酪農家最後の日から3年〜再訪。元気なお二人に嬉しくなり再編集してみた〜

想像ができないっていうか、これからの 生活が常に50数年間は虫と一緒にいた もんですから。それがなんかこう逆に言え ばそういう想像できないことが不安に 繋がっていくってそんなような気もしまし たね。え、あと1日かな。今日含めて2日 かどかって もね、やめなかったらずっとまだまだ置い とけたんです [音楽] だから命を大切にする。他のものの命を頂いている私たちです。だから食べ物を大切にするということが言えるのではないでしょうか。 これまでの頑張りと感謝の意を表す。ここに卒業証をいます。 [音楽] 2022年9月13日小川裕子。 ありがとうございました。 [音楽] 2022年9月13日午前4時30分 [音楽] そこは鹿の鳴き声が響く山奥の牧 到着したのは人生最後の作が始まる 30分前だった。 そっか。卒業式をやることにして。卒業式、 卒業、卒業。いや、俺したら言うべ、予望卒業少々作ったってことだから。 出迎えてくれたのは妻が卒業少々を作ってくれたと嬉しそうに話す小川さんの笑顔だった。 よく言ってるから。 寝れました。 あ、寝たよね。 寝た。いや、全然だけど俺 2時15分から全 寝てないの? 寝てないな。 あも寝てない。 52 年間楽能に全てを捧げてきた。今日がその最後の日。 あ、増築したのちゃん。 増築したの?それからまた 10年ぐらい経ってから。あ、 妻がそっと声をかける 父が立てた者の話。 それ以やってないんだ。よく持ったでしょ。今 夫の意思を尊重し支え続けてきた妻。卒業少々を作った理由を聞いた。 利能っていう言葉を使いたくない。 うん。 これは卒業だっていう風なことをずっと言ってきたんで、だったら卒業証っていいんじゃないかなっていう風な 夫が何度も口にした理能ではなく卒業。お母さんのある言葉を思い出す。 いや、やっぱり 大事なのはやっぱり農業者であるっていうことですよ。最後まで農業者である。 最後まで農業者である。それはこの日牛と お別れをする落家の言葉だった。 そんな男が大切にしてきた場所にやってき た。 そこは反世期以上丁寧に維持してきた装置 。 小川さんの牛がこの木草を食べることは もうない。 それでも美しく保たれている。楽家を卒業する男がどんな未来を描いているのか。お宝つくの海風と [音楽] [音楽] 戦い続けたこの場所で感じたいと思った。 [音楽] ここは北海道最北輪か内からほど近い 浜別町。1年の平均気温は5度前後。町内 にあるくっちゃろはラムサール条約の保護 に指定されている。自然豊かな漁業と落の 町に小川さんは落家の三難として生まれた 。 [音楽] 最後の入まであと 10分。 先行上げてきた方がいいんじゃない? 先行上げといた方がいいんじゃない? あげて。 先あげておくか。開けなかった。 え、先だけでもいいかな。 実は私の母親が亡くなったのが今から 7年前でちょうど 7回期なんですね、今年。それは親父の 30 回機でもあり生産をやめてそして先祖様にもま、報告しようと先祖にも報告できるようにという風なことでですね。 それは母の 7回機、父の30 回機のタイミングでもあった。 卒業の報告は家業を終える報告でもある。 高校を卒業し、父から牧場を引き継いだ。 大きな借金も一緒だった。 それでも1 人前の男に慣れたのだと興奮した からもう借金はあり相当ありましてから俺の引き継いだ借金、俺がした借金は全て俺の手で返すんだというそういう強い決意がありましてから 当時利息が高く短年度の赤字が雪だるましに膨らんだ。前動的に楽農家の負債問題は課題でもあった。 [音楽] 父さん利能していく仲間も多かった。それ は借金を返すための戦いでもあったと小川 さんは言う。戦いを終えたのは50代終盤 。 [拍手] それでも強く戦ってこれたのは全国の子供 たちから届くお礼のメッセージだった。 そこには食べ物、命への感謝が綴られてい た。 小川さんは楽能体験を通して子供たちに命の大切さを 20年以上伝えてきた。 つまり私たち人間は牛さんの命を頂いて生きている。だから命をだきますということできますと言うんだよっていうことですよね。他のものの命をいいている私たちですから。だからこそ優しい心のこもった思いの思いやりのある人になりましょう。 受け入れた人数は 4000人を超える。 それぞれに悩みを抱える子供たちにも伝えた楽や獣位を目指すものも現れた。 命をいただく。 妻の裕子さんも神芝居を使って子供たちに伝える。 [音楽] 坂本さんは食肉加工センターに務めています。牛を殺してお肉にする仕事です。 [音楽] それは食肉加工センターで働く父とこの実話。 父が悩みながら真剣に命と向き合う姿に その仕事の意義を理解し親子の中を深める 。 にお金で幸せにをせたという楽の実もリアルに描かれている。 いきたいというに 命にはたくさんの思いが集まっている。 だから無駄にせず感謝することが大切だと伝える。 是非とも牧場にまた遊びに来てください。どうもご成聴ありがとうございました。 最後の作入まであと 2分。取ってもらえばいい私 送るのに楽だ。ちょっと 取ってもらえばいい。 うん。 だって1月だと2分早く。 うん。 ちょっと早ってちょっと準備かね。た 2 分早く動いた。妻の姿を写真に納めた。 [拍手] 年も年ですからで尿房にも色々、ま、お世話になったという風苦労もかけたという風なことなんかもありまして、やっぱり残された人生を、ま、尿房も自由にこうしてあげたいって言うんですか、このっていうものに拘速させたくないっていう、 そういった思いも強かったですし、 卒業という決断は妻へのお疲れ様でもあった。 そしてその時が来た。 あの、 最後の最後の最後のうん、商売最後の作を始めます。 いや、もうできねえの、これ。 うん。2 人は互いに最婚夫婦。小川さんは生き別れ、裕子さんは前の夫と死に分別れた。 [音楽] お互いの過去を大事にしながら30年近く 1日2回のルーティーン。今日もアウン運 の呼吸で作業が進む。 小川牧場は機械化されず昔ながらの スタイル。もが建てた反世紀以上前のもの 。それには理由があった。 後次がないっていうことの投資をもうできなくなるっていうの。急車を広くするとかドラクターで餌をやるとかそういうことができなくもう最後まで一輪車でそれがきっと [音楽] 50 年続いたなと思いますね。すごいなあって 後継を見越した投資ができなかった。小川さんには隣町で楽を営む息子がいる。 [音楽] 学校を卒業した後、この牧場で一緒に仕事 を始めたが、やりたい形があり、別々の道 に進んだ。 新規収納を受け入れる団体を立ち上げ継者 を育成することにも力を注いだお川さん。 こんな思いもある。私自身もそのなんて 言うんですか、内手問題っていうのは重要 な課題だっていう風なことを言いつつです ね。うん。 自分が次なる相手に引きつけれなかったっていう悔しさ、寂しさっていうんですかな。同時にまたあ、その恥ずかしさなんかもあったりしてですね。 うん。 そういう風な中でその決せろないっていうのはちょっとやっぱそういう部分でも複雑な心境っていうんですか?そして当時を振り返る [音楽] 息子は息子なのやり方って思いっていうのあったんだろうと思いますしこ語るとすぐその声が高くなってしまうだとかでパッとこのじゃもいいよっていう風な感じになってしまうってあたりがですねやっぱり俺はこってって下手だったのかなっていう風 そんなような思いしてますよね。はい。 うん。そっか。 でもあの私の息子は隣村で楽の牧場やってますからそういう点では少しの救いになるのかなとかって思ったりして。 [音楽] うん。 親としての反省と 息子への感謝が買い間見えた。入最後の [音楽] 1等。 [音楽] この先絞ることのない 渋さを消毒し全てが終わった。終わりました。全て終わりです。 [音楽] [音楽] 食いはありませんか? 悔いはありませんか?その答えは総風機の音にかき消され聞き取れなかった。 [音楽] [音楽] 1253.3 L。それが最後の出荷。 そして 浸る間もなく全ての牛が売りに出される どこか落ち着かない牛たち [音楽] は 白農としてどこかの牧場に買い取られる。しかしもうその価値のないものは底がなく解体されになる。 [音楽] みんな必ず殺されて皮を向かれてですね、首も足も逃がれてしまう。スーパーにこういう形で並んでますよね。 子供たちにもしっかりと この現実を伝えてきた。 [音楽] 自分が受け入れられない瞬間がある。 いろんな人にそのことを伝えてきても本当に悲しいですよね。え、分かっていてもプレどしても悲しくなるっていう風な感じですね。 しょうがないものかわいそうだけど。 しょうがないものかわいそうだけど。そうやって言い聞かせてきた。これから解体に向け送り出す。 [音楽] 何度も経験した。ただ今回はいつもとは 違う。 でもね、やめなかったらずっとまだまだ 置いておけたんですけど、たまたま足が 悪かったり次の子供を埋めないっていう だけでまだ牛乳を絞ることはできた。 しかし怪我があったり、年を重ねすぎた ため、買い手がつかない。全ての牛は最後 には肉になる。それでも自分がやめること でそのタイミングを早めてしまった。 本当にあの申し訳ない気持ちでいっぱい ですね。はい。 牛の最後を決めたのは自分。自分を生かしてくれたのは 牛だった。 ちゃった。 その後肉を加工場から送ってもらった。 [音楽] 餌だった星草と 取り壊す牧場の柱で [音楽] 焼いた。 牛が出荷された直後、小川負妻による最後の命の事業が行われた。残酷なような話ですよね。これが現実なんです。こうしてみんな私たちは肉を食べて焼肉もしフカレーも食べることができるんですね。他のものの命を頂いてる私たち人間です。だから命を大切にする。だから食べ物を大切にするということが言えるのではない。 [音楽] [音楽] [音楽] 血を殺し解体するその時が来ました。そして坂本さんがピストルのような道具を頭に当てると兄さんを崩れるように倒れ少しもくことはありませんでした。 [音楽] 神芝居いの内容に自分の牛の最後を想像してしまう。 が何をさせてお それでも伝えたい。 牛さんの命を頂いて生きている。だから命をだきますということね。だきますって言うんだよ。 いただきます。でもね、危なかったらずっとまだまだ置いとけたんですけど本当にあの申し訳ない気持ちでいっぱいですね。 うわ、 生かされていることへの感謝だからおいしい。これが卒業生が残してくれたメッセージ。 [音楽] 卒業 少々小川牧場小川不明殿のあなたは小川牧場の経営者として 52 年の間いつも全力でいつもしっかりと苦しい時も楽しい時もう 1会1つで頑張ってきました。 あなたに育てられたちは幸せだったことでしょう。これまでの頑張りと感謝の意を表ここに卒業少々を送ります。 2022年9月13日小川裕子 ありがとうございました。 [音楽] [拍手] [音楽] これから無理を言わないようにします。 今度はあなたを決めてくれればお互いにね。 [音楽] うん。 お互いに一緒の時間と はい。で、それぞれが楽しむ時間と ああ、そう。お互い よろしくお願い。よろしくお願いします。 [音楽] [音楽] เ

浜頓別でお仕事があり、小川さんを訪ねてみました。

勿論牛はおらず、牛舎の屋根はなく、小屋は解体され、牧草置場にはシャインマスカットが育ち、ソフトクリームが食べられる小さなお店、綺麗に整地された草地、そして、元気なお二人の姿。とても清々しい空間でした。

嬉しい気持ちと、あの日以来の牧場だった事もあり、少し寂しい気持ちにも、、、

そしたら、

小川ご夫妻が酪農家として最後の日を迎えた、あの日の物語再編集してる自分がいました。

少しシーンも加え、綺麗に整えてみました。

【概要】

半世紀以上、酪農を続けた男の最後の日。
19歳で親から受け継いだ家業。
これまで4千人以上に、酪農を通して命の授業を行ってきた。

辞める決断と覚悟。

そして、牛達との別れ、、、
大半が乳牛として売られていくが、条件が合わない牛は加工場に送られ、解体され肉になる。
その肉を食べるキャンプ飯。その牛を育てた牧草地でのソロキャン。

・浜頓別町
http://www.town.hamatonbetsu.hokkaido.jp
・ぶんちゃん日記
https://blog.goo.ne.jp/bunchan54

#浜頓別町#屠畜#ソロキャン
※紙芝居の発行元 西日本新聞社に使用許可頂いております。

Write A Comment