十津川村の上湯川について【うらにわ放送】
[音楽] ハイソン担田ぼ川県登山ライダー庭丸です 。本日は裏庭放送。前回の動画でデダ谷 上川の道路沿いにある今は無人化してる 集落っていうことでいくつか紹介したん ですが、今回はねその上川っていう大技に ついて話をしようと思います。 まず上川。戸川村の中では1番南性に位置 するところで、非常に深い山の中ももう 和歌山県の竜神 ですね。その辺りに繋がるような山深い ところで非常に九なところ兵等はほとんど ありません。で、非常に面積が広いところ で、ちょっとね、数字ちゃんと分かって ないんで、また後で数字上げておきます けども、とにかく非常に奥深くて、元々人 もそんなに多くないようなところです。 じゃあ、そこについてね、上川について 話していこうと思います。ま、上川につい てはですね、実は 明治16年の導師、ま、いつもの明治16 年の導師、それ以外にですね、上川共同士 っていう非常に優れた本があるんですね。 え、これはですね、上川の大技の人と上川 に昔小学校があったんですが、その小学校 の方々の勇志が集まって作った察誌みたい で、ま、上川のですね、古い歴史、 掘り起こせる限りの歴史を全部掘り起こし て自分たちで作った察しのようなものが あります。これがですね、打ってか手に 入ったらいいんですけどないんですね。 ならの県立図書館とあと戸川の民族博物館 にあります。そやから読むだけやったら そこで読むことができます。うちはですね 、え、必要箇所だけをコピーしてこれまた ちょっと後で説明しますね。 ではまず神はどういうところかって言うと ですね、1番古い記録ということで明治 16年の導師から行きたいと思います。ま 、何度も出てる明治16年の損失ですね。 これは当時の上川の人らが上川村について 書いたことっていうことでね、え、比較的 その話は信頼できるしうちからの情報なん でね、まあまあ書き漏れとか抜けとかも ほとんどないやろなと思います。で、ここ に書いてあることによると 上川村っていうのはですね、え、古川、 カジ、大谷、帯、入谷ね、この5つの集落 で一村となすということになってます。ま 、つまり当時の感覚として上川は5つの 集落からなってたんやなっていうのが 分かります。 ただま、その中でね、大田にのみ神と下に 分かれるていようなことも書いてます。で 、明治16年の損失によると明治9年の 段階で、え、54個。あと社郎ですね、 自社関係が4個、合計58個で人口は 283人ということです。で、仏峠って いうところにですね、小学校があって、 そこに男24人、女18人が通ってたって いうね、記録があります。今からすると 想像もできへんような大人数やったって いうことですね。 え、続きまして上川共同市ですね。これは 昭和12年に変算されたものです。やから 明治16年の導師の後に水害があって、 その後、ま、戦前に上川の共同士が作られ たっていうことなんですが、上川の共同士 はですね、準がものすごく古くてしっかり してるものがあってですね、江戸時代最初 の頃の記録があります。で、その古い地図 によると上は最初13件やったっていう ことです。あの広大な範囲に立った13件 なんです。で、ああ、13件って言ったら 、あ、どっか1箇所にまとまってるんかな と思ったら全然違うところに点でバラバラ に家があるんですね。ま、その辺りから 言うてやっぱり元々はどこかから逃げてき た平形ですね。平気とかで逃げてきた人と か士とかそういう関係の人らがもしかし たら多かったかなっていう気がします。 なんでそんな山の中に一軒あっても他の家 とはそれこそ何キロも離れてるような状況 でそれが一見が1集落として成り立つ かっていうと当然そんなことはないんでそ やからこう広い範囲に13件あってそれら が緩く繋がってたんちゃうかなと想像して おります。 で、ま、それから徐々に徐々に人が増えて ですね。で、上岡強ができたところで、で 、水前の地図があるんですね。それがこれ はそれぞれの集落の中の各家、それから ヤゴ、全部地図でプロトしてます。これ 素晴らしいです。 これがあるおかげで上川のほぼ全域ですね 。ま、これより記録がないような状況って いうのはもうはるか昔すぎて多分もう痕跡 も何もないんでどうしようもないんで、ま 、今現状上川でおそらく集落があったで あろうところっていうのはもうこれでほぼ 完璧にモー羅されてます。で、この上川の 強度市によるとですね、これがまた明治 16年の損失と違って集落の数が変わっ てるんですね。ただ、ま、この集落って いうのは公的に決められた、きっちりした もんがないわけですので、それぞれの住ん でる場所とか数とかによって分け方とか コロコロ変わるんですね。そやから別に どれが正しいとかいうもんではなくて時代 に応じてあ、ここの集落も家1個になって もだから横のやつと混ぜようかみたいな 感じで、要はあの町内会の半分けに近い ようなもんなんで。だからあるところに 増えてきて人口が増えてきたらちょっと ここ人多すぎるから上と下で分けようかと かね、そういうことが起こったりします。 で、元々はあっちに属してた家やけど こっちに移動するとかね、そういうことも 結構あります。家の場所は変わらんかって もね、人数に応じて変わった りっていうのはよくあります。というわけ でね、え、上川共同士の分け方で言うと、 え、その当時の集落としては 123456788 個分けてたみたいです。明治16年の損 よりは行分多くて個数も若干増えてるか なっていう感じがします。 一応羅列しとくと大又、古川、峰路、カト 、武谷、大分谷、帯、入谷という感じで 分かれてます。 ま、それぞれにそこそこ人口があって、 元々少ないのは大股ですね。で、それ以外 のところは、まあ8件から18件ぐらい あるかなっていうことです。ただこれも 分け方によって例えば今集落として認め られてる市原はこの共同士の中では大晦に 含まれてるんですね。で、1回配損田ぼで 行った梅ガとこれはこの兵都市では入谷に 含まれてます。だからそういう感じでね、 そもそもそれぞれの集落なんかただの野号 なんかっていうところのね、区別も あやふやなところもあるんでね、梅ガ島 なんかは実はただの野号なんですよね。 ただあそこは梅ガイト以外にかつて多い時 で3件家があってほんなそのまとまりを何 と言うんかって言うとやっぱり梅ガトって 言うんかなっていうことですよね。はい。 そんな感じでなってますね。 で、上川 っていうところはですね、今は当然一本道 で戸川の中心部から剣道がずっと荒や竜神 の方まで繋がってるっていう道があるん ですが、その道はかなり新しい道で、当時 の上川の中の道とは全然違うと思われます 。当時の道っていうのは今の道よりも もっと山の上の方をでもないんですけど、 そういうところをうねうねしながら繋がっ てたんやろうなっていう感じがしますね。 あともちろんお沿いには旧竜神街道って いうのがあってそこが1番通りやすかった 道でしょね。で、上川の集落の中にもどう もそのこう竜神街道のおの辺りに家があっ てそこら辺からま時々谷とかオを通じて下 に降りてくるような感じで集落が点在して たっていう感じなんかなと思われます。ま 、古川とか梅ガなんかもそんな感じがする なというイメージですね。で、当時仏峠 っていうところに小学校があったんです けど、それはですね、今は完全に山の中、 私も行ったことはないんですが、 痕跡は残ってる可能性がありますね。今も その仏にあった上は小学校に通ってたって いう方は何人か戸塚にまだ住んでおられ ます。やからそういう方々に話を聞いたら そこのことも分かるんちゃうかなと思い ます。 戸川の小学校はですね、先日一気に全部 解体したんですけれども、多分そこの仏に ある学校は残ってたとしても解体はされて ないんちゃうかなと思います。あそこ行く までがまず大変なんでね。 はい。そんな感じですね。 1番最新っていうことになるんかな。戸川 のチよく出てきますけど、これ昭和35年 の本なんですが、これによると上川の集落 は大又、古川、寺、大分、大晦、市原、 入谷っていう感じで7つに集約されてます 。で、73 ちょっと人口はね、ちゃんと調べてないん で分かりませんが、ま、そこそこ減ったな ということなんですが、この昭和35年 からまた今にかけてですね、大幅に上川は 人口が減ってます。ただ上川にはね、あの キノコ組合いがあって、ま、元々産業とし ては椎茸作るっていうのが盛やった地域な んですが、ま、そのキノコ組み合いがある からまだなんとか上川は人口と保ててるん かなという感じがします。 で、上床は他の地域なんですが、まだ行っ てない配損って言われてるところもまあ あるにはあります。ただこの共同士 見る限りもうなんていうかね、 どうやって名前を分けてそれを集落に しようかなっていう感じなんですよね。 えっと、 ま、梅ガ島も一応集落にしたけど実質3元 。あと梅ガからめちゃくちゃ離れるんです けど、川挟んだ対岸に串崎っていうのが あって、これは上川の人に聞いたら大体 知ってるんですけど、そこは一見。うん。 それは串崎は場所というか野なんですけど 、じゃあ串崎集落にするっていう梅ガトに 入れるにはちょっと離れすぎてるしなって ね。ま、そういうのが今後出てくると思い ます。他どっかあったかな?あ、あれ、 あれですよ。あの市原の向いにもあるん ですね。市原って今剣道があって川があっ てその南側にさらに市って何か家があるん ですけどどうやらその川挟んで道路挟んで 対岸にもあったみたいなんですね。いや、 そこは大晦ちゃうんかと思うんですけど、 どうも市腹に分類されてるみたいなんです よね。そんなに離れたところを別々の 集落で せずに1つの集落にしてしまうっていうね 。で、そっち側はもう無人化してるんで、 ま、そこは簡単に行けるんで、いずれ行き たいとは思うんですが、ま、そこも悩むよ ねっていうところですね。とはですね、 上川の強市では武田にっていうところが 人口が多くて14個あったって言うんです が、今武田にってね、 ないんですよね。あの、ないっていう言い 方は変なんですが、あの、一見道路が 繋がってる家は1件あるんですが、そんな 14件もなかっ他の集落の家も混じって 武谷になってるみたいなんですが、ま、 それとは別に今武田と言えるところは3元 あって、ま、それもいずれ行かなあかんか なとは思うんですが、またこれが大変なん ですよね。一体どっから行ったらいいんか ?うん。 はい。ま、そんな感じでですね。上川は 割と知り合いが多くてものすごく詳しい人 がおるんで、あまり迂闊なことを言うのは ね、私が言うのは引けるんですけれども、 ま、そんな感じでね、あと何箇所か分かっ てるような無人化したところね、軽く紹介 できたらいいなとは思います。 そして最後ですね。えっと、最近は水没し た集落を一気に回ったりとか、川道沿いに ある集落跡を回ったりとかそういうところ がちょっと増えてきてます。え、配損田ぼ はですね、奈良県の無人化した集落って 言われてるようなところを全部モ羅ラして いくっていうことが目的の1つです。 あくまで記録映像としてね、ここにこういうところがあったっていう情報を掘り起こしそれを残してたらいいなあっていう思いでやってますんで。え、ですからね後ね路沿いにあってそれは確かに家があったんやけども名前も分かってないんやわとかも今後いっぱい出てくると思います。 ま、なかなかそういうのをね、見る人は どういう風に見たら楽しいんかっていうの は分からんのですけども、え、まあ今後 そういう動画も増えるダムに水没した ところの集落なんか、ま、ダム移してる だけになると思うんですが、でもまあ記録 としてね、きちんとした場所で現在の状況 っていうのはなんとかね、保存しておき たいと思うんでね、ま、お付き合い いただけると幸いです。はい。 はい、というわけで今回ですね、上川に ついて、あとは、ま、今後の配損田望に ついてちょっとお話しました。というわけ で一緒に武田とか串崎行ってくれる人が おったら 幸いです。ということで今回の動画ここ までです。また別の動画でお会いし ましょう。バイバイ。 [音楽]
うらにわ放送
十津川村の上湯川について
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11 Comments
お疲れ様です この様な 山深い所に 隠れる様に住まわれてた方達のご先祖様は 平家なのかな?と思ってしまいます🙇♂
上湯川特集お疲れ様でした。
仏峠の小学校や錨集落にあった出谷小学校。
やはり尾根沿いの街道が、最初に栄えてきたんでしょうね。
廃村巡りをしているだけでは動画も似通ったものになったりすると思いますが、こうしてそれぞれの集落の歴史や背景を紹介して下さるのでその都度興味を持って視ることができます。また、にわまる放送を視て、過去の動画を見返したりして楽しませていただいています。
調査研究、実働も大変だと思いますが頑張ってください。陰ながら応援しております✊‼️
いつもうらにわ放送楽しみに視聴させていただいています。
件の奈良県道735号は以前にバイクで竜神の方から走ったことはありますが、
行くまでは、国道425と比べて少し道は悪いだろうけど川沿いの谷底を走る道だろうと予想していたのですが、
そんなことはなく線形も上り下りもかなり激しく、道は川面が遙か下で殆ど見えない険しく長い道を経験しました。
紹介にあります上湯川は丁度県道の真ん中あたりでしょうか、記憶によれば登りきった峠(?)のようになったところで、
地図上の道沿いの川はどこからが西へ流れ、私にはどこから東に流れているのかよくわからない程の険し(くも不思議な)い地形だった気がします。
そのような土地で県道がなかった時代からの人々の営みの鱗片を知りその様子に思いを馳せます。
終わらない旅でござるなぁ~調べるだけでも大変( ^^) _旦~~
Tシャツが気になって気になってwwww
当時より日本の人口は増えてるんでしょうに、かつて栄えた村がどんどん廃村化するのは都市に人が移動せざるをえなかった?行政のせい?
しかし何で「発」?色とかカワサキっぽい🤣
明治時代って日本にとってあらゆるものが変わったんですね。どんなところにも学校を作り平等に通わせる。多少それも全部ではないにしても、僻地に学校作って教師を送りこみ子供達が何キロも歩いて通う…それだけでも国全体のエネルギーを感じます。にわまるさんの十津川村考には、尊敬します。民間の調査のほうが、より深くわかりやすいですが、お上の事情もありますが集落を内情わからず切り貼りされると混乱しますよね。楽しかったです。
「上湯川郷土誌」って見てみたいなぁとうらやましがりながら、また国会図書館を漁っていたら「十津川郷採訪録 民俗 1」なるものを見つけました。こんなのあったかなと思ったら、個人送信公開開始日が2025-06で最近のようです。
昭和30年代の採訪ノートが活字にされずそのまんまという見たこと無い本で、5まであって量があります。5は「十津川郷民族語彙」でこれと4は活字。で、1が上湯川の採訪から。佛峠の小学校前に峠店という旅館で何でも屋というのがあってそこに泊まっていたようです。仏峠は今どうなっているんでしょうねっ。
士農工商の身分が官ー民の二つに変わったんですね。現代まで官・お上への従属意識が残ってますね。😂
仏峠の小学校…そこには教師がいたんですよね。聖職者としての使命感、学制令の力 恐るべしです。
にわまる先生、こんな形の発表してくださいm(_ _)m
全然知らない土地の話なのに、聞いているだけでとても楽しいんですよね、うらにわ放送大好きです。
あと、喋りはほとんどノーカットとですよね?説明とってもわかりやすいですし。(仮にカットして編集していても凄い)
動画編集とか、自分の喋った音声を聞き返したことのある人なら、この凄さがわかるはず…。
そしてTシャツが「發」…。