【鴨神社】山陽小野田市 2025年06月04日

以下、山口神社庁HPより抜粋 ⇒ https://www.yamaguchi-jinjacho.or.jp/sanyo-onoda/kamojinja/
社伝によると、推古天皇二十二年(六一四年頃)百済国聖明王の第三の王子、琳聖太子(大内家の元祖か)は、天皇に御対面の為都に上られた。御母君の皇后(聖明王の后)は、愛憐の餘り太子の御跡を慕われ、大和の朝廷に向けて船出された。同年乙亥四月中牛日、(宍戸)長門国白江の浦(梶浦)で御船の揖が折れたので、そこの川辺を伝い登られると、水際に巌(皇后石)があったので、そこでお休みになった。麻かい(苧麻)で、仮の庵りを造って一夜を明かされた。あくる朝、召されていた御履が見あたらないので、お供の者に尋ねさせると、川上の久津(沓)にあった。それでそこに御殿を造られ、都の太子とは幾度となく音信されたが、会うことかなわず、舒明天皇三年(六三一)に崩御された(現在、その跡地として沓の多目的公園の中に陵がある)。平安時代の大同三年(八〇八)四月、白鴨二羽が飛来し社の中に入り、「神号がない」との神の「おつげ」があった。そこで大内氏に言上して、京都の朝廷から勅許の上、下鴨社の梨木家によって、同年七月履(沓)の里に御分霊を奉遷して鎮祭され社殿を建立する。その後、鎌倉時代の建久七年(一一九六)、室町時代の応仁三年(一四六九)、江戸時代の元和四年(一六一八)、万治三年(一六六〇)に再建がある(旧郷社)。

場所:山陽小野田市
    https://maps.app.goo.gl/21VfrhHMZoRi2j5Z8

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