香川県 高松市 一宮寺(いちのみやじ)

昨年伺い1年ぶりに参拝してきました。
1300年以上の歴史あるお寺で、約千二百年前、健康に長生きできるようにとお大師さま(空海)が日本に広められた、きゅうりに病を封じこめ健康に過ごせるよう祈願する行事「きゅうり加持」でも知られているそうです。夏の間頂ける夏の切り絵御朱印を頂きました。

四国八十八ヶ所霊場の第八十三番札所。ご本尊:聖観音菩薩。

ご由緒 -HPとWikipediaより-
一宮寺は、大宝年間(701-703)に法相宗の祖、義淵僧正(ぎえんそうじょう)が開いたと伝えられています。当初は大宝院と称していましたが、和銅年間(708-715)に諸国に一宮が建立された時、讃岐一宮として田村神社が建立され、その第一別当寺(統括管理職)となりました。その後、行基菩薩が堂塔を修復し、一宮寺に改めたとされています。
大同年間(806-810)には弘法大師さまが四国八十八ヶ所建立の際、一宮寺に訪れて聖観音菩薩を彫刻して設置しました。その尊像を本尊として安置し、四国第八十三番の霊場として真言宗に改めました。
その後、次第に兵乱が起こり、あちこちの寺院が多く滅亡しました。一宮寺も兵火により灰燼に帰しましたが、中興の祖とされる宥勢大徳によって再興されました。
延宝7年(1679年)に時の高松藩主である松平頼常によって田村神社が両部神道から唯一神道に改められたため当寺以外に12あったと云われる宮寺は廃止される。唯一存続を許された当寺は、それまで神社とは一体で同一場所にあったが、分離され現在地に移転、別当寺は解職され、本地仏であった聖観音像は当寺の本尊となり、一国一宮として選ばれていた神社の四国八十八箇所83番札所[注釈 1]は当寺が引き継いだ。 明治初期の神仏分離より200年も早く神仏の分離が行われ現在に至る。

一宮寺HP
https://www.sanuki-ichinomiyaji.or.jp/
四国八十八カ所霊場會HP
https://88shikokuhenro.jp/83ichinomiyaji/
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E5%AE%AE%E5%AF%BA

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