【山梨/道志】横浜との合併に挑戦した村
[音楽] 皆さん、こんにちは。朝川です。本日は 市町村合併についてお話をしていきます。 日本では明治、昭和平成にいくつもの自治 体が合併をするいわゆる大合併の時期が ありました。 1990年代後半から2000年代にかけ て行われたのが平成の大合併なのですが、 この時期神奈川県のとある自治体との合併 を山梨県の村が望んだことがありました。 果たしてそれはどの場所なのか。本日は こちらについてや月末、さらに関連する 事柄について解説をしていきます。 さて、今回紹介する自治体、まず1つ目は 横浜市です。横浜市は神奈川県東部に移致 する同県の県庁所です。人口はおよそ 377万人。これは神奈川県内でトップ、 また全国で見てもトップの数字となってい ます。面積も438.23km と非常に広く。これは神奈川県内で最も 大きな自治体となっています。このような 広いCを持つが故えに横浜市は多様な側面 を見せる都市でもあります。 横浜市の都市機能は中区と西区に集席して おり、横浜の周辺には多数の強制施設、 また横浜駅の西口付近に下最大級の半火街 が広がっています。 またその間には再開発が行われ、超高層 ビルが隣立する港未来21地区が存在し ます。その他の場所にも鉄道駅を中心とし て都市化された町が広がっています。 一方で東京湾に広がる工業地帯、また内陸 部を中心に農地や緑が広がる場所が存在 するなど多様な側面を持っているのが横浜 市です。 そして2000年代の中盤にこの横浜市と 合併を望んだ自治体があります。の自治体 とは一体どこなのでしょうか?市町村の 合併と言うと一般的には近隣の自治体投資 で行われることが多いです。例えば同じ 神奈川県内であれば2000年代中盤に 相模原市が西側にあるつ井軍4兆との合併 を行いました。 また横浜市も時代は少し遡るのですが、 当初は現在の内地区周辺のみで始まった 自治体が周囲の村や町などを合併して現在 の刺域を形作ってきたという歴史があり ます。 ではこの2000年代にも横浜市の近隣 川崎や藤沢鎌倉などといった都市が合併を 望んだのでしょうか?実はこの時に合併を 望んだのは横浜市からおよそ55km離れ た山梨県の同村です。同村は山梨県南東部 に立致する南鶴軍所属の村人口は1462 人。これは山梨県内で田山村、小村、早川 町についで4番目に少ない数字です。 村内の大半は3次で非常に険しい地形の 広がる村です。村の北側には同子3階、 南側にはタ沢三形の1000mを超える山 が広がり、中央部分を東西に同士側が 流れる地形。その同士沿いに国道413号 が走っており、主にこの道沿いに集落が 広がる形となっています。 同子村は鶴市、上野原市、山の村、神奈川 県相模原市、山北町と接しています。 しかしながら車道で直接生きできるのは 相模原市、鶴市、山中小村のみ。上原山北 との間には山があり、直接生き生きできる 道路はほとんどありません。 山深い立地ということです。産業は臨魚、 農業、観光業が中心。特に国道413号 沿いはたくさんのキャンプ場が立致して おり、日本でも有数のキャンプ場密集地帯 となっています。 このように山深い場所に立をしていると いう点が同子村の特徴。 それではなぜこの同士村は遠く離れた横浜 市との合併を望んだのでしょうか。次は こちらについて考えていきましょう。 さて、まずは時代背景から整理をしていき ましょう。ドが横浜との合併を希望したの は2003年頃です。 この時期は全国的に市町村の合併が多く 行われた。いわゆる平成の大合併の時期。 どうしでも近隣の市町村、特に吊しとの 合併が模索されていました。そしてその 一方で望まれていたのが横浜との合併です 。先ほどもご案内をした通り同士と横浜は 55kmほど離れており、距離的にも遠く 、また関わりも薄いように見えます。 しかしながら横浜市は同子村の生内の林を 保有しています。この保有の理由は上水道 です。横浜市の上水道は同士側から手水し 、横浜市内にある川水に送られ、市内一部 の各家庭企業などに上水道を提供してい ます。そして同子村は同士側の上流にある 村。水源となる観葉林の保全を目的に村の 総面積の約36%にあたる 2873ヘクタル を横浜市水道局が保有しています。この ことから同子村の一部住民が住民発議を 行い横浜市への合併申し入れを行うことと なりました。 では同士と横浜の関わりはいつ頃から存在 するのでしょうか?その歴史は古く明治 時代、また要因にまで研究すると江戸時代 にまで遡ります。 江戸時代末期の1853年有名なペリーが 裏顔に来。翌年に日米和新城役が締結され ます。 これによって横浜が開。横浜というのは それまでは小さな漁村。人口の規模もそこ まで大きくありませんでした。しかし開光 によって人口が休増します。ただ横浜と いうのは海岸沿いに位置しており、水を 求めて井戸を掘ると塩水が出てくるという 場所が多く、水の確保が課題となってい ました。 そこで明治に入りますと、現在の神奈川県 の西側の3輪から手水して横浜に水を 送り込むという法策が取られるようになり ます。 そして1887年相模川と投資川の合流 地点、現在の相模原緑区の辺りでの主水を 開始。その10年後の1897年に増える 水道需要に対応するため、もう少し同士側 の上流から手水をするようになりました。 1916年に同子側の上流水源部分に あたる同子村の森林を保護するために兼油 約2800ヘクタルを取得。これが現在 まで続いています。 なお、同士側からの手水を選んだ理由です が、その1つとして水資源の豊富さと水質 の良さが上げられています。 同子村は1年の平均香水量が223mm と、横浜市の香水量1688mm と比較してかなり多くなっています。 また豊かな森林に恵まれていることから 水質が極めて良行。かつて横浜を立つ船の 石道を超えても腐らない水と言われていた そうです。さてこのように始まった同士側 の主水。同士は現在も横浜市内の上水道を 支える重要な場所です。しかしながら現在 横浜市全ての場所が同士側の水で賄われて いるわけではありません。 1916年当時横浜市の範囲は現在で言う と西区、中区、南区、神奈川区の当たり のみ。それ以外はそれぞれまだ独自の町村 でした。ただその後横浜市は合併や急激な 人口増加を経験し、現在では日本で最も 多い人口を抱える都市となっています。 水道もそれに比例して増加したため、現在 では同士側だけでなく相模川や相模、坂川 など様々な場所から水を手水しています。 同士からの水は相模原市の網子手水で主合 青山鎮電地を経てトンネルなどを経由し、 横浜市旭彦区の川水場に送られます。 そして横浜市の青幕や緑、瀬区を中心とし た地域に送水されています。 このように同士と横浜は水を通じて現在で も非常に深い繋がりがあります。 それでは、この合併はどのような推移を 辿どったのでしょうか? さて、先ほど横浜と同詞の合併は住民発議 によるものとご案内をしましたが、この 住民発議とは一体何なのか?住民発議には 様々な形態があるのですが、ことの流れ ですと、2003年当時合併の特例法に よりその市町村損の選挙権を持つ方々の 総数1/50の署名を集めて市町村の代表 者に向けて合併協議会の設置を請求する ことができました。 発議してすぐに合併というわけではないの ですがきっかけを住民側から提案できると いう形になっていました。そして同子村で はこの請求があり、同士村長が横浜市に 紹介を行いました。 横浜市はこの紹介に対して90日以内に 回答しなくてはいけないというシステム です。 この紹介の後は横浜市議会に富議、つまり 会議を行うのか行わないのかを判断する こととなります。結果として横浜市側は 議会に不議しないとの回答を行いました。 理由としては以下の3つ。全てを総合して 考えるとやはり領地帯が50km以上離れ た遠い場所にあるということが大きな要因 として考えられるでしょう。また横浜市は 神奈川県、同子村は山梨県所属の自治体 このように県をまいた合併のことを越教 合併というのですが、こちらは同じ都道府 県に属する自治体同士の合併よりも実現の ハードルが高くなります。具体的には関係 する市町村が属する双方の都道府県議会の 議決が必要となり、自治体感だけではなく 、もう少し広い議論の場が持たれます。 また都道府県からすると領域の一部を失う こととなるため実現に至らない場合が多い です。過去日本で合併を望んだ自治体は 多くありますが実現したのはわずか例。 この平成の大合併の時期ですと長野県山口 村と岐阜県中津川市の合併1つだけです。 このように同村と横浜市の合併は地理的な 搭載生活権の不一致そして件をまいだ合併 になるということで実現説。現在も別々の 件、そして別の自治体として存続してい ます。 さてこのように合併は実現しなかった横浜 と同士ですが横浜にとって同村が重要な 場所であるということは現在も変わってい ません。 また2004年に横浜市と同村は以下つの 協定書や各書を締結、さらなる有効と交流 を深めて行くこととなりました。 有効交流事業の事例としてはまず横浜市民 優体サービス。こちらは同子損害の民宿や キャンプ場などを割引きで利用できるもの です。また同子水源ボランティア事業と いう事業も存在。人手不足等で管理の 生き届かなくなった森林を横浜市民の ボランティアの手により杉樹木島の新用林 を伐採し森の保全活動を行っています。 このように合併には至りませんでしたが 横浜市と同子村は現在でも強い繋がりを 有しているということができるでしょう。 最後に少し同詞村の範囲からは外れますが 、液晶合併について少し深掘りをして行き ましょう。 先ほどもご案内をした通り、液晶合併は ハードルの高さから断念される場合が多い です。そしてこの同子村の近くにも合併を 望む自治体が存在しました。それが神奈川 県つ井軍旧藤野町と旧相模町です。これら 2つの町は2007年と2006年に 相模原市と合併。現在は相模原市緑区の 一部となっている場所です。 これら合併も平成の大合の時期に行われた ものなのですが、実はこの2つの町は当初 東京都八王子市との合併を希望していまし た。 この辺りの交通系を見てみますと、旧井軍 には藤野相模つ井白山の4兆が所属してい ました。そして藤野相模にはJR中央本線 国道20号中房自動車道が通っており、 これらは八王子側につがっており、2兆の 多くの場所は八王子との繋がりが深い場所 でした。 現在は一緒の自治体である相模原の中心部 に向かう場合公共交通での移動となると 1度八王子駅を経由してからの移動となり ます。 このような面を考えるとこの2つの町が 繋がりの深い八王子との合併を望んだと いうのは頷付ける要素です。ただやはり ここも都道府県の違いが大きく作用してき ます。 実際に両長は八王子に合併の申し入れを 行いましたが、八王子氏が合併特例法の 紀限内に合併が困難と回答し、この話はお 流れとなってしまっています。先ほども 申し上げた通り合併をする際には所属する 都県の議会での議決が必要となります。 この場合は神奈川県と東京都ということに なるのですが、相模藤野両町は神奈川県内 の上水道を支える重要な水瓶。特に相模 町内にある相模がその役割を果たしてい ます。このためここが県内であるという ことは神奈川県にとって極めて重要なこと です。その意味では神奈川県の議決が得 にくい、またかなり長い交渉が必要だった と考えることができます。結局合併は行わ れず、相模藤野両長は相模原氏との合併を 選んだというのが結論となっています。 ただ同士と横浜市の有効事業と同じように 8の図書館が利用できるようになったなど の変化も起きています。さて、以上が今回 の動画となります。次回は厨房車道の とあるジャンクションを紹介していきます 。ご視聴ありがとう存じます。また次回も 一生懸命頑張ります。ごきげよう。
#横浜市 #道志村 #道志みち
横浜市と言えば神奈川県東部に位置する県下一の大都市です。県庁所在地としても機能して、名目ともに神奈川を代表する都市。
そして、その横浜と合併を望むある自治体がありました。市町村合併と言えば、近隣の都市で行うことが多いです。横浜となると、隣り合う川崎?もしくは横須賀?と想像できますが、実はその市町村というのは遠く離れた山梨のとある村でした。
目次
その手前にある相模原市緑区青根の様子
その北側にある中央道の抜け道
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地図データ(C)Google
© OpenStreetMap contributors
目次
0:00 イントロ
0:49 自治体の紹介
5:10 横浜と道志の関り
6:39 横浜市の水道
10:18 合併の流れ
14:02 他の越境合併
※最終章、動画内の表記が少し間違っています。
19 Comments
相模原市を飛び越えて横浜市とは。。。
相模原「ここを通りたければ、私を倒してから行け」
相模原じゃなくて横浜とは驚きですね
道志て?物凄い飛び地になるのに?
これは知らなかったです!水繋がりならたしかにわかるけど、、でもさすがに無理だよな~
もし実現してたら道志区?、それとも青葉区や緑区の飛び地かな。
道志村ってバスも土休日は全くなくなるし平日も数本だしっていうのもあって、元々山梨県に対して交流も帰属意識もないんだろうね
食料品とかの買い出しも下手すると三ヶ木まで来ないといけない状態じゃない?
こんな合併が許されるんだったら、その前に相模湖や藤野や青根地区みたいな所は横浜が引き取ってほしかったわ
実際問題、相模原じゃ財政的にも抱えきれないよこんな所
都留市との合併を選んでおけば新道坂トンネルが既に完成していたかもしれなかったのに
越境&飛び地合併は大衝撃です
道志村はつながりを考えると
広域市の富士北麓市が最適だと考えます
(※身近な行政は道志村かもっと狭い範囲に分権が最適)
お祭り感覚でダメ元で申し込んだのかなぁw
合併していたら、横浜出身という言い回しで山間部の道志をも指す事も出来てしまうのですね
どうして?横浜と
横浜市民ですけど、道志川は小学校の授業で出てきましたね。
キャンプ場のほか、横浜市民だと道志の湯の料金割引もありますね。
横浜にとっては関わりの深い自治体。
戸塚区民ですが、近所の学童に通っていた時は何度か道志のキャンプ場にお世話になったことがあります
確か御殿場・須走経由だったかと
市民であれば水道局のボトルウォーターの名称が「はまっこどうし」なのもよく知られているかと
1990年頃から、神奈川県厚木市の国道246号から山間部へ向かう道路が「直線の2車線道路」に整備されましたが、これは『道志村から横浜に水を供給する事の見返りとして、山梨県側が神奈川県側に ”観光者を呼び込む為の道の整備” を求めたからだ」と言う話が有ります。
ホントの話かどうか分かりませんが、神奈川県や厚木市からすればクソ田舎の山間部に向かう道路を大金掛けて再整備する必要性はほぼ無いですからね。
洪福寺松原商店街に道志村がカフェ出してたよね。コロナで潰れちゃったみたいだけど。道志村の特産品とか売ってた。
合併ではない県境跨ぎなら長野→岐阜があるが。
走り好き みんな大好き道志道
日本衰退 人口減少のおかげで変わらず残ってくれた俺のソウル道
道の駅「どうし」が出来てからも、日の出屋さん前の公衆便所に通い続けて45年
マルシンにいつ、そして丁度ここに通い始めた頃に建った80年代らしい店名「貴純」も変わらず在る
生まれも育ちも横浜で
戸塚区-港南区-戸塚区だけど流石に道志村が合併してても同じ横浜市という気持ちにならないと思う😅