懐かしい町並 今治市菊間町浜 愛媛県
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今治市菊間町浜は高縄半島北西部、菊間川河口部に位置し、旧今治街道に沿った町並みである。
江戸期を通じて松山藩領で、大規模な開発は殆ど無かったが、沿岸部の浜村では製瓦・漁業が発展した。港にも瓦船の出入りが盛んであり、問屋・商人・職人などが多く、町並みを形成していた。村方であったが宿場にも指定され賑わった町であった。
文政4年(1821)には家数339・人数1,920。天保9年(1838)には家数369。嘉永3年(1850)の家数401・人数1,688と増え、明治13年には家数507・人数2,567となっている。
粘土瓦の産地として知られ、安永7年(1778)以来27の瓦株に制限されて藩の保護を受けていた。慶応3年(1867)には製瓦の燃料の松葉問屋が5名も居住していた。
菊間瓦の納入先は文政元年(1818)京都御所、弘化2年(1845)大山祇神社、文政3年~安政元年(1820~54)松山城、明治元年から4年広島藩10万枚、明治16~18年皇居14万枚など。
また、浜村は藩の水主役を担っていたので、その代償に漁業権を補償されていた。船稼ぎも盛んで文政4年(1821)には廻船などの商船が30艘、他に天馬船28艘を所有していた。
今、町並みを歩くと、旧今治街道に沿って古い町並みが展開している。大型の商家建物も散見できる町並みで、在郷町的な性格を持った町だったのだろう。江戸時代に遡ると思われる建物も見られるが、殆どは明治に入ってからの建物と思われる。
町並みは統一されたものでなく、中2階建て・2階建ての切り妻造りだったり入母屋造りだったりするが、殆どは平入りの建物であった。
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音楽:中北音楽研究所
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