「企業城下町を歩く」シリーズの第1弾
「新日鉄釜石編」です。
釜石市はもともと三陸の漁師町でしたが、1874(明治7)年この地に官営製鉄所の建設が始まって以来、製鉄の町として栄枯盛衰をともにしてきました。戦前は日本製鉄の一工場として栄えますが、街は戦災で一面焼け野原に。戦後、富士製鉄時代の1950年代に最盛期を迎え人口は9万人となります。そして1970年に新日鉄の傘下になりますが、以降合理化の一途をたどり現在では人口は半減しています。その栄枯盛衰の釜石の町並みを経済史学者とともに歩きます。

3 Comments

  1. 懐かしいです🤗
    私は小佐野社宅で昭和25年に生まれました。 小佐野小、中学校へて鵜住居中学校転向。
    父は昔の釜石富士製鐵から大橋鉱山まで往復の(機関士)この線路が仕事場でした。
    又、戦時中はビルマのインパール作戦で機関士として物資、人を汽車で運ぶ仕事をしていたので生きて帰れたらしいです。

  2. 地元民ですが、震災で街並みがほぼ全て変わってしまったので貴重な映像です。
    自分の住んでいる場所の近くも映っていて懐かしい気分になりました!

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