【9/30(月)870日目/富山県射水市】パスポートの申請と戸籍謄本【アルビス姫野店からライブ配信】
どうも皆さんこんばんは夜から坊主が コツコツと学びを報告するライブ配信を 本日は9月30日月曜日の配信です現在僕 は富山県水市のアルビス姫の店からライブ 配信をお送りしておりますえどうも皆さん こんばんは山文海寺ですえ昨日からですね え富山県の方に来ておりますはいま東京で ずっとウバ23週間ね休むことなく働いて たんですけれどもま今ま大体合計で4日間 ぐらいちょっと富山に滞在するよ用事が ありましてはい今このその2日目を過ごし ておりますま今日も1 日ちょっとね配信しようと思ってたんです けれどももう思いっきりま寝過ごしたって やつですねはいもう [音楽] 前日あの一睡もせずにえっと富山の方まで 来ましたのでもかなり体の方もえっと疲れ てたので今日の朝のライブ配信はもう ちょっと断念してちょっと夜ねこの時間帯 からの配信ということにさせてもらいまし たで今日もま1日ま富山の方をまぐるぐる うろうろしてながらま用事を済ませたり ちょっと観光スポットで見に行きたい ところに行ったりとはいま一応同行して いるま僕の知人あ新しく関わるゲスト ハウスねのオーナーさんと一緒に車で移動 してたんですけれどもはいまけどそんな中 でま僕のその予定僕の用事ごとなんです けれどもえっとパスポート あの申請しておこうと思って今日はあの そこその動きをねちょっと日中あのしてき ましたでま元々僕は知らなかったんです けれどもパスポートって自分の住所がある 街で発見してもらうものらしいんですよね でま以前は僕は東京に住所があったのでえ 東京のま都長の区役所ですよね東京の都長 の麓にあるところでパスポートま取得し ましたそれ2015年の話かなはいでその 時は5年間のパスポート を取得してるんですよね申請してるんです よねまなのでま党の昔にパスポートは切れ てますとでま切れたまんまね海外旅行に 行く予定用事もなかったんでまずっと ほったらかしにしてたんですよねでま以前 のパスポートを取得した理由はその 2025年パスポート取ったタイミングで まベトナムにま1年間だけちょっと仕事 するっていう話が来てでその仕事に携わる きっかけでまパスポートを取得したまので その予定のためだけに取得するパスポート だからま5年間でいいだろうということで ま5年で申請してたんですよねまただその 5年間の間でもまベトナムに1年住んで ましたまベトナムは2往復したのかな1回 ベトナムに行って3日間ぐらいして帰って で改めてベトナムに行ってで1年間滞在し てえと日本に戻ってきたでそのそうかその 途中にあのシンガポールよって日本に戻っ てきたんだトランジットでまけれども トランジットがま16時間滞在の トランジットだったのでそこでま シンガポール旅行も楽しんできましたって いうのがあったでその年かなうん日本に 帰国した年に韓国に1週間ぐらい旅行に 行ったうんその時ぐらいしかパスポート 使ってないんですよね5年間のうちに5 年間のうちに1233カ国行くためだけに パスポートを取得したようなもんなんです よまあ1つはね1年間ベトナムに滞在して たからまあれなんですけれどもでま今回 来年に向けてうんもっと自分の行き方を 面白くしてやろうということでま海外旅行 ままずはインド行こううんとりあえず 2025年はインド行こうということでま パスポートを取得に ま取得のタイミングだなということでま 申請してにいったんですけれどもまね インドと祝わずにとりあえず2025年 来年はアジアの目ぼしいところには とりあえずいってしまおうみたいな ちょっとそういうノりにもなってきている のでまちょっとどっちにせようんインド だけをじっくり旅するのかアジアを中心に 旅をするのかまどっちにせをパスポート もう今回はもう10年間で行きましょうと いうことでえっと10年間の申請でえっと 一応通してもらおうということでえっとま 色々と手続きしてきました でま富山県民というかま僕富山県民の井水 市民かイ市民っていうことなのでま富山県 には2か所パスポートあの作ってくれる ところがあってでま富山駅の駅の中にある あのところに行てま今日申請してきました とでまあ5日後ぐらいに受け取 るっていう段取りにはなってるんです けれどもま5日後には僕はまた東京に戻っ てるんですけれどもまあと半月後うん15 日後ぐらいにもう1回富山に来てあの知人 のゲストハウスのリフォームをする手伝い に携わるのでまそのタイミングでえ ちょっとパスポートあの受け取りに行こう かなと思いますはいでえ金額が 1万6000円ですね 1万6000円まあまあまあ まあまあまあいいでしょうとまとりあえず ねまじっくりとま準備 を着々ま着々とねま準備を進めていくって いうのとま僕のボルテージも着々と上げて いくという意味でま今回このタイミングで うんまきちんと手続きできたことは良かっ たかなっていうところでしょうかはいまな のでねもう海外旅をしていく日本47都道 府県はもう旅はあと鹿児島沖縄は残して ますけれどもま旅はもうほぼほぼ仕えまし たのでまいよいよちょっとボルテージをね 海外に向けてちょっと指導していこうか なっていうまなんかちょっとそう いうちょっと気合いの入っ たうんあもう1回改めて気合い入れ直さ なきゃいけないんだなっていうなんかそう いう1日になりましたねうんちょっと実感 が湧いたというかうん改めてパスポート 申請しにいたのでなんか改めて実感が湧い てきた感じはありますねうんまあ今回のポ はねしっかりと活用させてもらおうかな うんその2015年にしたパスポートには 悪いけれどもあのパスポートにはね いろんな国々に行った記録はほとんど ね印刷され印刷されてないというか記録 ログされてないんですけれどもま今回 アルタに取得するパスポートにはいん国に 行ったという後をね足跡をね残していき たいなとは思いますうんまちょっとそれが その手続き置いたので人段落ですかねはい でまその手続きする時にま色々準備し なきゃいけないわけですよまじゃ免許証 いるよねとかであの正面写真撮らなきゃ いけないよねでま正面写真なんか久しぶり に取り取ることじゃ撮ることだったのでま ね薬局とかの入り口にある照明写真撮る 機械とかで撮ってたんですけれども今 1000円するんですねま僕が若い頃とか は700円ぐらいでその辺で正面写真の 機会で照明写真撮ってもらったような記憶 あるんですけれども今日立ち寄った照明 写真作るとこ1000円だったかえそんな 感じになってんのと思ってま機械もま立派 機械っていうかまその当時と対して変わら ないんですけれどもまタッチパネルな ところも別に昔と対して変わらないんです けれどもいやま1000円になってんだと 思ってまもう仕方ないからそこで とりあえずねパスポート用の証明写真も 撮ったしでその後その市役所自分が住んで いる町の役所に行って戸籍東本を取ってき たんですよでま免許の書き換えの時とかか なま住民必要だったタイミングとかが なんか最近あったからま住民表とかてま ちょっと必要な時に取りに行ったりする じゃないですかただあれ戸籍当本を取りに 行った記憶ってないなと思ってま2015 年パスポート作った時も戸籍当本と役所 からもらってきた記憶はないんですけれど もま多分必要だから取ってるんだとは思う んですよ400円ぐらいで通だけもらって まそれを持って写真と免許所と一緒に パスポート申請するていうまそういう段通 だったんですけれどもでその戸籍本取った 時にま 改めてその髪が手元に来るわけですよで いつの間にかですよいつの間にか僕の本石 っていうの が長崎県っていうのから岡山県になってた んですよそれはううは感づいてたんです けれども改めて僕の戸籍ってえっと戸籍と いうか僕の本石って長崎から岡山になっ てるんですよで僕別に長崎出身じゃないん ですよ父親が長崎出身だから生まれた時 から僕の本石って長崎になってるんですよ 岡山に生ま岡山で生まれたのにうんまそれ は子供ながらにずっと気にはなってたん ですよね子供ながらにていうか運転免許所 通った時に昔は本石っていうのが乗ってた んですよね今多分乗ってないんですけれど もそこにずっと長崎県って書いてることに ちょっと疑問は抱いてたんですけれども 本席長崎で原住所岡山県でまそこから住所 点々として今は現住所は富山県になって いるとま別に富山にいないんですけれども 住所は富山県になってるんですよ僕はでそ それに合わせてどこかのタイミングで多分 うちの親が変えてるんでしょうね僕は変え た記憶はないんでそう僕の本席は岡山県に なってるんですよで岡山県のどこになっ てんのかっていうと実家になってるんです よ僕の本席は岡山県の倉敷市の実家で現住 所は富山県であまなるほどなとでまそう いうことが戸籍には書いてあるわけで しっかりと書いてあるわけですよでま僕は え3人男3人兄弟の3なであるとかでそれ と同じくまじゃあ父 のま戸籍というかまあと母の戸籍みたいな ものも一緒に乗ってるんですよま父は長崎 の人で母は熊本の人で父は長男母はえっと 女うんあそうかそういうことも書いてんの かと思って でえっとね何だったかなうちの両親が えっと結婚したタイミングも書いてたのか ななんかそれがね結構びっくりしたんです よまだから戸籍を入れる作業をしたあ日日 が書いてるんじゃなかったっけあそうコイ が書かれてたんですよあこれちょっと初耳 だなと思って なんかファミリーヒストリーだなと思って 僕聞いたことがないんですよ自分の両親が 何年に結婚したのかってま結婚記念日 みたいなもの をお祝いし合ってる両親っっていうのを見 たことがある人っていうのはねまいるのか もしれないんですけれどもなんか僕は ちょっとそういうのから疎遠だったから 聞いたこともないし知ったこっちゃなかっ たんですよけれども戸籍補にはそんなこと も書いてあるんだと思ってでも戸籍本ま僕 もちょっと考え良かったんでしょうねあれ 戸籍本提出したら確認だけしてまたも返さ れるのかなと思ったんですけれどもいや 返されないかもと思って一応スクショだけ 取っ取ってるんですよね戸籍 本はいでここでパッと見たらイビが昭和 50年の3月14日になってるんですよあ なるほどなと僕が昭和54年生まれで僕の 兄がちょっと年上なんで545352多分 うち の次男が昭和51年生まれでうちの長男が 昭和50年生まれなんですよでじゃ昭和 50年に婚姻してるっていうことはうちの 長男が生まれたのは昭和50年の10月だ からあこれはやっぱりシンプルにでき ちゃったこなんだ と両親が結婚したのは昭和50年の3月で で長男が生まれたのがその年の10月だ からあこれがうちのファミリーヒストリー なんだっていうことをなんかこの タイミングで知ることになるっていう全く 知らなかったんでうんこの辺りは新鮮でし たねでま元々長崎の方に住んでたはずなん ですけれどもこの結婚したタイミングには 多分もう岡山には引っ越ししてるはずなん ですよね長男は多分岡山県で出産している はずだからまなのでその辺りもの ヒストリーも分かるしあの改めて自分の 両親の青年もここではっきりと認識してる んですようん えっとどっちとも2月生まれなんだまそれ はぼんやりとは知ってたんですよ何日に 生まれたかとかはあんまり知らなかったん ですけれども2人ともなんとなく2月生ま れっぽいなと思ってたんですけれどもま それは2月生まれだったんですよね2人 ともうんでえっと父が25年生まれで母が 28年生まれかまその辺り はうんなんかうう映えうんま70超えてる から大体それぐらいの年齢そそれぐらいの 年に生まれたんだろうなとは思ってたん ですけれどもうんまそんな感じでじゃあ僕 ねゲッターズ飯田さんの御世三種占いし てるからじゃあこの2人がどんなタイプな のかそれは僕知ってるんですようんえま その細かず子さんの占いしてた時に回調べ たことがあるから僕の父はあの土星人まだ からラシ版なんですよでうちの母は時計な んですよそうラシ版と時計この表裏じゃ ないですかラシ版と時計てその2人の両親 の元に僕は生まれてるんですよ でそうそうそうそうでうちの長男がえ カメレオン僕と一緒金と銀は違いますけど 兄貴は金のカメレオンで真ん中がえっとだ から銀のイルカになるのかで僕が銀の カメレオンっていううんラシ版時計の子供 がカメレオンとイルカとカメレオンていう のが我が家の構成なんですよそうそうそう そうそうであまちょっとそういうのも なるほどなみたいな感じあちょっと コメントも来てましたねえっとさんみさん ねこんばんはということでそうだから えっとうちの父が昭和25年生まれだから これは金銀銀かだから銀のラシ版になるん だ銀のラシ版がうちの父かそうそうそう そうそうそう いうあの相性なんですようちの両親と はでこの小と本に他書かれてることは えっとじいちゃんとばあちゃんの名前うん でこれは父方のじいちゃんとばあちゃんで 母方のじいちゃんとばあちゃんの名前が 書かれてるでこのばあちゃんの名前って いうのもえっとねじゃあじいちゃんばあ ちゃんってあの2人ずついるじゃないです か父方と母方で大人になるまであまで僕が 生まれた時点で さんのおじいちゃんはもう生まれた時点で いない状態 うんまだからほぼ母子家庭でうちの父親は 育ったていう感じも結構 若く父親が小学校ぐらいの時に亡くなっ てるからもうほぼ母子家庭で育ったって いう感じかなでそうおじいちゃんおばあ ちゃんたちの名前もここで見て取れるわけ ですよで父方のばあちゃんの名前はもう昔 から知ってた けれどもそれ以外の人の名前って知ら なかったんですよね大人になるまでは けれどもお墓参りとか行き始めてから父方 のおじいちゃんの名前はまそこの母に書か れてるから分かってるんですよね ただ母方のじいちゃんばあちゃんの名前 ってずっと知らなかったんですよねずっと 知らなかった大人になるまでで 45年前 に熊本県一吉市に母方の実家があるので うんもう今秋になってるんですけれども はいけれども4年前にその空屋に1週間 ステーするっていいうのをちょっと実行し て秋にはなってる誰にも住んでないんだ けれどもま一応水道は通ってるっていう 感じだったんで水道電気はまだ通して るっていう状態だったんで 週間宿泊してみたんですよねでその時に 玄関に掲げてある 名札を見てあじいちゃんの名前こういう 名前なんだばあちゃんの名前こういう名前 なんだここで初めて知るんですよねそこで 初めて僕はじいちゃんばあちゃんの名前を コンプリートするんですようんその 2018年にでそこでコンプリートした タイミングで初めてことがあるんですよ それは何かって言うとうち のうちの兄貴はちうちの長男 はばあちゃんからの名前を受けついてるん です よ文字の一文字を受け継いてるじゃなくて 文字から組みとれるニュアンスを受け継い でるんですようん でうちの男 は母方のおじいちゃん の名前を一文字もらってるんですよそこで 初めてそこもファミリーヒストリーを知る ルーツに触れるんですよねこれ多分うちの 超まうちの長男は分かってるだろうけれど もうちの時男は多分この事実知らないん じゃないんですかねそううちの長男は父方 のばあちゃんの名前のニュアンスをもらっ てる うんで次男は母方のおじいちゃんの名前の 人文字をもらってるんですよねそうだから ここにじいちゃんばあちゃんの名前も書い てるからままただそういうルーツなんだよ なというのが分かるんですよ でうちの父方のじいちゃんの名前を一文字 受け継いでるのがうちの父親なんですよ そう まだから本流ですよね父のルーツなんで うちのおじいちゃんの名前これまえっとね 武士の部っていう字これじいちゃんの名前 の一文字についてるんですよぶ武士の部 っていうのがでその人文字を受け継いでる からうちの父親の名前にもぶ武士の部って いう文字はあるわけですよただこの文字は 誰も受け継いでないんだとは思ったんです よ長男も次男も三男もうちの父親のその 武士の部っていう文字はなんか大々 受け継いでそうなのに誰も受け継いでない うん空の玉座になってるんですよそこが 武士のブがつく名前がじゃあうちの長男の 子供うちの次男の子供ま2人とも子供2人 ずつ産んでるんで長男2人次男2人子供 産んでるんでまその子供たちのどこかにね その武士の部の文字が1文字ね継承されて もおかしくないんですけれどもえ全員 女うちの子孫全員女っていうあのことに なっちゃってるんでさらにその部の文字が 空の玉座になってるって感じ 感じうんその責任はまだ誰も座ってないっ ていうはいまだから僕が結婚して子供を 産んで男の子が生まれたらその文字をま じゃあ与えてもいいのかもしれないんです けれどもま会いにく僕にそういう予定が あまりにもなさすぎるのではい まあハムスターか何か買ってその ハムスターにその文字を1文字あげるとか するしかもう手立てはないんでしょうね 名前を残すうん手段はもう残されてない でしょうねいやけど戸籍東本にちょっと 面白いなと思ってでそこでえっとねあと 住所ま僕のじゃあ現住所は乗ってるのかな でま僕の本石も乗っている僕の本石は岡山 県の実家が本石になっているでまそのじゃ 父親 の僕のじゃ父親とか母親とかの現住所は その岡山県の実家岡山県倉敷市なんたら かんたらが原住所になってるじゃその人 たちの本石はどこになってるのかって言う とそれが多分昔父親たちが住んでいた長崎 県の要するに実家だと思うんです よでそこの住所が乗っていたんです ようちの父親の多分実家と呼ばれるような 場所の住所が乗っていたんですよで今 Googleマップで住所入力すればそれ が地図で出るわけじゃないですかでそこで 地図で調べたらまやっぱりちゃんとピンが 刺さったんですよ でここのライブ配信でも何度か喋ったこと あるんですけれども僕の両親じゃなくて えと僕のばあちゃんか父方のばあちゃんて 崎県のあの軍艦島ってあるじゃないですか あそこの隣の島に住んでた時があってま それはあのうちの父親ももそうもう子供の 頃はそこでま子供の頃っていうかもう大人 になるまで多分その軍艦島の隣の高島って いうところに住んでたんですよ小さい島ま けれどもま昔は炭鉱の仕事もあったので ばあちゃんはその炭鉱の仕事もしてたそれ は僕は実際にばあちゃんが生きてた頃に話 を聞いたことがあるんですよねでそのばあ ちゃんの話話を頼りにあの車で車中泊の旅 してた時に長崎県の高島っていうところに もフェリーに乗って僕は行ってるんですよ ねで住んでいたであろう場所にも足を運ん でるんですよでそこにあった小学校とかも 多分父親はそこの小学校に通ってたって いうお話してたんでまここななのかって いうのをちょっと見てもらったことがある んですよねけれどもそれっ てあのうちの父親が生まれた場所とかじゃ なく てそれ引っ越しした場所なんですよねだ からうちの父親が生まれた場所っていうの は長崎県でもまた他の場所にあるんですよ ねでそれはなんとなく話には聞いてたこと はあるんですよ高島っていう島には長い こと住んでたけれども生まれた場所では ない生まれ育った場所ではないとで今日 小関本見たら多分生まれ育ってたであろう 街があ出現したんですよでま今回そこにね Googleマップでピンさしてままた 今度長崎に旅に行った時にでもちょっと そこには足運んでみようかなとちょっと 思ったんですよねはいまこれがあの長崎県 の地図になるんですけれども えっとま長崎の町っていうのはまここに いっぱいピンが刺さってるエリアここがま 長崎県ですよねここが長崎県のま長崎駅に なりますま今年あれ僕長崎行ったの今年 だったっけあ今年ですよね今年の1月に 多分長崎に僕旅に行ってあの福山マサール さんと中リーサさんがあのエンペラ エンペラの皇帝の格好をして ね街を練り歩くランタンフェスティバルの タイミングに長崎行たの今年なのではいま ついこないだ長崎行ってきましたとでそこ から えちょっと離れるんですけれど もあここですねここがえっと軍艦島と呼ば れる島になりますよねま皆さんご存知のも 今は廃墟と貸している軍艦島がここにあり ますと まあの正式名所は橋って呼ぶんですけれど もねでこの橋の隣 にまこういう島があるんですよこの高島が うちのじいちゃんあとうちのばあちゃんが 観行してた場所なんですよねでうちの父親 があの生まれ育っえっとうちの父親が育っ た場所かはいでまここも4年前にあの遊び に行ってきましたとけれどもここではなく うちの父親が生まれた場所っていうのは この長崎県の中でもこの先っちょの方 のここの エリア 一応色々 とあどこだったっ けあここ か調べたらこの住所が出てきたんですよ ねうんま今多分姿形は変わってるん でしょうけれどもここが出てきたんですよ ねだから多分ここの出身なんですよ多分 なんかこういうところに住んでたん でしょうねあこれはちょっとまた足を運ん でみる価値はあるなということでうん多分 ここここがああれになってました えっと本石になってたうん父親の本石で 多分あの僕の元々の本石もここなんだと 思いますうんななるほどなと思って でですねはいまこれがちょっと自分の中で のはファミリーヒストリーちょっと新しく 発見したファミリーヒストリーなのでね あまちょっと戸籍本 うんたまには戸籍東本取ってみるもんだ なっていう風にあの思いましたねなんか いろんなことをなんか再 発見する再認識することができた うんいやなんかま長い 歴史をちょっと感じましたねま長い歴史と いうか うんまレキとしたルーツうんその父母でじ それぞれのじいちゃんばあちゃんっていう 人たどるルーツももちろんそうですけれど も あの住んでる場所のルーツっていうもので 初めて知った場所まそれがその本石なん ですけれどもねうんあ初めて知った本石で ま多分そこが父親が生まれたであろう場所 うんまその地図を頼りに自分の人生とか 自分の生き方 をなんだろうまプロデュースしてるじゃ ないけれどもま自分で自分をま プロデュースしてるという意味で言うとま Googleマップを見ながら今年はどう いう しようかなていうのを考えてる僕からする とうんこの本石とかうん厳重所っていう 感覚がやっぱりちょっと新鮮なんですよ うんあの住んでるところがめちゃくちゃ僕 変わるからうんけれども住んでるところが 一切変わるのことなくずっと定住して るっていうのがま一般的な人じゃないです かうんでこのずっと住んでるからその ずっと住んでたよっていう記録が戸籍とか に残ってるわけじゃないですかうんまで そのずっとうちの先祖がずっと住んでたと 言われるような場所が今回判明したって いうことが今僕の生き方とま超正反対 みたいな概念なわけじゃないですかずっと 先祖が住んでた場所片や子孫はありと あらゆるところ にね点々としながらあの生きてっていう うんなんかその退をちょっと今日感じる ことができてうんなんかちょっと嬉しかっ たですねはいま本当また行ってみたい ちょっとこの長崎はねま車では行きました けれどもあとバスではね行きましたけれど も自転車では行ってないのでねあちょっと 自転車で行きたいなっていう気持ちには なりましたねその端っこの方のうんま そんな感じでしょうかいやけどね今さっき ね 長崎の高島っていうところにね345年前 に行ってきたんですよ車中泊の旅で行って きたんですよっていう話をしながらこうや て地図広げてたじゃない地図広げてたじゃ ないですかで僕ここの町にここの島に フェリーで到着してま徒歩でずっと動いて たんですよでここでカフェを営業して たあのね今ちょうど写真に出てるこの高島 ベースっていうところあるじゃないですか ここに立ち寄ったんですよでここに 立ち寄った時にここのオーナーさんと色々 お話をしながらなんかこの街のことについ て色々教えてもらってでじゃあお昼ご飯に でもちょっといただきますっていうことで このカレーいたいたんですようんでなんか 美味しいカレーで美味しかったですって 言ってお会計しようとしたでもいやもうお 会計はいいよみたいなことを言ってくれた んですよここのオーナーさんまそんな感じ でちょっと脇あいあいと色々お話しながら でまそのオーナーさんの子供たちもあの ちょこちょこちょこと出てきてでま ちょっとこの美味しいカレーもいただき ながらちょっとこの辺りこの街の辺りも車 に乗せてちょっと散策しして紹介してくれ て車で色々と連れてってもらったんですよ であのカヤックとかもちょっと用意して そのマリーンスポーツとかもできるように してるんですよとかっていう感じでなんか あじゃあ今度またね来た時には火薬も ちょっとやってみたいですとかってなんか そういう風に盛り上がったんですけれども よく見たら臨時休業ってなってるんですよ ねいやこれあれ潰れたのかなと思ってま それとも うんただただ 臨時休業だからお休みしてるのかなけどま 口コミも5年前でストップしてるんであれ ひょっとしたら5年前って言ったら ちょうど僕が立ち寄った年かその次の年 ぐらいかないやひょっとしたら ねうんなんか閉めちゃったのかもしれない ですねいやなんか今ちょっと久しぶりに 地図開いてみてなんかそういうことになっ てたんで ねいやま今どうなってんだろうと思って そうそうそうなんかねすっっごく居心地の いい場所でもあったしなんかいい人だった んですよ面倒のいい全然僕よりも年上の方 だったんですけれどもねなんか色々世話し てもらったっっていう記憶がちょっと ふわっとみがいたんですけれどもま ちょっとままたにも行ってみるちょっと 必要があるかもしれないですねはいでま ちょっとそんな感じでちょっと久しぶりに ファミリーヒストリーに触れたというお話 でしたはいでまそれと同時にねパスポート もま無事取得できそうなのでまいよいよ旅 の資金をただひたすらに稼ぐというあの 時間を過ごすことになると思いますはいで まね とりあえず富山の仕事がもう少し先送りに なりそうなのでとりあえずまあ2日後 ぐらいには東京に戻りますのでえっと Uber1の仕事あの再開したいと思い ますただもう本当にこ限り旅の資金は貯め てやろうかなと思ってるでちょっと鹿児島 と沖縄に行くタイミングもね 考えてはいるんですけれど もあとま鹿児島空港に置きっぱなしの自転 車のことも気がかりではあるんですけれど もま今はそんなこと気にしてる場合じゃ なくうん世界を回るための資金をちょっと ね稼ぐことに意識を集中させておいた方が いいのかなっていう気にはなってるんです よね でまね占いでおを稼ぐみたいなこともここ でちょろちょろ喋らさせてもらいました けれどももうそんなのももう海外旅し ながら考えようかなと思ってるんですよ うんあの日本で考えてるから真剣に占いで 稼ぐっていうマインドに慣れてないような 気がするんですよあのUbereatで 稼げれるからうん結でも海外に行ったらも Ubereatで稼げれないんでもう自力 でネットでパソコン使って稼ぐしか なくなるからもうその時に初めて真剣に じゃあ占いで本当に稼ぎたいんなら稼ぐ ようになるだろうし他の手段他の手立てで 稼ぐのであればまそれはもうそれで 思いつくだろうしけども日本にいる以上は なんかそういうマインドにはなりそうに ないんでもう全部この先はあの海外で考え ますはいうんもう日本にいたらUber イースに僕は甘えるんであの稼ぐ発想は あの浮かびませ ん うん多分環境が悪いんだと思う日本にい たらなのでまとりあえず海外にまちょっと まとまったお金だけ持って行くでその旅を 延命したいのであればその旅をずっと ずっと長く長く続け続けたいのであれば やっぱり持っていったお金は日々日々日に 日に日に目減りしていくわけだから やっぱりネットでちゃんと上手に稼が なきゃいけないとうんまやっぱりいうに なるわけですよ はい うんそうも海外で考えりゃいいそういう こと はまちょっとそういう感じで突き進んで いこうかなと思っておりますのでまた皆 さんえっとよろしく今後ともねあの よろしくお願いいたし ますなの で はいまあはね東京でするための自転車 のUbereat配達に特化した自転車に どんどんカスタムする道具はAmazon からどんどんあの配送で到着してますので 東京に戻ったらそれを開封して自転車を 改造してはいUberEの配達件数を一見 でも多くあの負担を 少なくはい 体の負担も少なくするようにあの カスタマイズしましたのでねカスタマイズ しますのでね自転車もはいまそれはそれで ちょっと楽しみになってきてますか ねいやままちょっとここへ来て ねまやっぱりこの運気が一周してるわけな んですよえっと2013年が新しく何か 物事を始めましょうねっていう運気だった んですよ200013年まチャレンジ1 ってやつねそういう運気だから僕は地元の 岡山を離れて東京状況してホームレス生活 始めましたとでも本当新規1点新しい 気持ちで生きていくぞっていうことで岡山 から自転車に乗って東京に状況して新生活 をスタートしたでそこから今12年が 経とうとしてるわけです よもう1回新規1点自分の人生をさらに 面白いものにしてしていこう ものすごく12年前とほぼ同じぐらい のなんかね気持ちの高なりみたいなものが なんかやっぱまた生まれ始めたんですよ うんなんか今ね自分の心境的にはうん エネルギーに満ち溢れてるような状態に なってるあこの感覚もう1回味わえれるん だっていう嬉しさがすごくある2013年 ま2013年の時は結構不安混じりでは あったんですようんまその時にには僕は 東京にはまだ1回しか行ったことなかった しそのもちろんネットカフェっていう概念 もその時には僕にはなかった しなんかもうただただひたすらに肌感覚で 肌感覚というかま直感 で東京だったら多分こういう暮らしが できるかもしれないっていうま漠然とした イメージだけを持って東京に状況してるん ですよねで手元に持っているお金も10数 万年だったと思う多分10万円だけ持って 自転車と荷物だけ積んで東京に行きました けれども うんなんかその時の興奮と同じような ちょっと 興奮に今立ち会えてるんですよねまだから このパスポート1つ取りに行く作業にして もやっぱ楽しいわけですよななんか必要な アイテムが1つ揃ったみたいな感じそう じゃ多分今後は海外を旅する上で必要 なちょうどいいバックとかを探し始めると 思うんですよねあの最近またあのハイパー メディアクリエイターの高代千さんのあの 本とか動画とかを見始めたんですよはいま 要するにあのパライフパッキングね生活羊 品をどのようにバックに収めていくのかで 生活必需品っていうものもまどれ ぐらい効率的に使える道具とかに集約する かうんま要するにね本とか持ち歩いてても 重いわけだから電子書籍がiPadの中に 入ってますうんまそういでモバイル バッテリーとかもあのこんな重たいものを もたこんな重たいモバイルバッテリー持た ずともこんなにコンパクトで容量の大きい のがありますよとかまなんかそういうこと をね高つさんとかは ものすごく あのいろんなガジェットを使ってこれが 使いやすかったよとかっていうのは紹介し てくれてるんですけれどもうんなんか 改めてま日本を旅するにはちょうどいい ぐらいの荷物の量に僕は今なってるんです けれどもま今度はそれをね海外を旅する時 にどれぐらいの量の荷物にさらに厳選する 必要があるのかとかねうん 今そういうことをなんか調べながらうんま もう1年後の今頃はちょっと海外から ライブ配信してるんだろうなとかなんか そういうことをちょっと今頭に思い描くの がなんか楽しい感じになってきてるんで はいまちょっとこの調子でね はいちょっと来年に向けてもうものすごく 勢いをつけているところなのではい ちょっと今日はこういうお話させてもらい ましたでまそのタイミングでねさっきも 言ったようにその自分のファミリー ヒストリーちょっとルーツにもちょっと 触れることができたのでうんまこのね過去 を振り返りながらねこの未来っていうもの を自分の中でどう捉えていくのかで何度も 言いますけれどもま僕がこうやって 遊び回るような動き回るようないろんな 世界を見て回るようなマインド モチベーションになっているのはなぜかて 言うとばあちゃん父方のばあちゃんの影響 であるとじゃあ父方のばあちゃんがそう いう生き方をしていた人なのかって言うと 全然そうじゃないむしろ対局にいた人で あると家からも出ないし友達が多い友達も 別にいるような人じゃないしうんでもう 親族が来たら親族とコミュニケーション 取るぐらいのものすごい小さい場所で生き て 死んでいった人なんですよものすごく 小さいもう極性と言ってもいいぐらい 小さなエリアで過ごして亡くなった人なん ですようんで僕はその意思 を受け継い でじゃあ俺は真逆の世界で 生きるそういうモチベーションで東京に出 てきたりけど東京でもいろんなところ行っ てみたりで自転車で日本全国色々回ってみ たりうんそのおばあちゃんが決して見る ことのなかった景色をもう僕が代わりに見 るっていうねはいまだから来年から しっかりと海外を旅したいっていうのは僕 のこのファミリーヒストリーとも実は 繋がっているっていうねはいそういう すごくまとまりのいい話を今日あの1時間 させてもらったということでよろしい でしょうか はいまあなので うんまけどお金は稼がなきゃいけないので ねはいもうき機械のように自動運転のよう にあの自転車に 乗る自動運転のようにうん感情を持たずに あの東京でねUberEの配達しなければ お金はたまりませんのでねいちいちこんな 仕事やってられるかしんどくてやって られるかってあの何度も何度もサを投げて も仕方がない仕事なのでねはいま とりあえずあのもう自分をAI自動運転だ と思ってちょっとま東京戻ったらまた仕事 再開したいなと思いますまあ明日朝って いうとねまとりあえずまだ富山満喫する ような時間過ごせますのでましかも明日 10月1日に関して言えば富山県の居市の その大きいお祭りがありますのでまそれで またま気分も一進するだろうしはいま ちょっとその辺りもちょっと楽しんでいき たいなと思っております はいまちょっとそんな感じですかねはいで まあと今日はちょっとオーナーさんとも 色々打ち合わせ2ヶ月ぶりに打ち合わせし てまゲストハウスをどういう方向性で進め ていくかっていうなんとなく全体像 もなんかお互いの中で見えてきたのでま その話はちょっとまた明日ちょっとし ていきたいなと思いますま明日はしかもお 祭りもありますのでねまそのお祭りの 雰囲気 もうん合わせてまちょっとま喋ってみよう かな明日は喋れるかなと思いますのでま また明日ま明日もちょっと夜の配信にした 方がいいかなどうかな明日月曜火曜日か うんまひょっとしたら明日も夜の配信に なるかもしれないんでままた気が向いたら 覗いていただけたらなと思いますはいまあ ね皆さん人は必ず死にますのではいで ちょっとま昨日僕もちょっと名言じゃない ですけれどもはいあの楽しく生きれなけれ ばただのアホ はいもう僕はその言葉をまこれはもう自分 で肝に命じる言葉かな自分自身に 言い聞かせること葉楽しく行けなければ ただのアホうんこれを僕は自分に 言い聞かせながら生きていきますのでうん もう常に楽しく生きるためにはどういう 選択をすべきなのかもうそのために頭を 回転させて人とコミュニケーション取って そのために稼で [音楽] くそうもう全ては楽しく生けるためだけに 自分の持っている才能とか能力とか人望と かセンスとかも全て楽しく切るために投入 するうんま稼ぐために頭を使うっていう 感覚じゃないっていうことうん楽しく 生きるために頭を使っいくでそのためには 稼がなきゃいけないっていうのがあればま それは稼ぐためにどうやって稼がなきゃ いけないのかっていうのは考えるけれども じゃその稼いだお金をどのように楽しく 使うのかとかねうんもう常に楽しく生きる ために自分の人生のそのリソースと呼ば れるもの資産資源みたいなものを全て投入 していくわけだからまそこを見 にどうやったらもっと楽しくなるかなって いうことは常に自分に 問ううんもう残りの人生きちんとそう いう風に向き合っていこうかなって思い ます改めて思いましたねうんまこの タイミングでうんま割と自分の中でも 吹っ切れるかのようにうん海外にもっと 行くように自分の人を生きていこっていう 気持ちになれたのはまいいことなんじゃ ないのかなと思いますんであとはねあのま チャンスなんで今東京でUbereatで 稼げれるって僕にとっては予想もして なかったチャンスなんですよねあもう東京 でウーバイズで稼ぐのは潮時かなと思って たんですよ僕は半年前までうんそれが一転 して一変していや東京今1番ウバ稼げれる ようになってるじゃんままずはこの チャンスを確実に掴んでおかないと まとまったお金を作るのはまた難しくなり ますからねうんなのでま今はそっちに家事 を切っててもいいのかなとは思いますね うんま今ここでこういう話をしてるのは なぜかって言う とうん11月12月も休むことなく東京で 働くつもりなんですよね 僕うん鹿児島沖縄に旅に行くのをもう 後回しにしようとしてるんですよねはいだ から今ここでちょっとうん海外に行く モチベーションが上がったって喋ってんの はそういう理由からなんですよ東京で11 月12月休みなく働くつもりにちょっと なっちゃってるんですよねうんで122 ヶ月11月12ヶ月しっかり働ければま 最低でも60万は旅の資金は食べ貯めれ ますのででももっとうまく頑張れれば 7080ま80万ぐらいは旅の資金作れる かもしれないんですよ はいまなので80万持ってとりあえず成田 空港 飛び立つことができたら相当人生 経験豊かになっ てまた日本に帰れると思うんですよ1回 自分の人生にねそれぐらいのパワフルな1 年っていうものをなんか設けてみなければ いけないような気もしているのでねま ちょっと今は今でま頑張りどころではあり ますのではい ちと自分で自分の気力を古いたさせてると いうことも兼ねてのライブ配信でしたはい それではコメント職にの皆さんどうも ありがとうございましたそれでは素敵な 1日をお過ごしくださいではまた明日
【旅の記憶/Googleマップに宿泊、飲食、温泉、道のりすべて記録】
◆第19章/東京編
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◆第18章/新潟、青森編
https://www.google.com/maps/d/edit?mid=1_14L5UEuVToCjlOoBwQ_3TA2iHLLOhQ&usp=sharing
◆第17章/富山編
https://www.google.com/maps/d/edit?mid=1FkAX0Jp1NqlGYO1fTjw4elDeOCm-VEw&usp=sharing
◆第16章/大分、宮崎、鹿児島編
https://www.google.com/maps/d/edit?mid=1JqLUJ3yYpH3nBP0uc9dW6zYy-Dk-2V4&usp=sharing
◆第15章/京都、名古屋、東京、埼玉、富山、金沢+青春18きっぷ(春編)編
https://www.google.com/maps/d/edit?mid=1cCxl57UiC5rscHJGAPDpu5xy999JxH4&usp=sharing
◆第14章/九州編
https://www.google.com/maps/d/edit?mid=1Ru7ehebzPL2NK3infkyo1_H-ohvH5hc&usp=sharing
◆第13章/埼玉、長野、東京編
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◆第12章/四国・神戸・山口・福岡編
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◆第11章/新潟編〜和歌山編
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◆第10章/関東観光〜金沢、富山編
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◆第9章/東京・千葉編
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◆第8章/仙台・盛岡・山形・東京・埼玉編+青春18きっぷ(冬編)
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◆第7章/北海道編
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◆第6章/山形〜秋田編
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◆第5章/新潟編
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◆第4章/金沢〜富山編
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◆第3章/福井〜金沢編
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◆第2章/金沢〜福井編
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◆第1章/東京〜金沢編
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