【4K動画】【民俗学の父の源流はここ利根川にあり~柳田國男記念公苑】國男少年は若き日の3年、祠の不思議の玉や徳満寺の間引きの絵馬に心を震わせ、土蔵の文献を読みあさった。その青春の地が利根町布川に残る。

なんか ああ、そうなんですか。 そう、見えましたね。 いや、これはどっか行っちゃうね。 どっかに [音楽] さて、今日は JRの成田線、千葉県のア市にあります。 駅に降り立ちました。さあ、今日はどこ 行くんでしょうかね。ま、小さな静かな駅 です。 駅前にマップがありませんのでね、 スマホナビを使って目的地に向かいたいと 思います。 さて、今日行きますのは 柳明田国王記念公園というところになり ます。 柳北国をと言いますと、 日本の民族学の父と言われる偉大な学者 ですよね。私がやっていますコ民化探索に も関係が深いと思うんですけれども、 その柳田国ですが 兵庫県出身で生まれてから10 3歳の頃にこちらの 方に 状況してきました。 実の兄を頼ってきたんですね。ま、その後 家族もこちらに移り住んだということだ そうなんですけども、その 国が3年間過ごしました住居が残ってるん ですよね。ま、多少立て替えられているか とは思うんですが、土像が残ったりもし てるらしいんですね。そこで3年間書物を 読み漁った、ふけったという風に言われて います。ま、彼の民族学に対する 、え、興味がね、え、この頃に出来上がっ たんじゃないかという風に言われています ね。で、周辺にはそれ以外にも 柳国をに関係する場所もいくつかあるよう ですので、そこも尋ねていきたいと思い ます。それでは出発進行 と 元気のいい異勢で 出発しましたが、 草の駅から30分ちょっとぐらい歩くん ですよね。え、実は千葉県側にはありませ んで、ト側を渡ります。そして茨城県側に 行きます。暑いですが少し歩きます。 今日はお盆の16日なんですけど交通量が 多いですね。 さあ、ト側 に出てきました。 ここを渡りますと茨城県になります。 この橋は坂江橋と言いますね。 ご覧のように [音楽] ト川は本当に大きな川ですね。高江橋を 渡って 茨城県に 入ってきましたね。ここはト町ですね。 柳年 も きっと ど側で遊んだんでしょうね。当時はこう いった大きな橋がありませんので私で おそらく網孫子側にも渡ったんじゃないか なという風には思いますね。 [音楽] 大きなお寺さんですね。相当州大健二寺。 [音楽] これ赤門というらしいですね。徳川イエア ゆかりの門と書いてありますね。 ト町指定し跡深川塚ああ縄文時代公番機の 遺跡がこの辺に見つかったらしいですね。 さあ、もう少し歩いていきましょう。半分 ぐらい歩いてきましたかね。 こういう風に今でこそ 住宅がね、立ち並んでいますけれども、 まあでも当時の名残りのカオと言いますか 、雰囲気が 少し残っていますかね。 さあ、そろそろ到着するんだと思うんです が見えてきましたね。ああ、これでしょう 。旧小川後と書いてありますね。ここに 柳北国が多な少年時代を3年ほど過ごした ということ のようですね。ここに柳田国記念公園と 石油があります。 [音楽] ここに案内版がありますので読まして いただきます。柳国記念公園の由来。民族 学者の柳国王がまだ松岡生だった少年の頃 。すなわち明治20年生まれ故郷の兵庫県 福崎町を後にここ深川に来て過ごした。 小川家にはすでに兄が離れを借りて異業を 営んでいて、そこへ引き取られたのである 。ト町が第2の故郷と言われる遺縁である 。気流は3年らずだったがその間に検文し たことがやがて民族学への海岸につがった と言われている。国は自分の腰を帰り見て 3回の独読時代があったという。1回目は 生まれ故郷にあった頃大正屋の三家に預け られた時 2回目は岡川家の土蔵に蓄えられた満カの 書に接した時 3回目は内閣文庫に記録課長として出航し た時である。小川家は代々学者だったので 書籍の数は帯び正しく と分け国にとって特起すべきは赤松相タ著 のト川寿司との出会いであった。 この時大いなる興味を持って読んだ国は 後年この本を皇帝復刻している。さらに 特寺の自蔵に掲げられていた水子エマに心 がここまた小川家の宇神の玉に神秘を体験 した。国は天与の支出に恵まれ乗民の 暮らしに独自の考察を与え、民族学という 新しい分野学問を視し、昭和26年文化運 を受賞したのである。 その業績を称え、記念としてこの公園は 設置されたのである。ト町教育委員会。 そういう風に書いてありますね。 それでは行ってみましょうか。こちらが表 ですかね。 [音楽] 見学をご希望の方は右手側駐車場の管理室 までお申しくださいと書いてありますね。 管理室にお声をかけましょう。ほお。 奥に土像もありますね。 管理室で受付を済ませてこういった パンレットをいただきました。 入間量は無料ですね。ただ貸出しも行っ てるみたいですね。有料でね。今日は静か ですから貸出しはないのかしらね。これが いわゆる岡川家のモヤですね。 [音楽] 外側を一回りしてみましょうかね。 まあ、 明治時代の建物ですから、こんな感じ でしょうかね。ああ、後ろ側にあれですね 。 小高い 山がありますね。おお。いや、いい場所 だったでしょう。はあ。 いや、これすごいですよ。 おそらく小川家は地元の名さんだったん じゃないですかね。 あ、ここに 小川家の内神がありますね。あ、これが 国が 神秘体験をしたという祠ですね。 [音楽] いやあ、後ろが 小かい雑切りになっていて いい雰囲気ですね。 そしてこの祠の右手に 土像がありますね。資料館になってますね 。入れると思いますので後ほど入ってみ ましょう。 [音楽] 国の世く正常にあった 山の苗木を こう気造を受けたものらしいですね。 それでは中に上がらしていただきます。 はい。お邪魔します。 [音楽] おお。 [音楽] この写真はいずれも この近くの特寺で取られたものみたいです ね。 後ほど寺に行ってみましょう。家族の写真 がね、上に貼ってあります。 [音楽] 国おさんは利コソな顔してますよね。 さあ、ドドンと上がっていきましょうか。 あ、 え、もういきなり 座敷の方に入ってきました。部屋が結構 いっぱいありますね。へえ。 ランマも ああ、ランマいいものが付いてますね。あ 、この写真は大正10年の写真ですが、 真ん中が柳田国をですね、この部屋で取ら れたものですね。柳国は元の苗字は松岡生 なんですよね。この年柳田 生に陽当時大新半事であった柳直平の元に 入ると書いてありますね。で、3年後、 明治37年に4条と結婚するとおあが たくさんあります。 ま、詳しくは見ていきませんが、え、 台所もあったりします。 こちらにも部屋が2部屋ありますね。 こちらが座敷ですね。え、立派な 座敷になっていますね。おお、所員作りに なってますよ。 [音楽] 付員までついています。 組み粉の生事ですね。ああ、いいですね。 これは 梅でしょうかね。 貸し出し 場合によっては宿泊もできるという風に 書いてありましたので、 まあ 設備が全て整っていますね。 さあ、それでは こちらの土蔵の中、 記念公園資料館となっています。 いよ。おお、 これは中。 あ、冷房効いてます。中。いや、いきなり 先ほどの心の玉ですね。 複製のようですけどね。実物は歴史民族資料館に展示中とマン寺のマビキーエマですね。 [音楽] この後徳ま寺に行きますが、果たして本物 を見れるかどうか分かりませんので、 [音楽] その当時の 建物がね、そのまま残っているわけでは ありませんけれども、え、非常に雰囲気は 伝わりましたね。 ま、まさにこういった 山合にね、 建物があって、ま、23年後 少年はここで過ごしたとこういうことです ね。 それでは ここから 徳マ寺にちょっと行きましょうかね。 [音楽] 小川から20分ぐらい歩いてきましたかね 。ちょっと 徳まじさんの ああ、ここでしょうかね。あ、ありました ね。 トクマン寺。 特寺は 元期2年。 え、どうたらこうたら書いてありますが、 自蔵に掲げてあったまエマは少年期の柳国 に大きな影響を与え、柳民族学の原点と なったと言われていますと書いてあります 。さあ、じゃあここ上がっていきましょう か。 おお。 いや、結構きついですね。 おお 。ありました。 おお。 ええ。いや、 [音楽] 目の前に本道らしきものが見えますから。 ここが正式な入り打ちで良かったんですね 。 [音楽] まずはお参りしましょうか。 [音楽] はい。ここにもエマのことについて書いて あります。 日本民族学の父と言われる柳国は少年時代 にこのま引きのエマを見たことが農性学や 民族学を学ぶきっかけとなりました。 見学希望の方はクリエということなので 見学できるかもしれませんね。ちょっと 行ってみましょうか。 あ、 はい。 のお寺さんですね。で、お願いしてき ましょう。 ああ、そうなんですか。 いや、これは 、ええ、今日はお書き があるそうです。 特ま寺さん エマを見させていただきました。 心よく応えいただきました。今日は午後 からお世書きがあってお忙しそうにされて ましたがどうぞどうぞご覧くださいという ことで いやあ 新婚州のお寺さんですよね。 いや、ありがとうございました。心にぐっ と来るものがありましたね。 さあ、それではですね、ここから草野駅に 戻るんですけれども、途中に 岡田竹があります。柳国同年代で 、え、近しい 間柄でもあったという風に記録されている ようですので、そちらにも行ってみたいと 思います。 ああ、深川跡って書いてありますから、お 城の後でもあったんですね。ええ、 ト側を渡って千葉県のアび越市に戻ってき ましたね。ここが 岡田竹松 の後になります。岡田竹松はですね、日本 近代気象学の父とされる方なんですね。 明治7年にここで生まれていまして、柳尾 は明治8年生まれですのでね、当時13歳 前後の頃、え、信仰があったという風に 言われています。ま、おそらく ト側を船で渡って 進行を温めていたのではないかという風に 想像できますが、残念ながらですね、建物 は残っていないんですね。 草の風という近隣センターに変わってい ます。何か 名残りのようなものがないかどうか ちょっと探ってみましょうか。 こういう欅きの木々なんかは名残りかも しれませんね。偶然に 9月の2日に岡田竹松博士うん。講演会か なんかあるみたいですね。 もう名残りはほとんど残っていないみたい ですね。欅きのキアなんかは当時のままだ ということですね。あと 入り口のがそのままだという風に今 受付の方がおっしゃってましたがちょっと もう1回見てみましょうか。 この門ピがね、 当時の門ピ、 まあ、明治時代ありでしょうかね。 あ、ここに書いてありますね。旧岡田門。 当施設は気象学者岡田竹松博士の自定後地 であり、当時の風景を忍び門否を保存して いますと書いてありました。やはり 予想通りでしたね。 きっと柳田国も ここに遊びに来たことがあるんじゃない でしょうかね。このパンレットによれば 共につばさん登山をした親友であったと いう風に書かれていますね。はい。といっ たことを想像しながら 今日の旅は終わりたいと思います。 旧岡田竹 からもすぐ30mぐらい離れた向いにです ね。 [音楽] この門ピがあるところが柳田国の実兄の金 が やっていた 委員の後ですね。 昔の写真の門ピがそのまま残っていますね 。 今は別の方がお住まいなんでしょうかね。 [音楽]

利根町の公式サイトはコチラ
https://www.town.tone.ibaraki.jp/kanko-bunka/rekisibunka/bunkashisetsu/page003532.html

【BGM】
filmora

【撮影機材】
iPhone13 Pro Max

#古民家
#旧中村家住宅
#重要文化財

5 Comments

  1. 暑い中日陰もほとんどない道をお疲れ様でした。柳田國男記念公苑は、各所改装がなされているとはいえ、現在でも現役で使用されている事に小川家の方々は喜んでいらっしゃると思います。

  2. 布佐駅から布川に徒歩で行くのは、ちょっと厳しいでしょう💦
    茨城県側からバスで行ったほうがよかったかも。ご苦労様でした。

  3. 動画による柳田國男のご紹介をありがとうございました。

    柳田國男の生家は30年ほど前に見学したことがあるのですが、
    彼が少年期に播磨を出て利根町に移住したことは
    この動画で初めて知らされた次第です。

    館内には彼の生家の小さな模型もありましたね。
    多感な時期に、住環境が大きく変化したことがよくわかりました。

    お寺の間引きの絵馬も、また遠野のデンデラ野も、
    常民の生活の中でとりわけせつない物語といえますね。

  4. 汲めども尽きせぬ、日本列島の文化文明の貯水湖の柳田國男さん
    個人技の範疇の詩も小説も捨て、松岡家柳田家の名誉のための官職も捨てて、あえて津々浦々に伝承された遺産を拾い歩いた、人文科学の王道を拓いた巨人を持つことの、日本民族の誇りとしあわせ…

  5. ありがとうございました。
    柳田國男少年が、岡田武松君と“筑波山”に登ったとの紹介。『後狩詞記』に通じる貴重な話の紹介でした。

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