東北地方 2022-01-19 みちのく歴史紀行、会津の切支丹史跡、篤き信仰心は、石仏に紛れ込ませた 会津地方には、各所にマリア観音像のようなキリシタンに関わる遺物や伝承が残っている。会津でキリスト教信仰が広まったのは、天正18年(1590)、切支丹大名の蒲生氏郷が会津の領主となり信仰を広めたことが大きい。全盛期には、2000人程の信者がいたと言われ、特に猪苗代町と、南会津町には信者が多くいたようだ。 蒲生氏郷は城下町を形成し、産業の振興など民生の安定に尽力した。また、城下三ヶ所に天主堂を建てたとされ、その内の一つが、現在の天子神社の地だったとされる。 マリア観音会津若松ツアー切支丹切支丹塚天司の欅天子神社御三階櫓涙橋福島県会津若松市福島県南会津町福島県猪苗代町 Write A Commentコメントを投稿するにはログインしてください。