会津地方には、各所にマリア観音像のようなキリシタンに関わる遺物や伝承が残っている。会津でキリスト教信仰が広まったのは、天正18年(1590)、切支丹大名の蒲生氏郷が会津の領主となり信仰を広めたことが大きい。全盛期には、2000人程の信者がいたと言われ、特に猪苗代町と、南会津町には信者が多くいたようだ。

蒲生氏郷は城下町を形成し、産業の振興など民生の安定に尽力した。また、城下三ヶ所に天主堂を建てたとされ、その内の一つが、現在の天子神社の地だったとされる。

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