神仏混淆の姿を、今なお色濃く残している能登のパワースポット。能登地震。【日本全国/聖地巡り233】
〇説明
白比古神社(しらひこじんじゃ)は石川県鹿島郡中能登町良川に鎮座している神社です。白比古神社の創建は不詳ですが、別当寺院である山田寺は天平宝字元年(757)に泰澄大師が開いたとの伝承が残されている事から、同時期に白比古神社も勧請した説もあります。
格式が高く延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に記載されている式内社白比古神社の論社で、古くから信仰されてきました。
白比古神社の主祭神である白比古大神は能登地方の開発神大己貴命(大国主命)の御子神であることから大己貴命を主祭神とする気多大社と関係が深く、当時は気多大社の例祭である平国祭(気多大社から七尾にある気多本宮(現在の能登生国玉比古神社)まで神輿を御渡させる神事)の際、白比古神社で神輿を一泊させていたそうです。
創建当初は背後の山頂付近に鎮座していたとされ明治45年(1912)に旧社地から古墳時代の神鏡と奈良時代以前の神剣が発見されています。天正年間(1573~1593年)の兵火で社殿が焼失し麓である現在地に遷座再建されたと思われます。白比古神社は古くから神仏習合し菊理媛命を勧請したことで本地仏を十一面観音とし白山観音などと呼ばれ最盛期に16坊を抱える大社となりました。
明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃され別当寺院だった山田寺とは分離し神社として独立、明治6年(1873)に村社に列し明治39年(1906)に神饌幣帛料供進神社に指定されています。ただし現在も山田寺とは境内が混成し参道の両脇には山田寺の本堂や鐘楼、納経所等が建立されています。
〇祭神
・白比古神 ー 社伝によれば白比古神は気多神社の祭神大己貴命の子神で、氣多大社の鵜祭の鵜が当社に一泊し、また氣多大社の平国祭の折に豆団子二一串を供えるのは、こうした由縁によると伝えています(能登名跡志)。
〇御利益
・縁結び、家内安全、開運招福、五穀豊穣、大魚満足など。
〇アクセス
・石川県鹿島郡中能登町良川ト1
鉄道:JR七尾線良川駅から徒歩約20分
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日本全国/聖地巡り
#白比古神社 #中能登町 #jinja #山田寺
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〇説明
白比古神社(しらひこじんじゃ)は石川県鹿島郡中能登町良川に鎮座している神社です。白比古神社の創建は不詳ですが、別当寺院である山田寺は天平宝字元年(757)に泰澄大師が開いたとの伝承が残されている事から、同時期に白比古神社も勧請した説もあります。
格式が高く延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に記載されている式内社白比古神社の論社で、古くから信仰されてきました。
白比古神社の主祭神である白比古大神は能登地方の開発神大己貴命(大国主命)の御子神であることから大己貴命を主祭神とする気多大社と関係が深く、当時は気多大社の例祭である平国祭(気多大社から七尾にある気多本宮(現在の能登生国玉比古神社)まで神輿を御渡させる神事)の際、白比古神社で神輿を一泊させていたそうです。
創建当初は背後の山頂付近に鎮座していたとされ明治45年(1912)に旧社地から古墳時代の神鏡と奈良時代以前の神剣が発見されています。天正年間(1573~1593年)の兵火で社殿が焼失し麓である現在地に遷座再建されたと思われます。白比古神社は古くから神仏習合し菊理媛命を勧請したことで本地仏を十一面観音とし白山観音などと呼ばれ最盛期に16坊を抱える大社となりました。
明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃され別当寺院だった山田寺とは分離し神社として独立、明治6年(1873)に村社に列し明治39年(1906)に神饌幣帛料供進神社に指定されています。ただし現在も山田寺とは境内が混成し参道の両脇には山田寺の本堂や鐘楼、納経所等が建立されています。