田神です。で、まずは犬祭りできました。 これは山の神から修行なんかも行っていて 要件のお祭りだろうと思っていました。 で、中では神楽を行いました。小神楽と 呼ばれるものですね。まずは嵐の舞を参り ました。嵐というのは塩のものを清める力 がありますんでその塩の力で払い清めて その場を綺麗に軽を払う。そういった舞に なります。次にヤト目前舞というのを 舞め舞 はこういう風に弓を持ってまいりますので やっぱり弓というのはまといをする時に間 を洗うような力があるに考えられてるんで その弓矢の間を払う力によって場を清める そういった舞であろうという風に思います 。 でその後というのを行いました。こういう お盆を手に持ってそれが吸いて落ちない ように遠伸力を確に使って舞う舞です。 この前によってこれはとても楽しい娯楽的 な目なのでそれによって神様を楽しませて 場を清めた後に神様を楽しませて神様の力 をだんだん高めていく強くしていく神の義 を敬うことに増していくそういった行為 だろうという思ってます。でさらに山の神 というのがありました。平神楽にはとても 少ない面をつけた面になります。で、これ もとても娯楽的な遠目なんで、これによっ てさらに神様の力を増していってっていう ことをやる。 最後に子3番という前で締めてみました。 3番というのは神のその嵐で清め直ト前で 清めそしておきで高めそして山の神に高め た神様の力を それがこもっているお米を巻くことによっ て よいしょでそれをみんなが拾ってそのお米 を炊いて食べると無業特産になる。つまり 神様の力がったお米をいただくことで みんなが無病になるそういったとして行わ れているものになります。 で、その後 そのま、このカ、え、カの接し、セシさん のことですね。さんとそれから新食たちが おきとそれからおなくにされている里芋を 食べて神様の力をいただきました。で、は 普通はおきの他にはお餅であることが多い わけですが山の中なのでおそらくもしは 持ち米っていうのはとても貴重だったん ですね。だから持い を使って、そして いうとても古い末の形を残してます。こう いう行理のことを柳による民族格を始めた 方は持ちなしという風に呼んでいます。 持ちがないけれどその地域で例えば里芋 なんかを代用して祭るやなところが多い。 そういったものをよく残してるものになり ます。 これが接さんのオタです。締め縄が張って あります。 まずは切産のうちで公人様をお祭りして 安全を祈ります。 そして石薄に米とお水を入れます。これが 一着の材料になります。これを縦でついて あります。木というのは実はやはり持ちが 卑怯だったので持ちの代わりのウルチ舞い を使って作るお持ちのようなことそれが 下木になります。 縦でついて1を作ります。で、作ったは 上に放り投げるわけですね。そして独着が 高いとこにいっぱい継いたらそのおが反慮 するお家反慮するんだという風に言われて です。 で、それらが終わると縦とか物をみんな くるんだ稲町。これを外に男の人がおって 、中に女の人たちがおって砂引きをします 。で、砂引きをしてどっちが勝つかって 言うと、女の人が必ず勝つことになって ます。女の人が勝ってその稲巻を何度に 引っ込みます。で、神の力がこったク物を 入れすることによってこの用事が繁生する そういうの約束されると考えている行事に なります。神の力を高めて神の力を頂いて そして運営判につなげるとそういった下の ことになっています。 で、その後どうするかていうとケニ という名来を行います。で、このお家は 約束のうちでみんなで食事をすることで神 の力を分け合ってそしてみんなも健康に なりますように、そういう願いを込められ ているになります。 次は同じく保管祭りで獅祭りと呼ばれてる ものです。これは吉木町の橋口で行われ てるものです。 木本様という怒られる前でお祭りをします 。木本様というのは木の本と書でそまび山 で仕事をするきこさんたちの神様です。 おそらく五だけが進仰されているので五 だけので木を切る人たちがこの木本様を 祭りしてたんだろうという思ってます。 このお祭りが終わるとまずは木さんの ところで持ち巻きをします。やっぱり神様 の備えしたお持ちを待つことで、そして みんながそのお持ちを分け合うことで健康 になる。そういったお祭りですね。でも これもおそらくはあのお餅ちがそれほど 貴重でなくなってからこういう種になった んだなと思います。昔はやっぱりお持ちが 貴重そうだったので1がとても大事な雲だ と山の なのでおいの首を丸めてこの丸めたを身の 獅に満立てます。 で、その士に見立てた1を弓矢でいるわけ ですね。 で、仕留めた1人を 焼いてみんなで分け合って、つまり神様に おいした人々、さっきも持ちたですね。 その力を分けるんだ分けること分けること によって神様の力をいいてそしてみんなで 健康になりましょうとする。それがこの 知害祭りです。 で、稲神神社の方に戻ってきて、そして このさっき焼いた人をまたそこに集まっ てる人々に配って、それで皆さんで神様の 力を頂いて、そしてみんなで健康になり ましょうということをやります。 で、ここでもまた平の消化をですい 。 矢をめ舞で弓による払いを 心がめによって神様の力を定客させる。 そして山の神をやって神様の力をどんどん どんどん高めてきた。 そして最後にまた式3番ということをやり ます。で、ここで神楽でどんどんどんどん 高まって神様の力がこもったお米を巻く ことによってそれをみんなが拾う。そして 拾っとお米を炊いて食べるとみんなが無病 作戦になります。ていう風なことをやり ます。 で、最後にまたお持ち巻きをします。これ も神様の力を皆で分け合う行為になります 。 で、また岡祭り、獅祭り、今度は吉井町の 奥石という、 ここは奥石一公民です。 去年の12月13日にきました。ここでは 1際を丸めてイノシの形にします。竹で牙 を作り、木の実を使って目を作るていう風 でイノシをちにするわけですね。 で、ここはセ戸の狼というところでします 。この世戸の狼というのはおそらく五像 だけを介護にして入り打ち遠を守る世度の 狼のことであろうという考えております。 で、この瀬戸王家のところに備えした イノシの形の1をまた弓矢 で仕めたこの イノシの形のをまたみんなに焼いて分けて 神の力をいただくということを 足口が同じですね。 で、この日は中学の他のお祭、あに、あの 小さな宮さんのお祭りもやります。で、近 神社に帰ってきて新神社でこれはまた嵐お の消化ですね。嵐シオで払いをして、 そして八前弓矢でまた払いをして、そして 神様の力を高めて、 そして山の神をやってもっと神様の力を 高めて 最後に3番でまた神楽で巻した神様の力が こもったお米を巻きます。で、それを みんなでこう拾って、それをうちで持って 描いて炊いて食べると無業になるという ことですね。 で、また最後に持ち巻きをしてこれで神様 の力をまた分けるわけですね。 で、お石公民会に持ってからまた持ち巻き がります。これは神社に来れない人は特に いるからですね。なので公民館でも 持ち巻きをして神様の力を分け与えます。 で、最後に公民館で名を行って、またここ で神様の力を分け合って、そしてみんなで 健康になりましょう。また来年まで無事に 過ごせるようになりましょうということを ます。 今度はおか、父、今度は橋川町です。 去年12月15日に8万人ですね。 ここにもセ戸の狼の甲ラがありました。 これもやっぱり元々は今8万の経済になる 程度元々は五道の方にこの祠からはあった んだろうという思ってます。 で、おいの1人を丸めてこれもイノシに向 でこの士に向た1人を弓でいるわけですね 。 で、これを仕留める。夢が刺さって 仕留めると 今度は持ち巻きをしました。ここは焼か なかった。 でも持ち巻きをすることによってみんなで 神様の力を分けたわけですね。で、中に 入ってまた消化を嵐をやって払いをして、 そして参舞をして払いをして、 そしておやって神様の力を高めてさらに山 の神で神様の力を高め そして最後に3番で神様の力を持ったお米 を持ちます。で、さっきの人はどうなった かて言うと公民館でこういう風に切りをけ ました。で、それをみんなで持って帰って 神の力を頂いてお家で食べるっていうこと になります。私もお土産にいただきました 。 今度は丘の祭り、お城祭りとも言ってます 。これは吉町の樽川です。 まずは中学内に勝者でのお祭りがあって 中学の安全も祈願します。 で、ここが大山です。で、経済者のお祭り もやります。 ここでは経済者のお祭りに公人さんが来 てらっしゃるんです。公人さんっていうの はあの原生法人っていう美容師さんたち ですね。そういった方もこのままみに参加 してらっしゃったんでこれはこの地域特に 北地域の特徴だなという風に思って私も とても重複から拝見しました。 [音楽] で、中ではまた消化嵐で払いをして、 そしてやめ舞で弓矢で払いをして、そして おで神様の力を高め、そして山の神、これ も神様の力を高みますけど、こん中でこの 杖を使ってここに、ま、子供がいるんです 。子供をちょっと脅かしてます。お母さん に血がみついてます。 こういう風に 神様の力のった杖でこの子供の健やかな 成長をですね。神様の力がこの子に 乗り移ってそしてこの子が健康人だって るっていう願います。 で、最後にやっぱり神様の力がこもったお 米を待つ3番をます。で、それをみんなで ゴルフに拾ってまた炊いて食べると無料に なるということをます。で、また最後のお 持ち巻きをします。これでまた神様の力を 分けるですね。 で、この後また石に米と水を入れて、 そして作ります。 こうやってキでついてを作るわけですね。 で、この時に人際を作る時にこの人際が たくさん跳ねたら演技がいいっていう風に 思うんですね。だから思いっきりこの1着 をするために嘘をつきます。で、そうする と当然のことだけどこの綺麗な背を着た人 があの前にたくさんしきて真っ白の点が いっぱいついてます。 でもこれは演技がいいためにやってること なんですね。やっぱりこの人は神様にあの 幼いものなんで、それが身につくっていう ことはあの神様の力をいただけるので とても演技がいいという風に考えられる わけですね。 で、今度はこの1をどうするかというと 新食たちの香りを塗ります。 これも神様の力が保ったを身につけること によって無病即裁を祈る。そういったよう になります。で、この米粉を塗った姿がお 城い塗ったように見えるんで別名お城い 祭りという風に言います。 福岡県の朝倉市の覇町の方にお城い祭りと あります。そこでも米粉を顔にたくさん 塗りたくります。カメラマンたちも全部言 れるんで見にくと大変です。 で、最後はやっぱり名来いを行って神様の 力を分け合ってみんなで健康に過ごし ましょうということをするわけですね。 次は山祭りです。佐保星の松原町の淀姫者 で行われています。 まず前の週の1月、去年の右です。そこで ちょんちょコべというのを作ります。 ちょんチョコべというのは何かっていう とこのわを束ねたものになります。これが ちょんちょョコべですね。あの人形とか 人型のようなもんだという風に言われて ます。でも実はこれには意味があるという 風に考えます。 で、闇町と松原町の、え、松原町の2つの 町の人々が来て、2本の大津をなります。 で、この時にちょんちょコベを大綱に 入れ込むわけですね。通してこの砂を どんどん太くしていきます。 で、これは実は砂を太くすることにとても 意味があるなのでこうちょんちょを作って おるんだと思います。そ稲り代謝という ことがあります。シなりがとってもあの 大きな締め縄があると有名なんですけど ここのシメを作る時には何を入れるかと 言うともみがついた稲場を 七メの中にどんどん継ぎ込んでいって 大きなシメを作ります。なのでこの ちょトコベというのは実はそういった意味 が実はあったんだけれどもみがついた犬を 入れるともったいないのでおそらくこの 地域というのは米作りがあのたくさんお 褒めが取れる地域では3地なんで褒が 取れる地域ではないのでおそらく揉め揉み がついたお米を入れるのはもったいないの であのがないけれどそういったを入れる ことによってあの 工作をもたらせる力がどんどんどんどん つくようにシめが太くなるようにそういっ たことに似合いを込めてこの ちょんちょこレというもみが聞いてないを 入れることで 大手を作っているということなんだろうと いう大元はおそらくこのち直というのは ゴミが聞いた稲葉だったはずだと思います 。 で、同時平行で淀姫のシメラをどんどん 新しくていきます。で、2の鳥のシメも 新しくました。 笹も立ちました。で、その時にどうするか というと、若者が2人 高台にあるため池に行ってみぎをします。 1月大体の企画なんで、あの気温 [音楽] 6°でした。で、水温は 7°でした。そん中に入ってみします。 で、この味噌ぎした赤者たちは点に戻ってきてどうするかというと、あ、昔はこれはあの川の方で大野川の方でそぎしてたんですけど水害があったので今は池の方でしているていうことでした。 で、これは石薄で米こと水を入れて吸って 、やはりぎを作ります。 さっきあの吉町の方で見ました。首という のは大体本来は山のためへの雲なんですね 。特にあのお米ができにくい三間地でのに なります。松原の地域なんで景気の方なん でおができそうなもんですけどやはり1人 を作るんだなとことで私も不思議に思い ました。で、吸って作った独をわのお皿に 入れてこれを雲手にします。それぞれの神 様においするんですね。このわのおさの まんまで松原神社にももちろんお隣いをし ました。で、闇の人たちと松原の人たちに よって2本がきました。こん中にちょが いっぱい入ってます。 で、その2本の大ツをさらに寄り合わせて 大綱を作ります。 で、できた大綱を鳥にかけます。で、かけ 終わったらさっきの味ぎした赤者たちが 持ち巻きをやります。これによって神様の 力をみんなに分け与えてわけですね。で、 中ではまた消化ます。嵐しをやって払いを して お式をやって神様の力を高めてさらに山の 神をやって神様の力を高め で高まったところで神様の行った歩を配っ て神の力を受けます。で、お米を配らなか 、お米を巻たなかったのはあの1月の28 日なのでもう新マの季節ではないからなん ですね。でもこの1月28日にやってん ですけど実はこの1月28日っていうのは 立春の前なんであの急激で言うと年末の 出来事になります。なのでこの山戸祭りと いうのは実は1月にやってるけど新年のお 祭りではなくて旧暦で言うと年末のお祭り になります。 なので下月末祭りの延長として収穫に感謝 してそしてあの新念の神様を迎えるために シメを新しくしてるということをやった わけですね。だから今から星神様を迎える 近年の神様を迎えるための準備をするお 祭りです。これが山りになります。 で、なんで山の祭りで言うかと言うと、 これ祭りはここで終わらずに、あの闇の人 たちはこの後まだ祭りがあります。闇の人 たちは闇に戻って自分たちのところに待っ て山の神が祠のところに来ます。で、そこ でシメを変えます。 で、シメを変えて、そして山の神のところ にさっき作った人を備えするんですね。 つまり人はここでは元のこの本来の山の神 へのとしてちゃんと機能してります。で、 お道を注いで山の神様に お参りをしてそして 工作に感謝をするということです。だから これは丘感の祭りとほぼ変わらないことな んですね。 つまりこの山祭りっていうのは松原と闇の 2つの人々が参加していることがこの祭り の大きな味そになります。 松原の里の松原の人から見ると闇根って いう場所は山線なので山の人であったん ですね。利山の人が里の淀姫者に中核祭に 奉仕して雲の下を作り、そして淀姫忍者と 闇根町の山のために備える お祭り行事なんで、つまり山の人の山祭り というのがこの祭りの名前の期源であると いう風に考えてます。下月祭りというのは 収穫に関して神の力を与えるものです。 まとめるですね。この北松浦の祭りは新物 集合などの日本の古い姿をよく残しており た。その点でとても貴重だとます。 この地域のは信仰がとても重なっている。 新東教カトリック核力公人そういった様々 な信仰がある。で、それぞれが信仰を保ち ながら様々な祭り行動に伝えてる。この姿 っていうのは日本的にいてもとても貴重な ものだという風に考えてるんで、この地域 の祭り行は学術的にとても貴重だという ことは断元をいただいた。 ただ、一般です。昔の祭り行は 災害や病気というものは鬼とか魔物とか 例えば補形上路とあ、さっきのあのガキと かですね。そういった人の力が及ばない 原因で起こるという風に考えられてました 。 病気は薬病神がもたらず今みたいウイルス とか知られていないのでそういう風に思わ れておりました。なのでそういうものに対 するのが新物の力でですね。なので祭りと いうものが行われてきたわけです。祭り 行事は新物を表なしてことで新物の力を 増して増した新物の力をいいて様々な災い とかそういったものから 人間の生活を守るそういったことで行わ れるものだね。 でも祭り行事も変わってきてるので現代的 な意義が必要だろうと思います。 で、1番の意義は祭り行事は人々を断る ものだとことですね。 動脈男女それから子供たちが参加するので ここで世代官交流が生まれます。 私の今にも大町っていうとこに住んでます けど、あの地域の人と川わせるのは1年に 1回の例えばあの市民大清掃の日。この日 はみんなで顔を合わせます。でも時間が 終わったらパーてみんな帰ってしまうんで ほんのやっぱり1週しかありません。でも 地域の祭りだったら準備を狭場行かん でしょ。それからお祭りに色々参加せいか んでしょ。そしてあの名来があったりする でその後また片付けも先輩そういう風に なってくるとやっぱり集まったお年寄り から若い人子供たちまでやっぱりあ、 あんたどこどこの降参とかいう風に やっぱり話がんですね。こういう風に祭り 行事というのは、あの、普段合わない地域 の人がそこによることで、しかも長い時間 がいるので、あの地域間交流、世代官交流 がとっても深まる良い場所だと考えます。 これが祭り行事の現代的な1番大切の意義 だという風に考えてます。 地域が1つにまとま、あるいは祭りをする ことで街が発揮する。これは祭りのとても 大事な側面ですね。 でも祭り行は大きな危機が迫って1つ目は 加疎と消費高齢化です。これによって やっぱり余ってしまった祭り行たくさん あります。 だから参加者を増やすことがあっちで たくさん行われてます。例えばコバリ 21年前の見にいたけど実は去年のに行き ました。 これが去年のコバの行列です。あ、結構人 のおらすねと思っては住んいました。子供 たちの鉄砲隊それからナ向ナそれから欅 そしてあの汚い武車までおりましたし箱も いりました。で、行立がする時、谷内さん にყვეるのは地元の人じゃなくて消防員 が担います。で、さらにこの子たちはあの 高校生たちなんですね。ボランティアです 。で、笛吹さん上を着てる人たちが いっぱいおったけど結構女性の人が入っ てるんです。で、後で話を聞いたら、あの 、地域が来た、あの、音楽をやってる人 たち、地域、地区外の音楽代員の人たちが 笛を練習して笛を吹いているということ です。で、子供たちがいっぱいおるから 聞いてみたら、でもこの子たちは小場の子 たちじゃなくて、黒神町内の股間地の子 たちがよってこういう風に練習をして金を 叩いたりやっているんだという聞きました 。で、この現場を待ってる、現場というの は極限性の所をするので若い元気な人にも できない目なんですけど、これは佐星役の 職員さんがやって これが激しい動きが必要なんですね。 で、さらに 黒上町に住んでいる差のOBの人たちも 参加をして演技をしておりました。 これもさっき便利に出てきた巻きの防気と それからシシですね。 で、このコバーリューというのは私が見に 行く前まで中断してました。この中で中断 したんですね。で、5年ぶりも発表した。 でも地区の少子高齢化で手が不足して継承 が危まれておりました。 なので、佐星の文化代の職員や近院の 小中学生、黒町の小中学生や高校生、それ から消防団員、音楽団員だが練習に加わっ て発表にやとこぎつけたんだってことを 聞きました。で、終わった後は 資料館の中でこういう風にテーブルが並べ られて料理が並べられて参加者皆さんお 疲れ様でしたっていう風に宴会の準備が 進められておりました。やっぱり ボランティアで皆さん参加してらっしゃる のでこういったことをしないとやっぱり 祭りは続いていかないのだなっていう風に 思いました。でもこういうことをしてでも 祭り続けているそばとはとても素晴らしい ものだなとも思います。 なので参加を増やす工夫の1つ目、まず 行政の攻協力を取り付けた。これは市役所 の職員さんだとか、あの市役者の大さんだ とか消防大員さんだとかそういうその地区 をが温度を取ってさらに地区の学校を 巻き込んでそして地域全体で守るんだと いう風な体制を作ろう作った。それで去年 の発表会ができたわけなんですね。 2番目は地区外の人の協力を得る。 さんは地区が地区街の音楽団です。これも 市役所の人たちが温度を取って 音楽例えば188を吹いてる人とか いろんなやってる人とかいろんな人を集め て増えぬ練習をしてもらってそして当日の 発表に解きつけることが重要する。 さらに女性を参加させることたくさんの 女性が参加してます。音量の不流も今年 から小学生の女の子が参加しました。でも そうやってでも祭り行事を残していくって ことはとても大切なことだという思って ます。でもお年寄りの方の中にはやっぱり 上き女の子はいかんとか言う人もいます。 うん。まあ、でもそれはやっぱ地域の考え 方だけど、なんとかやっぱり私とは大事な ものなので残していくことの方が大切だと いう風に思って これは松浦の下地の小路の大島神社の宗裁 の様子です。 で、平の小をやったんですけど、この笛を 吹いているのは松浦市のALTの先生です 。この方はあのオーストラリアの方です。 でも英語教師として松浦市の教中学校で 教えてます。彼はあの笛を鳴らして小鹿の 笛をほぼ全部かけるとでこの御こ前もあり ましたけど御こ前のこの右の方あのアジア 系の顔立ちなので日本人の黒さつきません けどこの方もALTの先生でやはり オーストラリアから来られたです。こう いう風に、 あ、もう1個ですね。えっと、双子という とこの防部です。これは佐県の空に双子と いうが行われてるんです。で、この双子の 棒デルには、あのこの人達ていうのは 外国人の技能です。この人たちが暴ルに 参加をしています。もちろん宗教なんと 違うんですね。日本の宗教と。でもこの 技能実税で参加して地域住民との有が図ら れています。つまり技能実だからあの問に するんじゃなくて一緒に地域に取り込む ことによってやはり地域の住民として技を それがとても大事なことなんですね。 例えば今西で異主生があの路性を内部で さして殺すという事件があります。そんな ことがあるようなさせてはやいけないと 思うわけですね。 つまりこれからは外国人も積極的に参加さ せる。そうやって人数を増やすってことは 大事なことだなと思っております。 最後はウルトラシーです。追立て八宮の 人口祭追立て山形ですね。これは福岡県 宮町の裁ということです。で、どういう ことかというと、この迷彩府に発表してる この集団何者かというと、小倉中東の自衛 隊員です。 この1人が本に火星をしてくれました。 で、何をするかというとこの巨大な山これ を地元の人たちには稼担ないのでこの小倉 中屯自衛隊員さんたちが一生になって担い でくれました。これによってこの山形が廃 れないで住んでるわけですね。 自衛隊員に反発させてる。これはあのこの 佐後でも相の裏に自衛隊もいらっしゃるん でそういったことはこの地域でもきっと 可能なことだという風に思ってます。 で、祭り行理のです。そのこれは憲争第2 世界大変はやはりいろんなところの祭り 行事が山ってしまいました。 携帯に取られたり、空習があったり、 いろんなことがあったですね。それから 教皇が起こると経済的に破綻するので祭り 業をやるどころの話はなくなるわけですね 。さらに災害 震災や津波み、東日本大震災の津波とか 原子力災害なんかがあってしまう。 あるいは部 さ半島合部だとかあのロ半島進だとそう いったのがあったりするとやはり祭り行事 というのは続かなくなります。さらに記憶 に新しいのは新型コロナですね 要因で祭り行事というのは山ってしまう 可能性があるのです。これらはほとんど どうすることもできないようなものだ けれどもあのこういった危機があ るっていうことも知っておいてなんとか それを食い止める方法はやはり考えていく 必要があるだろうと思います。 北松浦の祭り行理を守りるために皆様と 皆様のご努力というのがとても大事なもの だという風に考えております。 これで私の話を終わりにしたいと思います。どうもありがとうございました。先生大変ありがとうございました。え、ここであまり時間がございませんけども先生にはちょっと残っていただきまして、え、質疑応答を取らさせていただきたいと思います。 [拍手] え、新しいでちょっとこの後もご用意が 現れまして、今会の方にはちょっと形跡と いうことで、え、 言われておりますので、え、もし質問方 おられましたらこの時に質問をして いただければと思います。え、質問方を いただきまして、え、神社とお名前言って いただきまし、その後に、え、ご質疑を いただければと思います。 え、何か成績にお聞きたしているとあられた方おられませんでしょうか?よしければ [音楽] あ、市長の山神社総の場です。え、なんか 1 番最初先生があの小倉きとか大滝きなんか経験なされてないような話でした。千ではまだやってますんで是非来ていた。 [音楽] あの、潜崎はね、もう私が小さい頃からやってたんですけど、今は多分してない。ただびたはずっとあの小学校の工程のでやられてるので是非来ていただきたいんで日はね、ちょっと覚えますね。 [音楽] また全させていただ ありがとうございます。あの、番のおりとを見に行きたいと思います。 ありがとうございます。はい。今一度方は 新改に先生の方に拍手の方お願いいたし ます。本当にありがとうございます。
今回の動画は、佐世保支部の神職・総代合同研修会の講演です。
荒谷義樹先生をお招きし、平戸神楽の由緒や歴史についてご講演いただきました。
YouTubeの許可も頂きました。洵に有難うございます。
古くから受け継がれてきた神楽の意味や
地域に根ざした祈りの形を改めて学ぶことができました。
是非平戸神楽について、より深く知っていただければと思います。
🎌 #平戸神楽 #荒谷義樹 #長崎の祭り
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📅 投稿日:令和7年8月27日