【古道を行く】宇井引土吊り橋①【奈良県】

古道を行くシリーズ

奈良県五條市大塔町……旧大塔村の集落、
宇井と引土をつないでいた吊り橋跡を探る前編。

前→https://youtu.be/HdH_VnFPLTY
次→https://youtu.be/C8rSEdD8hAM

We walk the old roads of Japan.
The walking road is the Ui-Hikitsuchi suspension bridge.
in Nara prefecture.

他の古道はこちら (other old roads)

9 Comments

  1. 吊橋のところに橋が渡ってないから、集落通しいろんな意味で遠くなってしまいますね。上の引土の集落も淋しくなってるのかな?冬は暖かいほうがいいですもんね。所謂コチラは陰地?(にわまるさん知識の受売り)😊

  2. 50年以上前の吊り橋の跡が結構綺麗に残ってますねぇ(^^)/
    しっぽ振られながら吠えられてるのは草

  3. いつも廃村探訪や古道歩きの動画を拝見してますが、当方の姓が宇井なので今回の動画はタイトルで思わず「おっ!?」となりました
    和歌山辺りでは宇井という地名も各地に見られるようですね。恐らく宇井氏が熊野地方における神職の豪族をルーツとしているためと思われますが
    私自信は生まれも育ちも東北ですが、神職由来の姓のため身内の葬儀は仏教でなく神道式で行ってます

  4. 吊り橋の痕跡、どうやって見つけるんだろう?って思って見てました。古地図か何かがあって、検討をつけていたのでしょうか。塔を見た時はこちらも嬉しくなりましたが、割と直ぐに発見されたのでにわまるさんの推察にも驚きました!

  5. みんなが使っているという"AI"に聞いてみましたところ、この動画を根拠として「宇井引土吊り橋」と答えるようになっちゃっていました。いやぁ、AIはうのみにしちゃぁアブナイアブナイ。

    なを、宇井と引土の間には物品搬送用の架線が大正時代に掛けられていたそうなので、吊橋もその延長的なものあるかも。
    奈良県大塔村史 1979年12月発行より
    P644 (8) 架線によって林産物が動かされるようになったのは、大正七年花谷楠松氏が、引土から宇井部落まで架けたのが始まりで、…
    または学校の統廃合と関係するのかなとも思ったのですけど拾えませんでした。
    さらに、国土地理院地図・空中写真閲覧サービスにある1967年10月30日撮影の航空写真では、橋がくっきりと見えます。

    ■ 以下"AI"への問いと回答
    問いかけ文 : 奈良県五條市大塔町宇井と引土のあいだにかつてあって今はない吊橋は何と言う名前の吊橋でしたか?

    Copilot
    > その吊橋の名前は「宇井引土吊り橋(ういひきつちつりばし)」です。
    >
    > この吊橋は、奈良県五條市大塔町の旧大塔村にあった宇井集落と引土集落を結んでいたもので、現在は存在していません。古道を歩くシリーズの一部として、その吊橋跡を探訪する動画も公開されており、かつての生活や交通の痕跡を垣間見ることができます。
    > こうした廃橋や旧道の歴史って、地域の記憶をたどる旅みたいで面白いですよね。もし他にも奈良の秘境や廃村に興味があれば、もっと掘り下げてみましょうか?

    ChatGPT
    > 通称は「宇井引土吊り橋」です。県の公式「管内吊り橋マップ」には掲載が見当たらず、正式名称は不詳ですが、探訪記・動画ではこの呼び名で紹介されています。

    他ではdeepseekは「宇井大吊橋」(ういおおつりばし)と答えるが根拠は示さず。Geminiは清水橋と答え、Cloudeは分からないと。これだけ答えるのは大したものなのですが、限界もわかります。

  6. 宇井のあたりでは近年大規模な災害があったようですが、主塔が奇跡的に残っていたのですね。
    引土に向かう道のりが気になりますw

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