航空写真に映る謎の物体を見に行ってみる

皆さんこんばんは。ザです。今回は待機町 にある旭日浜に行っています。戸勝地方 南部に一致する待機町内を流れる門別川の 加工西側には旭日浜と呼ばれる砂浜が 広がります。この砂浜には第二次世界大戦 末き米軍の上陸に備えて統地下が多数 気づかれ今日では旭浜の統地下軍として 知られています。例によって私はあまり 調べずに向いておるんですが、とにかく 行ってみましょう。待機町の隣町疲労町内 国道336号を走っております。本日は 国道235号をひ走り、さらに黄金道路を 抜けてやってまいりました。もうすでに 疲れている眠いドラッグストアで買った 安売りのコーヒーを流し込みます。価開拓 以前江戸時代には会社が置かれ公撃などの 拠点として発展した町へあり言うまでも なく黄金道路関連で必ず名前が上がる町 です。町は日本で唯一ノルウェイの おスろしからサンタランドの認定を受けて おり、町内の大丸山森林公園内にある サンタの家ではクリスマス関連のグッズや クリスマスカードの受付などをしています 。ま、私には一切全く関係ありませんが。 はい、それでは行きましょう。国道を進ん でいきまして青カバです。右折して堂々 1037号疲労待機線に入ります。 こちらは待機町の旭浜まで直通する路線と なっており、総園長13.047km 路線の多半が直線で構成されたザ北海道な 道です。 旭浜はその昔大門別浜と呼ばれた場所で 現在の知名になったのは大正5年集落とし ての始まりは明治36年に滋賀県出身の 1円代が移住してきたのが最初。代崎チは 最初豊川の加工で先取りをして席を立て ました。後に農業に転候するのですが、 先取りは2ヶ月くらいで250円の稼ぎに なったとか、明治後半の1円の価値は現在 の2万円くらいといますから、贅沢をし なければ1年暮らせるレベルです。地下の 法量の地であることがし歩いようになると 疲労から通っていた漁師たちが停住する ようになり、集落は発展してきました。 当時疲労から大津までの陸は東海岸という 大ルートの一部である大津道路が使われ ました。しかし大津道路の実態はほとんど ただの砂浜あるであり周辺の町との連絡が 悪く生活には不便が多い状況でした。その ため昭和7年後から道路開通運動を行い、 2年後に旭川道路が開通。昭和11年 北海道で最後と思われる大門駅定所が設置 され、1園市の息子、1園長が取り扱に 譲られました。この旭浜道路というのは今 走っているこの路線ではなく堂々501号 旭浜待機手力線のことで別の資料では中島 道路とも呼ばれたそうです。疲労待機の 制定は昭和58年それ以前にも原型となっ た日筋は見られますが東川や川を渡る橋梁 はありませんでした。 さっぱとした直線道路をひたすら走ります 。北海道旅行でこの辺まで来ることは あまりないかもしれませんが、ドライブに 来てみると面白いかもしれません。ま、 とか地は直線の道が多いのでそんなに根で はありませんけど。さて、ここらで ちょっと寄り道をしましょう。ここの右の 脇道が浜に繋がっているようです。 ああ、やっぱやめておこっかな。 ゾヌ号車高が高くないので腹をこすって いる。オフロ働者でもないのに酷使る不便 なマシン。我慢してくれ。これも撮影の ためなのだというかフーナムに通れるのが 意外だな。あるも確保していたんだが。 しかし対抗車に壊れるとドッキリして しまうぞ。 海岸に近づくにつれが少なくなってきまし た。浜風のなんでしょう。 おお、太平洋が見えた。道の方は問題なく 行きそうな雰囲気です。 先に触れましたが、明治まで苫小前から 根室への感染だった東海岸ドロ路という ルートがあり、この辺りにおいては完成 11園にされた大津2道路と呼ばれる海岸 のでした。私はこのダートが大津2道路の 現在の姿ではないことを見ており、寄り道 をした理由の1つです。当時は海岸線沿に は電子線が開され、内陸部の国道整備が までメインの交通路でした。もう1つの 理由は何かと言うと、ま、車を置い分かり ます。 はい。海岸に何か建物がありますね。男球 の真下に佇むコンクリート構造物。戦中の 統地下です。統地下とは鉄コンクリート製 の防御陣地のことで日本語では特化点と 呼ばれます。ま、一般的には統地下の方が 馴染みがあると思います。 ここが入り口でしょうか。よっこいせと ご覧の通り中は狭く呼形が入っています。 窓みたいなのが複数あるのは柔でしょうか ? でもなんかこの土地か海岸の座りが悪い気 が80年の間に自盤の竜気と砂が退積した 結果なんだろうか、あるいは男系の上に 設置されたものが落下した可能性もあり そうです。前に探球の中に隠されて設置さ れた統地下が海岸の新食で発見されたと いうニュースが話題になりましたが、元は そのような姿だったのかもしれません。 おっと、手袋が置かいている釣り人だろう か。銃がだんだんになっているのは長談が 内部に侵入するのを防止するためだそう です。 実は反対側にも同じく統地があります。 どうも上下が逆さになっているように 見えるのは気のせいだろうか?こちらも男 の上にあった方が落ちた可能性が考えられ ます。戦略的にも高い位置にあった方が 優位でしょうし、こういうのを見ると プライベートライアンを思い出します。 天マプラなので冒頭のノルマンディ上陸 作戦だけしようと思って見始めると結局 最後まで見てしまうつっ てきた道が当地建設の際に使われたん だろうか。 内部は土が詰まっている。 昭和19年から20年にかけて้าว前日 方面から戸勝九州の海岸に応陣地が構築さ れました。部下地における中心人地は待機 地とされ、帝国陸軍第7次団から歩兵第 28連帯26連帯及び三方法兵第7連帯が 交代で作業。また同内中東学校の金労士体 そして事務党住民も協力して人地構築に 当たりました。結果的には北海道での上線 には至らず人陣地は無要の調物と貸した わけですが昭和20年7月14日から15 日にかいて米軍が行った北海道空州では都 地方も被害を受け待機町では2名、疲労町 では1名の死者。最も被害が甚大だったの は本別長で死者40名にも登りました。 さて、疲労待機線を走ってきまして、 こちらで堂々501号、旭浜待機停車両線 との古店。堂々501号は旭浜道路または 中島道路と呼ばれ間にちょうど挟み疲労 街道現在の国道236号に接続します。 [音楽] 堂々501号を進みまして、旭浜の集落に 到着しました。想像していたよりも大きく 商店もあります。飲食店はないみたいです 。 こちらが旭浜行。投資家軍は行の北側の 海岸にあります。 はい、浜に置いてきました。あっちが魚行 の方です。海岸には消販ブロックが大量に 設置されています。旭浜も大通道路の名と して眼球場に道があります。大通道路以前 はこのように浜を歩いたことでしょう。 そして向こうにブロックとは違う人工物の 姿が見えてきました。ありますね。統地下 。しかし、また傾いているのだが、どう いう状況だ。やはり男球場にあったものが 通常したんだろうか? 木の柱みたいなのは当時のものではない でしょうけど、何だろうか。 [音楽] あっちにもありますね。 同じように傾いている 男球上にあった偽を浜に設置されたせを邪 がかなり体積して埋まっているのは明らか です。年月の経過を感じさせます。 ということで今回は待機町の旭日浜にある 統地軍を見に行きました。戦争を伝える 意向として保存しようという動きがある 立法、所有者が明確ではないためにその 動きが問いにくい事情もあるようです。私 個人としては口中に任せた姿に重向きと 歴史を感じます。では以上です。 ありがとうございました。 [音楽]

今回は十勝の大樹町にある旭浜などに行ってみます。
わかる人にはこれだけでネタバレですな。

X(旧ツイッター)

BGM、効果音素材

DOVA-SYNDROME 様
https://dova-s.jp/

PANICPUMPKIN 様
http://pansound.com/panicpumpkin/

MusMus 様
https://musmus.main.jp/

甘茶の音楽工房 様
https://amachamusic.chagasi.com/

37 Comments

  1. この間ニュースになってたけどトーチカのある場所は大体誰かの土地で市町村としては保存することが出来ないしあまり話題にすると撮影者が押し寄せて地域住民に迷惑かけるから話題にもしないようにしてるって言ってたね

  2. 浜辺を歩いていてこれにであったら「猿の惑星」のラストシーンみたいな感じですかね。ちょっと想像を広げ過ぎかな・・・

  3. こういうトーチカ見るとやっぱり生々しいですね。北海道でも空襲あったと明治生まれの祖父と大正生まれの祖母に話聞いたなぁ。
    空襲といっても爆弾じゃなく、ダダダダダ・・・と機銃?を撃っていくやつだったとか。
    祖父はこっそり麻雀で遊んでて逃げ遅れ、そのせいで一緒に逃げ遅れた祖母は、諦めて窓際に立って飛行機見てたと。北9条くらいの北大の辺りの家。なんか撃ったり止めたりしながら結局頭の上通過していっただけだったと昔聞いた。

    空襲の時「クラーク博士んとこだからやめよか」「そだねー」みたいなことにでもなったんだろかw

  4. 2年前だったかトーチカ見に行きました。もう少し南側だと記憶してますが崖の上にまだ乗ってるやつです。

  5. 何か見覚えのある道かもって思って調べてみたら帯広からえりも岬向かう道路だったようですね‼昔バイクツーリングで通った道でした😁
    北海道懐かしいな~‼またツーリングに行きたい🏍

  6. お疲れさまです、なるほどトーチカでしたか。

    丘から落っこちているんだね、完全な姿を想像します。

  7. 20年ほど前に訪れました。動画ではすこし砂に沈んだ?かもですが、ほぼ当時とかわらないように見えます。
    もともとはトーチカ全て段丘上に設置されていたとのことで、ご推察のとおり海岸線が浸食で後退し転がり落ちました。現在は護岸整備が進んで浸食が落ち着いているんですね。

  8. 軍艦島なんかもそうですけど、こういうのって保存するかどうかというのは難しいですね

  9. お疲れさまでした。国土地理院の空中写真サービスで見ると、米軍が1945年あたりに写した写真には海岸から少し離れたところに構造物?のようなものが確認できます。1960年あたりの写真だと砂浜に落っこちた構造物のようなものが確認できます。同じ場所を特定できれば面白そうです。
    レッカーのお世話にならないように、、高いですから。

  10. ただコンクリートり塊と言う見方もあるが、戦争遺産をこのまま風化させるにまかせたままでよいのか。当時の体験者がいなくなりつつある今、廃道同様どうなのだろうと思ってしまう。

  11. 昔に防御陣地を造らないといけないくらい、上陸しやすい浜と旧日本陸軍は想定してたんですね。結局アメリカは南洋の島伝いに日本に攻めてきましたけどね。

    今はその先の浜大樹で自衛隊の上陸演習する場所がありますよ。今も昔も上陸しやすい浜なんですね

  12. あ~、やっぱやめておこうかな、と呟きつつも腹を擦ろうが何しようが進んで行くゾヌさん(笑)

  13. 砂金が取れていた時代があったのですね😊
    トーチカを特火点ということも初めて知りました👍
    戦争の遺構はこれからも伝え続けたいですね。

  14. 自分も徘徊途中にトーチカに立ち寄るのが好きです。
    勇払川のトーチカはまだ塹壕の跡が網の目に残っており、とても興味深かったです。

  15. 宇宙港の北東にある当縁川河口トーチカについては地上にあったものが浸食により露出し、落下するまでの経過がある程度継続的に観測されています。

  16. ゾヌ1号さんへ美味しい添加剤やいい洗車の足しにでもしてやってください。
    私の愛機も草ボーボーな畑の間やら山の中やら走らされて、腹どころかアゴまで傷めつけられる日々であります。2台持ちできる余裕あればなー
    でも、いつものクルマでいろんなトコ行くっていう楽しさもあります。

  17. 毎回楽しい冒険と教養セットで見せてもらえて幸せです…
    内地の人の中には北海道に空襲なんてあったの?という人もいるので、こういった形に仕上げて見せてくださる方は貴重でありがたいと思います。

  18. 秋になると鮭釣りの竿が無数に並ぶ中、焚火陣地や排泄の目隠しに使われてるんだよね…

  19. プライベートライアンの冒頭部分はスゴイですよねぇ、殺戮ショーをこれでもかと見せてくるんだけど映画だからと楽しんでしまえるというスピルバーグの悪魔的所業。
    ゾヌさんの動画の落ち着いたナレーションは不思議な魅力がありますね、蒸し暑い横浜の奥地の夏の夕べを気持ちよく過ごせます。ありがとう。

  20. 旭浜は釣りには行ったことありますがトーチカは見てないなぁ😅
    阿寒川河口のは2箇所見てますが😁

  21. 小さい頃、この旭浜の隣の豊似浜に家族でよく遊び行ってBBQとかしてました。
    トーチカが3個くらいあったので、中に入ってかくれんぼとかして遊んでたなあ…。
    地元に戻ったらまた遊びに行こうと思いました。😊

  22. 苫小牧では、勇払あたりにいくつか残っているようですが、海岸から離れた植苗にもあるそうです。
    植苗のトーチカ、見に行きたかったのですが、原野の中にあって、装備の無い私には企画段階で直ぐに断念しました。

  23. 大阪にも高射砲陣地のコンクリ製の移行が遺ってましたが、ここ20~数年前までになくなったみたいです。
    個人の所有地として住宅や工場建屋の一部として活用されたみたいですが、元々は勝手に住み着いたって話もあり、その辺りの取り扱いにも闇というか興味深そうです。
    北海道のトーチカなんて明らかに公有地としてどうとでも扱えそうなのに、一部の人しか知られてないまま朽ちていくのは残念な気がしますね。

  24. bunker:ブンカーですね。
    ノルマンディー海岸に卍が造ったものより小規模で、形式も単純。
    ちなみに、鉄筋などはなく、骨材の砂利とセメントだけで造られているみたい。
    型枠組んで流し込んだだけのよう。しかし壁厚は1000mm以上ありそう。

  25. 大戦中の陸海軍施設についての管理責任は大蔵省に移管されました。
    地元住民から国に撤去要請をすれば或いは叶えられるかも知れません。
    ただし、現状で何の障害にもなっていないのならば、優先度は極めて低いとの判断になるのでしょうが。

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