【地理雑学】古道・旧街道 x 現在の国道50号を走行動画&古地図&googleアースで分析!/結城街道/国道50号/関東地方/茨城県

国道50号(1)結城街道編
江戸の街道と現在の新道を追う! はい、ドラレコ風景を次々に雑学解説する動画、今回は国道50号結城街道区間です。 「江戸の街道と現在の新道のルート比較」というテーマとともに走っていきます。 〇赤塚駅前に残る、江戸時代・結城街道と昭和・バイパスの分かれ道 〇結城街道はなぜ山すそを? などなど、地理調査に徹底的に時間を割いて、丁寧に仕上げました。 今回も脚本詳しめ、音声はなつきでお送りいたします。 ではでは、国道50号結城街道区間へGO! はい、今日のスタート地点は水戸駅前です。 水戸市の中心部です。 都会ですね~ ここから西方向、栃木や群馬方向に走っていきます。 国道50号、北関東の茨城、栃木、群馬を横断する国道ですね! 今回はその国道50号の中でも、「結城街道(ゆうきかいどう)」と呼ばれる、 江戸時代に整備された歴史ある街道筋をたどっていきます。 ルートは、水戸から小山(おやま)市を経て、日光街道へとつながる区間。 現代の国道50号と重なる部分も多く、 現代の幹線道路の中に、当時の道筋がどこまで残っているのか… 歴史と現在が交錯する、とても面白いルートです。 今回は「現在の国道」と「江戸時代の結城街道」と、二つのルートをメインに比較しながら進んでいきます。 そしてこの結城街道、江戸時代には商人たちの通行だけでなく、大名の参勤交代のルートとしても使われていたようです。 実際に通っていたのが… 水野忠邦(みずのただくに)などを輩出した水野氏の「結城藩(ゆうきはん)」が日光街道付近、 水戸街道に近い「笠間藩(かさまはん)」、
そしてその中間に位置する「下館藩(しもだてはん)」などの大名たちです。 このうち結城藩と笠間藩は、徳川家に古くから使えていた「譜代大名」 そして、結城藩と笠間藩、水戸街道と日光街道の中間にある下館藩は、外様大名だったんですね! さすが家康。 もしかするとこれは、「外様が反乱を起こす前に、挟み撃ちにできるように」 「戦が起こらないように牽制」しておくようにという大名配置の工夫だったのかもしれません。 そんな大名たちが参勤交代で整備した道のり。楽しみです! あ、偕楽園北口です。 ここを越えて… ここを左まっすぐが結城街道です。 ただ現在は、赤塚駅前の混雑を避けるように、少し北側をバイパスするルートが整備されています。 古地図を確認してみましょう! 明治36年に測図(そくず)され、昭和5年に鉄道が書き加えられたものです。 この緑の線が、旧道・結城街道ですね~ これが左まっすぐに進んだ通りです。 そして、黄色の線が現在の国道50号筋です。 近い道は走っていますが、まだまだ整備前といった感じですね~ 赤塚駅前の混雑が激しくなり、バイパス化されたのだと推測できます。 いつ整備されたのかは特定できなかったのですが、 今昔マップで確認すると「昭和15年~昭和52年」の間ということだけはわかります。 あと、古地図を見ると、その赤塚駅から斜め上へ走っている、現在は存在しない鉄道路線が見えます。 1971年に廃線となった「茨城鐵道」です。 ルートは、那珂川(なかがわ)沿いを北上し、御前山(ごぜんやま)駅まで走っていたようです。 この路線、経営不振だったという情報を見つけました。 地域の人口ボリュームや、バス・自家用車の普及といったモータリゼーションの波に、抗いきれなかったのかもしれません。 一方で、東京と水戸を結ぶ幹線、JR常磐線は今も元気に運行中。 時代の変化とともに、残る路線・消える路線の明暗が分かれたということなのでしょうか? 現在廃線跡は、主に地域の道路として活躍しているようですね~。 お、そして左から新しい道路!? これ、「都市計画道路中大野中河内(なかおおの なかがち)線 松ヶ丘(まつがおか)工区」と呼ばれる区間で、 現在整備が進められている模様です。 これが水戸市、那珂(なか)市、ひたちなか市を結ぶ環状線「水戸勝田環状道路」の一部とのこと。 北関東の都市がそれぞれ工夫を凝らして、着実にインフラ整備を進めているのが感じられますね。 水戸市も、独自のスタイルで都市交通の未来を描いているようです! ここを左で赤塚駅です。 水戸市のベッドタウン的存在かな? そして、結城街道が左から合流です。 そして、大塚池の端(はた)で国道50号バイパスと合流します。 立派な陸橋です! おお~ひろ~い! そしてすぐの陸橋の左側を、結城街道が抜けていたようです。 昔、明治時代は田と草地などが確認できます。 そこへ新道を通し、最終的にバイパスとして拡幅されたってことですね~! そして、結城街道は、この常磐道の高架下を斜めに左から右前へ進んでいたようです。 そして、この常磐道の水戸インター陸橋下付近で、今度は右から左斜め前へ。 殆ど重複と言っていいルートを結城街道が走っていました。 そして、左からほぼ重複していた結城街道が合流し、 右の城里(しろさと)方面が結城街道であり、旧国道50号でもあった道のようです。 そして、今走っている現道が内原(うちはら)バイパス。 2005年に片側二車線になり整備完了しています。 旧国道は道幅が狭く、車も多くて歩行者には危険な道でした。 でも、集落の中を広げるより、田んぼの中に新しい道を通したほうが現実的だったんですね。 バイパスができてからは、急ぐ車はそちらへ。 旧国道の交通量は6割も減って、歩行者の安全性が大きく向上したそうです。 桜川です。千波(せんば)湖へ流れ込む川ですね~ そして、ひろ~い! 関東平野って感じです。 ここまでの結城街道筋には、法則性は見えてきませんでした。 川沿いでもなく、山のふもとに沿っているわけでもなく… なぜこのルートだったんでしょう? もしかすると、小川とか小さな沼とか、ちょっとした地形が関係しているのかもしれません。 例えば、「湿地ではなくわずかに高い場所」とか 「周りと比べると地盤がしっかりしている土地」に集落が形成され、 その集落同士を結んだ道が、やがて街道として発展したのかもしれませんね~ おお~、イオンですね~ 洋服の青山にK’s電気。 そしてしまむら! バイパスができてロードサイド店が出店したのは間違いないのですが、この右側のイオンのさらに奥、 JR常磐線が走っていて、内原駅(うちはらえき)があるんです。 こんな郊外型にしか見えない超巨大モールなのに、珍しく駅チカです。 もしやと思って人口を調べてみると… バイパスが開通した2005年ごろは約2000人だったのが、いまや4000人超え! やっぱり、イオンモールと駅チカの組み合わせって、人口も引き寄せるんですね~。 ここで、右から結城街道、そして旧国道が合流してきます。 そして、この先小さな丘を越えていくんですが… 「え? なぜ平野を通らないの?」 って思いますよね? 実は、平野を抜けて結城市を目指そうとすると、 ぐる~っと南の方、霞ヶ浦の近くまで大きく回り込まなきゃいけないんです。 なぜなら、この先に立ちはだかるのが、八溝(やみぞ)山地の南端。 あの筑波山も含まれる筑波山塊が横たわっているからなんですね。 そこまで大回りするのであれば、80m級の僅かな丘越えをしたほうがはるかにマシです。 結城街道も、80m級の丘であればと突っ切っていったんですね~ ここを左で結城街道です。 この正面は…切通ですかね? だから結城街道は曲がっていた? 丘のすそ野からここまで、殆ど重複しているのですが、細かい部分で左右に揺らぎがあったようです。 う~ん、やっぱり新道側はわずかに切通しているようです。 そして、ここで左から僅かに南側にずれていた結城街道が合流。 小さな小さな丘が新道と結城街道の道筋を分けたのでしょうか? ここで左へ。 右側、噂のにんたまラーメンですね~! 国道51号謎の茨城鹿行(ろっこう)編でちらっと出てきます! …って、あれ? うわ…まさかの閉店…! これは寂しい…。」 そして、ここで左から結城街道です。 この辺りは旧国道なども入り混じっていて… 拡幅区間、ですね~! そして、この右側の道が旧国道であり、結城街道であったようです。 あれ、もしかして、田んぼを避ける形で結城街道は曲がっていたのかな? ここで右から合流してきます。 山すそをぐるーっと大回りしていたようです。 山すそに沿って走っていて、田んぼを避けてるっぽい? この右の小さな坂を、旧国道、結城街道ともに登っていたようです。 そして、ドコモの看板辺りで旧国道は現道と合流しますが、結城街道はまだ右の丘の上を走っていきます。 やはり結城街道、田んぼかあるいは畑を避けていたようです。 そして、右から結城街道が合流してきます。 そして、ここを左まっすぐ、かすかに登りです。 新道は低い丘を切り通しているようですね。 やはり今も昔も、人は上り下りは避けていたんですね~ 面白いですね! そして、交差点を右前へ、旧国道が走っていきます。 結城街道、旧国道、現国道がすべて分かれています。 そして、すぐに旧国道の方が右手前から左前へ進んでいきます。 …ってもしかして! やっぱりそうです。新道側は山を切り崩しています。 旧国道は小さな丘を避けて走っていたんですね~ そしてこの橋、下を旧国道と合流した結城街道が走っています。 結城街道は谷底を走っていたようです。 新道である現道は、山を切り崩し、橋を架け、まーっ直ぐ走れるようにしたんですね~! おお~ここなんか、畑を切り通したんでしょうか? 工事現場がイメージに浮かんでくるようです! そして、結城街道が右から合流してきて… 左斜め前へ進んでいきます。 お、二車線になりました! どこかのバイパスですか!? 結城街道は町中を通っていた? 笠間地区を避けるバイパスだったんですね~ って、あれ? 笠間市の笠間地区、中心部のはずなのに、市役所がない… 笠間城も、笠間駅もあるのに…市役所がない… あれ、おかしいな…と思い、笠間市役所を探してみると、もう少し水戸側の「友部駅」付近にあるんです。 これ、合併が関係してるのかな?と思って調べてみたら、やっぱり関係ありました。 笠間市は、かつての笠間市と、友部町、岩間町が合併して誕生した市なんですが… 当時、一番人口が多かったのが友部町だったそうです。 そして案の定、市の名前をどうするかで少しもめたんですが、 「市名は笠間市」「市役所は友部町」という形で決着したんだとか。 なるほど、それで現在の「笠間市役所」は笠間地区じゃなく、友部にあるわけなんですね~。 あ、この先、ザ・バイパスって造りです! 山すそを切り通していますね~ テンション上がりますね~! そして、街の外側へ降りてくるこの造り! そして、もう一つ山すそを切り通したら、片側1車線になりました! バイパス区間は終わりですか? あ、この鳥居から、左手前から右前へ結城街道が横切ります。 そして、右側の山すそをぐる~っと周って… こちらで右から合流です。 やはり、田んぼを避けて結城街道は走っていた、 山すそに農家さん、そしてこの新道の上は一面田んぼだったんでしょうね~! そして、右へ結城街道。 再び山すそに沿って走っていきます。
分かってきたぞ! そして、この辺りで右から結城街道です。 そして、こちらは左です。 こちらはやや山すそからは離れていますが… 山すそ付近に立ち並ぶ集落を形成していたようです。 古代からある稲田神社の元で、「石材の町」として発展した村だそうです。 もしかしたら、江戸時代よりもっともっと前から走っていた道なのかもしれません。 そしてこの左から右へ結城街道が走ります。 新道側は何もない場所が目立つのに、街道側は家々が立ち並んでいますね~ そして、右の歩道橋の足が結城街道です。 その下に、小さな橋が見えますね? これが東側の稲田御坊…お寺さんで、稲田神社は西側に少し戻った場所にあります。 明治政府の神仏分離政策で別れたのでしょうか? そして正面、切り通していますね~ そう、ここを左に、山すそを走ってくのが結城街道です。 そして左から右へが結城街道です。 この新道区間は、田んぼだったんでしょうね~ あ、二車線です。 登坂車線のようですね~ そしてこの橋の下を、右から左へ走るのが結城街道です。 新道はそこそこ登っていますね! 結城街道は左の山すそ付近、200mぐらい右側を走っていきます。 そして、新道はもうひと山切り通して… そして、この左側の道が結城街道です。 左の崖下を並走して… 新道が崖下へ降りたこの地点で合流! 面白いですね~ 新道である現道は、線形を保つために結構切り通したり橋を架けたりしているのに対し、 旧道や結城街道は地形に逆らわず自然な道筋が多いです。 ここを交差するのが旧道であり結城街道です。 旧道はクランクになっています。 Googleアースを見れば一目瞭然、旧道の跡が手に取るようにわかります。 JRが走る前から同じ道筋なんでしょうね~ 本格的な街になってきましたね~ ここが、桜川市(さくらがわし)の元岩瀬町(いわせまち)地区です。 八溝山地を越えたら、水戸藩から下館藩(しもだてはん)、現在の筑西市とつながりが強くなってくるそうです。 そして、右から山すそが迫ってくると同時に… 右から左が旧国道、結城街道ですね。 おっと、また片側2車線になってきました。 もしや、ここから下館、筑西市まで2車線が続くんでしょうか? あ、桜川市の北の一角、岩瀬町中心部にあたる岩瀬駅です。 雰囲気がちょっと違う感じがしますね。 気のせいかな? そして、左から旧国道、結城街道が合流してきます。 そして、あの設計事務所のビル前を右前に進むのが、旧国道と結城街道です。 この先に小貝川、そして鬼怒川が流れている氾濫原があるのですが、その間に僅かな大地があるようです。 台地上が標高50m、そして鬼怒川や小貝川の氾濫原が標高38mです。 真壁台地、とも呼ばれているようです。 台地とは言え、僅かに12m。 南のほうは水田で埋まっていますね~ あ、この区間は新しい感じがします。 桜川筑西IC関連のバイパスです。 現在事業は継続中です。 この先、共和バイパスの整備も始まる予定です。 って、もう終わった~ ここからまた片側1車線に戻りましたね。 そして、上野沼(うえのぬま)の交差点で右から結城街道が合流してきます。 そして、このENEOSの右側辺りからでしょうか? 協和バイパスが計画されています。 こちら、左まっすぐが結城街道です。 三角形でまっすぐが行きづらくなってます。 旧道と新道、定番の三角ゾーンですね~ ちなみに、あの三角のゾーン、なんていうか知ってますか? 「交通島(こうつうじま)」なんて言われます。 …てかこれは、島になってない… あれ、これは何だ? 交通半島?? 左から交通島で別れた結城街道が合流してきます。 と同時に、定かではないのですが、恐らくこの右辺りまで協和バイパスが続いてくるそうです。 そして、ここら辺から拡幅区間として計画されています。 あ、用地買収が進んでいるんでしょうか? 左側広~い! そして、ここを左斜め前に進むと、結城街道で、筑西市街地へと入っていきます。 そして、左斜め前が旧国道50号。 現在、茨城県道7号へ移管されています。 現道・国道50号下館バイパスはその北側を大きく迂回して走っていきます。 あ、歩道橋の下、左側が開いています。 そう、この下館バイパスも事業が進行中。 現在2車線道路ですが、4車線道路に拡幅工事が進んでいます。 あ、国道294号です! 福島県の会津若松まで続いています。 そして、この下を走るのが結城街道です。 この先、国道50号のやや北側を並行して結城市街地へ入っていきます。 そして、こちらで合流するのが旧国道50号。 この先、結城街道は結城市街地へ入り、茨城・栃木県道264号を走って小山市街地まで走っていき、日光街道と合流していたようです。 結城街道が追えるのはここまで。 そしてこの先、新道である下館バイパスから結城バイパスへ接続します。 その接続する交差点まで行って、開通した結城バイパスを見て終了にしましょう! 下館バイパスから国道50号結城バイパスへ接続。 結城バイパスは4車線で開通し終わってます。 この交差点が境界でしょうか? 反対車線も2車線になりました。 立派な道路です! これが桜川市とつながれば、八溝山地を越えた先、桜川市(さくらがわし)の元岩瀬町(いわせまち)地区と全線4車線でつながるわけですね~。 ではでは、そろそろ結城街道区間は終了です。 もし、「ここ面白かった!」とか「ここ通ったことあるよ!」なんて場所があれば、ぜひコメントで教えてくださいね! こんな感じで、のんびり、ですがしっかり地理雑学お届けします。 次回も気になる方は、チャンネル登録しておくと、お勧めに表示されやすくなりますよ~ 次回は国道50号西側を走ります。 関東平野を見ていて不思議に思ったことはありませんか? 周りは水田なのに、どうしてここに大都市が出来たのか? 点在するこの大都市達はいったい何なのか? 都市地理学、集落地理学のはじめの一歩! 小さな地理雑学も、積み重ねると壮大な何かが見えてくる…! 気がします。 ではでは、動画のご視聴ありがとうございました。 なつきがお送りいたしました~。ばいば~い。

江戸時代に整備された街道と、現在車用に整備された国道50号を様々な資料を用いながら比較する動画です。
〇赤塚駅前に残る、江戸時代・結城街道と昭和・バイパスの分かれ道
〇結城街道はなぜ山すそを?

などなど「新道旧道比較」をテーマに解説!

■■以下雑学、地理案内一覧
【道路地理】本日のスタート地点は?0:52
【道路地理】水戸駅前から西へ。栃木・群馬を目指す街道旅の起点
【旧道】赤塚駅前に残る、江戸時代・結城街道と昭和・バイパスの分かれ道
【バイパス】歩行者の安全が決め手?内原バイパス整備の背景に迫る
【旧道】なぜこの道を選んだ?結城街道のルートに隠された地形…かもしれない
【イオン】巨大モールのすぐ隣に駅?イオンと人口推移!
【峠越え】80m級峠!
【旧道】結城街道はなぜ山すそを?
【自治体】なぜ笠間市役所が「笠間」地区にない?合併の舞台裏
【交通】交差点の「三角ゾーン」って正式名称あるの?実は…
【交通】下館・結城バイパス!

■地図を確認したい方はこちら
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7 Comments

  1. 10:37 なぜ、結城街道は、ここから友部を経由せず山を突っ切ったのか気になります
    友部、宍戸を経由した方が集落がない区間の距離は短かったのではないかと…

  2. 読み間違いや言い間違い、変換ミス、表記の揺れなどにはできる限り注意を払っていますが、雑学や画像の情報量が多く、また更新の都合上、デバッグに十分な時間が取れない場合があります。

    もし内容を他でご紹介いただく際は、ぜひご自身でもう一度ファクトチェック・ご確認いただけますと安心です。

    また、万が一誤りや気づいた点などありましたら、コメント欄で私や皆様と共有していただけるととても助かります。
    あと、足あとにコメントも大歓迎ですので、ぜひ残していってくださいね~

    以下、参考リンク
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    ひなたGIS
    https://hgis.pref.miyazaki.lg.jp/hinata/hinata.html#NxsIVTbZrgVG

    水戸・勝田環状道路
    https://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000794713.pdf

  3. すごく勉強になりました
    北関東道開通前によく50号を使ってましたが、
    町の建物や道路と国道の向きがズレていて、
    斜めに交差する道路が多く違和感を感じていました
    この違和感は旧街道を中心に作られた街並みと、
    直線的に突き抜けるバイパスによるものだったのですね
    バイパスもロードサイド店舗が増えるにしたがって違和感は消え
    時間の経過により町と調和していくのでしょう

  4. E50の影響か、内原下館間は自分にとっては結構スムーズに走れる様なイメージを持っています。

    水戸IC付近の加倉井町近辺は「かくらい」さんと言う人が多いと聞いたことがあります。

    また笠間栗は、実際に笠間よりも岩間町と友部町の方が収穫量が多く、平成の大合併なくしては

    収穫量全国1位にはなりえなかったとも聞いています。

    機会があったらロケ地で有名な結城病院も是非伺ってみたいところです。

  5. 内原バイパス手前から城里方面に入るとすぐ左に曲がる道があり、そこが旧道の旧道との事で、本来の結城街道になるかもしれないです。
    そこから杉崎十字路まで(大足町川又石油手前で一度旧道に合流しますが)旧旧道だったと思われます。

  6. 25:55辺りの用地買収が進んでる場所?は旧国道の曲がった線形のなごりが残ってる場所だと思います。50年近く前、既にありました。

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