山北町に残存する戦争遺構、玉音放送を海外に発信した国際電気通信足柄送信所跡(御殿場線箱根第五隧道跡)の現在の様子 足柄上郡山北町谷ケ 2025年1月中旬撮影
山北町谷ケにある谷峨駅。 駅前からこちらの県道を
目的地のある北西へ向けて進みます。 駅から数分歩いて進むと
東名高速道路の大きな橋梁が見えてきます。 駅前から県道を650m程進み
東名高速道路の下まで来ました。
左側の道路は国道246号になります。 遠くに新東名高速道路の
建築中の道路橋が見えました。 現在は歩道として使われている
旧国道246号を進み目的地に向かいます。 先程から100m程進みました。
この旧国道は数年前から近所の工事のため、
工事車両の通り道としても使われています。 目的地はこの分岐の少し先。
この道奥の方の線路沿い辺りで
工事が行われているようですが、
工事内容は調べてもわかりませんでした。 目的地のかつて足柄送信所が設けられた
御殿場線箱根第五隧道跡(廃トンネル)の
西側トンネル口に到着しました。 このトンネルは当時東海道本線だった
現在の御殿場線を複線化するために
1900年(明治33年)頃に造られたそうです。 旧線の鉄道橋は旧国道の左側に
沿うような場所を通っていたそうです。
向こう岸には痕跡が残っているそうですが
こちら側は見当たりませんでした。 トンネルはアーチの高さが目測4.5m程、
幅が最もある場所も同じ長さに見えました。
内部は総レンガ造りのようでした。 トンネル内部の上部を所々見ましたが
煤煙の跡は残ってないようです。 トンネルのアーチ最も高い場所の外側に
棒状の突起物が見えます。
遺構の一部かどうかはわかりません。 横に伸びるのは錆びた鋼線かと思いましたが
今見ると枯れた草かもしれません。 では中に入りましょう。
トンネルの全長は280m程との情報が
ネット上にいくつかありました。 入ってすぐ両脇にトタン板が貼られています。
状態から見て戦後に補修のため
レンガの代わりに貼られた物と思われます。 入口から50~60m位進みました。
コンクリートで塗られた場所も
戦後の補修跡と思われます。 右手に鉄道保全作業員用の退避所だった
窪みが見えてきました。 高さは180cm程で奥行きは50~60cm程。
脇はレンガですが奥は岩肌のままでした。
側面片側(南側)だけに約70mおきで3か所あり、
3か所とも同じ造りでした。 入口から90m程進むと地面が砂利から
コンクリート敷になりました。
通信機器を置くためにこうされたそうです。 インターネットで事前に見た画像では
機器が置かれた跡が床面に残っていましたが、
ここ数年工事車両の出入り等があったせいか
傷がついたり擦れたりしていて
その跡は全く分かりませんでした。 入口から130~140m進みほぼ中央に来ました。
地面がコンクリートの場所は
両脇に排水溝がほぼ設けられています。
トンネル端に行くほど排水溝内には
土砂が貯まっていました。 側面から水がよく出ていた場所。
見にくいですが画面中央少し上にあるように、
水を出すためと思われる四角い穴が
いくつも空いていました。 下の排水溝にたまる水がトンネル外に
どこから出るのかわかりませんでした。
機器がある頃は上からの露を防ぐため
屋根が設けられていたそうです。 入り口から210m程進みました。 20~30cm程の木材が付いていました。
水が当たる場所なので朽ちています。 もう20m程先にもありこちらは縦向きでした。
もし遺構であればケーブル等を
引っ掛けるための物だと思われます。 東側のトンネル口間近まで来ました。
事前に見た画像では今まで来た側面のどこかに
遺構であろうフック等があるそうですが
私は見つけられませんでした。 奥に見える、下に穴が開いてる壁は
通信設備を守るために造られた
爆弾防止壁です。 トンネルを抜け北側を向くと
国道と東名高速道路が見えます。 こちらのトンネル口は西側に比べて
アーチ下部が内に反っています。 錆びた金属が出ています。
通信施設があった頃はこちらのトンネル口が
大きく塞がれていた写真画像があったので
その跡かもしれません。 爆弾防御壁の高さは目測4m程。
コンクリートで作られています。
下の穴は戦後に空けられたとの事ですが
理由はわかっていないそうです。 穴の間近。壁の厚みは50cm程でした。
鉄筋を取るためかとの考察がありましたが
この穴の側面に鉄筋は見えませんでした。 トンネル口すぐ北側。 送信所がある頃の写真画像を見ると
この平たい場所には小屋が建っていました。
平たさ以外に建物の痕跡は見当たりませんでした。 防御壁から東へ20m程進みました。
間に小川があったので幅の狭い場所を
飛び越えて渡りました。 遺構である冷却池。送信機器の
真空管冷却用に造られた水槽です。
コンクリート製で縦横が
15m×10m程に見えました。 水槽は2層になっています。
当時はここからパイプで水を
トンネル内まで送っていたそうです。
今は雨水が溜まっているだけのようです。 水槽のトンネル側の底が見える場所は
底まで目測2.5m程あるようなので
水槽の水深もそれぐらいかもしれません。 この辺りも水槽の一部なのですが、
足元が見えにくく転落の可能性もあるので
近付いて詳しく見るのは自重しました。 締めは防御壁の穴からトンネルを見ました。
大きな役割を果たした場所です。
広く知らせろとは言いませんが
存在を忘れないようにしてほしく思います。
山北町は神奈川県西部にある自治体で地域のほとんどが山地になっています。今回は地域南側の御殿場線沿い近くにかつてあった、玉音放送を海外に発信した国際電気通信足柄送信所跡(御殿場線箱根第五隧道跡)を主に取り上げています。
足柄送信所は御殿場線の単線化によって使われなくなった御殿場線箱根第五隧道に1944年(昭和19年)に造られました。安全な場所で電力の供給ができ、ケーブルの設置が容易で真空管の冷却水が確保しやすいので実地調査等経て選ばれたそうです。送信所のある山の高台には送信アンテナが何本か設置されたそうです。
終戦日である1945年8月15日の正午から、玉音放送がここから海外へ短波で発信されました。軍人や在留邦人がいた中国大陸や南方諸島、日本からの移民が多くいた南米・北米等にも発信され終戦を広く伝えたそうです。戦後に送信所がどうなりいつ頃無くなったかはネットで調べても何も出てきませんでした。一般には秘匿されていた場所なのであまり情報が残っていないのかもしれません。
撮影で初めて山北町のこの辺りを訪れました。谷峨駅近くは小柄な集落がありますが道を歩く人の姿はほとんど無くたまに車が通るぐらいで、いかにも山合の集落らしく感じました。目的地の廃トンネル内は冬場という事もあり、たまに冷たい風が吹き抜けていきました。事前にインターネットで調べトンネル内に残る痕跡の画像をいくつか見ました。ですがここ数年でトンネル内に工事車両の出入り等があったせいか、現地で見たコンクリートの床面は傷が付いたり擦れたりしており、床面に通信機器を設置したであろう痕跡はよくわかりませんでした。それ以外の部分や場所は年代相応の劣化具合に見えたので、大きな開発でもない限りは今の状態が今後も長く続くと思われます。自分なりに今の遺構の状態等を映像に残したつもりです。
(顔が確認できる程映ってしまっている部分等を加工修正しています。決してわいせつな訳ではありません)
〇撮影等で参考にしたサイト
・戦争遺跡データベース「祐実総軍」
http://yumigundan.web.fc2.com/yamakita.htm
・はるさんの戦跡巡礼記
https://ameblo.jp/yoshidanoharuo/entry-12787721915.html
・戦跡紀行ネット~近代史跡・戦跡紀行~
https://senseki-kikou.net/?p=40221
※立ち入っても問題無い場所である事を事前に確認し、現地にいた工事関係者の方に口頭で許可を取った上で立ち入り撮影をしています。
※編集で一部の映像の明るさを上げています。
0:00 山北町谷ケにある谷峨駅。
0:06 駅前からこちらの県道を
目的地のある北西へ向けて進みます。
0:15 駅から数分歩いて進むと
東名高速道路の大きな橋梁が見えてきます。
0:20 駅前から県道を650m程進み
東名高速道路の下まで来ました。
左側の道路は国道246号になります。
0:27 遠くに新東名高速道路の
建築中の道路橋が見えました。
0:34 現在は歩道として使われている
旧国道246号を進み目的地に向かいます。
0:41 先程から100m程進みました。
この旧国道は数年前から近所の工事のため、
工事車両の通り道としても使われています。
0:50 目的地はこの分岐の少し先。
この道奥の方の線路沿い辺りで
工事が行われているようですが、
工事内容は調べてもわかりませんでした。
0:58 目的地のかつて足柄送信所が設けられた
御殿場線箱根第五隧道跡(廃トンネル)の
西側トンネル口に到着しました。
1:04 このトンネルは当時東海道本線だった
現在の御殿場線を複線化するために
1900年(明治33年)頃に造られたそうです。
1:11 旧線の鉄道橋は旧国道の左側に
沿うような場所を通っていたそうです。
向こう岸には痕跡が残っているそうですが
こちら側は見当たりませんでした。
1:16 トンネルはアーチの高さが目測4.5m程、
幅が最もある場所も同じ長さに見えました。
内部は総レンガ造りのようでした。
1:25 トンネル内部の上部を所々見ましたが
煤煙の跡は残ってないようです。
1:32 トンネルのアーチ最も高い場所の外側に
棒状の突起物が見えます。
遺構の一部かどうかはわかりません。
1:39 横に伸びるのは錆びた鋼線かと思いましたが
今見ると枯れた草かもしれません。
1:45 では中に入りましょう。
トンネルの全長は280m程との情報が
ネット上にいくつかありました。
1:52 入ってすぐ両脇にトタン板が貼られています。
状態から見て戦後に補修のため
レンガの代わりに貼られた物と思われます。
2:09 入口から50~60m位進みました。
コンクリートで塗られた場所も
戦後の補修跡と思われます。
2:20 右手に鉄道保全作業員用の退避所だった
窪みが見えてきました。
2:26 高さは180cm程で奥行きは50~60cm程。
脇はレンガですが奥は岩肌のままでした。
側面片側(南側)だけに約70mおきで3か所あり、
3か所とも同じ造りでした。
2:31 入口から90m程進むと地面が砂利から
コンクリート敷になりました。
通信機器を置くためにこうされたそうです。
2:41 インターネットで事前に見た画像では
機器が置かれた跡が床面に残っていましたが、
ここ数年工事車両の出入り等があったせいか
傷がついたり擦れたりしていて
その跡は全く分かりませんでした。
2:54 入口から130~140m進みほぼ中央に来ました。
地面がコンクリートの場所は
両脇に排水溝がほぼ設けられています。
トンネル端に行くほど排水溝内には
土砂が貯まっていました。
3:04 側面から水がよく出ていた場所。
見にくいですが画面中央少し上にあるように、
水を出すためと思われる四角い穴が
いくつも空いていました。
3:17 下の排水溝にたまる水がトンネル外に
どこから出るのかわかりませんでした。
機器がある頃は上からの露を防ぐため
屋根が設けられていたそうです。
3:24 入り口から210m程進みました。
3:32 20~30cm程の木材が付いていました。
水が当たる場所なので朽ちています。
3:37 もう20m程先にもありこちらは縦向きでした。
もし遺構であればケーブル等を
引っ掛けるための物だと思われます。
3:42 東側のトンネル口間近まで来ました。
事前に見た画像では今まで来た側面のどこかに
遺構であろうフック等があるそうですが
私は見つけられませんでした。
3:48 奥に見える、下に穴が開いてる壁は
通信設備を守るために造られた
爆弾防止壁です。
3:55 トンネルを抜け北側を向くと
国道と東名高速道路が見えます。
4:01 こちらのトンネル口は西側に比べて
アーチ下部が内に反っています。
4:09 錆びた金属が出ています。
通信施設があった頃はこちらのトンネル口が
大きく塞がれていた写真画像があったので
その跡かもしれません。
4:19 爆弾防御壁の高さは目測4m程。
コンクリートで作られています。
下の穴は戦後に空けられたとの事ですが
理由はわかっていないそうです。
4:24 穴の間近。壁の厚みは50cm程でした。
鉄筋を取るためかとの考察がありましたが
この穴の側面に鉄筋は見えませんでした。
4:36 トンネル口すぐ北側。
4:41 送信所がある頃の写真画像を見ると
この平たい場所には小屋が建っていました。
平たさ以外に建物の痕跡は見当たりませんでした。
4:47 防御壁から東へ20m程進みました。
間に小川があったので幅の狭い場所を
飛び越えて渡りました。
4:53 遺構である冷却池。送信機器の
真空管冷却用に造られた水槽です。
コンクリート製で縦横が
15m×10m程に見えました。
4:58 水槽は2層になっています。
当時はここからパイプで水を
トンネル内まで送っていたそうです。
今は雨水が溜まっているだけのようです。
5:08 水槽のトンネル側の底が見える場所は
底まで目測2.5m程あるようなので
水槽の水深もそれぐらいかもしれません。
5:18 この辺りも水槽の一部なのですが、
足元が見えにくく転落の可能性もあるので
近付いて詳しく見るのは自重しました。
5:24 締めは防御壁の穴からトンネルを見ました。
大きな役割を果たした場所です。
広く知らせろとは言いませんが
存在を忘れないようにしてほしく思います。
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動画を撮影した時の雰囲気や音声をできるだけ残しておきたいので、字幕や追加音声等の加工をせずに概要欄と下部コメント欄で動画の解説をしています。
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#山北町 #御殿場線 #戦争遺構
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※立ち入っても問題無い場所である事を事前に確認し、現地にいた工事関係者の方に口頭で許可を取った上で立ち入り撮影をしています。
※編集で一部の映像の明るさを上げています。
0:00 山北町谷ケにある谷峨駅。
0:06 駅前からこちらの県道を
目的地のある北西へ向けて進みます。
0:15 駅から数分歩いて進むと
東名高速道路の大きな橋梁が見えてきます。
0:20 駅前から県道を650m程進み
東名高速道路の下まで来ました。
左側の道路は国道246号になります。
0:27 遠くに新東名高速道路の
建築中の道路橋が見えました。
0:34 現在は歩道として使われている
旧国道246号を進み目的地に向かいます。
0:41 先程から100m程進みました。
この旧国道は数年前から近所の工事のため、
工事車両の通り道としても使われています。
0:50 目的地はこの分岐の少し先。
この道奥の方の線路沿い辺りで
工事が行われているようですが、
工事内容は調べてもわかりませんでした。
0:58 目的地のかつて足柄送信所が設けられた
御殿場線箱根第五隧道跡(廃トンネル)の
西側トンネル口に到着しました。
1:04 このトンネルは当時東海道本線だった
現在の御殿場線を複線化するために
1900年(明治33年)頃に造られたそうです。
1:11 旧線の鉄道橋は旧国道の左側に
沿うような場所を通っていたそうです。
向こう岸には痕跡が残っているそうですが
こちら側は見当たりませんでした。
1:16 トンネルはアーチの高さが目測4.5m程、
幅が最もある場所も同じ長さに見えました。
内部は総レンガ造りのようでした。
1:25 トンネル内部の上部を所々見ましたが
煤煙の跡は残ってないようです。
1:32 トンネルのアーチ最も高い場所の外側に
棒状の突起物が見えます。
遺構の一部かどうかはわかりません。
1:39 横に伸びるのは錆びた鋼線かと思いましたが
今見ると枯れた草かもしれません。
1:45 では中に入りましょう。
トンネルの全長は280m程との情報が
ネット上にいくつかありました。
1:52 入ってすぐ両脇にトタン板が貼られています。
状態から見て戦後に補修のため
レンガの代わりに貼られた物と思われます。
2:09 入口から50~60m位進みました。
コンクリートで塗られた場所も
戦後の補修跡と思われます。
2:20 右手に鉄道保全作業員用の退避所だった
窪みが見えてきました。
2:26 高さは180cm程で奥行きは50~60cm程。
脇はレンガですが奥は岩肌のままでした。
側面片側(南側)だけに約70mおきで3か所あり、
3か所とも同じ造りでした。
2:31 入口から90m程進むと地面が砂利から
コンクリート敷になりました。
通信機器を置くためにこうされたそうです。
2:41 インターネットで事前に見た画像では
機器が置かれた跡が床面に残っていましたが、
ここ数年工事車両の出入り等があったせいか
傷がついたり擦れたりしていて
その跡は全く分かりませんでした。
2:54 入口から130~140m進みほぼ中央に来ました。
地面がコンクリートの場所は
両脇に排水溝がほぼ設けられています。
トンネル端に行くほど排水溝内には
土砂が貯まっていました。
3:04 側面から水がよく出ていた場所。
見にくいですが画面中央少し上にあるように、
水を出すためと思われる四角い穴が
いくつも空いていました。
3:17 下の排水溝にたまる水がトンネル外に
どこから出るのかわかりませんでした。
機器がある頃は上からの露を防ぐため
屋根が設けられていたそうです。
3:24 入り口から210m程進みました。
3:32 20~30cm程の木材が付いていました。
水が当たる場所なので朽ちています。
3:37 もう20m程先にもありこちらは縦向きでした。
もし遺構であればケーブル等を
引っ掛けるための物だと思われます。
3:42 東側のトンネル口間近まで来ました。
事前に見た画像では今まで来た側面のどこかに
遺構であろうフック等があるそうですが
私は見つけられませんでした。
3:48 奥に見える、下に穴が開いてる壁は
通信設備を守るために造られた
爆弾防止壁です。
3:55 トンネルを抜け北側を向くと
国道と東名高速道路が見えます。
4:01 こちらのトンネル口は西側に比べて
アーチ下部が内に反っています。
4:09 錆びた金属が出ています。
通信施設があった頃はこちらのトンネル口が
大きく塞がれていた写真画像があったので
その跡かもしれません。
4:19 爆弾防御壁の高さは目測4m程。
コンクリートで作られています。
下の穴は戦後に空けられたとの事ですが
理由はわかっていないそうです。
4:24 穴の間近。壁の厚みは50cm程でした。
鉄筋を取るためかとの考察がありましたが
この穴の側面に鉄筋は見えませんでした。
4:36 トンネル口すぐ北側。
4:41 送信所がある頃の写真画像を見ると
この平たい場所には小屋が建っていました。
平たさ以外に建物の痕跡は見当たりませんでした。
4:47 防御壁から東へ20m程進みました。
間に小川があったので幅の狭い場所を
飛び越えて渡りました。
4:53 遺構である冷却池。送信機器の
真空管冷却用に造られた水槽です。
コンクリート製で縦横が
15m×10m程に見えました。
4:58 水槽は2層になっています。
当時はここからパイプで水を
トンネル内まで送っていたそうです。
今は雨水が溜まっているだけのようです。
5:08 水槽のトンネル側の底が見える場所は
底まで目測2.5m程あるようなので
水槽の水深もそれぐらいかもしれません。
5:18 この辺りも水槽の一部なのですが、
足元が見えにくく転落の可能性もあるので
近付いて詳しく見るのは自重しました。
5:24 締めは防御壁の穴からトンネルを見ました。
大きな役割を果たした場所です。
広く知らせろとは言いませんが
存在を忘れないようにしてほしく思います。
次回の動画公開は2週間後の予定です。来週の公開はありません。
藤沢を離れて暑い中、他の所で撮影した、
貴重な動画ありがとうございました。