【大阪ミナミ】「虹のまち」となんばウォーク【比較】光の広場はクジラパーク
大阪ミナミの地下街「なんばウォーク」を歩いて、かつて「虹のまち」と呼ばれていた昭和時代の姿と今を比較。関連動画 https://www.youtube.com/watch?v=67a5v5qk_Gk「虹のまち」が誕生したきっかけ 1970年の大阪万博や都市計画との関わり、 当時の広場デザインと現在のパークの違い、 開業時から続くお店まで紹介しています。
▼動画の内容
・「ナンバ地下センター」の成功と「虹のまち」誕生
・万博と都市計画に合わせた地下街構想
・光の広場/虹の広場/緑の広場 と 現在のパークの違い
・千日デパート火災と地下街の安全対策
・今も残る昭和からの店舗
・1994年の全面リニューアルで「なんばウォーク」へ改称
大阪ミナミの歴史や、昭和の都市デザインに興味がある方におすすめです。
28 Comments
なんばウォークって何もなく、無機質でどこにでもあるような平成の地下街っていう感じになってしまった。
今すぐにでも70年代の空気感が感じられた本来の姿である虹のまちに戻すべき。
光の広場は万博のスイス館のようで夢のように美しかったし
水の広場の噴水に虹が投影される様子は本当に幻想的でいつまでも見ていられた。
当時、これらがなくなったのは本当に残念で残念で仕方なかった。
小学生の時、祖父母の家へ遊びに行った帰りによく通りました。
懐かしい虹のまち🌈
今のなんばウォークのロゴに虹のまちが入っているのは初めて知りました😊
貴重な画像ありがとうございます!
1970年代半ばにCMで虹のまち
CMソングが流れてましたね
「おぉさかぁ~ミナミのぉ~虹のまち♪」
当時の落語家や吉本芸人を模した
人形が出て来て
歌は本人達が歌っていた記憶があります
虹のまちは20代の頃
当時付き合っていた彼女と良く歩きました
なんなんタウンはよく利用したのですが、なんばウォークは導線が違うので、あまり利用したことがないんですよね(電気街で買い物しても、日本橋駅までは行かない)。
かつては国鉄の湊町駅(現在のJR難波駅)がもっと北の方にせり出してたので、千日前通は今みたいに立派なものじゃなかったんですよね。
雨が降った時に使わせてもらってるなんばウォーク
55年前は景気がよかった…よすぎたんやな、と溜め息が出ます
96年ぐらい、なんばウォーク学校帰りほぼ毎日行ってました!
懐かしい✨
今、地元に戻り大阪もなかなか行けないですが、タイムスリップした気持ちなりました😊
あの頃snsもない時代
なにもわからなかったけど歴史も知れてよかったです!
ありがとうございます😊
うまく画像を作るものですねぇ。感心しました。虹のまちのほうがあじがありますね。
昔テレビで
大阪ミナミの〜
虹🌈の街 ♪
ってcm やってたな
この開業年に
クレオパトラってゆうアニメ映画見に行きました
場所はなんば大劇場
やけに裸が出て来るなと
内容がよく分からず
思春期前とはいえ
オヤジよく連れてってくれたなア と
今となっては感謝の気持ちです
(^-^) 〜 ♪
夏は店が開く前にエアコンいれてくれへんから暑すぎ。そこまでけちらんでも。
虹の街=難波ウォークは個人店の商店街のような感じでしたね デートするにはいいコースです
でも歴史のある地下街なんですね 古い映像は残してほしいです
いつも楽しく拝見しております😀
最初に流れているBGMは何というタイトルでしょうか?🙇
どこか郷愁を誘う名曲と思っています🙂
懐かしいですねー😊動画ありがとうございました
素晴らしい!生まれた地元だったので、あの頃の懐かしい記憶が蘇りました。
にじのまち無くなってたの!?
22:43 いつも通行人を数えている名物おばあちゃん
難波と言えば、「高島屋」「なんば地下センター」「虹の街」「千日デパート」と親の買い物で一緒に付いて回った記憶ばかりです。
映画は南街会館。その下にせいろ蒸しのみたらし団子屋さんがあったんですが、お店の名前が思い出せない…
名前は覚えてるけど印象が全くない
懐かしいなんばの風景、はるか50年前の子供の頃を思い出しました。
もう亡くなったおやじは当時高島屋の傍系会社に勤めていて、土曜日も出勤。で、勤務の終わる18時30分頃に待ち合わせ。
それからご飯を食べにうろうろ、旧千日デパートの横の階段から地下へもぐり、眠眠とか行ったなあ。まぶしかった光の広場は今も強烈な印象で目に焼き付いてますよ。すっごいワクワク感とキラキラ感と。地下街なのになんてきれいな!と感激しました。好きやったな、「虹のまち」っていうネーミング。今、数十年ぶりに逆単身赴任で故郷に戻り、懐かしさのあまり休日は特に用もなくウロウロしますが、私は「四国」の「かやくうどん」が一番好きです。
甘い椎茸と、だし巻き卵が載ってて、出汁が最高にうまい。もう浸かりたいくらい!こんな素敵な映像、ありがとうございました。
「お~おさか ミナミの~ にじぃの~まぁち~♬」
最近行って無いなぁ。南海難波から難波ウォーク行ったり、友達が日本橋から歩いてきて合流したり。
難波は人が少なめなJR難波駅から地下を歩いて難波ウォークに行ったりしたなぁ。
苦い思い出もありおっかないこともあったり。ナンナンタウんでは店荒らしみたいなカップルが来て暴れたりその店潰れてしまった。おとなしい店主だったのに。
また難波ウォークの中間ではぼーっと立ってたら、知らないおっちゃんが声かけてきたり。そんな場所だったんですね!気をつけないとと思ったり。
どこか梅田のホワイティ似てる。
いずれも最近行って無いなぁ。懐かしい。
先月の転職をきっかけになんばウォークの店で働いていますが、こんな歴史があったとは知りませんでした・・・。
職場の住所を見た時に「なんで虹のまちなんやろ?」って思った疑問が解けました!
素敵な動画をありがとうございました。微力ながらなんばウォークを盛り上げれるよう頑張ります。
1984年頃、虹のまちに当時の電電公社が運営する電話博物館のような施設があり、昔の電話器から当時では未来技術だったテレビ電話まで触れることができました。亡き父にせがんで連れて行ってもらった記憶があります。
マルイ青井一族マジで難波のマルイ売れや!
マルイだけ閑散してる。
私は未だに虹のまちと言ってしまうオッサン
過去が輝いて見え、現在の映像がこんなにも寂しく見える時間に生きてるんだな…😢
ラウンドワン千日前店辺りのキャバレーサンとか古いゲームセンターが懐かしいですね。
エキサイティングダービーメダルゲームがバグって1-2しか来なかった時が
3レース1-2 100倍に20枚賭け
2000枚になるが、スタッフさんがメダルがないとか😂
JACKPOTって初めて知りました。
15歳の時その辺よく行ってました。
当時虹の街でしたし、そのインテリア内装でした。
プランタンに上がってデッセジェニーに良く行ってました。
アメ村も当時よく行って服買ってました。
お決まりコースですね。
幼稚園くらいの頃、祖母と大伯母に「虹のまち行くで」とそれがどこなのかもわからないまま連れていかれたことを思い出しました。人でごった返してたので何かのイベントごとだったのかもしれません。
何の匂いかわからないけれどずっと嫌な匂いがしていたのを記憶しています。
子供の頃は能勢電の沿線に住んでいたのでWhityの前身のウメダ地下センターにはよく行ったけど、虹のまちはあまりよく知らなかったので昔の虹のまちを見れてよかったです。