(リメイク編)稲田神社 / 奇稲田姫 生誕地 (2019-10-14)
奥出雲町稲原に鎮座する稲田神社(いなた神社)の動画をリメイクしました(スライド写真を追加編集)奇稲田姫(くしいなだひめ)/ 稲田姫は八岐大蛇退治に登場する素盞鳴尊の妻。奇稲田姫の生誕之地とされる稲田地区に建つ神社です。神社の周辺には、奇稲田姫の生まれたときに使われた「産湯の池」や、へその緒を竹で切ったと伝えられる「笹の宮」が今もなお奉られています。またヤマタノオロチ神話を巡る伝承地とされる地区です。境内には蕎麦屋さん「ゆかり庵」もあり多くの蕎麦好きが列をなしてます。
主祭神 : 奇稲田姫(稲田姫命)
配祀神 : 大國主命 素盞鳴尊 大山祗命
仁多郡奥出雲町稲原
https://maps.app.goo.gl/mcwxjUkJ5p5boQXd6
稲田神社の情報
由緒・沿革
創立年代は不詳であるが、古事記や日本書紀には御祭神名が記載され、しかも「大蛇退治神話」の舞台であったところからすると、由緒深い古社といえる。境内は約700坪あり、昭和7年には当地ゆかりの富豪小林徳一郎(小倉在住)が壮厳な社殿を建立、境内整備をして現在に至っている。昭和19年には、旧郷社が社格として認定され、千家家と小林徳一郎の深い縁により「此神社永久社司千家國造家」と棟札に墨書され、現在は第84代千家尊祐國造様を名誉宮司として仰いでいる。
Wikipediaより
『古事記』では櫛名田比売、『日本書紀』では奇稲田姫(くしいなだひめ)、稲田媛(いなだひめ)、眞髪觸奇稲田媛(まかみふるくしいなだひめ)、『出雲国風土記』では久志伊奈太美等与麻奴良比売命(くしいなだみとよまぬらひめ)と表記する。神として祀るにあたり「くし(櫛・奇)」を読まず敬称を用い、稲田姫命(いなだひめのみこと)とされることもある。
奥出雲の稲田神社が『出雲国風土記』に記載されていない理由についての考察
• 稲田神社の創建年代がはっきりせず、古い由緒はあるものの、現社地に祀られるようになったのが天平五年(733年)成立の『出雲国風土記』以降もしくは近い時期のため、記載対象にならなかった可能性が指摘されています。
• もともと地元有力者や国造家の邸内社、いわゆる個人・一族の守護神的な位置付けで、広域的な公的神社ではなかったため、公式記録(風土記)に載らなかったという推定もあります。
また、『風土記』成立当時は、現在社伝で語られる須佐之男命・奇稲田姫命を明確に主祭神とし、独立した形で全国的に認識されていたわけではない可能性も指摘されています。これらの点から、「歴史的には古い伝承や信仰があっても、特定の時代背景や神社制度の変化の中で記録から漏れることは珍しくなかった」と考えられています
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