【京都・石清水八幡宮の歴史】名だたる武将が訪れた石清水八幡宮の秘密! 村瀬 先生のぶらり歴史歩き 京都・石清水八幡宮編
さあ、始まりました。ブらリ歴史歩き。今日は京都の大市に来ております。イ、 やってきました。 ちなみにかさん、山田市とか来られたことあります? 実は初めてなんですよ。 そう。 え? めっちゃ見所満載の自治代やで。 いや、そうなんですよね。だから 知らねえやろ。 そうなんですよね。知らんでしょ? 知らん さ。そしてかさん、 今日は準備万全でございます。 え、なんでですか? 先月も今日のルートほぼほぼ私来ております。 ええ、庭ですね。 まあ、下見ですな。はい。もうね、ばっちりお届けしていきたいと思います。 お願いします。 お願いします。 今回の舞台は京都府市。信長や秀吉、家康などなる武将が進行した国報イし水八宮を深り。 さらに江戸時代から愛され続けるメ下にひたつみ。それではブらリ歴史歩きの始まり始まり。 [音楽] さあ、我々やってきましたのがイし水八宮の 1の鳥ってとこなんですね。 の鳥。 そう。イ水八宮っていうのは男山っていう標 140m ぐらいの山の上に、ま、神社があるんですけども、ま、その言うたら入り口みたいなもんですよね。 はい。なるほど。 からずっと歩いて入っていて、ま、登っていくわけなんですよね。 うん。じゃ、ここでね、かさん1 も問題です。 はい。1 の鳥の上見てください。上には変学って言うんですけど、額がかかってますよね。 はい。 そこに8 万宮って文字が書いてあるじゃないですか。 書いてます。 あの八宮という文字の中に ある動物が隠れているね。 その動物とは何でしょう? あ、分かった。鳥。鳥でしょ。あ、鳥や。 鳥やから 鳥は鳥でもどんな鳥?具体的にお願いします。 スズメカーだと思いました。 あ、なんでスズメ? ちょっとちっちゃいしなんかごめん。答え用意してなかったな。 用意してなかったし。 これがね実はね鳩なんですよ。 あ、そういうこと。 うん。え、なんで鳩やと思う? 8のはあ。 実はね、これイし水八万宮っていうのは八狼っていうね、こう神様が祭祀られてるんやけど、元々は大県にある八万宮っていうとこに鎮座されとったよね。それをこっちに移す時に船で移動するわけよ。ほん時に移動していく時に船の進路の方向に鳩がって現れて [音楽] それが道をま言うたら案内してくれるような形でここまでやってくださいね。 そうなんです。 だからう神様の使いていうことで鳩がね、書かれてあるわけにね。 さあ、ここからは男山の頂上に鎮座するイし水八万宮へ。山道から歩いても登れますが、今回はケーブルカーを利用して向かう方に。 [音楽] いや、出発しましたよ ねえ。 わあ。 そう。 そっか。山の上にあるからね。歩こうと思ったら大変でしょうね。 そうですね。 いや、まあでもね、歩く人も多いですよ。やっぱりこうお散歩がテらにね。で、これね、昔の地図なんですけどな、何て書いてます? はい。男山八宮。 そう。あの、かつてはイし水八宮って名前やってんけど、後に男山八宮って呼ばれるようになったんじゃない。 でもまた再びイ水 8万宮に変わって、ま、こう 1に至るってことですね。 ちなみにこのケーブルカー鉄供としては日本一の高さを誇るんだそう。え お見て。 うわあ、綺麗。 いいね。 すごいいい景色ですね。 ちょっとね、これモヤかかってるけどね。ほんまに天気良かったら京都タワーとかばっちり見える。 うん。あ、でもちょっとうっすら 浮かび上がってますもんね。 とにかく分かってない。 あれでしょ?赤と白の。 いやいやいや違うから違うって どれが使うてこともっと遠 あもっと遠いあほ見えてませんでしたわ すいません あっしここからイし水八万宮へと向かいますじゃこっからはイ水八万宮のごネぎ奇一さんにねお話を伺えることでよろしくお願いします。 [音楽] よろしくお願いします。 お願いします。 あの、イし水万、もう本当に月並みな言葉なんですけど、すごいあの立派なね、神社さんだなと思うんですが、 ありがとうございます。 あの、イ水マグの歴史も教えていただいてもいいですか? うん。そうですね。あの、歴史としましては 860年、え、上2 年という年に、え、双権されたんですけども、 元々は和天皇のでですね、え、奈良県の大安寺というお寺で修行争していた業教というお坊さんがまして、 うん。 その方が毎日九州の今はう神宮ですけども、当時八万宮に赴きまして毎日ご祈願を上げて 国の安泰を祈願していたところ 8 万狼様からとあるお告げまた戦というんですけども を受けて、 え、我子近男山の峰にいざし国家を戦というお戦を受けまして はい。 そして、え、神様をこちらにお移してそこから国の安泰を守っていったという歴史があります。 860年に双権された国報岩水8万ぐ人 は王人天皇や神宮工合など天皇家の祖先 をる社代でもあり伊勢神宮と共に2章病 と称され天皇やが 240回以上も参拝されている一症ある 神社なんです。 蜂 万宮、ま、現事兵士ってあったやん。その現事一問とね、やっぱり深い関わりあるんですよね。 はい。そうですね。和現事というのが、ま、現事 1 問の始まりですけども、ま、和天皇から、ま、繋がっている流れになりますので、その現事一門というのがこの岩水八万宮を、え、う神、自分の守り神として はい。 お祭りしたことによって はい。 その武将たちに一気にそれが広まっていきまして、全国の武将が小ぞって、ま、武将の聖地のような 神社になっていったというのがこの岩立ち番号の 1つの歴史になります。 はあ。 だからこれからもう教科書で出てきた、またはもう誰もが知るようなあの部将、あの部将、あの部将来るんですよね。 [音楽] ええ、 一は南草門を抜けて 5本社の近くへ。 さ、中に入ってきましたけど、 木さん、ここで1 つ気づいて欲しいことありますよね。 そうですね。 気づいた。 はい。 見てください。私のこの体 なんかちょっと斜めになってますけ。なんかね、斜めになってますね。 だ、何が斜めになってんの? この道やかに坂道になってる。 ま、確かま、じ、若干かもしれないです。優します。 若干 優しすぎます。もうバカにトり出してください。 本デに対して三道が、ま、斜めにつけられているという感じですね。本当や。 これがですね、ま、実際の神様のこの正面っていうのは神様が歩く道なので、そこは外すようにというのが、ま、神社では基本になるんですね。 うん。ちゃんとこう、そういうのを考えられて作られてるっていう。 だからここ普通にこう歩いても神様の道を邪魔はしていないっていうことですね。 はい。そういうことです。 イし水8万宮の5本社は国内で現存する 最大かつ最古と言われる8万作りの神社 建築。 本殿や労門など銃旨が国報に指定されてい ます。 現在の5本社は徳川3大将軍である徳川 家光によって増されました。 [音楽] さあ、ここやってまいりましたけれども、これはどういったところなんですか? はい。何もね、知らなければ普通のただの兵に見えると思うんですけど。はい。 でも普通の兵と比べるとなんかちょっと見た目ちょっと違う 違いない。 普通やったらこう土でを作るんですけど間にほら黒い薄いもんが入って。 [音楽] 河ですか? そうです。 ああ、ほんまですね。 そう。 河になっている この。 はい。 ほにゃらべて。 ここで教科書に出てくるあの方が登場します。 ええ、徳川家、 徳川家、 豊と秀吉 はい。もう、もうそこまで来たら 織田信長 はい。 信長さんがこちらをま、報能いただいて はい。なので名前そのまま信長部という信長部って言うんですか?そ どういった経緯で進されることになったんですか? 元々この先ほど話したように はい。 武将が、ま、イ水に対して、ま、すごく、ま、数計の年を持って 戦に行く前に洗願、 戦に勝つための祈願で来て、戦が終わって無事に勝ったらお礼参りに来られて、で、その来るたびにいろんなものを、ま、刀だったり訪してくださるんですけど、 その中で神社の、ま、このものっていうのを、ま、作ってくださるっていうのは、ま、神様に対してすごい大きい、ま、奉能物になるので、それを、ま、信長は表したくて兵をあ、 作っていただいた。私ね、小学校6 年生の時に織田信長新聞っていうのを作ったんですよ。ぐらい織田信長が歴史長の人物で そうスキーなんですね。で、 その中のせにそのお父さんの自分の父親のお葬式でお証拠をこう投げたとか言ってあんまりこう新人深っていうイメージが私の中でなかったんですけど。 ああ、確かにな。お寺焼き打ちしたりしたもん。 はい。 そういうのはやっぱ大切にされる方だったっていうことですよね。 そうですね。あの、1 節では、ま、そういったあんまり新物に対してのあまり数計士じゃなかったという話もあるんですけども、最近ちょっと見直されてきてうん。 はい。 結構その神社だってるお寺に対して 思うところもあって うん。 はい。こういうことも、ま、特にうちに関してはこの信長部だけでなく この後 この後も 新分書き直しさあ。 はい。 そして今回は特別にご本社の中も案内してもらいました。 裏側見ていただいて何か気づかもない ございますか? え、裏側 うん。 家紋 おうん があります。 はい。 はい。しかも3つ 真ん中だけちょっと違うよね。 あ、徳川家の家紋ですか? そうです。ここでちょっと気になるのは徳川家の家紋がうん。 なんやろ表向きではなく側についてることってちょっと気になるね。 [音楽] ああ。 そうですね。 そう、外からは、ま、一応見えないなってると。ま、これは、ま、ま、からくりと言いますか、ま、歴史上の関係もちょっとありまして、この神社って昔は国家管理されていたのっていうご存知ですかね。 うん。うん。 国が管理してたんです。 はい。 なのでこの岩水八万宮というのも国が管理していたので個人の門を入れることはダメだったんですよ。 ああ、なるほど。 はい。 なので立て直しだったりそういう奇心はできるんですけど、そういう門を入れたり自分の証の その簡単に出すことができなく それが天下人であろうとそれはできないことですね。 で、その中で こっそりここに入れたっていうやっぱり じゃあなぜこの位置にこっそり入れたのか。 あ、神様がいらっしゃるところから見て真ん中に そうです。 ええ、 神様からはもうズ見ることができる。 そうですよね。ああ、そういうことか。 面白だからこれ木久さん、あの徳川が奥かしいのかなんかちょっと 1 つ持ってたんかわかないですけどでも何とも面白い入れ方なのでま、俗にあの隠し合うと言われるもんになりますね。 これはこうご本社の中にあげてもらって初めて見られるっていうそういうとこですよね。 そうです。うん。 そして5 本社の中にある建物も歴史上の偉人と深い関係が さき言った8万作りですね。はい。 はい。 うん。 これが分かりやすいちょなんですけども、 この2 つの屋根が付いているところがここが 5本になるわけです。 はい。 この屋根の作りっていうのがこの 8万作りの目立つとポ徴があるとですね。 [音楽] うん。 この8 万作りというのは、ま、簡単に言うと床が 1つで屋根が2つっていうのが8 万作りの作り。 しかし2 つの建物、屋根がくっついているため間に水が溜まってしまい、雨盛りなどの原因になっていました。 [音楽] そこである人物によって奇信された甘いがあるんです。 え、金色。 ほう。 で、 うん。 なんかめっちゃ大きい。そして うん。 織田信長 呼んだな。 織田信長湖奇と書いてあります。 はい。信長さん、こちらの雨湯もしていただいたわけなんですけど、先ほど信長部も見ていただきました。 はい。はい。 で、実はこの信長部も雨天井も、ま、ついでといえばついでなんです。 はい。 信長さんからすると。 はい。今のこの本者 うん。 誰が立て直しされました? 最後にさ、え、徳川家 うん。はい。家光さんですよ。 はい。 家光さん以外にも立て直しをしていただいてるんですよ。 うん。 ご本。 はい。 そのうちの1人が信長さんです。 あ、そうなんですね。 その神社に対して1 番大きい奉能のものっていうのは刀 はい。たものじゃなくてうん。 神様が住まわれる本を立て直すってのが 1番の方 確かですね。うん。 で、その際にこの天井ずっと木星のものを使っていたんですけど、先ほどの説明の通り屋根の下にあるずっと影んですね。はい。 なんで加工していてもやはり腐って壊れてしまう。何年か。 はい。 それを聞いた信長さんが ご本での立て直しに合わせて甘いも う壊れることがないことじゃない。 はい。 いうことで一生使えるものを作ろうっていいて最初は黄金でそれを作れと はい。 さんメタそうなんですけど。 はい。 なんか信長さんっぽいです。 うん。 なんですけど今見ていただいたの1m ぐらいの分だと思うんですけど、 これ反対側まで繋がってる。 はい。ドーンと繋がってんです。長 21.7m ええ。 で、あまりにも黄金で作ると重すぎて ああ、 重さが 耐え切れなくても雨自体が曲がってしまうんじゃない? いうことで強度を保つために 金よりも強度が強いどを混ぜて うん。はい。 え、合金という金属を作って 金と銅金属で作ったわ。 あ、 にしても金とどうや。 いや、すごいですよね。 実際の色はあの10 円玉みたいな道に近い色なんですけど、 出てる東西の出てる1m ぐらいの部分は信長さんの移向であった黄金っていうところを 今でも守るために金迫の乗り直しを何年かですね。 [音楽] 行ってるわけなんです。 どれぐらいお値段したやろな。 ああ、もう どれぐらい価値があったんやろな。 どれぐらいの価値 実際この銅を使ったとはいえ、 当時はどうという大変な金所ですね。うん。 この1 本で当時信長さんが立て直してくれたこの 5本社 もう1 回立て直しができるぐらいの金額だったて言われてます。 ええ、すご。 続いては彫刻に隠されたある伝説について 上です。 上はい。 この上にこのままで あ、お猿さん。 そうですね。 はい。 お猿があります ね。久さん、これがもう東ず随の冥光の作品なんですよね。 はい。そうです。 へえ。左神ジゴ郎という方 ご存知ですか? はい。 あ、唯一知らなかったです。 [音楽] 関営という時代なんですけども、官栄の時代に全国的に有名な彫、この左ジゴ郎方がいらっしゃいまして はい。うん。 ま、大変謎の多い 諸国家の方でもあるんですけどはい。 有名な国だとあの日光東勝軍みざる、菊北かざ岩ざるのサザは あれを手かけた方も左てます。 あ、そうなんですね。 この彫刻成功に作られすぎためが宿り、夜になると車電から抜け出して悪さを繰り返したという伝説がそれを封じるために目に釘が打たれ目抜きの猿と呼ばれるように。 [音楽] ただかさん、 え、 まだ話は続くんですよ。 それでも動いたんですか? いや、止まってたんです。 止まって動きそれそうですね。 ちゃんと止めてさしてますからね。 え、平成の17年から24年の間で 全体のこのご本者全体の色の塗り直し修繕を行いました。 その時にこう彫刻全部取り外しが可能なんですね。 はい。 で、修繕の際彫刻は取り外して食林の方の攻房で修理をするんですけどはい。 その際ま、この目の抜きの猿がこの場所からなくなってた時期があったんですね。 取り外した。あ、そうことですね。はい。勝手にじゃない。 はい。そしたらここの門番としての猿がなくなってたわけで。 はい。 うん。そん時に1匹のえ、 [音楽] 猿さんが経に姿を表して へえ、 目抜きの猿が抜け出してきたんじゃないかという。 それほんま実はやからな。 ずっといらんですか?女ら この目抜きの猿が戻ってきた次の日にパったり。 うわ、うえ。すごい話。 ええ、それは絶対何か関係ありますよね。 うん。というかね、もうなんか理屈では説明できないですけどね。 本当に。 そして、ま、この、山なんですけど、普段猿生息してないんです。ですよね。ま、 140mちょっとぐらいの表ですし、 そんなに高い山ではない ねえ え。じゃあ、もうずっと修繕してる間はもうずっとここに そうなんです。 代わりに守っといてくれよと。イ 水八番組に顔出してたわけよ。 すごい話です。 そして毎年9 月には平安時代から続く直裁イし水さが行われます。 是非訪れてみては木さん勉強した後はお腹が [音楽] つきます。 ちょっと甘いもんが 食べたくなる。 もうね、 イワし水宮8 万さんにお参りしたらね、必ず寄っていただきたいのがこちらなんです。 うわ、嬉しい。 走り持ちろさん。 お、 行きましょう。 名和元念。1764 年に滋賀の大津で創業した走り持ち朗。明治に現在の場所へ移転したそうなんですが、どんな歴史があるのか気になりますが、まずは名物の走り持ちをいただくことに。 [音楽] いただきます。 うん。うん。うまい。皮がめっちゃ伸びるというか。こたっぷりこじですね。 美味しい。ありがとうございます。 ごめんね。 柔らかい。 柔らかい。 いや、だから我々は、ま、ケーブル使って上がって降りてきたけども、 ま、歩いてね、行かれる方っていうのはこっから入られるやないですか。 そうですね。 歩いて降りてきた時疲れたをね、これで言してもらえますよね。 そうですね。 ちょっとお店の歴史っていう部分をまず知りたいんですけど、 あの江戸時代中期に大津で走りっていう脇水が湧いていまして、その水を使って作ったのが始まりで、それで走り持ちと名付けられています。 東海道53付きって知ってる? はい。 知らんな。その大津の宿の絵の中にも走り持ち登場するんですよ。 あ、そうですね。あの川の浮 はい なんですけれども そちらの方で走り持ちが描かれてまして うん はい この走り持ちは刀かじ胸地下が鍛えた名党に似ておりこの餅を食べれば道中難を免がれると旅人たちがこぞって演技を担いだんだそう 大津でずっとこうお商売をされてての脇水を使って名水を使ってお餅を作って わけですよね。 どういった経緯でこの八田にところだったんですか? やはりあの東海道が国道 1 号線になったりとかあと電車が開通したりして広げの時代のような社で旅人が 休憩するようなそういうライフスタイルとは変わっていったこともあってでだんだんとそのオー津の茶店の方が廃たれていったことがありましてそれでどこにお店を移転させようかってなった時にあの水 8万宮というあの水を神様とあのしている [音楽] 親城があったこととあと京阪電車がちょうどその明治 43 年に開通して八田がすごく盛り上がっていた 時期だそうでそこでこちらにあのお店を行き継いだと聞いています。 今後まどのような形で発展させていったりとかお店のこととか考えてらっしゃいますか? 変わらずにずっとこのまま行けれたらいいかなって思います。 うん。 れてくれはったりしたにさんにお参りしたらここでお菓子食べて帰るのが楽しみやったんやって言ってくださるお客様がいらっしゃいますので、そうやってまた世代を繋いでいけるような存在にあのずっとそのまま入れたらいいかなと思っています。 うん。 今回のブラリー歴史歩きはここまで。 2人が巡った地図はご覧の通り京都男山に 鎮座する岩し水8万ゲー。平安から国家を 守り人々の信仰を集めてきた社代は現在も 訪れる人を魅了し続けています。 次回も京都府渡しを深掘り。 それではまたお楽しみに。 [音楽]
【村瀬先生のぶらり歴史歩き】#89 京都・八幡市 石清水八幡宮編(前編)
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今回の舞台は京都府・八幡市
名だたる武将が信仰した国宝・石清水八幡宮をご紹介します。
信長や秀吉・徳川家も信仰した国宝・石清水八幡宮
命が宿り抜け出した?!目貫きの猿とは?
浮世絵にも描かれた名物・走井餅に舌鼓!
村瀬先生がわかりやす~くご案内します!
出演:村瀬哲史・川岸ゆか
00:00 オープニング
01:08 国宝・石清水八幡宮 一ノ鳥居
02:43 参道ケーブルカーで男山 山上へ
06:25 国宝・石清水八幡宮 御本社の見どころ
10:11 御本社の中からしか見られない隠し葵とは?
15:18 「目貫きの猿」の彫刻に伝わる伝説
18:07 江戸時代から愛され続ける走井餅
【奈良・大和郡山市 後編】はこちら
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7 Comments
きっしゃんいつ見ても可愛い❤
ほぼ毎日登っています。ロケの時間にお見かけしました、またガッ地理のロケかと思いました。社の一部では雨漏りを起こしており、ご報謝をお願いします。
3:39
本筋から話はそれますが…
暑さ対策に首に巻かれたネッククーラー、、、ぎっしゃんは首に対し余裕がありますが先生は足りてません😂
秋山さん、お待ちしています
ぎっしゃん!パンパンやぞ。でも楽しいww
お父さんと初詣に最初最後に行った場所
男山の八幡神社
九州の宇佐神宮が総本山て聞いた
実際宇佐神宮見てきたけど似てた(・ω・)