徳島県 吉野川市 藤井寺(ふじいでら)

駐車場料300円を払い本堂へ。
事前調査不足で、本堂の薬師如来が国の重要文化財に指定されており、平安時代の銘が残っていて、四国霊場で最古の仏像ですであること。兵火でも火災でも焼けずに無事だったため、「厄除けの薬師さん」として信仰されていること。本堂天井には約30畳の広さの龍の天井画があることなど知らずに行ってしまい、もったいなかったです。

本堂左側には12番札所焼山寺までの「遍路ころがし」と言われる12.9kmの登山道がありました。
阿波の難所として”一に焼山(寺)、二にお鶴(鶴林寺)、三に太龍(寺)”といわれてるそうです。
昔の参道が残るのは藤井寺~焼山寺のルートのみだそうで、健脚5時間、平均6時間、弱足8時間といわれる難所とのこと。 -とくしま御朱印ナビより-

ご本尊:薬師如来
四国八十八箇所第11番札所。 ※四国八十八箇所のうち、寺号の「寺」を「てら」と読むのは本寺だけである。また、御朱印として押される寺号の印は正式名の「藤井禪寺」である。

弘仁6年(815年)に弘法大師がこの地で自らの厄祓いと衆生の安寧を願い、薬師如来像を刻んで堂宇を建立、山へ2町入ったところの八畳岩に金剛不壊といわれる護摩壇を築き一七日(7日間)の修法を行ったのが開創であると伝えられる。このとき空海が堂宇の前に藤を植えたことから藤井寺と号したという。 以来、真言密教の道場として七堂伽藍を持つ寺に発展した。
天正年間(1573年 – 1592年)に長宗我部元親の兵火によって焼失した。澄禅(ちょうぜん)の『四国辺路日記』(1653年巡拝)には「三間四面の草堂也、仏像は朽ちる堂の隅に山の如くに積置きたる……」と記される状態であったが、延宝2年(1674年)に臨済宗慈光寺の南山祖団禅師が再興し、それゆえ臨済宗に改められたが、天保3年(1832年)に再び火災によって本尊以外は全焼、その後万延元年(1860年)に再建されたのが現在の伽藍である。

四国八十八カ所霊場會HP
https://88shikokuhenro.jp/11fujiidera/
WIkipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E4%BA%95%E5%AF%BA_(%E5%90%89%E9%87%8E%E5%B7%9D%E5%B8%82)
とくしま御朱印ナビ
https://tokushimagoshuin.com/tokushima-fujiidera-goshuin

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