【近江五箇荘金堂:重伝建】近江商人発祥の地に今も息づく誇り
本日は、田舎の一農村が、 海外にまで進出する豪商を 多数輩出するまでに至った 近江の集落の成長物語を 見てゆきたいと思います。 本日訪れるのは、五箇荘金堂地区。 近江のほぼど真ん中に位置し、 今も、周辺には田園が広がります。 ここは、近江商人発祥の地と呼ばれます。 商人の多くは、国内外の大都市に店舗を構えても、 本宅は、この金堂に置き、 郷土を守りました。 今も、その伝統が脈々と受け継がれています。 この地域の歴史を紐解いてみます。 古墳時代から人が住み、 聖徳太子がこの地の名の由来となる 金堂を建てさせたと伝わります。 奈良時代以降は、条里制による区画が整えられ、 稲作を中心とした農業が栄えます。 中世には、六角氏により支配され、 江戸時代には、大和郡山藩に 領有されました。 江戸時代後期からは、 織物などの行商に出るものが現れます。 明治期以降は、多くの豪商を輩出し、 隆盛を極めました。 さて、近江鉄道に乗って 五箇荘駅到着いたしました。 近江商人発祥の地、東近江市五箇荘.。 ご覧のように、すぐ裏には、 新幹線が通っております。 さて、ここに観光案内図がありますね。 今現在居るところが、 この近江鉄道五箇荘駅です。 そして本日の目的地は、 この五箇荘金堂重要伝統的建造物群保存地区、 こちらです。 ここがメインの目的地になるんですけれども、 実はこの五箇荘、中山道も通っておりまして、 こちらですね、 まずはこの中山道を通って金堂地区に 向かいたいと思います。 歩いて巡る五箇荘、こういう道標が 整備されていたみたいですね。 旧中山道ですね。 こちらに沿って進んでみます。 今日、これから訪れる五箇荘金堂地区、 実は古代条里制の区画上に 発達したということですね。 条里制っていうのは、古代の、網目格子状に 土地区画をして 管理しやすくした制度ですね。 一辺は一丁約109mですね。 こちらに立派な常夜灯がありますね。 太神宮。 こちらは明治時代になって 建てられたもののようです。 そしてこちらは旧中山道ポケットパークだそうです。 この五箇荘は、中山道としては、 東の愛知川宿、西の武佐宿の ちょうど中間に位置しますね。 この五箇荘は、条里制の区画の中に 水路を引いていることでも有名ですね。 とても水が豊富な地域でもあるようです。 鈴鹿山脈の伏流水が とても豊富だということですね。 そして、かなり広い公園があります。 サイクルコース、ぐるっときぬがさコース。 この岩の積まれたこの一画は、 昭和園だそうです。 そしてあちらのいかにも古そうな蔵が ありますけれども、その手前には、 ようこそ天秤の里へ近江商人三方よし発祥の地 五箇荘と書かれた看板があります。 近江商人と言われると、 まず最初に近江八幡を 思い浮かべる方が多いかと思います。 近江八幡は立派な町屋を建てて 商売をされている家が 多かったのですけれども、 ここ五箇荘は少し様相が違います。 もともと農村でしたけれども、 18世紀、江戸時代の中頃ですね、 その頃から織物などの 行商が盛んになってきました。 そして、だんだん商売の規模が 徐々に大きくなってきますと、 京や大阪で店を構えるものも 出てきたそうです。 ただ、そうなってもこの金堂では 本家が守られるという形で 存続していたようです。 さあ、ちょっとこの公園に 寄り道をしましたが、 中山道の方に戻りましょう。 天秤の里五箇荘。 中山道を江戸幕府が作成した街道絵図。 小幡村、さっき小幡って書かれた バス停がありましたね。 そしてここがさっきの、 常夜灯のあったところですね。 カクッカクッと。 それでここで橋を渡って。 三俣鋳物師。 横浜鶴見の曹洞宗本山総持寺における 鋳造奉鐘式の様子。 釣り鐘を作る技術を持った 鋳物師がいらっしゃったんですね。 これは随分と立派な茅葺き屋根のお宅ですね。 民家ですか。 この中山道は、 五箇荘の農民に、商売を促す、 重要な役割を担ったのではないでしょうか。 やはり、京大阪に出やすいことと、 情報が容易に手に入る環境も、 大きかったのではないかと想像します。 公園を一周して、先ほどの看板のある 土蔵のところに戻ってまいりました。 中山道散策案内所、閉まってますね。 これもちょっと歴史ありげな建物ですけれども、 近江商人三方よし発祥の地五箇荘。 この地図によると、近江八幡よりも 五箇荘の方が円が大きいですね。 最も多くの商人を輩出したそうです。 こちらは龍田神社です。 文政13年にこちらの拝殿は、 建てられているそうです。 内側には十六歌仙ですかね。 パネルが張られています。 かなり手が込んでますね。 この天井が組み上げ天井みたいになっています。 ここにマーチャントミュージアムというのがあって、 期間限定公開ですか。 ちょっと残念ですね。 お地蔵様が大事に 覆い屋に収まっております。 こちらに近江商人博物館、中道融人記念館と読むのかな。 こちらは内部の撮影が一切禁止でした。 近江商人博物館。 こちらでは近江商人だけではなくて、 六角氏の観音寺城に関する展示も 結構充実しておりました。 そして中路さんは画家ですね。 つい最近までご存命でいらっしゃったようです。 特に富士山と伊吹山を描いた絵画が、 多数展示されておりました。 五箇荘、金堂、今ここですね。 ここからこうやって進んでいきますと、 この、だいたい薄いグリーンの範囲内が、 重伝建の指定地区のようですね。 すぐそこから指定地区に入ってまいります。 林になっているところ、 あそこに大城神社があるようなんですけれども、 その祭礼、初午祭りというのが 毎年行われていたらしいんですけれども、 そこで1848年、江戸時代の末期ですね、 この近くの近隣の集落同士の争いが起きて、 結構、鬢の毛を抜かれたり、 手を抜かれたりという大騒動が 起こったらしいんですね。 長崎の方までその騒動が伝わったというので、 かなり大きな騒動だったらしくて、 その抜かれた手とか鬢をここに埋めて 塚を作ったというのが最初らしいんです。 ここは大城神社。 ものすごいでかい神社ですね。 この巨岩を荒々しく積み上げた石垣にも 圧倒されますね。 この鬱蒼とした常緑広葉樹の 森もすごいですね。 菅公と書かれている。 菅原道真が祭神なんですね。 NHKの数年前の朝ドラ、 カムカムエブリバディを 覚えていらっしゃる方も多いと思います。 私も見ていました。 実は、ここ、ロケで使われて、 ドラマのファンの間では、 聖地と呼ばれているそうです。 そう言われますと、確かに、 ドラマのシーンが蘇ってきます。 ここに書かれている社歴によると、 西暦621年に厩戸皇子、 つまり聖徳太子が小野妹子に命令して、 この地に金堂寺を建立させ、 そしてこの場所に御法鎮守のために神社を 造営したと書いております。 この辺りからがもうすでに重伝建地域に 入ってきておりますね。 家並みが今までとガラリと変わりました。 こちらの灯籠も立派ですね。 この土台の岩がすごいなんといっても。 これだけの巨岩がこの神社の周りを ぐるりと取り囲んでますけど、 一体どこからどういう方法で ここまで運んできたんでしょうね。 この通りの脇に水路が設けられて 綺麗な水が流れております。 両側にありますね。 奥にかなり巨大な土蔵がありますね。 この小さな路地の脇にも 水路がちゃんと通されてます。 金堂馬場の五輪塔。 高さが197cmもある七尺塔。 滋賀県で最も古い五輪塔だそうです。 皇太子殿下行啓記念碑になってますけど、 ちょっと年代が書かれてないので、 どちらの皇太子なのか、 これだけだとわからないですね。 こちらには錦鯉が放たれています。 こちらは浄栄寺。 聖徳太子が小野妹子に建てさせた金堂を 守る形で、3つのお寺が配されたって、 先ほど案内版に書かれてました。 そのうちの一つですね。 この弘誓寺本堂は国指定の重要文化財だそうです。 これは巨大なお堂ですね。 あちらの庫裏も上に物見台みたいなのが 設置されてて、かなり変わった形のお堂ですね。 門の脇に櫓みたいなものが設置されてますね。 城郭みたいですね。 こちらの茅葺き屋根、屋根の上に アワビの貝が据え付けられてますね。 何か意味があるんですかね. どこかに食事のできる場所がないかなと 思うんですけど、日本料理さとう、 やってますかね。やってませんね。 今日は土曜日で結構googleマップを 見たら飲食店も点々とあったので、 食事する場所を見つけるのはそんなに 苦労しないかなと思ったんですけど、 ちょっとここに来て、昼食難民になりそうな恐怖を 少なからず覚えております。 観光客もほとんどいないですね。 と思ったら、ありました。 食事できますね、ここで。 あ、メタいるいる、いる、いる。 いくわ。 出てきた。 いっぱいいんで、ここいっぱいいんねん。 ザリガニも魚もタニシもたくさんいる。 魚が全部逃げていっちゃった。 これがとても貴重なものなんですよね。 こちらが今内側から覗いていた 川戸の外側なんですけれども、 今ちょっとショックなことを聞いてしまいました。 この水って今ポンプアップした 水を流してるんだそうです。 なので今は自然の水はここには 流れてこないそうですね。 それで田植えの季節になると、 もう田んぼの方に優先して 水が流されるので、 ここの水が止められてしまうそうですね。 さて、ここも雰囲気がいいですね。 この板塀が何とも言えない雰囲気があります。 こちらにもアワビの貝付きの 茅葺きの屋根がありますね。 ここは民泊施設に 生まれ変わった古民家ですね。 これも立派な土蔵です。 さて、この中江準五郎邸の 方にも立ち寄ってみましょうか。 三中井百貨店と中江家。 昭和4年頃から百貨店経営に乗り出したそうです。 海外にも羽ばたいていったんですね。 幻の百貨店、三中井百貨店。 先ほどの民泊施設の裏側から見てみます。 小幡人形という土人形もあったんですね。 郷土玩具ですね。 奢る者必ず久しからず。 悪魔が来たりて笛を吹く。 金田一耕助、吉岡秀隆さんの 下宿先としてのロケ現場。 大家さん役は倍賞美津子さん。 いいなぁ、ここ。 あ、ちょっと庭をもう少し見せていただきます。 はい、ありがとうございます。 この土蔵もすごいですね。 そして、こちらも真宗大谷派勝徳寺。 これがまた立派ですね。 お地蔵さんでしょうか。 金堂まちなみ交流館。 旧中江富十郎邸。 無料で入れる。 こちらもさっきと同じ壁の塗り方ですね。 こう来て、 ここをずーっと来て、弘誓寺。 で、こう行って外村家住宅、 そして、中江準五郎住宅で、現在地ですね。 先ほどの中井家の4兄弟のうちのお一人が、 ここの元々の家主だったそうですね。 こちらのお宅は行政で買い取られたそうです。 亀さん。 これは面白い。 東出地蔵堂の鬼瓦。 ここももともと川戸の跡ですね。 小魚がたくさん泳いでます。 こちら、前方に見えるのは、 戦国時代にこの地を支配した 六角氏の居城のあった観音寺山です。 「売り手よし、買い手よし、世間よし」の 三方よしの精神を貫いて、 日本だけでなく、世界にも 商売を広げていった 五箇荘出身の商人たち。 小泉産業さんなど、 この地区から羽ばたき、 現代においても、 活躍されている企業も、 数多くあるようです。 こちらは、ぷらざ三方よし。 重伝建に指定されてから後の、 建物維持のご苦労も、 各所でお聞きしました。 今も、この金堂地区を、 一生懸命守っている方々がいらっしゃいます。 耳を傾けると、色々な興味深い話を お聞きすることができました。 ここまで、ご視聴いただいた皆様、 是非、一度足を運んでみてください。
滋賀県東近江市の五箇荘金堂は、旧中山道がすぐ近くを通り、重要伝統的建築物群保存地区に選定されています。
聖徳太子の伝説が残るこの地では、古代条里制の区画に農村集落が発達し、江戸時代以降は日本にとどまらず、海外にも飛び出して活躍した商人達を多数輩出しました。
店舗は、内外の大都市に置いても、本宅はこの金堂地区に残したため、今も伝統を守り続けている人々がいます。
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【タイムコード】
◆旧中山道 : 5:16
◆大城神社 : 8:46
◆外村繁邸 : 13:01
◆中江準五郎邸 : 15:36
◆まちなみ交流館 : 17:45
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【五箇荘金堂】
◆条里制の名残である格子状の街路に落ち着いた街並みが続きます。錦鯉や小魚の泳ぐ水路も整備されています。動画内で紹介した外村繁邸、中江準五郎邸など、豪商の邸宅も複数公開されています。
国指定重要文化財の弘誓寺の本堂や社叢の中の大城神社も、見物です。
◆重伝建指定範囲内は、さほど広くはなく、歩いて回るには、手頃な広さです。
◆すぐ南側には、ぷらざ三方よしに、広大な無料駐車場があります。近江鉄道五箇荘駅からは、直接金堂地区に向けて歩いても、約30分かかります。
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【チャンネル】
@歩いて旅するにっぽん
・都会では遠い昔に消え去った懐かしい風景
・時代が変わっても、受け継がれてゆく文化
・そこでしか、口にすることができない味覚
・将来に向かっても消えることは無いという確信
その場所を訪れれば、
江戸時代以前から現代までが途切れることなく繋がっているということが実感できる。
日本全国を徹底リサーチして厳選の上紹介しています。
◆運営会社:アスタービジョン株式会社
ウェブサイトはこちら
https://astervision.co.jp/
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【撮影機材】
◆GoPro HERO10 Black
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【編集ソフト】
◆PowerDirector 365
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動画の一部で、地理院タイルに地名・アイコン等を追記した画像を利用して配信しています。
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