広田遺跡ミュージアム開館10周年記念式典・講演会・展示物解説

え、私広田遺跡及び広谷遺跡ミュージアム は平成27年3月にいたしました。そして 共同の誇りを学び感じる教育学習の拠点で あるともに南谷町の魅力を体感できる観光 の拠点としてこれまでおよそ6万5000 人の方々にご感をいただいたところで ございます。え、私広田公園からは羽ヶ島 宇宙センターのロケット車両を することができることから歴史と未来が 交田 遺跡は南谷町が目指す、え、スペースタ 南種を象徴する特別なスポットでもあると 言えるのではないかと思います。 え、今後も広ミュージアムは継続をして その文化的価値を保存、そして発信し度 教育を推進するとに、宇宙芸術体との連携 など南種町の様々な可能性を表現するかと して進化し続ける、そういう施設であり 続けるよう 努力をしてまいりたいと存じます。え、 その意味でこの広対ミュージアムという 施設が、え、故郷の歴史を知る貴重なの前 になっているということを嬉しく思って おります。え、広体遺跡の文化剤としての 重要性に加えまして、え、フィールドと 建物がこの国体となったミュージアムを 作りですね、え、目の前にロケットと 発射場をいただく帳合、え、過去と現在と 未来をつなげタイムマシンなあの ミュージアムのこう魅力を感じずにいられ ない、え、でございます。え、自然と歴史 と科学技術を融合した場所でもあります。 え、スペースターンの南の力を凝縮した 場所であるという風に思っております。え 、私も県内外でしてまいりましたが、え、 こんなにも自然文化が融合した事案という なかなか反応でないかという風に考えます 。え、今後町民の皆様のみ、え、県内の 多くの皆様においていただきたいと思って おります。私、あの、今大立大文各物館と いうところに、あの、務めてるんです けれども、それまではですね、あの、文化 庁の方で、え、ま、全国の遺跡を、ま、 保護するあの、ま、役割をですね、になっ ておりまして、ま、この、えっと、広大石 を、え、ま、席、国の席の方にするって いうですね、あの、ですから不動産の方 です。こっちの方はですね、そちらの方の 候補後に、あ、あの、携わらせていただい て、ま、あの、小役さんとからの石さんが ですね、若か白部調査をですね、あの、 こうやってるところで一緒にこう遺跡の 評価とかをですね、するようなですね、ま 、そういうあのことをやってきたものです 。ま、丁寧して、ま、やにいるという問題 です。記念の式点に、ま、参加させて いただいてるわけですの。これを次の世代 にどうやって、え、つげていくのか、遺跡 を紡いでいくのかっていうですね。これを ですね、是非、え、この式点でお祝いは するわけなんですけども、じゃあどうやっ て具体的に子供の世代、次の孫の台にです ね、伝えていくのかっていうことを一緒に ですね、こう考えるそういう機会に、でき たらいいんじゃないかなという風にも 合わせてですね、思ってるところです。 広大ニュージャム 会館10周年記念の講演会を始めさせて いただきます。え、それでは大阪府立やい 文化博物館長ネ田義夫先生をご紹介させて いただきます。ネ田先生は兵庫県生まれで 大阪大学文学部を卒業後、大阪府教育委員 会に所属され、大阪府立やい文化博物館 学芸院として従事された。 阪神淡路大震災の復興調査をご担当し兵庫 県教育委員会へも出行されていらっしゃい ました。その後文化庁文化財保護部、記念 物化文化財調査官、さらに主任文化財調査 官として全国の埋蔵文化財政に携わって来 られました。その後令和元年4月に大阪 府立やい文化博物館長に就任されました。 また南種町が平成17年度から18年度に 実施した広田遺跡ハ掘調査の際には広田 遺ス調査指導委員会にオフザーバーとして ご参加いただきその後の国席指定に至る までご指導ご助言をいただきました。 本日は広田遺跡までの歩みとこれからの可能性というテーマで全国の遺籍の活用の取り組みの事例を交えてご講演 いただきます。 今日のお話なんですけれども、ま、あの改めてではあるんですけれども、ま、広席ってすごいんだよっていうことをですね、お話をした上でですね。 で、え、この広大石はですね、ま、国の席 になってるわけなんですけれども、ま、 日本の歴史を語る上で欠かせない遺跡なん だということですね。このことを2つ目に お話をしたいと思います。え、そしてです ね、3つ目はですね、大体席いろんなこと を活用の取り組みをですね、ま、あの、さ れているんですけども、皆様方はこれが 当たり前だと思っておられるんですね。ま 、あの、2人が頑張ってるからどっこ違う んですよ。こ、皆様方は 滅多に経験できないようなことを日常で 経験できているんだ。要するに他の自治体 の人たちか市民国民からしたらですね、 羨ましいと思われているところなんだと いうことを少しお話をさせていただきたい と思います。で、ま、今まで、ま、 とにかくこの10年間ですね、ま、頑張っ て来られたわけですけれども、ただ、ま、 あの、ま、日本はですね、ま、人口、現象 社会に向かっていくんだというこの、え、 現実をですね、ま、目を背けるわけには いかないと、ま、あの、いろんなですね、 あの、蝶が出しておられるあの計画なんか でもですよ。このことを、ま、あの、真剣 に、あの、え、真剣に、ま、取り、それ 課題をですね、対して、ま、向か、え、 向き合っていこうっていうことは分かって いるところですけども、ま、あの、私なり に、ま、考えてることを述べさせて いただいて、 ま、最後にですね、ま、これから遺跡と ミュージアムをどうしていくのかという ことについてですね、ま、お話を、え、さ せていただきたいという風に思っていると いうことですね。195年に発見された八 時代から古墳時代にかけてのですね、え、 集団埋葬席だと。ま、あの現在の研究で 言うと、ま、おそらくやヨ時代からですね 、古代6世紀、7世紀までですね、入った 時期が大変長い。それこそすごく長いです ね、期間。え、この1つの場所で左球で 墓地が営まれたと あんまりないんですね。ほとんどないと 思うんですね。で、しかも後でまた言い ますけども、古墳のような噴がないわけ ですね。そういう中で、え、でもたくさん の会製品を持っているすごく特殊なですね 、あの、方々がいたんだろうっていうこと なんですけど、あ、先に言ってしまって ますね。ま、昭和の発掘で、え、この3 年間でですね、え、前時代から古墳時代の 人骨が157体、そして4万4000点の 、ま、改正品ということですね。で、人骨 と改正品から、ま、いろんなですね、この 、ま、あの、日本で言うと、ま、南の方の 地域もですね、人々の、ま、 人の成立ちです。定質ですねから文化修族 風俗とかですね。そういったのことが 分かるということですね。こういう、ま、 特徴を持っているんだということですね。 いや、これ本当ね、あのこの岩に感謝し ないといけませんよね。これ近く変動で 移動してるわけですね。これ本来はここに あったはずですよね。それが動いてるわけ ですよ。だからこれ見えるわけですね。 ロケット発射台がこれね、いや、もうあの 全国の公演会の時にはこのに感謝しましょ うって言ってんですけどね。あのいやこれ 本当によく動いてくだと思いますよ。これ 広田遺跡のためにで、あの南町のために 動いたわけですよね。これえて遺跡と宇宙 を結ぼうという地域作り のコンセプトじゃないですか。これこの岩 に我々というか皆様方はですね、大に感謝 をしなければならないという風に、ま、 思っているところでございます。ま、昭和 の時のですね、あの発掘風景ですよね。え 、そして、え、こういう意思でですね、あ 、埋葬した後ですね、え、意思をですね、 ま、周辺に加工うというですね、あ、お墓 の構造、こういうものは、え、な、この 辺りしかないんじゃないですかね。私は あまりあのこちらの地域のですねことの 研究はしていませんけれども大変ですね的 なですねあの まお墓作りでも 足は曲げてるわけです。屈あの教科書でね 縄文時代あの人々は屈走だっていう話を あの習ったと思いますけれどもやっぱ足は 曲げてるんですね。で、じゃあ平等かって 言ったら平等じゃないんですよ。こんだけ のね、改正品をたくさんこう身につけて いる、身につけていた。ま、あとは ひょっとしたらお墓埋葬された後こうあの 放り込まれたものもですね、あるのかも しれませんけれどもですね。ということ ですね。 ま、あのこういう風にで 人骨の残りが大変よろしいということです ね。あの広田の人たちは虫歯になってない みたいですよね。 無駄なです。私なんかね。で、あの務人までとか人結構ね、虫でね、死んだんじゃないかと思われるような人もいるんですよ。思想もすごいしね。あの、歯は磨かないわけですよねと。あ、磨いてないと思います。ま、少なくともあの我々は思うような形では磨いてないはずですよね。だから結構芝ば歯になってるんですよ、昔の人は。 でも広田の人ってあまりじあ全部ね骨も見 たらあ、骨は歯は歯歯見たらどうなのかな と思ってで展示してあるやつは本当にあの 歯が綺麗なんですよね。ていうことはどう いう食生活だったのかってことも知りたい ですよね。でそうするとでもそれもね人骨 が残ってるとそういうことも分かるわけで いろんなですね あのこの広田席にはま残されているんだと いうことですね。で、えっと、遺跡は、え 、私跡になったと。で、異物は、ま、重要 文化剤になっているということですね。ま 、あの、山路だという風に言われていた もの、これはあの私のですね、目ジメの方 にも書いておきましたけども、ま、現在の ですね、ま、研究ではですね、これは結果 として山字のように見えただけで山字では なかったと。あの、このこういうですね、 海のですね、紋用が薄れて、あの、薄り 減ってで、え、結果として1番深い深く 刻まれた模様が山の字のように見えただけ で、これは、ま、山の字ではないんじゃ ないかという、ま、あの、研究が 20、え、え、230年ぐ、30年ぐらい 前ですかね、あの、あって、ま、あの、 おそらくそれが、ま、あの、正しいんじゃ ないかなという風には思うんですけれども 、ま、あの、名の字だった可能性も もちろんないわけではないということ、ま 、いろんなですね、研究が今なされている んだということですね。ま、龍の形をした 改正品なんかもあると、これ竜の形をした 改正品だという風にキャプションには書い てありますけども、竜を表してるかどうか は分かんないですね、残念ながら。あの、 古大臣の心で古大臣の世界に我々はその ままあの、こう入り込むことできませんの でね、たまたま竜の形に似たあ、ま、改正 品なので、えっと、ま、あの、え、なん、 流型俳用品でしたかね。で、ま、交互者が つけているだけなので、ま、その辺の ところはね、あの、小白さんとか石堂さん ね、あの、ご説明を聞いて、古代の人が 留和してたのかどうかなんていうこともね 、あの、こう、個人的にでもですね、あの 、お聞きになられて謎のとにかく多い改正 品なので、え、色々ですね、皆様方もお 勉強をですね、な、え、なさっていただい たらいいんじゃないかなという風に思い ますね。で、えっと、平成の発掘っていう ことですね。これは、ま、あの、昭和の 発掘から約50年ぶりの調査ということで 、え、新たにですね、広田川の広田川に ですね、貿易が発見されたということで、 遺跡のですね、範囲が拡大をしていったと いうことですね。 ま、こういう調査で、で、えっと、昭和の 発掘がこの南側で行われたわけですね。で 、平成の発掘が北側で行われて、で、この 広田川があって、さらに、え、北側の方に もですね、遺跡が伸びているということで 、ま、あの、場合によってはですね、 こちらをもっと調査をしていくとですね、 あのね、いろんな成果が出てくるとこっち の方もね、あの、将来ですよ。ま、それ ってのはもうあの10年か20年て分かり ませんけども、ま、あの小白さんと石田 さんの次の世代ですね、次の世代が追加 指定をしていくという風なこともですね、 あのひょっとしたら起こり得る可能性が あるということですね。つまり広体積は ですね、国の席であり重要文化剤があるん だと要するに不動産と同産動産不動産共に 国してっていうのはこれはそんなに たくさんあるわけじゃないんです。皆さん 当たり前だと思って、あ、当たり前だとも 思ってないかもしれませんけれども、いや 、重要文化罪はね、このミュージアの中に あるって羨ましいです。広大は南種町が国 の席にしたわけですね。で、え、重要文化 剤にもしたわけです。だすごいことですよ 、これも。で、それを次の世代に伝えくと いうことが、あの、重要なんだということ ですね。で、人骨が良好に残ってある。 さっきね、虫歯の話もしましたけれども ですね。で、ま、あの、骨折の痕跡とか ですね、なんか変わるやっぱこれ、あの、 やっぱ戦い、遺会はあったんだということ だろうと思うんですね。平和な、必ずしも 平和な社会ではなかっただということも 可能性としてありますし、それからですね 、そのストローチング分析っていうのが ですね、今行われてるようなんですね。で 、これはですね、出身地が分かるんです。 で、広の場合もね、後でまた言いますけど も、なかなか集落跡が分からないわけです よね。で、え、人によってはですね、 種ヶ島以外から来たんじゃないかとかです ね。種ヶ島の中でもね、あの、えっと、え 、西の表とか中種とかですね。そっちの方 の集落の人たちがあそこに、え、和墓だけ 作ってたという可能性もあるわけなんです ね。だからこれね、種ヶ島の問題として 将来はですね、将来はあって、ま、明日 からでいいんですけども、ま、調査をね、 やっていく必要があるんじゃないかなと いう風にも思ったりもしているんだという こと。依前にしてもですね、この、えっと 、スロンチム分析っていうのが、え、行わ れることによってこの人骨からひょっとし たらですよ、先に出身地が分かると、ま、 そっちのあの、ま、中だったら中谷掘って みようかなんていうこともですね、できる かもしれないということなんですね。はい 。で、え、日本の歴史を語る上で、え、 欠かせないのが広定席だということでです ね、え、八田研究に欠かせない績だって 言いましたけれども、なぜかと言うとです ね、外設首相書相が研究書にはですね、 必ず掲載される責任ですね。で、我がやい 文化博物館はですね、一応って言ったらあ 、や文化の専門家官なんですね。博物館で もですね、広大のことはね、展示をして いるんだという、ま、この現状を先にです ね、ま、ご紹介をしておきたいと思うん ですね。そういう中にですね、開封がね、 え、こう紹介されたりですね、この人骨ね 、さっきを示ししたようなですね、え、 写真がですね、この関東のこれちょっと 古いのでカラーじゃないんですけどね、 あの、こういうのがあるわけですね。で、 田ぼ野の遺跡っていうので西日本編にも ですね、ま、あのこの遺跡に関わられた ですね、木座先生がですね、広大石の紹介 をされていると、あるいは八人の造形とか ですね、古代の予想いなんていうところで ですね、この広大政府にですね、あの会話 とかですね、開封が載っているということ なんですね。ま、要するに高科学やってる 人はみんな広大のことは知ってるという ことですね。で、え、日本文化、日本の 歴史の中でですね、え、この多様性って いう問題ですね。これを考える上で、え、 ま、欠かせないのが広大なんだということ です。で、このことを少しご説明をしたい と思うんですね。で、ま、ま、あの、広田 席が始まるのは、ま、やヨ時代ということ になるんですけども、じゃあやヨ時代って いうのは、ま、どういう時代なのかという ことなんですね。で、本州の大半にはです ね、水電作が始まって、ま、金属機の仕様 が始まるのが、ま、やヨや時代だという ことなんですね。ただし北海道と沖縄には ですね、あ、沖縄とか南東ですねには水電 なは、ま、伝わらなかったということです 。ですからやい時代にはやい文化ですね、 水年な文化のことが野文化っていうやい 文化と北海道、北海道はあの俗縄文化と いう風に言うんですけどね。それからなん とこれはあの海塚文化という風に言うん ですけども野代には野い文化とから北海道 の 族縄文文化とから南のえ 海塚文化とこの3つの文化が平存していた 時代っていうのがやる時代だということに なるんですね。ま、あの、義師は人殿って いうね、あの、中国の歴史からあの、ま、 読み込んでいきますとですね、え、ま、 大体13歳から18歳ぐらいの間に、ま、 だから高校生ね、高校生ぐらいの女の子が ですね、え、ま、この山大国の、ま、女王 に、ま、拠居されたということに、ま、 なるんじゃないかということですね。この お2人がですね、この広大石をですね、え 、初期の昭和の広大の発掘にこの2人が 関われてて、今あのこの色々やって くださってる方2人がですね、平成の発掘 をされてる方々ですね、八時代にトライ人 がいたんだということを、あの、初めて ですね、学説として提示されたのがですね 、この金関竹夫先生で、え、その息子さん が金浩先生で、え、このお2人もですね、 この広大のですね、昭和の頃のですね、白 調査に、ま、関わられたということですね 。今まではですから私もですね、その水年 はやりとか古墳に出てこないんじゃないか なという風に、え、思ってたんですね。で 、実はですね、レジメを選手で1回小学生 に送ったんですね。いや、そしたら、いや 、実は見つかったんですっていう話をされ てですね。えっと、行かれましたかね? この、え、乃木、え、乃木遺跡ですか?や の水跡が見つかったっていう。これは 面白いですね。面白い。いや、あの、あっ ていいはず。あ、なくてもいいんだけども 、あってもいいかなと思ってたのがあった ということなんで、これはですね、これ からやっぱしっかりとですね、ま、調査を ですね、やっていただきたいとこですね。 ただにし文化は展開しなかったんだろうと 思うんですね。独自の文化が開いたのが 広大で、え、その文化の内容をですね、ま 、もう少しですね、これから解明をして いっていただきたい。これはあ、大変重要 な研究課題だという風に思いますね。 ま、でもね、謎も残るんだということで、 ま、墓地をね、残した人々はどんな暮らし をしてかの分からないわけですね。これは 是非ですね、あの、田中島の方々あ、南種 だけじゃなくてですね、田中島全体の課題 として、え、これは是非ですね、やって いただくことが、ま、重要かなと思ったり もしますね。田中島以外の地域で作られた 時も広大席で出てくる時には含まれてるん ですね。だ、そうすると交流があったと いうこと、人の動きが移動があったという ことですね。そうするそれがどこの地域な のかっていうことになると、あの広大の ですね、え、思想者がどこの人たちと 繋がっていたのかっていうことがですね、 これは科学的に分かっていくということ ですね。いや、これね、本当にね、感動的 なね、シンボジウムだったんですよね。 え、広大席の謎にまるということでですね、こういうシンポジウムがあってですね、これね、あの、ご覧になっていただきたいんですけども、高古学的なね、話があるのはこの木下先生の話だけなんですよ。 子供とか地域をね、え、大事にしたシンポジウムっていうのはですね、これやっぱりそんなにいろんなところでですね、行われてる。 どちらかて言ったらどうしてもね、何々 先生の講演会っていうのがメインでこう いうね、子供たちがですね、出てくるあの 進事なんかはそんなにないんですよね。 あのでもなんかこの芸術家とですね、子供 たちが一緒になってですね、この開封 なんかをですね、まあなんかこうやろうと したんでしょうかね。ま、こういうですね 。で、それに、ま、宇宙も金合わせて イベントをやっているんだということです ね。文化財だけでですね、頑張ってても ですね、やっぱ減価があるのが現状だと 思うんですね。なので、え、文化財部は ですね、役場全体で文化財を保護する環境 意識をですね、ま、作っていくっていう ことが重要だし、で、地域住民の方々が もっとですね、ま、文化財保護に、ま、 参角をしていくようなですね、形でやっぱ 今までのやり方を少しでもですね、変えて いかないとなかなかですね、あの、文化財 の保護っていうのはこれから、ま、うまく いかなくなっていくんじゃないかなという ことです。で、これからの広対 ミュージアムということで、で、え、昨年 ですね、え、南種町はですね、え、 デジタル電園都市国家構想、え、総合戦略 というですね、これ素晴らしいあの計画 ですね。やっぱりあの未来と過去、え、 宇宙と広対積をですね、使った、ま、 地域づりをされているも目指そうという ことでですね、これも第1章のところから ですね、え、宇宙歴史文化の町とかって いうことも書いていただいてるわけですね 。でもこれはね、なかなかね、この自治体 のそういう計画のね、第1ページですよ。 第1ページに文化財とか文化を入れてると ころていうのは、あの、そうないんじゃ ないかなという思うんですね。鉄方の町、 そして国指定の、え、広田っていうですね 、ま、そういう風なところで、え、これ からですね、え、種南種町の目指す姿と いうことでですね、え、この広対石をです ね、え、こう的確にですね、位置づけて いただいてるっていうこと。これは大変 あの文化財部局のものとしてはありがたい はずなんですね。これからはですね、え、 今まで以上にですね、ま、あの、この地域 の皆さんが主役となって、え、公園とか ですね、ま、ミュージアムを、ま、守って いくということが、ま、重要じゃないかな という思いですね。で、その中で、え、 広大席語り辺の会っていうのはですね、ま 、出来上がってると10年前に出来上がっ てるとですね、これは是非ですね、続けて いっていただきたい、ま、続く組織であっ て、で、何をしてきたかっていうことも やっぱ記録に残していくっていうこと。 これは語りの会の方々のこれからの重要な ですね、役割、あ、役割っていうかですね 。それで、え、自分たちはこの広大に 関わったんだという即を残すっていうこと ですね。これ重要なことなので、あの、 是非ですね、ま、やっていただきたいなと いう風に思うんですね。語り上の会がです ね、自らが調査をするっていう、これも 重要なことなんですね。あの、これは別に 語りの会もやったらいいし、語りの会じゃ なくてもですね、やったらいいことだと 思うんですね。調査は教育委員会の人だけ がするもんではないんだということですね 。こういうこともですね、是非ご考え いただいてですね。で、え、思うのはです ね、やっぱりこのミュージアム場がある わけですよね。この場があるってことだけ でも素晴らしいことで、しかも立派で綺麗 でね。で、え、ミュージアムがですね、 地域の皆さんとで環境が集まる、ま、 賑合いの場として、ま、重要だと思うん ですけども、ま、そういう場にですね、 是非皆様方で改めてですね、やって いただきたいんですね。でも重要なことは 遺跡好きは遺跡好きの方って少ないはずな んです。 人口の中で言うと問題はて特ね遺跡の関心の人もねやっぱりあのこうな 得意分野で決収できるようなイベントなんていうのを作られたらどうですかね?例えばですけどね、ま、遺跡の好きな歴史好きな人は遺跡やったらいいですよね。引き続き物作りの好きな人がっきのね実際に作ってみたらどうなんかいことですね。 あとはお料理が好きな方は古代食を復言 する、ま、どういうものを食べてたか材料 は、ま、広体的にはないかもしれません けども、鹿児島県にはですね、たくさんの その蓄積がありますからですね、そういう のはやってみるとこですね。写真付近の方 は写真コンテストとかですね。で、さっき の外国語が得意な方はですね、ま、外国語 のガイドを育成するとかですね。ま、そう いう企画が好きな人はですね、得意な人は 遺跡祭りを企画するとかね。ま、年に1回 とか2回とかなんかそういう人が集まる場 をここを中心にね、やっていくでそこには こう言ったように遺跡が普段関わらない ような人もね、こん中に巻き込んだらいい んじゃないかなと思うんですね。ま、広体 設計ですね、地域づり、え、人作りの場と してですね、これ皆さんで末長くですね、 ま、変がっていただきたいなという風に 思います。え、ご成聴ありがとうござい ました ちょっと遠いですけどもですね、次はAM でお待ちしておりますので是非よろしくお願いいたします。ありがとうございました。使やっぱ貴重なのは重です。 [拍手] 非常に貴重なものではあるのでそれを手に入れてやっぱりそれその貴重なものをこういう彫やっぱその大 その鉄を変えるほどのまま在力じゃないけれども他に変わる何かを持っていた ということですねそれを手に入れるための何か力な材料を広たは持ってこれは解散物とは限らそれは解散物は限らそれがひょっとした [音楽] かもしれないし、なんなら、ま、この、え、この改正にむかもしれない。ただしこれは今の絶対考えられないです。 [音楽] 墓の上に墓を人の墓の上にいたら下の年の前体から [音楽] 大たからわからんからじゃん。 多分じバの 新水でそれもわからんので実は愚かからほとんど心からとかてるんですよ。 [音楽] それが非常に珍しい。 もうこれはそれこそその時日本でも使える [音楽] しか頭にこう回すように選ばれし まやっぱりなんかこう大事だったんですよね。 物にそのそんだけ大事なものをちゃんと一緒に入れてあげるというもの 大シンプルになって これどうやって身につける これはですねおそらく身につけないで消する時にまお守りになりおして消えてただろうという風に言われなくな [音楽] ね、この遺跡はなくなってるので本当に本当はこれがどんな思いかは高校学ではよくわからないですけど、 [音楽] [音楽] ただあのさっき根田先生の解説にもあるように、 え、左、 大体人間っていうのがこういう模様を、 [音楽] え、作るのはなぜだろうみたいな研究がちゃんとあって、 それは当然あ 人が 自分たちがどんな人族、 え、どんな、え、風に自分たちはこの世に生まれてみたいな神話を持ってて、大体なぜ今生きていて料金になったらこの方法で直さなぜなのか物語それはもう残ってないわかんない。 わかんないんだけども、こういう問に刻まれてる、あの、海に刻紋にはそういう自分たちのシマーが込められてる。 だから他にない不思議な形をしてるんですね。 これをこれは表してるんですけど、 あ、右の元にで これが長には これが全て広田人がまったやにっていました。 [音楽] 本当言われないと。 あ、こっち頭だった。 そうなんですか。 ええ。 あ、であれ巻いてる感じですか? [音楽] と呼ばれる音 もうすでにこういう字がちょっと違うけどね。 はい。はい。はい。はい。はい。はい。はい。は、政府にちゃんと知られた島だったんだよと。 あ、そうなんだね。 で、ここにね、 犬が常に常に うん。 いかがなりじゃん。 懐中にあり、髪を切れて高校の人たちの当時のことをちゃんと書いたものがある。 [音楽] あるわけやな。 種がしまってそういう時代からもうすでにこあの豊かな島あの国があるよということを書いてあるです [音楽] ということはもうあの政府ではもあ把握しとったわけですね [音楽] でそんな豊かなところを掘っとくわけはないでしょ そうやな。 うん。 じゃあちゃんと統知してみ。え、この字ってのは当時書いた人たちの字なんですか? [音楽] いやいや、ま、こういう字、あの、とかその前の人たちはこういう風に書いていた。 あ、島です。そう、 そう、そう。 え、これ 種ヶ島て入なんです、これ。 え、そうなんですね。知らなかった。 はいはいはい はい。 677年。あ、沖縄 種の島って言ってたんです。種の島 [音楽] わけなしな ですよね。本当に この人の歯を持っていって うん。うん。 調べたんです。 へえ。 そしたら言葉が分かってきた。分かってきた。 うん。綺麗。綺麗や。歯が 歯磨いてた。 どこだって もう西のから来てる人らしい。 [音楽] ええ、あ、本当ですか?え、 あの、これ、この人の派じゃないと。 うん。うん。

2025年(令和7年)8月31日(日)、種子島の南種子町広田の広田遺跡ミュージアムで開館10周年記念式典・講演会が実施されました。その式典、講演会、および展示物解説の模様をダイジェストで紹介しています。この動画の中には、式典での南種子町長、熊毛教育事務所長、大阪府立弥生文化博物館館長禰冝田佳男氏のあいさつ、そして、禰冝田佳男氏の記念講演「広田遺跡の歩みとこれからの可能性」、講演後の展示物解説などをダイジェストで収録しています。
撮影・作成=ふるさと種子島
サイト「ふるさと種子島」
掲載ページ「南種子町平山広田の地域情報 – ふるさと種子島」
動画の中には、二次元コードを挿入しています。
QRコードは株式会社デンソーウェーブの登録商標です。
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