石川県能美市 九谷の里寺井 見どころガイド

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能美市は、2005年2月1日に石川県能美郡の根上町(ねあがりまち)、寺井町(てらいまち)、辰口町(たつのくちまち)の3町が合併して誕生しました。2025年は、能美市が誕生して20周年となります。「能美」という名称は、平安時代前期の823年に加賀国が立国した際に生まれた加賀国能美郡に由来しています。
てらかつ協議会が発行している「三十一辻(みそひとつじ)てら散歩ルート」より、以下に引用します。

 知っていますか?寺井の九谷焼の始まり
 寺井は藩政時代に、物資の集積地として加賀藩の年貢米を収納するお蔵が置かれました。そして、人の往来が多くなった旧北国街道沿いには、茶屋や宿屋が建ちはじめ、宿場町として栄えました。
 街道沿いの貧しい農家に生まれた九谷庄三は、11歳の時、口減らしのため若杉窯(小松市)へ奉公に出されたことをきっかけに、焼きものづくりに目覚めます。人一倍研究熱心で負けず嫌いな性格を活かして、各地で多種多様な技法を学んだ後、26歳の時に寺井に戻り窯を築きました。以来多くの名工を育て、九谷焼上絵の礎をつくったのです。
 庄三は器の全面を埋め尽くす細密な線描きと、多彩な色使いを駆使した「彩色金襴手」という技法を完成させました。その絢爛豪華な美しさは、明治のはじめから大正時代にかけ、寺井の綿野吉二ら貿易商たちの尽力により、万国博覧会を通じて海外から高い評価を獲得し、「ジャパンクタニ」と呼ばれて、神戸・横浜の港から世界へと羽ばたいていきました。
 こうした九谷庄三や貿易商たちの功績によって、寺井は九谷焼の生産地として一躍脚光を浴びるようになったのです。

 この動画が、皆様の石川県の旅の参考になればと思っています。では、「石川県能美市 九谷の里寺井 見どころガイド」をお楽しみ下さい。

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