【地理雑学】勝頼の決断!大敗する運命の長篠へ転身したその驚きの理由とは?武田軍最盛期の進軍を車で地形を見ながら追ってみよう!/国道151号/中部地方/愛知県

国道151号(1)
武田軍・決戦の道
武田軍進軍ルートを探る! はい、ドラレコ風景を次々に雑学解説する動画、今回は国道151号、豊川市街地から長篠合戦跡地区間です。 長篠、そうです。武田氏が勢力をもっとも拡大し、 まさに最盛期を迎えようとしていた時期の進軍を追ってみようって企画です。 〇勝頼の「最後の賭け」なぜ長篠城へ転身したのか? 〇足半!足軽は川をどう越えた? 〇信玄念願の武田水軍!何をしたか? などなど、地理調査に徹底的に時間を割いて、丁寧に仕上げました。 今回も脚本詳しめ、音声はなつきでお送りいたします。 ではでは、国道151号長篠までをGO! と、その前に大規模に工事していますね! あ、橋脚が見えます! これは、国道151号と国道1号の「宮下交差点」ほか、複数の交差点を立体化する工事です。 2026年の完成を目指して工事が進んでいるようですね~ そして、大きな鳥居! (白狐ヶ丘)しろぎつねがおか…びゃっこがおかかな?と書いてあります。 前方後円墳らしき丘に神様を祭ったのが最初だろうといわれているんだそうです。 1850年に京都伏見稲荷から勧請…分霊されたと伝わっています。 というわけで、ここは豊川市内の東海道筋、三河湾の奥まった場所からスタートします。 さて、では早速「勝頼の進軍ルート」を追ってみましょう! 諸説ありますが、今回は主にWikipediaの時系列を参考に、勝頼のルートをたどってみましょう。 信玄を失った1573年、誰もが武田の衰退を予想しました。 しかし翌年、勝頼は遠江の高天神城(たかてんじんじょう)等を落とし、武田の健在ぶりを天下に示します。 そして1575年4月12日、さらなる領土拡大を狙い、甲府を出陣。 進軍の矛先は西遠江、そして東三河へ。 そして同月末、先遣隊である山県昌景らと合流し野田城など数城を攻略。 そしてさらに二連木城(にれんぎじょう)を制圧し、吉田城から出撃した家康と小競り合いするも、 家康に二連木城を奪還されるなど一進一退を繰り広げ、 攻略するのに時間がかかりすぎると踏んだ勝頼は、長篠城へ目を付けます。 ここで、今回走る国道151号筋の登場なんですね~。 勝頼が長篠城に転身したのは、徳川家康を引っ張り出すためだったと推測する説があります。 なるほど、長篠城は徳川にとっては武田への守りの要である城です。 逆に武田軍に取られれば、武田軍の徳川領攻略の大きな足掛かりになるわけです。 そこを勝頼が包囲すれば、家康も出てこざるを得ない。 5月初めごろから5月8日ぐらいまでの間に、勝頼は転身し、長篠城包囲に取り掛かり、完全包囲を済ませています。 最大領土を誇った武田家の絶頂期ともいえる長篠合戦直前。 そして、歴史上でも数えるほどしかない、万単位の兵が動いたといわれる長篠合戦。 勝頼の転身ルートであると推測できる「国道151号」、昔の兵士になった感覚で走ってみましょう! そして、ここまで走ってきた道のりは、一面に広がる平野が続いていました。 勝頼は、いったいどのルートを進んだのでしょうか? そもそも戦国時代に、この広大な平野には、どんな風景が広がっていたのでしょう? ここで古地図を見てみましょう。 これは、明治時代に測図され、昭和2年に鉄道が加筆されたものです。 現代のように治水が徹底される前の姿が、まだ色濃く残っている可能性があります。 この地図に地形図を重ねてみると、面白い特徴が浮かび上がります。 わずかに高くなった場所に、家々が集中しているんです。 自然堤防や河岸段丘の上と思われます。 戦国時代は、この豊川も含め、流路を自由に変えていたと考えるのが自然です。 だから、僅かでも高い場所に家が建っていたんですね。 では、国道151号が通っている低地には、何があったのでしょうか? 古地図の記号が示す通り、そこには水田が広がっていたと考えられます。 武田勝頼たちの軍勢は、この三河の水田を踏み越えて行軍したのでしょうか? それとも、高台の村々を走る街道で、秩序だった行軍をしていたのでしょうか? 当時の村人たちとの関係も気になるところです。 「乱取り」と呼ばれる略奪行為があったのか。 あるいは、占領後を見据えて兵糧を商人から買い入れるなど、友好的な態度だったのか…。 勝頼は高天神城の地の利を最重要視していた…そんな説もあるほどです。 もし乱取りなどして、農民の反感を買っていたなら、一揆など反乱がおこる可能性もあるわけです。 そんなお城を重要拠点と定めることができるでしょうか? さらに、武田水軍の存在も見逃せません。 今川家の旧臣・岡部氏を加えた武田軍は、信玄の悲願だったと想像に難くない「水軍」を編成していたのです。 その水軍を中央へ展開、管理する上でもうってつけの場所だったんです。 騎馬による兵糧輸送に加えて、この水軍による大規模な兵糧輸送が実現できたからこそ、 勝頼軍は長篠合戦の直前まで勢力を保てたのではないでしょうか? 一説には、勝頼が信玄が逝ってからも活躍できたのは、岡部氏の水軍があったからかも。というものもあります。 兵糧が確保できるシステムが構築されているのであれば、しっかりした軍隊が育っていたのではないか。 そんな彼らが、規律を守って行軍していた可能性もあります。 もしかしたら、兵糧を運ぶ船を守りながら川べりを遡上していたかもしれませんね~ ところで、道は高規格なのに、周りがあまりに田舎っぽくありませんでしたか? これ、実は国道151号はバイパスなんです。 1969年まで愛知県道495号及び、愛知県道400号も旧国道151号だったようです。 今昔マップを見ると、大正時代ころは「伊奈街道」としてまーっすぐ東海道、現在の国道1号まで繋がっていたのですが… 昭和33年の今昔マップでは、古地図には珍しく「国道151号」の文字がしっかり描かれています。 その地図を見ると、現在の県道400号が国道151号となり、豊橋という「橋」で東海道と合流しています。 時代によってここまで変わりますか。 主要街道。 面白いですね~ そう、旧国道である県道側のほうが発展しているんですね~ あ、このアピネスという建物。 何か気づかれませんか? そう、ここ、僅かに上り坂なんです。 これ、実は豊川の河岸段丘なんです。 いよいよ国道151号が河岸段丘を上がるわけですね~ そして、古地図を見てください。 川のそばに水田がちらほら、あとは森林でしょうか? ちょっとした林があり、田があり、畑があり、川が流れる、いわゆる「昔話の里」のような風景が想像されます。 吉田城から転身して長篠城へ向かう武田軍。 彼らは段丘の上を通っていったんでしょうか? それとも下でしょうか? この辺りから旧道と新道が合流していたようです。 街並みも、郊外ながらにぎやかになってきました! これが昔からの本筋ですね~ 砥鹿(とが)神社ですか~ 外観から察するに、立派な神社に見えます。 ですが「とが」って? なかなかとがった名前です。 由来なんですが…「砥石の鹿」と書く漢字は当て字のようで、そもそも「止所(とめどころ)」と書いて「とが」と読むのが本来なんだそうです。 これは、大国主命(オオクニヌシノミコト)が砥鹿神社の霊山である本宮山(ほんぐうさん)に「とどまった場所」とされていることに由来し、 そこから『とが神社』と呼ばれるようになったそうです。 亥子角!(いねずみ)また珍しい地名です。 亥子(いね)の意味には、季節や時間のほか、北西、あるいは北北西という方角を表す意味もあるそうです。 北西の角。 地形図を見ると、「東の角」に亥子角地域は存在しています。 逆です。もしかしたら… 川の反対側から見て、河岸段丘の小さな崖が「北西の角地」に見えたのかも。 お、下ってます。 これは、豊川へ合流する…宝川(たからがわ)の小川の谷へ下っていきます。 こんな感じの豊川へ直角に流れる川が、この先の設楽原、長篠合戦場まで複数あります。 その川の一本で、織田はそのまま勢力を伸ばしていく一方で、武田が没落するきっかけが作られるんですね。。 設楽原の特徴と言えそうな地形です。 宝川を渡って、さらに下っていきます。 豊川沿いまで下がっていきます。 そして、このすぐ右手の谷の下には、豊川が流れています。 武田軍はこのあたりで、豊川へ合流する小川のひとつ「宝川」を渡ったと考えられ、 さらに複数の支流や小さな川も越えていったことは、ほぼ間違いありません。 そこで気になるのが… 濡れた草履、どうしてたんでしょう? 実は『信長公記(しんちょうこうき)』には、信長がいつも腰に「足半(あしなか)の草履」を下げていた、 という記述があります。 この「足半」とは、普通の草履を半分にしたような形で、かかとを浮かせて歩く草履。 健康に良さそうでしょう? そして、それ以上に機動性の高い草履なんです。 さらにさらに、この足半、意外にもとても滑りにくいんだそうです。 信長以外にも、愛用していたと思われる武将の肖像画が残っているほど。 そして、キリスト教を持ち込んだ宣教師フロイトの書物にも「日本人は珍しいものを履く」という記述があるそうです。 一般的な履物だったと推測されます。 もちろん、小さな小川なら足軽たちはそのまま渡ったかもしれません。 でも、豊川のような大きな川の渡河時や、水辺の河原行軍時は、もしかしたら足半に履き替えていたのかも? 足軽たちの足元事情に迫ってみました。 水田が広がっていますね~ 大正7年に修正して昭和2年に鉄道を書き加えた「ひなたGIS」で見ると、水田のほか桑畑が広がっています。 江戸時代に開墾されたか、あるいは戦国時代から開墾されていたのか? 水田のあぜ道を行軍した可能性もありますね~ ですが戦国時代も時代が進み、村人たちの反感を買っても良いことはないと気づいていたかもしれません。 街道を行軍していた可能性のほうが高いと信じたいですね~ あ、この辺りから上へ上がっていきますね! ひなたGISを見ると、この辺りから鉄道に沿って、駅に向かって崖下をまっすぐ旧道が走っていたようです。 こちらの新道はいつできたのかわからなかったのですが… かつての「野田城」があった丘のようです。 この城は、武田軍の山県昌景隊旗印を見ただけで、城兵が逃げ出して陥落したという逸話もあります。 「武田軍の赤備えの騎馬軍が攻めてきたぞ!」 武田軍といえば、めっぽう強い戦闘集団。 その中でも「赤備えの山県隊」といえば、武田軍最強とも評価される軍勢です。 小さな城であれば、その赤備えが押し寄せてきた時点で戦う前から震え上がったに違いありません。 あ、左折しましたね! まっすぐが旧道だったのかな? 旧旧道が、野田城の崖下、鉄道と並走していたようです。 旧旧道は、国道151号なんて呼んでなかったかもしれませんね。 おお~、結構切り通してましたね~ 結構新しい道筋っぽい感じがします。 これ、実は昭和47年、1972年から続くバイパス事業で、2010年に新城区間が開通したんだそうです。 そして、クランクになっている理由。 そうです、豊川市内の一宮区間、東名豊川ICの少しだけ北から、先ほどのクランクまでバイパス整備が始まっているんですね~ なるほど、長篠まで豊橋平野が続いています。 通勤ラッシュ時は結構混みそうですね… あ、こちらも拡幅用地が取得されていますね~ 新城バイパス、順次二車線化が進んでいくようです。 おお~、ひろ~い! もう少し先が、長篠合戦場になります。 この辺り、右手側が新城中心街が広がっています。 スーパーが4~5件あり、人口はなんと4万人余り。 結構でっかい街です。 バイパスから見える街の姿、あてにはなりませんね~(汗) この辺りから、設楽原(したらがはら)という地名が地図上に出てきます。 古戦場跡とか、決戦城跡とかを冠した公園や施設ですね。 いよいよ設楽原決戦場、長篠合戦場が近づいてきました。 あ、連吾川(れんごがわ)です。 この川の上流、左手側の小さな谷が長篠合戦の戦場です。 ちょっとだけ長篠の戦を復習しておきましょう! まず武田信玄に蹂躙された三河。 家康は失地回復に務めており、長篠城も奪還していました。 長篠戦いの2年ほど前のお話です。 しかし、信玄が興味を示さなかった…いえ、信玄自身の時間が無いことを悟っていたのかもしれません。 その高天神城を勝頼に奪われるんですね。 長篠の1年前のお話。 そして、信玄の三回忌法要(さんかいきほうよう)を済ませた勝頼、東三河を制圧しながら西へ兵を進めます。 先遣隊の山県昌景らと合流し、野田城、次いで二連木(にれんぎじょう)城を攻略し、徳川家康を追い詰めますが、 逆に二連木城を奪還されるなど、一進一退を繰り広げたんですね。 勝頼は転身し、長篠城を包囲します。 ですが、ここで勇敢な城兵の一人、鳥居強右衛門(とりい・すねえもん)が登場します。 彼が密使となって岡崎城の家康に戦況を報告。 すでに信長が援軍として岡崎城に入っているのを知り、城兵たちに援軍が来たことを一刻も早く伝えるため、踵を返して長篠城へ。 しかし、武田軍にとらえられ、「援軍は来ない。あきらめて城を明け渡せ」と言え。そうすれば助けてやるといわれましたが、強右衛門(すねえもん)は勝頼に逆らって 「後二、三日で援軍が来る。持ちこたえよ」 と大声で叫び、処刑されたという逸話が有名です。 そう、長篠城は落とせなかった。 そして、家康の援軍信長もすぐそこまで来ている。 戦況は一気に武田軍に不利になります。 そうして、武田四天王の三人、宿老の山県昌景、馬場信春(ばばのぶはる)、内藤昌豊(ないとうまさとよ)は撤退を進言します。 しかし戦うことが決まると、最初から敗戦を覚悟していたといわれています。 そしてさらに、敵方の徳川、織田連合は設楽原へ馬防柵を設置します。 これは、鉄砲足軽が騎馬の突撃にめっぽう弱いことを鑑みて、騎馬の突撃を抑えるために設置したと推測されます。 さらにさらに、家康の重臣・酒井忠次が武田軍の牽制を受け続けている長篠城を裏山から奇襲します。 騎馬の十八番・突撃力を奪われ、さらに長篠城を牽制する部隊が壊滅、退路を断たれた勝頼は大敗。 武田四天王のうち三人を失い、武田家の衰退を招いた。とされています。 が! wikipediaを読み進めていくと、山城(やましろ)…現在の京都まで支配下に置いた織田家に対抗できる時期は、今しかない、 今を逃せば織田家は武田家など手の届かいない強大な大名になってしまう。 それが理由で勝頼が決断したのではないかという説が述べられていました。 確かに、徳川の三河や遠江を縦横無尽に荒らしまわっていた、戦上手の勝頼です。 もしかしたら、「若気の至り」等ではなく、今を逃せば織田に対抗できる大名はいなくなることを理解して、賭けに出たのかもしれません。 そう、長篠城の包囲によって、家康だけでなく、その天下人に一番近くにいる信長まで設楽原に引っ張り出すことに成功したとも言えませんか? 豊川を渡れば、天然の要害を備えた長篠城跡です。 北に医王寺山(いおうじやま)を備え、豊川が西と南を流れ、宇連川(うれがわ)が東から豊川に合流し、天然の濠を三方に備えた落とすのが本当に大変そうなお城です。 と、今回は、武田軍最盛期・長篠直前の進軍ルートをテーマに国道151号をたどってみました。 国道151号、豊川&新城編はいかがでしたか? 今回はとても楽しく調べたのですが、 ところどころ推測や個人的な見解も交えています。 そうした点も含めて、楽しんでいただけたら嬉しいです。 もし、「ここ面白かった!」とか「ここ通ったことあるよ!」なんて場所があれば、ぜひコメントで教えてくださいね! こんな感じで、のんびり、ですがしっかり地理雑学お届けします。 次回も気になる方は、チャンネル登録しておくと、お勧めに表示されやすくなりますよ~ 次回は国道151号の山岳部を走ります。 地形編、中央構造線を大テーマに小粒雑学を添えてお送りします! 〇1億年前に大陸が裂けた!中央構造線の謎 〇火山じゃないのに柱状節理?海底の泥のさらに上にマグマ! 〇天龍峡の荘厳な岩壁。その正体は「海底の泥 x マグマ」! 小さな地理雑学も、積み重ねると壮大な何かが見えてくる…! 気がします。 ではでは、動画のご視聴ありがとうございました。 なつきがお送りいたしました~。ばいば~い。

「長篠の戦い」直前、武田軍が最大の勢力を誇ったその瞬間の行軍ルートを追ってみた!その他小粒地理雑学をわかりやすく解説!
〇勝頼の「最後の賭け」なぜ長篠城へ転身したのか?
〇足半!足軽は川をどう越えた?
〇信玄念願の武田水軍!何をしたか?

などなど、今回は「戦国歴史&地理雑学!」をテーマに解説!

■■以下雑学、地理案内一覧
【道路地理】武田軍「進軍スタート地点」0:55
【中世史】なぜ武田軍は長篠城に狙いを定めたのか?その「戦略的転身」を追う!1:52
【中世史】地形と水田と行軍!武田軍は乱取りしていたか?4:05
【中世史】信玄念願の武田水軍!6:00
【旧道】国道151号豊川市内旧道区間7:00
【地形】設楽原の地形!勝敗を分けた地勢を読む!11:00
【中世史】足半!足軽は川をどう越えた?12:00
【中世史】赤備えの攻城戦は、戦わずして開城!14:00
【バイパス】一宮バイパス15:00
【中世史】勝頼の「最後の賭け」なぜ長篠城へ転身したのか?18:00

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  1. 読み間違いや言い間違い、変換ミス、表記の揺れなどにはできる限り注意を払っていますが、雑学や画像の情報量が多く、また更新の都合上、デバッグに十分な時間が取れない場合があります。

    もし内容を他でご紹介いただく際は、ぜひご自身でもう一度ファクトチェック・ご確認いただけますと安心です。

    また、万が一誤りや気づいた点などありましたら、コメント欄で私や皆様と共有していただけるととても助かります。
    あと、足あとにコメントも大歓迎ですので、ぜひ残していってくださいね~

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    長篠の戦い
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E7%AF%A0%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84

    兵糧・補給物資の運び方
    https://rekishi-memo.net/sengokujidai/hyourou.html

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