【東京/多摩】50年間捨てられていた道路用地
皆さん、こんにちは。朝川です。こちらは とある道路の様子です。 両サイドに道があり、真ん中に大きな空地 があるのが見えます。こちらは東京都市の 南玉感染の様子です。広大な敷地があり ながらも道路となっている場所は両サイド わずかな部分のみ。一体なぜこの道路は このような構造となっているのでしょうか ? 本日はこの道路について解説及び考察を 行っていきます。 まずは今回の主役の道路となる南根感線の 概要を紹介していきます。東道路は東京 都府市玉摩川3丁目から町田市小山町まで の全長約16.6kmの都市計画道路の 名称です。 道路相性としては途中の稲岸市桃村から 町田市小山町までの区間が指定されてい ます。 起点から稲市桃村までの道路相性は鶴川 街道となっており、重複区間となってい ます。道路の相性自体は元々定着してい ましたが、正式につけられたのは2014 年のことで、比較的最近のことです。また 都道としての扱いは全区間一括の都道と いうわけではなく、区間ごと5つの都道に 分かれていることも特徴です。 この南玉鬼感染はいわゆる玉ニュータウン の南タを通過しています。同ニュータウン の交通を担う重要な道路。また玉地区に おける広域交通ネットワークの東西交通も さらにその他接続する道路と組み合わせて 埼玉県南部から神奈川県北西部など広域 輸送の金めとしても期待されています。 さて、この南根感線ですが、起点から終点 までの区間は道路が繋がっており、全区間 走破することは可能です。しかしながら、 特に稲岸市から多市市の区間にかけて暫定 海業であり、多くの場所で未完成の部分が 多くなっています。 冒頭でもご紹介した道路のど真ん中に空地 があるのもその区間の一部です。 では、現地の様子はどのようになっている のか実際に確認をしてみましょう。 さて、現在私たちがいるのは玉川橋の上 です。 正確にはこの80ほど牛にある交差点が 都市計画上の南玉幹線の始まりなのですが 、今回は橋の上から映像を始めて行き ましょう。この玉川橋は市と稲岸市の静に ある橋。 この先すぐに稲岸市で南玉の調府市内の 区間もわずかとなります。さて、橋を渡り 切ると2つほど交差点があります。 2つ目の交差点のすぐ先にJR南部線の 高架と右手に矢野口駅が見えてきます。 現在南部線は高架となっており、このよう にスムーズに線路と交差できます。ただ 以前は南部線が地上を走っており、ここに は踏切りがありました。 切りがあった際にはかなり渋滞が頻発する スポットだったそうなのですが、このよう に南部線が高果になったことによりその 頻度はかなり減少したそうです。さてこの 先は4車線の道路で持って稲岸市内を通過 して行きます。 この区間は鶴川街道との上区間であり、 南根感線の相性は基本的に使われない場所 です。 ただ稲岸市にとって極めて重要な道路で あるためこのように4車線の区間が続き ます。 さて先ほどの南部線の効果から1.8km 稲市役所付近を走行中です。 この先にある稲市役所日という交差点から 道路は大きく変化を見せます。まず対抗 車線との間に大きな中央分離体が出現し ます。 また交差点を過ぎると道路が左折専用の レーンと直進専用のレーンに分かれます。 しばらく進むと再び交差点がここが鶴川 街道との重複区間の終わりです。左側に 向かう道が鶴川街道。そしてまっすぐが 南根感染でここから先は単独区間。そして 東京都が相性をつけている区間にも入り ます。 右側を見ると先ほどよりもどんどんと中央 分離体が広くなっていることが分かります 。 さて、鶴川街道の分岐から1.4kmほど 。先ほどから画面にも映っていたのですが 、非常に広大な中央分離体というよりも 空き地のようなものが鎮座しています。 幅は35mほどと極めて広大なものとなっ ています。 最高車線を視認することはできず、2車線 の道路ながらも独特な雰囲気を醸ち出して います。 そして300mほど進むと空地で工事が 行われています。詳細については工術する のですが、将来的にこの辺りにトンネルが 掘られ、そこがオ線の本線となります。 そしてまた進むと分離体がなくなり2車線 の道路が対面通行となります。 ここから先はルート自体も暫定の区間と なります。 一時的には京王相模原線の若場大液付近。 先ほどの独特な雰囲気とは異なり、一般的 な広目の2線道路と同じような雰囲気と なります。 2線道路の開始からおよそ1.7km。 ここから再びしばらく広大な空地が分離隊 となる区間になります。 ここは将来的に先ほどのトンネルの出口と なる予定の場所でこちらでも工事が進んで います。 またこれから先は解説が多くなる区間が 続きます。まず工事のバリケードが終わっ てすぐ見える交差点。こちらは多摩東公園 という名前なのですが都道の番号だとここ までが19号線。ここから先は都道18号 線へと入ります。 交差点を過ぎますと再び道路は対面通行と なります。 比較的にはなんとなく片側2車線になった かのようにも見えますので注意が必要です 。 そして先ほどのタイミング区間とは違い 道路の右側に広大な空地が存在するという ロケーションとなります。またこの辺りの 区間で特徴的なのが神奈川県川崎市の都会 すれスレを走っているということ。この 地点ですと画面左側およそ100m進むと 川崎市に入ります。 またしばらく進むと道路がくネッと右側に 曲がっている箇所があるのですがこれは 川崎市に入らないようにこのような構造に なっているそうです。 さて、多交差点から1.9kmほど 対面通行の区間が終わり、再び大きな分離 体が現れます。そしてしばらく進むと 多ろし市場前という交差点に。ここの交差 点も2つほど解説点があります。まず都道 の番号ですが18号線はここまで。ここ から先は東京都道156号線に変わります 。そしてこの交差点将来的に根感染道路は 現在平面交差の鎌倉街道と立体交差になる 予定です。画面右側にはそのための構造物 がすに鎮座しています。そしてここから先 は道路の間に大きな空地がある場所が 3kmほど続きます。 さて、玉ろし売り市場前から3km。ここ までは2車線の道路の間に大きな空地が あるという区間が続きました。ただ玉市 総合福祉センター前交差点。小田急田駅の 周辺。ここから先は道路の要想が変わって 行きます。 まずここから先にあるから空木田橋。ここ で小田急多摩線の車両基地をオーバーパス しているのですが、ここから道路は4車線 となります。 またそこから先も道路は基本的に片側2 車線の4車線。実は先ほどの交差点が暫定 2車線区間と先行回通でほとんど完成系の 道路として作られている区間の境い目と なっています。ここから終点の町田街道 までは基本的に4車線の道路となります。 さて、先ほどの復センター前のコース店 から3.3km。説折すると私がよくお 昼ご飯にステーキを食べることでお馴染み のファミレスに向かう交差点を今回は直進 。しばらく進むと道路が左方向に分岐する 箇所があります。 以前は町田街道へのアプローチはこちらの 道だったのですが、現在はまっすぐ進む4 車線の道路があります。そのまま進みます と長い下り坂に入ります。速度に注意と いう面。ここから先に広がる相模原内の 景色が眼下にフッと広がる。これがかなり 美しい区間でもあります。 そしてこの下り坂を降りると町田街道と ぶつかり道路の終点となります。 さて以上が現地の様子です。全体的に暫定 2車線、そして広大な空地が残る区間が 多いです。ではなぜこの空地が残された ままなのか、そしてこの後、この道はどの ような計画がなされているのか、次は そちらを見ていきましょう。 南玉戦の始まりはかなり古く1963年に 多ニュータウンの造成が計画された時から 始まります。その後1966年に都市計画 が決定し、現在とほぼ同じルートが策定さ れていきます。また3年後の1969年に 道路の詳細な構造がある程度固まります。 との内容ですが、まず道路自体は本線部分 と速度部分からなる副道システムとして 計画されます。本線部分は片側4車線、 つまり8車線の構造、またその横側に速度 が設けられる予定でした。また本線部分は 主要交差点との接続にランプが設けられる 予定でした。さらに最高速度は時速 80km。高速道路と同じような企画の 道路を設計する格作でした。 ただこのような計画がなされていたのは 現在の魂市や八王子市町田市の範囲。 東側の稲市や重府市内は福印が比較的狭く なる予定であったためボトルネックになる のではないかとの指摘もあったそうです。 さて、このように計画された南玉感線は多 ニュータウンの開発と並行して工事が進め られることとなりました。ただ1971年 から多ニュータウンの入居が始まると南玉 幹線の建設に対する反対意見が表明化し ました。 その主な理由は自然環境や生活環境の悪化 への懸念です。この時期は高度経済成長期 の日本において工場や自動車の廃気ガスに よる大久が全国的に深刻な問題となってい た時期でもあります。 南玉線はニュータウン内の移動だけでは なく広域を結ぶ感染道路として多くの車両 が利用する計画でした。このような道路が 近隣に建設されることを考えれば、住民が 環境や生活の質を守るために反対をしたと いうことは理解できる反応と言える でしょう。このような社会情勢や先ほど 申し上げた稲市内や重の規模との不正合が 出ること。その他歩道が狭くなってしまう ことを理由に計画の変更が検討されます。 77年にこれらを解決するための3つの案 が出されます。具体的完結に申し上げます と、まず中央部分に車道をまとめて設計し 、その周りに自転車道、歩道、食材などの 環境施設を広く均等に確保する方式。次に シ動を片側に寄せ、反対側に広域 サイクリングロードを含む広い環境施設を 確保する方式。最後に従来の設計を基本に 自転車道歩道食災体を多少強化し道路中央 に4空間を確保する方式。 また最後の案に関しては余上空間に様々な 交通施設を建設することが検討されました 。 これら3つの案が検討されたのですが具体 的な建設案は決まらず、その後時代は 1980年代90年代へと入っていきます 。 さて、まず1989年に新たな方針が 決まります。その中で稲の鶴川街道から 町田の町田街道の間の速度を暫定的に開業 させることが決まります。 この時点で空中写真等を確認すると長山駅 や玉多摩センター駅の南側にある区間は 暫定2車線で作られているのが見えますが 、それ以外の区間はまだまだ未整備日でし た。この未整備の区間を順次開通させて全 区間の共容を目指す方針。ただあくまで 整備されるのは当初計画の速度部分。 つまり片側1車線での整備です。 この片川一線での整備は2007年に終了 し、暫定的ではありますが重府市の 玉摩川橋から町田街道まで道は繋がってい ます。 しかし現在に至るまで大半の区間でこの 暫定開業の状態が続いています。道路のど 真ん中に広大な敷地が現在も残されている のは本線の整備が未だに進んでいないから です。 さて、その後1991年に再び新たな方針 が打ち出されます。 この年に10代の都市計画が変更され、 それまで地標に道路を作る予定でしたが、 一部区間はトンネルや掘り割り、つまり 半地可能ような形で建設されることとなり ました。 具体的な区間としては道路の両端 玉摩川原橋から京王相模原線稲駅付近の 高葉台までまた小田急多摩線の空木田駅 付近と終点の町田街道までは地標 そして相模原線若大液付近がトンネルそれ 以外の区間は堀で整備という形 ですと特に堀の部分で事業費が重むという ことで、なかなか具体的な進捗が見られ ないままでした。 2005年に地図場のこの辺り致名ですと 八王子市別所2丁目から町田市山ヶ丘2 丁目まで片川2車線の本線の整備 また町田街道に接続する片川2車線4車線 の道路が2014年に整備されるなど より西の区間では部分的に整備が進められ ました。ただそれよりも東の区間は暫定の ままの状態が続いています。現在でも広大 な空地は残されたままとなっています。 この南玉感線長いこと整備計画の実行が 具体化していなかったのですが2015年 早期整備を実現するために新たな計画が 策定されます。 まず暫定2車線であった空木田駅周辺の 道路工事が行われ、小田急多摩線の車両 基地をまたぐから空木田大橋は2015年 頃に4車線が完了。その周辺においても4 車線工事が着々進行し、2019年に工事 が完了しています。 稲駅前付近から空木田駅前付近まで従来の 計画ではこの区間は堀での付折が予定され ていましたが、空木田異性と同じくこの 区間も地標に不折することに変更。ただ若 大液付近に関してはトンネルが掘られる そうで現在道路が通っている部分よりも 北側の箇所ゴルフ場の直下をトンネルで 持って通過するそうです。 そしてこれ田の区間では2020年から 2021年にかけて事業に着手。長いこと を放置されていた空地においても工事が 始まっている箇所が存在します。改めて 車窓等を見るとその様子を見て取ることが できます。 そして工事完了後ですがまず道路は片側2 車線の4車線で整備されるそうです。 さらに鎌倉街道などといった主要な道路と は立体交差で接続。また現在開業している 暫定開業の速度部分。こちらは歩道や自転 車道として整備し直される予定です。形的 には2019年に工事が完了した空木田駅 付近の4車線道路とほぼ同じものになるの ではないかと予想ができます。 車線が4車線になり、また立体交差が 増えることにより信号待ちの時間もある 程度解消されるため、所用時間の短縮など に起与してくれると予測できます。 また終点の町田街道付近から先に道路が 伸びる計画もあります。 現在この南玉根感線から相模原方面に 向かうためには終点手前で左折をしその 道路を進み町田街道にぶつかった後直進。 その後は交差点を2回ほど左折し、国道 16号方面に出る形となっています。 この部分を根感染道路の終点から道路を 伸ばして事実上こちらの交差点に接続。 感染道路から直線的に相模原方面へと 迎えるようになる予定です。こちらは都会 をまたぐ区間となるため町田市と相模原 双方で都市計画が行われているのですが 現在事業着手が行われており地の取得が 進められています。 今後の計画の進捗では重府から相模原まで 高期格の道路が繋がります。そうなります と、この辺りの広域輸送にも様々な変化が 出ることが予測されます。 南根感染の今後にも着目をしていきたい ところです。 さて今回の動画はここまでとなります。 次回は相模原周辺の地理に関して色々と 考えていきます。 ご視聴ありがとう存じます。また次回も 一生懸命頑張ります。ごきげよう。
#南多摩尾根幹線 #多摩ニュータウン #空き地
多摩ニュータウンの南側を行き来する南多摩尾根幹線。こちらは、かなり高規格な道路として建設が予定されています。しかしながら、実際に現地を訪れてみると、道路予定地にはかなり空き地が多いことが見て取れます。すっごい無駄な用地に見えます。
この空き地はなぜ生まれたのか?またこの道路は今後どのような未来が待っているのか?考えていきます。
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地図データ(C)Google
目次
0:00 イントロ
0:43 南多摩尾根幹線とは?
2:51 現地の様子
13:41 南多摩尾根幹線の始まり
17:39 その後の紆余曲折
20:34 2015年以降の動き
22 Comments
訂正とお詫び
稲城市百村の読み方はもむらです。訂正してお詫び申し上げます。
尾根幹線道路などの多摩ニュータウンは萩生田観光という八王子で騒がれている議員の萩生田の親族が創り上げたニュータウンという話を聞きます。
その名残から萩生田と京王の繋がりはかなり強く、彼の選挙事務所の最寄駅が京王八王子駅だったことは有名でしょう。
一方で多摩ニュータウンの高齢化と裏腹に多摩市で人口減が酷いのはむしろ、聖蹟桜ヶ丘なのは代替がなく永山や多摩センターみたいに小田急の代替が無い事が大きいでしょう。
高幡不動駅もモノレール乗換駅では一番、落ち目で玉川上水駅よりその機能が失われている事からも明らかです。
多摩ニュータウンのもう1つの道路は今年9月には橋本方面への直通が出来る話がある一方、横浜ブルーライン新百合ヶ丘延伸や多摩モノレール町田延伸はどちらも多摩ニュータウンから新横浜駅へのアクセス改善に繋げられるのは確かでしょう。
ブルーライン新百合ヶ丘延伸すると立憲の江田憲司や中谷一馬が地盤の田園都市線や港北ニュータウンへのアクセスが向上されますが、横浜市長の市政の酷さが減少する反面、商業施設関連では港北ニュータウンの方が多摩ニュータウンより優れている事は確かだといえます。
多摩モノレール町田延伸の効果はJリーグで一番、話題になっている町田ゼルビアのアクセス強化もあり完成すれば小田急は鶴川駅でバス輸送する必要性もなくなる利点が大きいでしょう。
ただブルーライン新百合ヶ丘延伸は表向きは資材難などで遅れている話がある反面、橋本駅のリニア利用者の阻害になっているために延伸関連で色々裏がありそうな気がします。
ブルーライン新百合ヶ丘延伸や多摩モノレール町田延伸によって新横浜駅のアクセス向上が一番大きい事も影響しているから橋本駅関連で入らなくなるのを恐れているだろうか?
と疑っています。
稲城市は京王線より南武線の方が活気があり人が増えている印象です。
やはり川崎や品川へのアクセスは普通に南武線の方が強い事が大きく快速充実すれば京王線より品川アクセス有利なることは間違いないでしょう。
その上で南武線側の方が個人商店多く、武蔵小杉駅や川崎駅に出られる利点も大きいから京王側より発達するのは当然といえます。
6:18 くじら橋手前の時点でその先の中央公園交差点の直進は右、左折は左に別れるべきなのだが、案内が無さすぎて地元以外の車がいつも右往左往している
70代の散歩好きの爺です。南多摩尾根幹線道路を散歩コース(戦車道➡矢野口駅)にしております。道路の真ん中に広大な空き地の存在が不思議でなりませんでした。今回の動画で理由と歴史的経緯が解りました。ありがとうございます。
板橋区から多摩境へ行く時に使ってました。
家族となんで広いのに一車線なんだろうって話してました。
ミスターマックス、コストコ、メトロまだあるかな?
稲城市内の尾根幹ぐにゃぐにゃ坂道(バーミヤンある辺り)はなくなるのをこの動画で初めて知りました。幅広い中央の緑地はモノレールの土地だと思ってました。
確かに、昔の排気ガスは酷かった。石原都知事が排ガスの煤にブチ切れて規制したし、車の性能も向上して排ガスの問題が大幅に改善したことで反対もないんじゃないですかね
「私がお昼ご飯にステーキを食べることでお馴染みの」
知らないですwww
橋本駅付近にリニア新幹線の駅ができることになって
京王相模原線と共に尾根幹線も当初の目的とは全く違う立ち位置になりました。
尾根幹線と稲城大橋含めると、調布飛行場〜中央道〜桜ヶ丘のゴルフ場地下弾薬庫(一説には一時期核があったとも)〜相模原米軍補給廠がキレイに結べるんよねぇ 不思議ンゴねぇ
尾根幹沿いの高校に通っていた40年ほど前は多摩モノレールが通ると聞いてました
ほぼ交差点毎に信号待ちを強いられ渋滞が伴い所要時間が想像以上にかかる。交通量が少ない早朝であれ交差点毎に信号待ちを強いられる。意図的に信号待ちを設定しているのか?拡張よりも改善することがある。そして拡張よりも立体交差化しないと交差点ごとに信号待ちを強いられることは変わらないので渋滞解消は期待できない。
別に今のままでも大きな問題はないが、
大きな交差点において
直進が右車線なのか左車線なのか分かりにくいのが難。
相模原からR16方面へは
リニア新幹線開業を追いかけて
着々と進むのでしょう
この辺の地域って日本共産党が強いんだよね
最近は勢いが落ちてきたのかな
百村に住んでおり、この道路はよく通ります。
このバカ広い真ん中の空き地は気になっていましたが、なるほど…僕が生まれる前からいろんな検討がされてきていたんですね。
最近近所は工事がまたぐぐっと進んでいて、今後どう開発されていくのか、楽しみでもあります。
建設の時住民の有力者グループより反対に合い長い間上下線1車線になりました。
その後数年経ってから多摩市から東京都に拡幅工事陳情をしたものの今度は東京都の予算の関係で長年放置されました。
すでに八王子市の区間は拡幅化が完了しています。
相模原駅まで直結😅 全然そんな雰囲気なく江戸街道は民家が並んでるのに😢
それに相模原駅付近でほぼ行き止まりで16号まで届かずに
ただでさえ渋滞酷いのにどうすんだろう?
南武線高架化前は片側1車線の旧鶴川街道が踏切で交差していました!
高架化後にしばらくしてから多摩川原橋から吉方公園南のひとつ稲城市役所よりの信号のない交差点まで接続しました!
開通以前はその中途半端な交差点から稲城一中南交差点あたりまでだった記憶があります!
ずっと以前から気になっっているのですが、「同じ」は「おなじ」と発音します。
頻繁に「おなし」と発音されていて気になって仕方がありません。
幼い頃は唐木田(当時の上落合あたり)に住んでました。当時はまだ尾根幹がなく、戦車道路と呼ばれる山道が南多摩(都市)霊園に抜けていました。
で、ウチも漏れなくニュータウン開発の区画整理で引っ越すことになったのですが後に聴いた話では、まあ相当ゴネた世帯が多く、工事中の造成地にポツンと一軒家がまあまあ残っていたそうです。
ここだけの話、何軒か相当ガメツイ旧家もあったようですよ。
尾根幹は計画自体が二転三転して今に至りますからね。
ソコに漬け込む人間も少なくないと思いますよ。
なにもかもやることなすことが遅すぎて今更すぎる
幻の多摩モノレール稲城路線計画とかロマンたっぷりでいい話だよな
町田街道も拡張してもっといい道路にしてほしいよね
長年の謎が解けました。ありがとうございます。中央分離帯が余りに広いのでモノレールが通る予定とか地下に米軍の秘密ミサイル基地があるらしいとかいろんな噂を聞いてましたが、単にまだ建設途中なんですね。それにしても長い。かなり以前、相模湖方面に抜けるつもりで終点の町田街道で大いに迷いました。せめて国道16号への早期の接続、こちらも是非とも期待したいです。