那覇市タイムスリップ

今も昔も多くの人々が行き交う那覇市 交通網の発展 行政区域の拡大など 様々な歴史を経て現在の姿になりました どのような歴史を辿ってきたのか 上空から見てみましょう これは現在の那覇市の姿です ここから一気に歴史を遡って行きます これは琉球王国時代の那覇の絵図です 現在の那覇の姿とは大きく異なり 当時の那覇は離れ島のように 首里の対岸に浮かぶ浮島でした 浮島には橋が架けられ 首里城のある首里と結ばれていました 明治時代に入ると琉球処分により 琉球王国から沖縄県へと変わり 那覇に県庁が置かれました 那覇は泊・久米・久茂地を含め 「那覇区」となりました その後 那覇区に隣接する 牧志村・垣花村も編入し 1921年には市制が施行され 那覇市となりました さらに西町や東町の埋め立ても進み 那覇の市域が拡大しました 大正時代には 港の整備とともに路面電車や鉄道 バス路線など陸上交通網の整備も進みました 戦前の那覇は デパートをはじめとする各種商店 銀行などが軒を並べ 映画館などの娯楽施設も開設されるなど 街の近代化が進みました しかし この成長は太平洋戦争とともに 途絶えることになりました 沖縄戦では沖縄本島を中心に地上戦が行われ 那覇の街も空襲や砲撃によって 琉球王国時代から残る 建物のほとんどが消失してしまいました 沖縄戦後の米軍統治下においても 港や道路整備 住宅地の区画整理などが 行われました 1954年 那覇市は首里市・小禄村と合併を行い 1957年に真和志市とも合併することで 現在の那覇市の姿になりました 1972年に日本本土に復帰すると 那覇空港や新港ふ頭の拡張など 那覇の物流や玄関口の整備が 活発になりました また米軍基地の返還によって再開発が進み 那覇新都心などが誕生しました 2014年 那覇空港の第二滑走路の工事開始 2019年にゆいレールの延伸など さらなる成長を続けています 合併や埋立による市域の拡大と 交通網の整備により 多くの人々が行き交う 現在の那覇市へと発展を遂げました いかがでしたか? 沖縄戦を経て大きく変わった那覇の街並み みなさんも見て回って感じてみてくださいね

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